ブルゴーニュ公との会談まであと2週間。
準備期間としては決して長くはない。
だが、人は常に与えられたものの中で最大限尽くすしかないのだ。
まずオレは、準備の第一段階として交渉条件と状況を確認することにした。
今回の交渉の目的は一つ。
英雄リッシュモンを傍に置く権利を獲得することだ。
オレは将来の仮想敵として次期ブルゴーニュ公、無怖公ジャンを設定している。
オレの父とブルゴーニュ公は政治的に対立しているに過ぎない。
だが、息子の無怖公とは感情的にも対立していると聞いていた。
それは宮廷内でも知れ渡っている。
まず二人は性格からして正反対らしい。
父は弁が立ち、明るく派手好き。芸術を愛し雅を好む、というかつてのオレが抱いていたフランス貴族にイメージそのもの。
一方の無怖公は寡黙でどこか陰惨。質実剛健の武人、とのことだから馬が合うはずもない。
それでいて権力拡大という目的や年代といった点では一致しており、そのことから互いを強烈にライバル視しているようなのだ。
特に無怖公の方では側近に暗殺を仄めかしたという噂まであり、父に対する敵意の深さがうかがえる。
それはオレへの暗殺を目論んできたことからも明白で、いずれオレとも本格的に対立することになるだろう。
その点でもこの交渉は重要なのだ。
交渉の成功には敵の潜在戦力を削いでこちらの戦力を増大させる一石二鳥の効果が見込める。
オレにとっては真剣に命が掛かっているのだ。
だが、この会談が重要であることはブルゴーニュ公にとっても同じだろう。
彼も本腰を入れてくるはずだ。
一筋縄ではいかないだろう。
次にオレが切れる交渉カードについてだが、残念ながらそれほど多くはない。
それはフランス国内におけるオレの地位は高くないことに起因する。
父ならば対立している案件について譲歩するといったカードがあるのだが、今のオレはあくまでも次期オルレアン公であり王女の婚約者。
将来約束されている輝かしい権力も何の役にも立たない。
となるとオレ個人で有するもの、望遠鏡の技術や新酒の製造法を交渉材料にするしかないのだが、これもうまくない。
まず望遠鏡は情報戦で圧倒的アドバンテージをとれることから、敵となるであろう者に渡すことは躊躇われる。
新酒の製造法は要するに金銭で譲歩を迫るということだ。
国内屈指の富豪であるブルゴーニュ公には通じないだろう。
となると、残された選択肢は限られてくる。
援軍だ。
ブルゴーニュ公の兄であり彼に意見できる数少ない人物、ベリー公。
そして亡きリッシュモンの父から後見人として直接指名されたクリッソン大元帥。
この二人を味方につけた上で会談に臨み数で押す、それがオレの取りうる最大限の策だろう。
オレはさっそく二人に対して会談を申し込む手紙を送った。
■
ブルゴーニュ公との交渉まであと9日。
オレはベリー公と会談の約束を取り付け、彼の下へ向かった。
ベリー公ジャン1世。
偉大なる賢明王シャルル5世が弟の1人にしてフランスの重鎮。
彼の存在なくして今のフランスは語れない。
ベリー公がいるから国が決定的に割れる様な事が起こらない、それは衆目の一致する所だ。
オレは彼本人を目の前にしてなるほど、と納得した。
ベリー公は調整役として傑出した人物だ。
丸々として小柄な体躯。
丸眼鏡を鼻の上にちょこんと乗せた愛嬌のある顔つき。
挙動もどこか親しみを湧かせるもので敵意を受けにくい。
笑顔も相手を和ませる穏やかなものだ。
「よく来たね、シャルル。ジャン1世だ」
その声は親族としての親しみに溢れていた。
驚いた。
まさかベリー公ほどの地位にいる男がこの様な人間的な、生の感情を露わにしてして接してくるとは思わなかったのだ。
「お初に御目に掛かります、ベリー公。
オルレアン公ルイが一子、シャルルに御座います」
友好的に始まった会話。
それに続く親しみに満ちた雑談。
彼自慢のコレクションの紹介。
その時間を通して、オレは事前に得た情報と実際に触れた感触からベリー公という人物像を把握しつつあった。
要するに彼は趣味に生きているのだ。
その華麗公という通称のように美々しいコレクションを語るときの口調、眼つき。
それは全てを趣味に注ぎ込んだ者特有のものだ。
彼は俗世に興味を抱かない。
宮廷での権勢、領地の拡大。
それらを巡って争う弟や甥のことをベリー公は理解できず、現状を憂いて心から嘆いてる。
その一点を見るとベリー公は清廉な人格者のようだろう。
だが、ベリー公は自分の趣味に対して彼等が向けるそれ以上の尋常ではない情熱を傾けている。
現に、彼の領地はその趣味のために国内で最も重い税を課せられ、抱える負債も莫大なものとなっている。
それでも彼は己の破滅も犠牲にする者も省みることはない。
趣味こそが彼の全てだからだ。
オレは内心歓喜していた。
これならば持参した手土産は最大限の効果を発揮する。
当初、父への土産品としてミラノから持ってきた物。
ガレアッツォのシエナ遠征の成果。
ゴシック期シエナ派を代表する画家シモーネ・マルティーニの絵画。
それがオレの持参した物だ。
「素晴らしい芸術作品の数々をお見せ頂き感謝の極みに御座います。
世界広しといえどこれ程の質、量を誇る蒐集家はおりますまい。閣下は真に文化の保護者でいらっしゃる」
「いやいや、文化を保護するは富める者が務めの一つ。私は己の使命を全うしているに過ぎないよ」
オレの言葉にベリー公はそう言って謙遜する。
だが言葉とは裏腹に、彼は小鼻を膨らませ眼を優越感で溢れさせている。
「美術品にとっても閣下の手にあることが幸せでしょう。
これほど大切に愛されているのですから。
ときに閣下。私が今現在ミラノに居ること、そしてミラノが昨年シエナを降したことはご存知でしょうか?」
「イタリアは芸術が盛んな地で御座います。
特にシエナは50年前までフィレンツェと並ぶ、美術の中心地であったことは周知のこと。
実は閣下。
私が彼の地で手に入れた絵をコレクションの一端に加えて頂けないでしょうか?」
そう言ってオレは同伴した者から包みを受け取ってベリー公に手渡した。
「友好の証にと持参しました。是非お受け取りください」
ベリー公は慎重な手つきで包みを開き、じっくりと鑑賞する。
その顔は徐々に喜びに満ちていき、眼は輝きだしていた。
「こ、これはシ、シシモーネ・マルティーニの作品だね。
いいのかい、受け取っても? こ、これ程の絵はなかなかないよ?」
喜びのあまり少々挙動不審になるベリー公。
それを見てオレは会談の成功を確信した。
「勿論で御座います。
閣下の芸術への情熱に私は感動しました。
全ての物はやがてあるべき場所にたどり着くもの。
この絵もまた閣下の手にあるが幸せ、閣下の御手にあるべきものなので御座います」
オレの言葉は歓喜するベリー公には届いていないようだった。
貪る様に絵に見入っている。
これ程の執着、本当に美術を愛しているのだろう。
ベリー公はそのまま10分ほど鑑賞を続けていたが、やがて深く満足気な溜息と共に顔を上げた。
「ふぅ、実に素晴らしい絵だ。
さすがはシシモーネ・マルティーニだ」
そう言った後ベリー公は居住まいを正した。
そうするとやはり王族。
威厳と貫禄を感じさせる。
「望みを言うといい、シャルル。何でも叶えよう。
たとえ私の手に余りそうな事案でも、な」
オレはベリー公の言葉に驚いた。
まさかこれ程オレにとって都合のいい言葉を貰えるとは思わなかったのだ。
「何でも、で御座いますか?」
思わずそう呟いたオレにベリー公は厳かに答えた。
「そう、何でもだ。この絵にはそれだけの価値がある。
私はね、シャルル。報酬を払いたいんだよ。
それが大きければ大きいほど私がこの絵へ愛を示したことになるのだ。
さあ、何でも言うんだ。
名誉と誇り、芸術への愛にかけて私は君の願いを叶えよう」
凄まじいまでの威に思わず唾を飲み込む。
オレは先程までこの人を見くびっていた。
ベリー公は後世にまで伝わる国際ゴシックの傑作、最も豪華な装飾写本として知られる「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」を完成させた人物。
そう、彼は史上最大の蒐集家の一人なのだ。
それが単なる気のいい人物であるはずがない。
一流の蒐集家としての美学、哲学を持っていて当然だ。
オレは改めてこの偉大な文化の保護者に尊敬の目を向け、報酬を口にした。
「私の後見人となってもらえるでしょうか?」
ベリー公はオレの言葉に頷いた後、更なる言葉を促した。
「それだけじゃないだろう? 君の目はまだ引き受けて欲しいことがあると言ってるよ。
さぁ、遠慮は無用だ。
私の愛を疑うのかい? 望む事を言うんだ」
オレは彼の言葉に応えた。
「9日後にブルゴーニュ公と会談を行います。
どちらがブルターニュ公の弟達を養育するか、についてです。
私はこの会談に全てを賭けています。
なんとしても成功させたいのです。
私の後押しをしてくださいますか?」
ベリー公は微笑みと共に承諾した。
そしてそれは、オレが交渉に向けて立てた策の一部が完成したことを意味した。
いや、予定以上の成果だ。
オレはベリー公に深く頭を下げ、彼の下を辞した。
■
ベリー公との会談は成功した。
しかし、人生は全て上手くいくとは限らない。
クリッソン大元帥からは会談を拒否する旨が伝えられたのだ。
クリッソン大元帥は騎士道精神の体現者として知られている。
その高潔さ、公平さは国中に轟いており、それは元々敵対していたリッシュモンの父が息子の後見人とすることからも伺えた。
だからこの結果は予想はしていたのだ。
だが、理性と感情は別物でオレは落胆せずにいられなかった。
クリッソン大元帥から届いた手紙にはこの様なことが書かれていた。
「会談を受けることはできない。
自分は今は亡きブルターニュ公ジャン4世からその子である兄弟達の後見人として直接指名された。
今回の争点であるリッシュモンもその兄弟の一人である。
その事情を考えると自分がどちらに加担するか、またどのような発言をするかは結果を大きく左右するだろう。
自分が事前にどちらかと会談をすること、それは公平さを欠く行いである。
騎士としてそのような行動を取ることはできない。
自分にはジャン4世の示した信頼に応える義務がある。
それはリッシュモンに最も良い環境を与えることであるが、次期オルレアン公とブルゴーニュ公。
両者の財力、地位、将来性を比較したとき、どちらの下で育つ方がより良いかは優劣つけ難い。
自分は両者のどちらに決まってもリッシュモンにとって益となりと確信するものである。
しかし、両者としては己の下に彼を招きたいであろう。
そのために両者が自分を味方にしたい、と考えることは当然である。
両者の会談には多分に政治的な意味合いが含まれる。
両者もそのような意図をもって臨むであろう。
自分はそのことに強く意見するものである。
どうか今回は両者の間にあるしこりを忘れ、幼いリッシュモンの将来を第一とするよう強く要請するものである」
まさかクリッソン大元帥がこれ程頑固な人物とは思わなかった。
言っていることが全て正論であるだけに手に負えない。
オレはクリッソン大元帥という援軍を諦めざるを得なかった。
過ぎた望みは人を狂わせる。
ベリー公を味方とすることが出来た、それだけで満足すべきだろう。
ブルゴーニュ公との会談まであと5日。
オレは後ろ向きな思考を止め、会談に向けて入念なシミュレーションをすることにした。
交渉準備でした。
ブルゴーニュ公との交渉まで含めると長くなってしまうので分けて書くことにしました。
次話もなるべく早く書き上げるようにしますのでご容赦ください。
ところで前回の望遠鏡について批判がなかったのはやりすぎではない、と判断していただいたと思っていいのでしょうか?
少し心配でしたがご批判がないのであればこのまま進めようと思います。
それでは、ご意見、ご感想、ご批判をお待ちしています。