俺たちがクートヌ村に入ってから夕暮れまでに、都合2回の襲撃があった。 狙ってきたのは正門ではなく、城壁に破口が出来かかっていた2箇所だ。 出来かけの破口は、木製の外壁が壊され壁の構造材である土だの石だのが露出し崩れ出ていたのだから、逆に、狙ってこなければ不思議ってな場所だった。 城壁に取り付き破口を作ろうとするゴブリン共は、まるで砂糖菓子に群れるアリの様だった。 だが、だからこそ防衛は楽だった。 他の城壁には警戒用の人員だけを配置し、戦力の集中が出来たからだ。 とはいえ、楽とは言っても比喩比較としてであり、壁を貫かれれば洒落にならん ―― という緊張感は大きかったので、この夕暮れの自然停戦にはホッとするものがある。 後、身体が痒い。 返り血で真っ赤になってしまったて、その生乾き。 痒くならない筈が無い。 冷水を頭から浴び、タオルで顔を拭きながら破砕された城壁への応急修理を見ていると、後ろから名が呼ばれた。 ストークだ。「お前は鬼(オーガー)か何かか?」 もう一つの場所で戦っていたが、どうやらあちらも一段落ついたらしい。 つか鬼、オーガーね。 ゴブリンやコボルト、或いはオークなんてのと違って、オーガーってのは<黒>の中では頭一つ抜け出た存在、戦力として認識している。 なんたって1対1で打ち勝てば勲章が貰える様な相手で、ウチの母親様とだって3合は撃ち合えるのだ。 凄いもんである。 その意味で鬼のようなってのは賞賛なんだろう。 俺にとっちゃ沈める相手でしかないけれど。「酷い言われ様だ」「お前の格好と、足元を見れば誰だってそう思うさ」 城壁も俺も血塗れの真っ赤っかで、城壁の下にはゴブ助の死体の山山山だ。 確かに、控え目に見ても地獄か、その親戚にしか見えない。 そういえば、地獄の獄卒も鬼だったか。 とはいえ、だ。「所詮はゴブリンだぞ?」 攻城戦は基本的にゴブ助だけが仕掛けてくる。 城郭を崩そうって時に戦獣騎兵の牙や爪が出来る事なんてないし、オーク豚は偉そうにふんぞり返ってるのがお仕事。唯一、オーガーだけが稀に前に出てくるけど、その頻度は実に少ない。 なんたって、平均身長3m台の連中が暴れたら、余波で周囲のゴブ助に被害が出るからだ。 結果として、攻城戦の8割以上で失われるのはゴブ助の命になるのだ。 今、俺の眼下のように。 哀れなる汝、名はゴブリン。 やった俺が言う台詞じゃないかもしれないがな。「お前にとってはそうだろうが、俺達は30人からで仕掛けてようやく撃退したんだぞ」「経験が違うのさ、経験がな。それより ―― あーどうだった(● ● ● ● ●)?」 消耗率、という言葉が口に出せなかった。 生き死に商売にしている人間相手ならまだしも、ストークも他の連中も娑婆の人間で、好き好んで血腥い事をしている訳じゃないのだ。 そんな奴らをヒトではなくモノ的に数えるってのに抵抗を感じたのだ。 ああ畜生め。 それが俺個人の弱さってのは認めるが、な。「1人が死んだよ。後2人の怪我が重い」「そうか………」 割り切りきれない俺と違って、ストークの奴はサラっと死傷者の数を応えた。 30人中1人死亡って、損耗率約3%って辺りか。 コッチと同規模、3桁前後の数に仕掛けられたのであれば、低いと言っても過言じゃない。 家族、身内以外であれば。 頭をかく。 何だかやりきれない。「調子に乗って前に出すぎて、城壁から落ちたんだ。あれじゃどうにもならん」「そうか」「だが他は順調だ。伝達通り疲労はかなり抑えられるように努力した」「悪いな、妙な事を頼んじちまって」「先を見て、なんだろ? なら、指揮官に従うだけさ」 そう言ったストークの目には信頼がある。 というかあり過ぎて辛い。 俺だってまだ、ガキなんだが ―― そんな、言葉に出来ない思いを飲み込むように、俺は足元に残しておいたゴブ助の死体を、具合でも確認するように突いた。「話し合い次第だがな。どっちにせよ、無駄にはしないさ」「頼むよ」 総論賛成各論反対って状況にでもならなければ、割と簡単にいくはず。 多分。 きっと。異世界ですが血塗れて冒険デス (σ゚∀゚)σエークセレント2-10エクソダスするかい? 夕暮れと共に潮が退くように下がった<黒>、連中だって<黒>って総称されちゃいるが腹が減れば眠くもなる生物ってのには変わりは無い訳で。 悪意を糧に生きる妖魔とか、闇こそ故郷だとか言い放つ魔物じゃないのだ。 実にありがたい話である。 数の利益に加えて、夜も自由行動なんてされた日には、人類ってか<白>に勝ち目なしってなものだ。 そして今、そのありがたい話が生きてくる。「どういう意味でしょうか?」 困惑したように言うのはヘレーネ夫人さんだった。 居るのは村長宅の食堂だ。 とはいえ、夕食で集まった訳ではないし、2人っきりという訳でもない。 夕食の前にクートヌ村に居る3つのグループの中心人物s’に集まってもらったのだ。 具体的にはヘレーネ夫人さんとフォルクマー村長さん、村の義勇兵のまとめ役で村長さんの息子さんでもある若いオイゲンさんに、村の婦人会っぽいのの取りまとめ役のクラーラさんだ。 オイゲンさんは何かこう細身で、神経質っぽく見える辺り、まだ若いって感じであり、対してクラーラさんは太ましいオバサンって感じである。 そんな4人に足して俺とストークと、この場には6人が集まっている。 議題は持ちろん、今後の方針だ。 合流直後の初顔合わせ時は再襲撃を受けてドタバタしていて、それ以降も大騒動だったのだ。 であればこそ、今の時間をおいて顔合わせと方針の策定は出来ないってなもので。「今の状況が好機というのは、今1つ理解しかねます」「だな。村の裏手側でもゴブリンが仕掛けてきた。本気で取り付いてきた訳じゃないが、厄介だ」「隙を窺っているのでしょうか?」「可能性はあるな」 オイゲンさんが訳知り顔で頷いている。 ヘレーヌ夫人さんの前で格好付けたいのかもしれない。 うむ、このロリコンめ。 或いは夫を亡くしたヘレーネさんの逆玉でも狙ってるのかもしれない。 兎も角、内心で茶々を入れる前にリアルで突っ込んでおこう。「違うでしょうね」「違う、ならなんでだ?」 語調が強いのは、気分を害されたからかもしれない。 自分の結論を否定されると、誰だって面白くないからな。 とはいえ、主張せんにゃ成らん事があるんだから、仕方がない。「連中にそこまでの余裕がないからですよ」「どうして判る?」「ゴブリンの死体から得られる情報として、今、この村を包囲している個体は、通常のゴブリンに比べて手足が細く、腹が出ています」 運んでもらった、ゴブリンの死体を指差す。 喉を一突きと、割と死体は綺麗なままにするように加減したのだが、ストークを除く皆が皆、嫌そうな顔でゴブリンを見ている。 一見は百聞にしかずとこの場で捌こうかとも思ったけど、止めておこう。 折角用意したんだが、チト、刺激が強すぎるっぽい。「そういう種族の可能性は無いのかな、ビクター殿?」「何体かの腹を捌きましたが水、腹水が出てきました。後、内臓が降りてきてました。これは飢餓状態の典型的な状態です」 ゴブ助は何体も開きにしてきたのだ。 その経験から考えて、間違いないと思えた。「そして飢餓状態故に闘争心は高くても、攻撃力は落ちてきます」 同意を求める様にストークを見たが、頭を掻いて、良く判らんと言いやがった。「仕方ないだろ。俺は初陣が戦獣騎兵との時だったんだから」 おーいぇー そうだった。 なら仕方が無い。 逆に、この脱・戦闘童貞から日をおかずに放り込まれたこの状況で、まだ落ち着いていられる事を褒めておこう。「それで冷静に戦えているなら、立派なものさ」 いやホントに。「ゴブリンが弱くなってて勝てるんなら、無理に村を捨てないでも大丈夫じゃないのね?」 仕切りなおしという訳でもないが、それまで積極的に口を開いてなかったクラーラさんが強い口調で言ってきた。 腰の強いオバちゃんって感じだ。「ここ最近、ようやく生活がよくなって来ているのに、荒されるのはいやよ」 強い口調で言ってくるが、内容は生活ってか、家を預かる主婦の纏め役らしい台詞ではある。 が、それは無理な訳で。「無理ですよクラーラ」「オイちゃん!」「無理なものは無理なんです」 オイちゃんと呼ばれたオイゲンが渋面でクラーラの提案を突っぱねた。 ふむ、ヘレーネ夫人さんの前で子ども扱いされたのが原因、じゃないよね。 きっと。「なんでよ!? 今、勝ってるじゃない!! 王命だって、包囲されていたって言えば許される筈よ!!!」「理由は王命じゃないです。クラーラ、忘れてます。今、村が守れているのはベルヒト村の義勇隊のお陰だって事を」「居て、居てもらえないのね!?」「この戦、<黒>を払うまでこの村に居る事を期待するのは贅沢すぎます。違いますか?」 立ち上がって金切り声を上げるクラーラさんを冷静にいなしたオイゲンは、最後に俺たちに確認してくる。 うむ、ロリコンとはいえ次期村長っぽい才覚はある模様だ。 そして実際、俺たちは俺たちの護るべきものがある以上、何時までもこの村に居る事は出来ない訳で。「その認識であってます。無論、ある程度の協力は惜しみませんが」「っ………」 唇をかみ締めてクラーラさんは椅子に座り込んだ。 ヒステリックに、見捨てるなとか叫ばないだけの分別は持っている模様だ。 或いは自制心。 こういう人たちを見捨てるのは目覚めが悪いってなものだ。「だから村を捨てるのだ」 かみ締める様に、フォルクマーさんが言う。 それは正に、村長の下した結論だった。 だからこそだろう。 クラーラさんも反論はしなかった。 というか、そもそもとして村の脱出自体は既に決定していたのだ。 クラーラさんがアレコレと言い、それにオイゲンが反論し、フォルクマーさんが結論を出すって形になったのは、ある意味で村への感情を整理する為の儀式だったのだろう。 故郷を捨てるって判断は、決して軽いものじゃないのだから。「では脱出をするとして、何時、行いますか?」 脱出が決定した事で、今度は実務的な話へと移った訳で、早速ヘレーネ夫人さんが尋ねてくる。 あっ、そういえば俺が指揮官だったか。 うわーい出世だ、うれしいなー(棒 だ。 俺、外見年齢的にはピチピチのてぃーんえーじゃーなのに、誰も疑問に思わないのか、かなり本気で。 責任で胃が重いっての。 マヂデ。「今夜、未明をもって出発します」 本音は隠す為にあるので、心の中で歯を食いしばりながら、サラッと言う。 俺まで不安でガタガタとしだしたら、生き残れさせられないからね。 かなり本気で。「暗いですが、理由はあるのですよね?」「ええ」 安心感を与える様にゆっくりと頷き、それから説明を行っていく。 先ずは敵の状況、栄養失調状態にあって粘りが無い戦いしか出来ていないので、深夜であれば此方の脱出を察知しても、追撃を仕掛けてこれる個体は少ないであろう事だ。 しかも栄養失調なら視力も落ちている事を期待出来るってなもので。 その他、味方の側の利点としては、日付の変わる様な時間までまだ間がある ―― 休養と準備に時間が取れるというのも大きい。「そもそもだ。今夜にする必要はあるのか? 村の住人はまだ準備も出来ていないぞ」「そうよ、家財道具とか纏めるのは簡単には出来ないんだよ!」 オイゲンさんとクラーラさんが口を揃えて明日以降では駄目なのかと言って来る。 気持ちは判る。 だが、駄目なのだ。「今日は敵の増援は居なかった。だけど、明日来た場合はどうします?」 今、この村を襲っている連中は糧秣の不足で飢餓状態だが、他の栄養をタップリと取って元気マンマンな連中が来られては、脱出の成功率が割単位どころじゃないレベルで低下するだろう。 下手すると、余力を残している俺や遊撃班以外は全滅しかねないのだ。「後、家財ですが ―― すいません、今、この村に残っている馬車はどれ位ですか?」「農耕をしている家には1台づつはあった筈だ。だが、他となると………」 フォルクマーさんが答えてくれる。 クートヌ村の住人は39家295人で農業が26家、だが馬車は26台とはならない。 3家が貧農で、馬車どころが馬を持たないのだそうだ。 しかも23台だが、そもそも農作業用なので積載量も小さいし、速度も出ないという小さなものらしい。 クートヌ村の貧乏っぷりが見えてくる、頭の痛い話である。 対して、ヘレーネ夫人さんのブラウヒア側は割りと大き目の馬車が7台あるとの事。ここら辺は腐っても貴族ってか、支配階級側って事か。 後、これらの馬車用以外の馬が31頭居るらしい。 これで総数364名の命を運び、そして守らなければならないのだ。 おーいぇー オラ、頭が痛くなってきたぞ。「どうなのね!?」「多分、貴重品以外は諦めてもらう事になると思います」「え!? なんでよ!!」「家財道具なんて積んでたら時間も掛かりすぎますが、それ以上に、人を乗せきれません」 傷病者や妊婦、子供を中心に乗せて、その上で食料や生活の為の金銭貴重品の類を積む事になる以上は、家財道具なんて嵩張るモノを積める筈もないってなもので。「簡単に言ってくれるわよねっ!」 机を叩いて、憤懣やるかたないといった風にクラーラさんが吼える。 が、反論を仕掛けてこない辺り、状況はキチンと把握しているのだろう。「やる事が決まったのならば、後はやるだけだ。迷っている時間など、無い」 最後にフォルクマーさんが、最年長者らしくしめた。 その顔には色々なモノが浮かんでいるが、一番強いのは生き残ろうという強さだ。 目が強い。 その強さに圧倒された様に、他のメンバーも頷いた。 なら、俺も頑張るとするか。 馬車は傷病者と妊婦、母親、高齢者、子供の順で乗る事になる。 その上で血縁関係者は同じ馬車に乗れる様に配慮し、後は当座の食料、そして貴重品各種を乗せる。 有り体に言って面倒事であり、それらの手配を片付けた頃には日も完全に暮れきっていた。「ひと段落、といった所か」 ストークが疲れた風に笑った。 配車に関しては、悲喜交々が発生しやすいので当事者以外が組むほうが楽とはいえ、それでもそれなりにストレスってのは感じるものなのだ。 後、この国の識字率を舐めていた。 当然ながらも悪い意味で、だ。 ヘレーネ夫人さんとその従者s’は当然レベルで読み書きできるし、ストークはミミズののたくった様なレベルではあるが書けるし、一応は読める。 が、この村の連中、村長さん所の親子以外は誰も文字を読み書きできねーでやんの。 ふぁっきん! 教育に金の掛けられない貧乏なんて、大嫌いだ。 これが非常に大きな手間になった。 配車を決めても周知徹底させる手段はどーするんよ、と。 紙に書いて張り出しても読めないとかナイワーなのだ。 かなり本気で。 後、親子とかが間違って別の馬車に乗っても、後が面倒くさいとかなる訳だ。 なので、チトだけ頭をひねって考え出しました。 1つの馬車に乗るグループは全員に、カラフルな紐or布で作った同じデザインのネックレス的なものを付けてもらい、又、馬車にも同じものを掲げてもらう。 ある意味、まんま荷札(タグ)である。 人間扱いしていないとか人権ガー! とかゆー声も聞こえるが、んなモノは(∩゚Д゚) アーアー キコエナーイ だ。 親子が逸れて不安な思いをしないとか、そんなのが最優先だ。 そもそも、この世界には人権なんて概念は、カケラ位しかないっての。 そんなこんなで完成したこのネックタグの案を、大至急大車輪で作って配る様にオイゲンさんに押し付けて今に至る訳だ。 暇じゃないだろうに仕事を上乗せさせられたオイゲンさんが、射殺しに来るような目で見てきたが、そんなものは見えませんですだよ、だ。 コッチは配車だけで精一杯だっての。「ビクター?」 名を呼ばれた。 おっといけない、頭を切り替えよう。「ああすまん、腹も減ったな」 割と切実な悲鳴が腹から聞こえるのだ。 戦闘終結からコッチ、白湯ってか後半は水だけで腹を誤魔化しながらアレコレと頭をひねって来たのだ。 腹も減るってなものである。 避難ルートの策定に関しては、地形を良く知っている地元の人間に丸投げできているので、後は俺たちが担当するのは戦闘班の編成とか配置とか、任務の策定である。 が、その前に俺たちも食い物を食っててもバチは当たらないと思う。 指揮官役の俺たちにだって、休養は必要なのだ。「鞍に干し肉とか乗せてたから、それでも喰うか」「だな」 飲み物は白湯があれば御の字、そう思っていたのだがクートヌ村、少しだけ舐めていた。 村長さんの屋敷から出てみると、手隙っぽい若い衆が村の中央広場で炊き出しをしていたのだ。 シチューっぽい何かが、美味しそうな匂いを漂わせている。 胃袋を握り、脳天直撃する匂いだ。「美味そうだな」「ああ」 フラフラと匂いに釣られて配給所へと向かう。 随所で篝火が燃え、昼のように明るい配給所だが、その雰囲気は鎮痛なものだった。 俯いて皿を抱えているものが居る。 はたまた少しずつ少しずつ啜っているものも居る。 活気の無い、重苦しい雰囲気だ。 理由は判るが。「村を捨てるってのは、重いな」 配給の列に並んだ時、ストークがポツリと言った。 ベルヒトの村も放棄されたのだ。 この村ほど切迫した状況じゃなかったが、全てが終わって帰ったら荒らされている可能性は高いだろう。 やりきれない話だ。「ああ、そうだな」 家が、思い出が失われるってのは、余り想像して楽しいものじゃない。 それだけの気持ちだったが、そうは受け止めない人が、人たちが居た。「捨てさせる奴がっ」 小さな声だった。 だが聞こえた、怨嗟の声だ。 或いは故郷を捨てる事への怒りか。 その気持ちは理解できない訳じゃない。 ただ、同意はしないだけで。「余所者だ」「っ!」 ストークが顔色を変えたが、肩を叩いて落ち着かせる。「おい、あんな事を言われてっ!」「落ち着けよ、ストーク」「俺は冷静だよっ!」 流石に声は小さいが、目つきは決して緩くない。 気分は判る。 命の危険を推して尚、救援に来ての余所者呼ばわりでは腹も立つ。 そもそも、この村に入りたてた時にはアレだけ歓迎していたのにと思えば、怒りは更に増すというものだろう。 だが、多分にここまでキレたのは空腹が原因だ。 きっと。「なら飯を喰いながら話を聞くから。先ずは飯だ飯」 腹が減っては戦も出来ぬ、ってね。 頭も冷静になりにくいし。 シチューは濃厚そうな赤みのあるシチューで、具も根菜や豆といった野菜は勿論、羊か豚っぽい骨付き肉までタップリと入っている。 匂いも良い。 とゆうか寒村かと思ってたクートヌの村、本気で舐めてました御免なさい。 ついでに、ナンみたいなパンも1個貰った。 焼き立てで熱々、実に美味そうである。 問題はアレだ、配給所周辺の空気が最悪って事だろう。 ≠大往生なお通夜っぽい重さか、はたまた西部劇の酒場か何かかって位の敵意があるのだ。 この場で飯を喰っても美味しく感じられないってなものだ。 さてどうすんべかと周りを見渡そうとした所で手招きを受けた。 ヘレーネ夫人さんだ。 広場の脇、ブラウヒアからの避難民達のと思しき馬車の傍でテーブルに座っている。 ストークの肩を突いた。「お呼ばれしようぜ」 椅子に座る前に、ヘレーネ夫人さんが丁寧な感じで頭を下げてきた。 垂れた薄いブラウンの髪が、篝火を受けて赤髪にも見える。 綺麗なものだ。 服装も、さっきまでの戦闘服 ―― 胸当てやら何やらの鎧を脱いで、簡素なドレスっぽい服装となっているので、更に良い。 眼福である。 黒い服ってのは、値段次第だが人の魅力ってのを引き立たせてくれると思う。 その経緯ってのを考えない範疇においては。「お世話になります」 まだ若いってか、幼いってな感じだが礼儀作法はしっかりと叩き込まれているっぽい。 身体の線は細めだが、芯を感じる辺りは流石、降嫁した公家の姫さんって所か。「なに、お安い御用ですよ」 女性相手にはかなり安請け合いしてしまうのは俺の欠点だろう。 直す気は無いが。 というか、さっきまで立腹していたストークだって相好を崩しているのだ。 男が女に弱いのは世の定理だ。 女、と呼ぶにはヘレーネ夫人さんは、幼げであるが。「お礼にと言う訳ではありませんが、黒茶を用意しますのでお待ち下さい」「あり難く」 シチュー主体で水分大目の食事だが、態々に淹れてもらう黒茶を拒否する理由は無い訳で。 というかこのシチュー、豆も多めだウマウマである。 と、ヘレーネ夫人さんがコッチ見ているのに気付いた。「何か?」「いえ、美味しそうに食べてらっしゃるな、と思いまして」 透明感のある笑みだが、ナンだろう、その目は俺を見ていない感じがした。 過去の誰かを見ているような、そんな感じだ。 気にしないが。 女性はミステリアスな過去を抱えている位が魅力的なんだとマーリンさんも言ってたし。「実際、美味しいですからね」 何でこんなに美味しいの? と思うレベルだ。 そんな俺の疑問に、ヘレーネ夫人さんの隣に居たご老女さんが笑って教えてくれた。 ありったけを出したみたいだからね、と。「ありったけ?」「そうさ。今夜の脱出に持っていけない分の食料、倉庫から全部出してきての大盤振る舞いをしているのさ」「ああ、それで」 貴重品のはずの塩っ気も効いている理由に、何とも遣り切れない気分になってくる。 この段階になって、本当に他の選択肢は採りえなかったのかとか、悩んでくる。 そら脱出前に栄養を付けられたってのは良いけど、供出した側の気持ちってものを考えると、合理性だけで無邪気に喜べない訳で。 と、ご老女さんが耳を貸せと手招きをした。「そんな顔、するものじゃないよ。今、若勇士(ビクター)は上に立っているのだ。周りの人間が見ているからね」 久方ぶりに受けた指摘、いや、明確な叱責か。 小声で言ってくれたのは温情か。 情けない。 感情を制御している積りでも、しきれていなかったか。「ありがとう御座います、顔に出てましたか」「なに、小さくだったよ。婆は人を見てきたから読めただけよ。気張りなさい」 最後に茶目っ気ある笑いを付けてきた辺り、このご老女様ってば出来物っぽい。 しかも尚武な風が無い辺り、実に癒し系でもある。「精進します。お名前をお伺いしても?」「婆のかい? 婆は隠居だよ、只のね」 カラカラと笑うご老女様だが、言った内容は越後のちりめん問屋級に胡散臭い。 というか、嘘だろ常識的に考えて。「あら、大婆様。楽しそうですね」「楽しいよ、若いのの成長を押すなんて婆一番の楽しみだ」「あらあら」 2人して楽しそうに会話をしている。 ほら、ブラウヒア家の暫定当主が大婆様と尊称付けて呼んでいるのだ。 只の隠居老人である筈が無い。 だが何だ、格好良く隠していようと思っているなら、無理に聞く様な野暮天はダサいと思う訳で。 それよりも、仲の良い祖母と孫の如き姿を見て癒されて居るほうが建設的ってものだ。「なぁビクター」 癒されていたら現実に呼び戻された。 ストークだ。 見れば、いつの間にか喰い終わってやがった。 早いものだ。 癒されるのもだが、俺も喰わないとな。 腹が減っては戦は出来ぬってね。「ん?」 先を促しながら、千切ったパンをシチューに浸けて齧る。 旨みが良く出ていて、実にいい味だ。「さっきの話だ」「ああ」「あんな暴言、どうしてお前は怒らなかったんだ」 満腹になって少し冷静になったのだろう。 ストークの言葉には、純粋な疑問の色があった。 ナンと返せば良いのか、チト、悩む。 悩みながらスプーンで皿を混ぜる。 お、下から骨付き肉が浮かんできた。 美味いのよね、コレって。「んー」 指で摘み上げて齧る。 骨と肉の接合面が、一番美味いのだ。 後、食べ残った骨はそこら辺に投げるのではなく皿に戻しておく。 投げ散らかす様な下品なのは個人的趣味としてノーサンキューってなもので。 尚、指は舐めない。 脂っていうか旨みが付いているが、これも下品だからだ。 パンを千切るついでに拭うってな感じで処理するのだ。 食事だって格好良く取りたいという、アレだ、気取りだ。 そうだな、この気取りって方向から説明してみるか。「そうだな。感情だから、かな」 そう、感情だ。 理屈ではなく、今まで生きてきた村を捨てなければならないという状況が生んだ感情なのだ。 誰かを、何かを憎まなければ耐えられない。 そんな事もあるのだ。 人間なのだから。「そりゃ助けにきて罵られれば腹も立つが、この状況で一番苦しんでるのは彼彼女ら、この村の住人だ」「悟った風に言うな、お前も」「悟ってる訳じゃないさ。ただ、気持ちが少しだけだが判るってだけさ」「俺は、出来ないな」 懺悔するかの様にストークが言うが、それが駄目って訳じゃない。 嫌う感情も人間的なら、それに反発するのも人間的って事だ。 人間だもの、聖人君子になれる筈もないってね。「それも人間って事さ ―― だから人間は面白いのさ」「お前は変わってるな」「普通だよ、普通」「普通ってのの定義を少し考え直す必要があるぞ」「酷い事言うなよ。俺ほどに普通の人間は居ないぞ」 澄まして言ったらストークめ、かなり笑いやがった。 嘘じゃないんだがな、ウチの母親様(バケモノ)とかを念頭に考えると。「どうぞ」 そう言って差し出されたカップは、芳醇な香りを漂わせている。 黒茶だ。 差し出してきたのはヘレーネ夫人さん。 うむ、上品な仕草な事だ。「どうも」 あり難く頂く。 熱々の黒茶は、匂いもだが味も深い。 良い茶葉だ。「美味いな」「取って置きですよ」 自慢げに笑ってるヘレーネ夫人さんだが、胸を張っている所が、何とも年齢相応に見える辺り、実にチャーミングである。 しかしこの茶葉、どうにもブラウヒア家で来客用に用意していた最上級とかな代物っぽい。 そんなのをこんな場所で俺たちに振る舞って良いの? と思わないでもない。「いえ、今が使い時ですよ。死蔵させてしまうのではなく、ビクター殿や、私たちが少しでもくつろぎ、疲れを忘れる事が出来れば、脱出行の成功率は上がる事になりますから。間違ってますか?」「いえ。見事です」「だろ? 婆自慢の姫嫁さ」 ご老女様、しわ顔を更にしわくちゃにしてのドヤ顔晒してやがる。 というか自分の正体、バラしとるがな。 ヘレーネ夫人さんを姫嫁、嫁の前に姫って呼ぶ事は王家系の人間ではなくブラウヒア家の人間で、年齢から見て先々代か先々々代の奥方さんって辺りだろう。 ともあれ、仲の良い事は素晴らしい事で。 しかし、この2人の会話を聞いていて思ったのだが、雰囲気が重くない。 というか、2人だけじゃない、この周りにいるブラウヒア郡からの難民さん達も、重いっていうか暗くはあるけど、クートヌ村の住人たち程に酷い状態には無い。 荷造りや給仕、或いは武器の確認などをやっている。「何か?」 目の合ったメイドさんっぽいのがつっけんどんな言葉遣いで聞いてきた。 何でメイドさんっぽいと思ったかと言えば立ち位置だ。 服装は地味な実用的野外服であるが、ヘレーネ夫人さんとご老公をフォローする様な位置に居ようとしているからだ。 そんなメイドさんだが、ヘレーネ夫人さん並に小柄だけど、態度の大きさは比較にならない。 肩口で切り揃えられてるっぽい茶色の髪は、実用本位に綿のスカーフか何かで後ろに纏められ、所謂ひっつめ頭のメイドさん。 目鼻立ち、顔のパーツたちはそばかすもあってか年齢相応っぽく可愛い感じになっているのに、半眼っぽい目、目つき全てを台無しにしている。 気が強そうである。 というか睨まないでくれ、怖いから。「お代わりですか?」 あ、でもメイドさんの仕事はキチンとこなすっぽい。 悪いので、カップを飲み干してから差し出す。 その所作は、結構訓練されてるっぽく、悪くない。 トールデェ王国の王宮付きメイドさん達には敵わないが、ウチのノウラには近いくらいにはメイド的に動けている。 とはいえ、目つきで台無しだが。「有難う」 感謝の言葉を告げたら睨まれた。 何か悪い事したっけか、俺。 単刀直入に聞こうとしたら、睨まれた。 おーいぇー 絶対零度ちっくな反応である。 チョッとばかし困ってしまうわ。「お止め、フリーデ」 助け舟はご老女様だ。 声は平素っぽいが、他人へ向けた言葉ながらも、そこに叱責の色があるのを感じられる。 だが、ナンだろうか。 そこには怒るというよりも、宥めるという様な部分が感じられる。 というかご老女様、メイド ―― フリーデを呼び寄せてそっと抱きしめる辺り、人間関係とかの良さを感じる。 眼福である。 しばしの時間の後、ご老女様はポツリと漏らした。 俺への謝罪を。「この子はアレク、先代当主のアレクシスと仲が良くてね。だから、ね ―― 」 男が近づいたのが気に入らなかったのだという。 但し、ヘレーネ夫人さんが、言葉は悪いが男を引っ掛けようとしたとか思っていたのではなく、傷心のヘレーネ夫人さんに近づいてきた悪い虫(オレ)を追い払おうとしていたとの事。 アレクシスは無く、ブラウヒアの家臣団も消滅寸前の今だからこそ、自分が、ヘレーネ夫人さんを護らねば! と思っていたのだという。「 ―― だから、悪く思わないでおくれ」 まだ子供だったのだから、と。 その願うような言葉は、衷心からフリーデの事を思い、そして万が一には俺が危害を与えないで欲しいとの懇願だろうか。 何と云うか、泣かせる話である。 自身も辛かったろうに、にも関わらず主を護ろうとしたのだから。 そんな人間に隔意など抱ける筈も無いってなものだ。「まさか。私は気にしませんよ。それよりも褒めたいとすら思います」 まだ本人も幼げなのに何たる決意、と。 そんな俺の反応に、フリーデはビックリしたように目をまん丸にしている。 身を竦ませた所をご老女様が安心させる様に、笑顔と共に抱きしめた。「有難う、フリーデ」 ヘレーネ夫人さんが、何かを堪える様な笑顔でご老女様とフリーデを抱きしめていた。 フリーデ、泣いては居ないが顔をクシャクシャにして目じりを光らせている。 実に絵になる風景である。 だから少しだけ格好を付けたくなる。 3人の傍へと近づき、そっと片膝をつく。「ビクター殿?」「フリーデさん、私もアレクシスさん達の様にご老公やヘレーネ殿、そして貴方も護りたい思う。護らせては貰えないだろうか」 さっきよりも、更に目がまん丸になった。 それからおずおずといった按配で口を開いた。「おねがい、します」 朴訥とした、少し棒読み風なのは照れているのか拗ねているのか。 ナンにせよ可愛いものだ。 改めて黒茶を楽しむついでに周りを見てみると、ブラウヒアからの人たちがコッチを見ていた。 視線を合わせようとしたら、慌てて外される。 注目の的か、実に恥ずかしい。 しかしブラウヒアの人たち、クートヌ村の人たちと比べると明るそうに見える。 強いのだろう。「はい?」 ヘレーネ夫人さんが、可愛らしく首を傾げた。 あらま、言葉を漏らしてしまってたっぽい。 恥ずかしいので、誤魔化す為にも褒めておく。「ブラウヒアの皆さんは強いな、と思いまして」 本音だけどね。「強い、ですか」「ええ。クートヌの人たちの様に混乱したり消沈したりしていない辺りが、ですね」「それは ―― 」 そこで言葉をきったヘレーネ夫人さんは、笑った。「 ―― 私たちは、もう慣れてしまったんですよ、きっと」 それは悲しい、儚い、だがとても綺麗な笑顔だった。 喪った、失ってしまった今に、慣れた ―― 悲しみを友としてしまったという事か。 クソッタレ。 自分の浅はかさに怒りを覚える。「傷を抉る様な事を言って、申し訳ない」 素直に頭を下げた。 何と云うか、微妙と言わずに素直に気まずい気分で黒茶を飲み、談笑するってのは、コレナンテ×ゲーム、ってな気分だ。 黒茶の味が全く判らん。 ヘレーネ夫人さんは気にしてない風だが、フリーデの方はより睨み方が厳しくなってくる。 いや、マジ御免、だ。 この空気からどうやって逃げるか、そんな事を考えていたら、ヘイル坊やがやってきた。「ビクター」 俺を呼ぶ。 アーメン・ハレルヤ・ピーナッツバター! この世に神は居るね、確信した。「どうした?」「いや、飯喰い終わったら集まれって言っとったじゃろが」「あ? あぁ! 皆、集まったか。悪いな呼びに来させて」 戦闘部隊の顔合わせと気合入れ、そういえば予定していたんだった。 どんな奴と一緒に戦うのかってのすらも判らずに、難局を超える事は出来ないだろうし、隣にいる人間を信頼出来ずして戦線を作るなんて、とても出来ない。 戦友って言葉が、人間関係が重いのは、その裏打ちがあるからなんだよな。「ストークも一緒におったけぇ、楽なモンじゃ」 莞爾と笑うヘイル坊や。 その様は、脱戦争処女(チェリー)で大人になった様に見える。 戦場で大人になる、か。 それが幸せか不幸せかってのは判らんが、この世界は人権平和主義なんて神学論争からかけ離れた場所(ブラッディ)なのだ。 仕方が無いとしか言いようが無い。「そうかい、じゃ行くか」 立ち上がる。 するとどうだろう、ヘレーネ夫人さんも立ち上がった。「私もご一緒します」「え?」「ビクター殿に御預けした兵、その中に私も居るのですから」「はいぃ?」 慌ててフリーデを見た、沈痛な表情で頷いた。 どうやらマジらしい。 腕を曲げて力瘤を見せようとする。 見事にペッタンだ。 というか動作の諸々から、魔術師本業なウチの妹と同レベル以下な感じがプンプンとする。 なのに剣を持って戦うの? ナイワー