珍しく、朝早くに目覚めた。
冬休みに入ってからぐうたらなぼくには本当に珍しい。
いい感じにメールの着信音が耳に入ってきたのだ。それで覚醒。
ギターで演じられる Fly me to the moon. は部のみんなの着信音。
ベッドから身を起こして、ひとつ伸びをし。
携帯を確認。メールは真由からだった。
そういや、昨日、四国はどうかとメールしたんだった。
返信ないなと思ってたけど。案の定、忙しかったようだ。
後できちんと返信すると書いてあった。
取り急ぎでありながら、変換ミスとかの凡ミスがない辺りはさすが真由と言うべきか。
ついでに時間も確認。九時過ぎらしい。
ベッドを降り、薄青のカーテンを開けてみれば、窓から降りてくる日が温かい。けど、まだ空気が十分に温まってない感じがした。
窓を開けると、覚醒を促す冷気と風。
いやはや。休日の朝起きはどうしてこんなに気持ちがいいのだろう。鼻歌歌っちゃうくらい気分がいい。
気分のいいときは、なんだって出来ちゃう気がする。
今日は一つ、部屋の掃除でもしようかと、ぼくは心に決めたのだった。
誰もが経験したことだろうだけど。
思いついた矢先に、親からの説教で気がしぼむことって時々ある。
「そろそろ部屋の掃除しときなさいよ。大掃除じゃ、あんたも家の掃除の方、やるんだから」
「……今日やるつもりだったんだけど」
朝食に顔を出して、驚かれ。
そしてこの説教。
けちが付くとはこのことだろう。しょんぼり。
いきなりテンションダウンしたぼくだが、まあ、それで不貞腐れるのもあれだ。反抗が幼稚過ぎる。
どの道、部屋は掃除しなきゃいけないわけだし。
そんな次第で、ぼくは部屋に戻って掃除を始めたのだった。
漫画と小説の猛攻撃(開いてはいけない魔のトラップ)を回避しつつ。
なんとかかんとか、午前中には不要物をまとめられた。本も、読まないものをまとめる。
うん。ベッド脇にある積読の小山からは、積極的に目を逸らしてる。整理の仕様がないし。
読まない本は紙袋にまとめ。
後で商店街の古本屋で売ろうと部屋の隅に置いておく。
掃除機をかけ終われば、まあすっきり。
こうして、部屋の広さに驚かされるのだ。年に一度の恒例行事である。
整理された部屋は広く、少し寒い気もするが。まあ許容範囲だろう。
外着に着替え、本を売りに出る。
その際、母親に一声掛けておいた。
「本入れるボックス買って。ベッドの下の、足んなくなったから」
「外に出るんでしょ。自分で買ってきなさい」
歩きの身に、なんとご無体な。
僕は落胆の表れを、肩を竦める程度に抑えておいた。
不平を言って聞く人じゃないし。うちの母親は。
そんなこんなで家を出る。本重い。
まるっきり文化系のぼくには中々の重労働。
いや、クリスマスイブの、部活の買い物の方がきつかったか。
本来の面子にプラス二名分のドリンク。あれは正直参った。
前にしんどい思いをしていると思うと、今は大したこともない気がする。
ただ、気がしただけなので、五十歩も歩けばそんな気も失せたのだけど。
ひいこら言いながら、古本屋に着き。本を売り払う。
収入はコーヒー二杯分。まあ、上等な方だろう。最新の物って訳でもないし。
思い付いた喩えついでに、僕はいつもの喫茶店に寄った。
「いらっしゃいませ」
僕の姿を見て、マスターは表情を動かした。
さしづめ、おや、と言ったところだろうか。
「今日はお早いのですね」
「いや、マスター。ケーキ食いに来るのは後だよ。
コーヒー二杯分、テイクアウトで」
「畏まりました」
テイクアウトは始めてだなと思いつつ。
ぼくはカウンターを陣取り、マスターがドリップの用意をするのを眺めていた。
二杯なのは、祖父さんの家に寄ろうと思ったからだ。
たまにひょろっと寄っているが、最近は寄ってなかった。
ついでだし、土産の一つも用意してやるかと、そういうことである。
いつも通りの銘柄で淹れられてから、ぼくはうっかりに気付いた。
「しまった。マスター、容器代っていくら?」
「二十円を加算させて頂いております」
「モカマタリは、あー……」
財布を持ってこなかったのだ。
なんとまあ、十円足りない。これはまずい。
マスターに家に取りに戻る旨を伝えると。
首を振った。
「いえ。そのままお持ち下さい」
「まけてくれるの? そりゃ、ありがたいけど」
「いえいえ。白幡様はよくおいでになって下さっておりますので」
マスターはにこりと笑い。言った。
「サービスで、ツケさせて頂きます」
「……サービス?」
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僕が知らない亨の散々な話 前
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まあ、なにはともあれ。
コーヒーを持って、祖父さんの家に来ることが出来た訳だ。
マスターに感謝……してるかは微妙だけど。
まあ、二度手間にならずに済んだ。
位置的には、正三角形みたいだから、一度帰ると結構な無駄足になるのだ。二倍くらいか。
ところで、祖父さん。
うちと仲が悪いってわけじゃないけど、別居してる。
なんだったか、ぼくが生まれる前からそうで。一人で暮らしたいと言ってたんだそうだ。
小学校からは帰路にあったもんだから、その頃はよく寄ってたけど。
中学は微妙に道が変わったから、寄ることも少なくなった。
んで、高校からはまた微妙に寄れる距離なったから、またたまに寄ってる。
カラッとした祖父さんなんで、行っても大して喜んだりしないんだけど。
それはそれでまあ、楽でいい。大喜びされてもなんかむず痒いだろうし。
ただ、今日はひどかった。
インターフォンで鍵を開けてもらい、入れてもらっての一言。
「いいとこに来たな」
「いいとこって?」
「掃除、手伝ってけ」
…………。
掃除漬けの一日が確定したと僕は悟り。
肩を竦めて一言だけ返した。
「コーヒー先に飲んでいい?」
コーヒータイムの後に、掃除開始。
所詮は他人の家なもんだから、整理の具合がわからんわからん。
そうなると、僕の仕事は小間使いしかないわけで。
祖父さんの指示通りに、あれを仕舞ってこれを出して。これをまとめてそれをゴミ袋へ。
駄賃でももらわないと割が合わないとぼくは不満を漏らした。
反応は冷たかったが。
「黙って働け。戦後ベィビィの俺らを見習え。黙々と働け」
「いや、だから、それだって報酬あっての話でしょ」
「なら、俺特製の昼飯を食わせてやる」
と言うことは、そもそも飯も食わせないでこき使う気だったのか。
ぼくが白い目を向けると。
祖父さんは一言で捻じ伏せた。
「年金生活なめんな。金なんか出せるか」
いやまあ、確かにお年玉はもらう予定があるしさ。
出費がかさむと言いたいのはわかるけどさ。
にしても、ぶっちゃけ過ぎではなかろうか。
そうドン引きしながら、ぼくは手を動かし足を動かし。
一通りを済ませた後、祖父さんに告げると。
一言労い、言った。
「ご苦労。そんじゃ、二階も頼むわ」
「せめて一服くらいさせて……」
ぼくはあくまで、非力な文化系に過ぎないのだ。
本を運んだ腕が、もう悲鳴を上げ始めていた。
一服がてら、昼食を取る。
作ってくれたチャーハンが無駄にうまい。いや、うまさに無駄はないんだけど。
なんだろうか。これが報酬代わりと考えると、なんか微妙なのだ。
こうも、ケチつけられないくらいうまいと、なんか悔しい。
うまいに越したことはないのだけど。
祖父さん、ふんぞり返って、
「うまいだろ」
なんて言うもんだから。ますます悔しい。
無言で頷き、ぼくは心中の悔しさを噛み殺した。
母さんと同じく、祖父さんに不平は通用しないのだ。血筋は恐ろしい。
密かに、お年玉、間違えて一万円札入れればいいのにと呪いつつ。二階へ。
二階は客間と、物置しかない。
「客間、正直掃除しなくてもいいんじゃない?」
「そっちは俺がする。物置片しといてくれ」
「……整理方法とか」
「適当にしろよ。分かりゃそれで良い」
マジで適当にやってやろうと思った矢先。
祖父さんは釘を刺してきた。
「掃除は適当にやるんじゃねぇぞ」
「報酬もまともに出さない雇い主が、仕事にケチつけないで」
祖父さんは鼻で笑っただけだった。
まあ、祖父さんには昔から世話になってるのだ。
掃除ぐらいは構わないし。ちょっとくらいひねた言動も寛大に許そうと思う。
ぼくは己の心の広さに感銘を受けながら、物置に入った。
顔が引きつってる気もしたが、まあ気のせいだろう。たぶん。絶対。
物置は雑然としていた。
入ったの、久しぶりだけど。変わらぬ雑然っぷり。
本当に毎年掃除してんのか、と心中で毒づいたのだけど。
入り口脇に置いてあった雑誌は今年の十二月号。
入った感じも埃っぽくはない。たぶん、こまめに掃除してるんだろう。
祖父さん、妙なところで凝り性なのだ。
大方、趣味の品が置いてあって、保存状態に気をつかってるとかだろう。
まあ、凝り性についてはぼくも、人のことは言えないが。
なんにせよ、雑誌も整理がついているのならありがたい話。
そう思って、雑誌を取り上げると、その下から違う雑誌。
さらに取れば、その下からも違う雑誌。
どうも、買った順に並んでいるらしかった。
すると、この十近くある小山は全てがそうで。
ああ、はいはい。こういうのを整理しろってことね。
八畳程度の物置の中、ぼくは雑誌を床に振り分けていく。
なんの雑誌か最初分からないものもあって、地味に作業は難航した。
開くのはまずい。掃除における最大トラップなのだ。パラパラ読みでも危ない。
と言うわけで、表紙から判断して適当に並べていく。その束の種類の多いこと多いこと。
手への負担が少ないことだけが、いいところである。
文芸誌の次に軍事誌、その次がカバディのルールブック。整理しろっての。
進めるごとにジャンル分けした束が種類を増す。
多趣味なのはいいけど、ブックシェルフぐらい使って仕分けしときゃいいのに。
そういや、シェルフないな。どうする気なんだ。
そう思いつつ、目を逸らして周りを見渡していると。
自然と持ち上げようとした手に、異質な感触が伝わった。
割とざらついた、畳っぽい感じの感触。
目を戻すと、雑誌の下に小さな箱っぽいものがあった。
「なんだかねぇ」
それを見て、ぼくは独りごちる。
竹編みらしきそれは、行李と言っただろうか。
デザインもなにもない、茶一色のシンプルな入れ物だった。
いや、ぼくが零したのはそこじゃなくて。
そんな古めかしいものが、月間の漫画誌の下から出てくるってのがね。
大事なものとか入れてるんじゃないの、こういうのは。普通。
そう呆れて、ぼくはそれを持ち上げようと。
力をこめた。こめたのだけど。
思いの外、重量があって、踏ん張ってしまった。
踏ん張って持ち上げたからって、支えられる訳じゃないし。
と言うかそもそも、力の入れ過ぎで手から飛んで離れた。
素敵に放物線を描いた箱は。
そのままぼくの右足スネに直撃し、自由落下して右足甲を踏み潰した。
「いったぁー!」
グキリ、的なやばい音はしなかったのだけど。
ぼくは痛みに叫び、即座に右足を引き抜いたのだった。
そのままぶっ倒れて、悶える。ごろごろと悶える。
久しくない痛みである。
タンスに小指ぶつける三倍くらい痛い。たぶん。
涙こそ流さないけど、これは単に出てこなかっただけ。マジで痛い。泣きそう。
そんな時間が、無情にも五分ほど続き。
少し痛みが引いてきたかなー、と思った辺りに、引き戸が開いた。
「おお、生きてやがったか」
「……即座に確認に来ようよ。せめて」
「読んでたとこが区切り悪かったからよ」
つまり、掃除もせずに適当に本読んでて。
区切り悪いからって、孫の悲鳴を五分も無視してのけた、と。
とんでもない話だ。最低である。
つい、あまり使いたくない語句を使っちゃうくらい。最低。
転んだまま、ぼくは素で睨み付けたんだけど。
祖父さんはぼくの姿を見て、あろうことか笑い。
親指をおったてて見せたのだった。