俺と鬼と賽の河原と。
「あー……。薬師お兄さんの授業の時間だ」
ふと、一つ思い出したことがある。
風凪ぎ全て止まっていても、次の日には風が吹く。
風は風ゆえに消滅し得ない。
結果として、風は吹き続ける。
果たして俺は、止まった風を再び吹かすことができるだろうか。
なんて、どうでもいいことを考えてないと耐えられない。
なにが問題かと言われると、簡単に言えばこうだ。
気が付いたら、教師になってました。
其の九十六 俺が教師で教師が俺で。
事の起こりは、閻魔に呼び出しを喰らったことにあろう。
俺は、はて、なにをやらかしたのだろうかと、閻魔に指定された由比紀が努める喫茶店に向かい。
「突然ですが……」
至極真面目な顔で閻魔は切り出した。
「学校の教師になってください」
俺は思わず呟いた。
「お前さんは今何語で喋っているんだ」
俺に英語は通用しないぞ。
しかし、地獄では空気を震わしている訳でもなく。
意識しない限り通用しない言語はないという事実がそこに横たわっていた。
「ですから、学校の教師になってください」
ああ、我思ふ。
「意味わからん」
匙投げたい。
「えー……、まずははっきりさせる所からはっきりさせていこう。地獄に学校なんてあったかね?」
俺の記憶によれば、専門的な機関以外はさしたる教育機関はなかったはず。
地獄の人間は八十年やそこらで死んだりしないというか、既に死んでるため、技術や知識を継承させることに焦りがない。
そのため、学問に進むような人間が少なくても良いと思ってるし、実際少ないのだ。
と、言うのが俺の知識だったが。
「先日校舎が完成しました」
なんというできたてほやほや。
だが、
「なんで今更?」
今更、というか何故今なのだろう。
その疑問の答えは意外にも、前回の事件にある、と閻魔は語る。
「数珠家が学校設立に反対してたのですよ。自分たちの様な研究者は少ない方が希少価値が上がる、と保身に走った輩が数名居たのです」
「そうだったんか」
まあ、確かに学校が無いのは不思議だったが、そういうお話か。確かに技術者はその技術に対して数が少ないほど価値が上がる。それこそ、世界で一人永久機関の調整ができる、などの箔があれば、それ一本で食っていけるほどちやほやしてもらえるだろう。
数珠家の専門分野は人体と魂。中々地獄的には重要な研究だ。
そりゃ、自分の価値を保つなら、新しい芽は少ない方がいい。優秀な者が沢山いれば、相対的に価値が下がって行ってしまう。
ただ、まあ、そんな数珠家もこの間で政治的な影響力は零になった。
故に、ずっとやりたかった学校を、遂に閻魔は実行したのだろう。
「だけどな? 何で素人に教師やねん」
「何分急な話でして……、人手が足りないときだけでいいので、手伝ってほしいんです」
確かに急な話だろう。
数珠家がこのようなことになったのもとんと偶然なのだから。
しかし、だがしかしだ。
俺は不敵に笑いながら告げた。
「手伝いたいようなそうでもないような気分だが、それ以前に俺に教師が務まるとでもっ?」
しかし、閻魔は問題ないと笑いかける。
「別に今回の学校は勉学を主にする訳ではないのです」
まずい、このままでは逃げ切れん。
「なら何を主にすんだよ」
閻魔は言った。
「常識から、各種福祉などについて、です」
「うん?」
閻魔が言うにはこうである。
地獄には結構な数の貧困層が居て、それらに対する福祉を地獄運営はちゃんと行っている。
しかし、それでも家を持たずに浮浪する人間は結構いる。まあ、銀子なんかがそうだったが。
閻魔は、その理由の一部に知識不足がある、というのだ。
生活保護を受けさせるにも、申請が無くてはどうしようもない。
しかし、相手方は申請をどこですれば、どのようにすればいいか分からない。
最悪、そんな支援があることすら知らないかもしれない。
無論、学問の科目もあるらしいが、異世界人入り乱れるこの世界で文化の摩擦を少しでも和らげるために地獄における常識というものを知ってもらい、そして、困ったことがあってもどうにかなる知識を教える事の目的が大きい、と閻魔は言う。
ちなみに、無料で入れて、給食付らしい。
「で。俺にその教師をやれ、と」
「はい、そう月に何度もお願いする訳じゃありませんし。それに算数と体育位なら問題ないでしょう?」
閻魔は肯いた。
「お断りしたいんだが」
「うっ……、この通りですからっ」
閻魔に両手を合わせてお願いされる。
ううむ……。
微妙に心が揺れる。やはり俺は、娘……、じゃねえ、閻魔に甘いらしい。
「やっぱり……、駄目、ですか……?」
ああ、やっぱり娘に甘え。
断って不貞腐れながらぶーたれる閻魔を見るのも悪くはないかもしれないが、仕方があるまい。
「……わかった、やってやんよ」
閻魔の表情が明るく変わった。
「本当ですか!? ありがとうございますっ」
閻魔は、座ったまま、軽く頭を下げる。
「それじゃあ、よろしくお願いします」
そして、彼女は珍しく、悪戯っぽく笑って、冗談めかして言った。
「ああ、それと、校長は私ですから。言うことはちゃんと聞いてくださいね? 絶対服従ですよ?」
「職権濫用だー。訴えんぞ」
「裁判長は私です」
「勝てる気がしねえ」
と、いう訳で、俺は臨時教師として、算数と体育、一般常識を教えることになったのである。
科目が多い、と言われるかもしれないが、人数が足りないのだから仕方がない。
人の足りない授業に優先的に回されるのが俺達雇われ講師の役割なのだ。
ああ、それと。
わざわざ俺達、と言ったのは、雇われたのが俺だけではないからだ。
例えば、今まさに閻魔と歩いている廊下に漏れ聞こえてくる声は、藍音のものだ。
「効果的な異性へのアピール法ですが……まずは……」
「っておい」
思わずすぐ左を歩く閻魔に向かって突っ込んでしまった。
言いたいことは色々ある。
恋愛の授業ってなんだ。
あと、藍音に教えさせていいのかとか。
しかし、問題ないと閻魔は告げた。
「実はですね。たまに女性から蛇を送られた。嫌われてるのだろうか、みたいな相談が来るのですが」
「ああ、分かった。どうせその民族とかの愛情表現だったりするんだろ?」
「そうです。異なる世界の人間が集まる場所ですからね。たまに己の小指を送ってくる人もいるそうです」
「凄絶な愛だな。やられた方は断りにくいだろうに」
恐ろしいことこの上ない。
まあ、俺の居た世界だって、カニバリズムという、要は食人習慣をするような地域もあった。
当然日本育ちの俺としては苦笑いものだが、それが常識な場所時代があるわけだ。
「そっ、その……、私は普通ですからね? へ、変な表現方法は持ってませんから安心してくださいね?」
「ん? ああ、そうだな?」
今一つ理解しにくかったが、要は俺と常識が似通っているということで問題ないだろう。
「さて、では貴方の担当のクラスにつきますよ。初授業なので、私が付きますから、安心してください」
何を安心していいのやら。
そんなことを想いながら、俺は辿り着いた扉に手を掛けた。
「あー……、こんにちは」
入るなり、俺は言う。
挨拶は人間関係の基本。
そしてそこから自己紹介。
と、思ったその瞬間。
「あーっ! やくしだ!!」
そんな声が上がり、教室内がざわめいた。
みたまま学校の机に着いている大人子供の内の一人。
あれは――。
アホの子じゃないか。
思わず、俺はジト目で閻魔を見ながら、アホの子を指差してしまった。
閻魔は簡潔に答える。
「必要でしょう? それと、人を指差すのは褒められたことではありませんよ」
「ああ、うん……、そうだね。色々な意味で」
そうか、知り合いに会うこともあり得るのか。
そんなことを考えながら、俺は教卓の前に立った。
「あー、えーとうん。如意ヶ嶽薬師先生だ、これから一般常識の授業を始める、らしい」
こうして、俺の授業が始まった。
「あー……、常識って奴だが、どうやらこの取り説によると、まずは常識的にやっちゃいけないことからだな」
「マニュアル、ちゃんと読んでるんですね」
読まないとなにしていいか分からんからな。
「やっちゃいけないってのはまずはあれだな。殺しとか、盗みとか。とりあえず、法律とかは別にして、人に迷惑を掛けないよーに」
「む、意外とまともですね……」
「で、まあ、そんなことだから。人に迷惑かけなきゃなにしても良いんじゃね? シャブやるもよし、銀細工売る怪しげな商売するもよし。だけど、人に迷惑掛けるかどうかは考えとけよー」
「――って待ってください!!」
「ふぇ?」
「ふぇ、じゃありません! 可愛く言っても許しませんからねっ? いきなりその適当さはなんですかっ! 流石に麻薬は駄目ですよ?」
「バレなきゃいいんじゃね?」
「そういう問題じゃありません!」
「まあ、クスリやったら基本的に他人に迷惑だからクスリ使う時は屈強な精神を持ってだなぁ……」
「どんな薬中ですか!」
「まあ、屈強な精神持ってる奴はやらんよなぁ……。まあ、あれだ。薬師お兄さんが言いたいのは、一般的に駄目だっつわれてるのは、基本的に迷惑行為だからやめとけって、な? ってことだな」
「無理矢理纏めましたね?」
「とりあえず人を、殺すな、傷つけるな。余裕があれば優しくしろ。色々と生きていれば後は万事どうにかなる。死亡フラグを立てまくった人の有名な台詞だ」
「その、いいこと言ってるように聞こえますが。全部放り出してません?」
「そんなことはない。まずはこれを基本にすれば問題ない」
「はーい! 遊ぶのは傷つけることにはいりますかー!?」
「アホの子は黙ってなさい。そんなバナナはおやつに入るのかみたいなノリで言わない」
「とりあえず続けてください」
「んー。なんというかだなぁ……。あれだ、とりあえずさっき言ったことを守って、後は周りの人と上手くすり合わせてくださいってことだ。ぶっちゃけここで教えたってどうにもなんねーよ」
「あっさり自己否定しましたね!?」
「俺の本業石積みだから。ってことで常識の授業、一回目終了!」
「ううむ……、意外と疲れるな……」
今となってはファンタジーやSFの類となった学校の屋上。
時は昼休み。
購買で買ってきたパンをベンチで閻魔と貪っている。
「まあ、最初はこのようなものだと思いますよ」
「なー、閻魔さんよー」
「なんです?」
ずっと疑問に思っていたことがあるので、二人になった今、聞いてみようと思った。
「俺が教師になるのって、もしかして、別の目的があったりしねえか?」
思うのだが、例えアホでもできるとは言っても、俺に教師が向いてるなどとは誰も言わないだろう。と、今日午前中やって気が付いた。
だったら、何か目的があるのではないかな、といきつく訳だ。
「そ、そんなことは……」
そう言った閻魔の顔は蒼く、それはもう嘘八百であることを如実に表現していた。
「そんなこと言われるとお決まりの台詞を言う必要が出てくるんだが。嘘だッ、と」
「う……」
「ほら、お兄さんに言ってみなさい。今なら怒らないから」
例えば、俺を教師にして置くことで部下としての立場を確立させ、顎で使いやすくなるとか。
雇われで、人手が足りない時だけとはいえ、そう言うようになっているのだから、教師の仕事とかこつけてやりたい放題できなくもない。
なんて考えていたのだが。
「……本当に怒りませんか?」
「問題ない」
まあ、今なら怒らないだから、次の瞬間には怒ってる可能性があるかも知れないな。
「じゃ、じゃあ、言いますよ?」
「ばっちこい」
さて、なにが飛び出すやら。
なんて俺は考えていたのだが。
その理由は、実に可愛らしいものだった。
「そ、の……、貴方を教師にしたのは、私の我儘と言いますか……」
「うん?」
なんか気になる物言いだが、止める法が時間がかかると踏んで、なにも言わない。
「あの、ですね。貴方と同じ職場が欲しかったと言いますか……」
閻魔は時折考えるようにしながら、続けた。
「最近、変なんです。……妙に、寂しいというか、人恋しくて……、それで」
次の言葉で、俺は思わず口を塞げなくなった。
「その、貴方との接点を……、増やしたいなー……、なんて……」
少しずつ小さくなっていく声に、俺は呆れて口をふさぐことが出来ずにいる。
それで、教師ですか。そうですか。それで閻魔は校長になったんですかそうですか。
俺がなにも言わないでいると、閻魔は諦めたように笑って言った。
「迷惑、ですよね?」
まあ、突っ込み所は色々とある。
まず何で学校やねんとか。やることが激しすぎるとか。
あと、校長なんてやって体が持つんか、とか。
だが、まあ。
「まあ、迷惑だが。今更だろ」
「え……」
「お前さんが俺に掛けた迷惑を数えてみるがいい! きっと星の数ほどあるから」
だから問題ないと俺は肩をすくめた。
「暇がある限りは手伝ってやんよ」
閻魔はぽかりと大口を開けて、しばらく呆けていた。
しかし、何で俺に来るかね。
寂しいなら同性の方が楽だと思うが。
そんなことを考えて空を見上げる俺。
そんな俺の腕に、閻魔は自らの腕をからませた。
「おう? どうした?」
俯いた彼女の表情は俺には判らない。
「……じっとしててください、校長命令です」
俺は、苦笑一つ。
「……へいへい」
それからも色々と。
まあ、曲がりなりにも、教師としての責務を俺はこなしていったり行かなかったり。
「いっくぞーっ!?」
「待てアホの子ドッヂボールは決して審判にボールを当てたりしねえッ!!」
俺の髪の毛を数本攫って球が飛んでいき。
「実を言うと、体育の講師が一番足りないんですよね……」
「大体わかったけど一応何故か聞いておこうか閻魔さんよっ!」
「こんな状況になった時に、生徒に流れ弾が当たらないように耐えられる人が必要ですから」
「ですよねーっ!!」
「先生、足を捻ったので人気のない保険室まで連れて行ってほしいのですが……」
藍音まで乱入し。
「何でいんのかね」
「貴方の授業ですから」
そして、授業が終われば、どこかでみた顔、ぶっちゃけ前さんと李知さんに笑われ。
「薬師が……、教師……?」
「か、考えられんな……」
「俺のガラス細工の魂が傷だらけになった」
最終的に、今は前さんと帰り道を歩いている。
「どうだった?」
「散々だ」
言いながら、溜息一つ吐いて、肩を竦める。
「でも楽しかった? そんな顔してる」
「さて、どうだか」
俺は、前さんの言葉に、口端だけ吊りあげて答えた。
楽しかったとも。続けたいとは思わないが。
「ねえ……、河原とどっちが楽しい?」
前さんの言葉。
それは、考えるまでもないことだ。
「俺にはむかねーや。前さんと喋ってる方がずっといい」
そう言うと、前さんは明後日の方向を向いてしまった。
照れてるんだろう。なにもそこまでとは思うが、まあ何も言わないのも男の甲斐性だ。
「じゃ、あ、あたしこっちだから」
「おー、また明日な」
前さんに手を振り、俺は彼女を見送った。
俺は、一人になった帰り道を歩き、ふと、呟く。
「俺が先生だなんて、わからんもんだなぁ」
俺は、一人苦笑した。
まだ、俺の先生だった頃の憐子さんも、同じ気持ちだったんだろうか。
ちなみに。
「一つ、提案があるのですが」
「はい、なんでしょう、藍音さん」
「最も教育が必要なのは薬師様だと思うのです」
「確かに……」
藍音と閻魔の間でこんな会話があったそうな。
―――
どうやら閻魔は学校で薬師と思い出作りがしたいようです。
学校、設立。
これで学校イベントが可能になりました。
まあ、学校設定に関しては、学校でのみ発動できるイベントがあった時だけやってきます。
一応選択肢だけは広げておこうと思いまして。
ちなみに、今回の暁御タイムが無いのは仕様です。
というか、ガチで時間ぎりぎりで焦って更新しました。
そろそろテストが近くて執筆速度が下がっているのです。
と、理由づけしてしまうとアレなので、言ってしまいますが、なんか年に数回起こる執筆速度低下時期なのです。
人はそれをスランプと呼ぶそうですが、自分の場合はそこまで酷くないのでまあ、そういう時期です、と。
ちょっと充電したら復活するので、しばらく四日五日一回とかになったりしそうですが、ご了承を。
まあ、それでも更新が暇人速度ですが。
最後に。
遂に学園ラブコメもできるようになりました。