腹が減っては戦はできぬ、という言葉がある。
現代においては場を和ますための冗談の一つにすぎない。
しかし、この格言は実に的確に戦の真理を付いている。
大兵力を誇る軍が破れる要因は疫病、奇襲、指揮系統の混乱など様々ある。
その中でも寡兵の軍が最もとることが多い作戦は補給線を付くことだ。
兵糧なくして戦争はできない。
優秀な指揮官であればある程それを痛感している。
そして年中征服戦争に明け暮れているガレアッツォもそれは同様だ。
オレという存在をアピールする上でこれ程打ってつけのものはないだろう。
そこでオレは携帯食を開発した。
着目したのは米だ。
ミラノに来て驚いたことの一つは食卓に米が出てきたことだ。
イタリアにはリゾットという料理がある。
オレの好きな料理の一つであったが、それがこの時代にもう存在するとは思っていなかった。
しかもポー川流域での栽培にも成功している。
これを利用しない手はない。
日本の戦国時代に盛んに利用された非常食に糒(ほしいい)というものがある。
その保存期間は20年以上。
そのまま水と共に食べてよし、茹でて戻してよし、粉末にして甘味の材料にしてよし。
加えてヨーロッパで米が普及してないので自国でこの技術を独占しやすい。
作り方も実に簡単で炊いた飯を水で軽くさらしてから天日で乾燥させるだけだ。
これはいける、オレはそう確信した。
まだ準備段階だが完成図は見えているのだ。
試みの成功も遠くはないだろう。
完成品を見ればきっとガレアッツォも気に入るだろう。
オレは携帯食とは別に自分が将来率いる軍について考えていた。
この時代、戦の担い手は傭兵と騎士だ。
この二者は全く違うようだが一つ共通することがある。
軍として率いるにはまるで信用できないのだ。
まず、騎士は己の武功にしか興味がない。
彼らは名誉や勇気を尊び、それぞれが独自の美学を持っている。
自意識が強いゆえに命令無視も珍しくなく、また己の名誉のためならそれをよしとする風潮さえある。
傭兵はもっと最悪だ。
彼らには倫理も規律も期待できない。
傭兵と盗賊は表裏一体、時と場合によって最も恐ろしい略奪者になる。
その上、報酬とは別に敵有力者を誘拐した身代金なども彼らの重要な収入源であり、戦争を長引かせるためのヤラセすら行う。
オレとしてはそのような連中を率いて戦いたくない。
現状はともかく将来的には指揮官に忠実で規律正しい軍を抱えるべきだ。
そう、天下をとった徳川家康の三河武士のような忠誠心、「犬のよう」と言われるほどに苛烈な心を持った兵が。
しかしそれは一族を基礎とした日本の武士だからこその在り方だ。
個人と個人の契約に基づいたヨーロッパではそのような軍を作ることは難しいだろう。
オレはずいぶん悩んだ。
そして、ふとイェニチェリ軍団のことを思い出した。
イェニチェリはオスマン帝国の親衛隊、全ヨーロッパで恐れられた軍隊だ。
その団員は戦争捕虜などから選び抜かれ、エリート教育を受けた優秀な者ばかり。
幼いころからの刷り込みによって強烈な忠誠心を植え付けることも可能だ。
オレはイェニチェリをヨーロッパ流にして取り入れることにした。
そして、その構成要員候補は2つ。
1つ目はアルプス山脈近辺、スイスの住人だ。
山の民は戦に強いという。
日本でも険しい木曾山脈に育った木曾義仲や隼人の民などが有名だ。
そのことからも兵の強さに出身地が関係するという推測は一面の真実があるのだろう。
その法則でいくとミラノ公国の南に位置するアルプス山脈に暮らす人々は精強な兵となる素質があるはずだ。
長引く戦争で荒廃した今のヨーロッパでは戦争孤児や口減らしのための捨て子も珍しくない。
そういった子供を引き受けたならば民は喜び、オレの評判もあがる。
まさに一石二鳥だろう。
2つ目は黒人だ。
現代のスポーツで圧倒的強さを誇るのは黒人である。
そのバネ、持久力、体力、センスは群を抜いている。
間違いなく強兵となるはずだ。
こちらは残念ながら奴隷貿易に頼らざる得ない。
現代人としては心が痛むことだがその後の生活は必ず保障するとしよう。
それにオレの軍が活躍した場合、その構成人員の評価も高まることになる。
そうなれば後世になっての極端な差別も緩和、上手くいけばなくなることも期待できるはずだ。
オレは試作段階として前者を50人、後者を50人くらい集めることにした。
この試みが成功すればオレの命令によって1個の生命体として動く軍を作り出せる。
強大な軍事力はいつの時代も地位向上への最短距離だ。
確かに時間はかかる。
しかし5年、10年先にその効果はボディーブローのようにじわじわと活きてくるに違いない。
オレはそう信じて部下に手配を命じた。
■
ヴェネツィア共和国。
La Serenissima(最も高貴な国)や「アドリア海の女王」とも呼ばれる地中海の覇者である。
元首であるドージェ、最高裁判所と元首の顧問を兼ねるシニョリーア、大評議会と十人委員会とその権力は分散されている。
更に各々の選出方法も複雑を極め、たとえどのような名門の者や権力者であろうと独裁を許さない政治体制を布いていた。
ヴェネツィアの独裁に対する予防策は憎悪すら感じられる徹底したものだ。
ドージェは外国の公文書を開封する際に官吏の立会いをせねばならず、また国外に私有財産を保有することを禁じている。
死亡したならば生前の職務に不正がなかったか厳しい調査が行われ、私有地すらも例外ではなかった。
また、この時代においては珍しく完全な法の支配が徹底している。
信教の自由すら認められ、法を犯せばたとえドージェの息子といえど処罰の対象だった。
ヴェネツィア、一都市でありながら最も先進的な政治体制と黄金の玉座、多くの植民地を有するヨーロッパの強国。
その中心では海千山千の17人の政治家が共和国の方針について話し合っていた。
「ジェノヴァは片付いた」
「うむ、あそこは実に手強かった」
「しかし、もはやかつての力はない」
「キオッジャの戦いで下してからその衰退は著しいからな」
「栄枯盛衰は世の倣いなれどああはなりたくないものじゃのぅ……」
それぞれが次々と発言をする。
彼らの年齢は様々であるがその様子から互いに上下関係は存在しないことが感じられた。
「そう、衰える者あれば栄えるものが出てくる」
「犬、か……」
「いかにも。我等の犬であるうちはその繁栄も許せた。
犬が狼と勘違いして飼い主に牙を剥くとあればそれなりの対処をせねばなるまいて」
「狂犬は叩き殺すほかない」
彼らの語る犬、それはミラノ公国のことである。
ジェノヴァとヴェネツィアは地中海の覇権を巡って長年争ってきた。
いずれも強大な二カ国。
休戦の仲介にもそれなりの格が必要とされる。
ガレアッツォはその仲介役を巧みにこなすことによって両国と中立を維持、己の領地拡大を有利に推し進めてきたのだ。
しかしジェノヴァの凋落によって事情は変わった。
両国の利害関係は消滅、それどころかガレアッツォの存在はもはや無視できない。
今ではジェノヴァすらその影響下に治めてしまっている。
「太陽は二つもいらん」
「カエサルを嘯くならその通りにしてやろう」
「独裁を極めた人生の絶頂期に思わぬ掣肘。突然の転落か……」
「元老院が務めた役目、ローマから共和国の理念を受け継ぐ我等こそ相応しかろうて」
「さて、ブリュータスに値するは何処かの? 」
「それよ。奴めの兵力は侮りがたい」
「虎こそ相応しかろう。
張子とはいえ虎は虎。弱った所を突かれれば狼とて一溜まりもあるまい」
イタリアの覇者は一つ。
そしてそれはミラノにあらず、我等なり。
強国ヴェネツィアが静かにその鎌首をもたげ始めた。
約1ヶ月ぶりの投稿になります。
私としてはこんなに間隔を置くつもりはなかったのですが、思いがけずパソコンが故障してしまい……。
全くの個人的事情であります。
その上外伝しか追加していません。
楽しみにして下さっている方がいましたらこの場を借りてお詫び申し上げます。
本当にすみませんでした<( _ _ )>
さて、私もパソコンのないこの3週間の間せっかくなので図書館に行って色々と調べました。
その過程で改めて自分の知識不足を実感いたしたのですが……。
どうしても当時の貴族達の領地区分の詳細が見つかりませんでした。
田舎とはいえ図書館は図書館、と多大な期待をよせていた身としては全くの予想外でした。
つきましては厚かましいことは重々承知でお願いします。
当時のフランスについて詳しく書かれている書籍やサイトなどございましたら可能な範囲でご紹介願いませんでしょうか?
私の不徳の致す所ではありますが正直フランスに進んだ先の展開がお手上げです。
また、全話において加筆・修正を致しました。
というのも最初の頃と明らかに文体が異なったり矛盾がチラホラ見られましたので
いい機会ですので実行しました。
改悪になってなければよいのですが……。
それでは長々と後書きを失礼しました。
ご批判、ご感想、ご意見をお待ちしております。
つい先日厳しいご意見を下さった皆様には本当に感謝しています。
これからも未熟な作者を導いてくだされば幸いです。