俺と鬼と賽の河原と。
平和だ。
違和感が残るほど、地獄は平和だった。
風はこんなにも騒ぎ立てているのに。
良い知れない何かが、と言うよりは明らかな、嫌な予感。
歯痒い。
所詮俺は一般市民。
何が起こってもまずは閻魔の連絡待ちだ。
現時点において、できることは何もない。
ああ、このところ平和だっただけに違和感が酷い。
まるで、体を無数の虫が這いまわるようだった。
――悪い予感は良く当たる。
できれば、この予感がその法則の埒外であればいい、と思いつつも。
俺は相も変わらず河原に向かう。
其の七十八 俺とお前の急転直下。
「おはよ」
「おう、おはようさん」
いつものように片手を上げ、前さんに挨拶。
十二月に入ってやっと、河原にも暖房が導入され、温かいが寒いという独特な空間の中で仕事が進んでいる。
「薬師、どうかしたの?」
いきなりの核心に、内心俺は目を剥いた。
はて、どう答えてみたものだろうか。
嫌な予感がするんです、と言う訳にも行くまい。
何が起こるか分かっているならいいが、嫌な予感では話にならん。
「いや、大したことじゃない、っつーか……」
結局言葉は当たり障りのない中途半端なものになる。
どうにももどかしい。
これが詳しくどこで何が起こるのかわかっていたなら、すぐにでも閻魔の所に行けば良い。
だがしかし、今俺が感じているのはせいぜい、例の現世に関することだろうとだけ。
そんなこちらの事情を、前さんは察してくれた。
「まあ、話したくないって言うならいいんだけど」
本当に良くできた人だ。
というか、いつも通りにしていたつもりなんだが、それに気付いてくる前さんの洞察力はなんなのやら。
「まあ、でも結構な付き合いになるのか……」
ふっと感慨に耽る。
詳しくは覚えてないが、三年位になるはずだ。
「来た当初はこんなことになるとは欠片も思ってなかったんだけどな……」
消滅するはずが、死後地獄に来たまでは気楽に考えていたのだが、気が付けば家は大所帯。
周りを取り囲む人も随分を増えたものだ。
「そうだね。あたしも薬師とこんな付き合いになるとは思ってなかったよ」
俺の呟きに、前さんが同意を示した。
「じゃー、どんな付き合いになると思ってたんだよ」
「そうだなぁ……」
―
その頃、京都にて。
鬼兵衛は東京でも見かけたその扉に手を掛ける。
「やあ、まただね」
「いらっしゃい。東京でも、京都でも、とはなかなかの縁であるな」
下詰神聖店。
「本当にどこにでもあるんだね、驚いたよ」
そう言った鬼兵衛の言葉に、下詰は自慢げに笑って見せた。
「うちの店が必要な客がやってくるんじゃない。必要な奴の前に店が現れるんだ。今は店が客を選ぶ時代だよ」
「……君のところだけだよ。そんな店は」
鬼兵衛は苦笑で返す。
「で……、観光してるとばかり思ってたが、今日は何の用だ? うちはどこにでもあるから京都観光にはならないぞ?」
そんな下詰の言葉に、再び鬼兵衛は苦笑を返さざるを得なかった。
「仕事さ。どうにも一連の事件に関連性があるらしくてね。しかも最悪舞台は京都になる」
そのような資料が届いたのは、一週間ほど前だ。
おかげ様で今日も、清華は旅館で口を尖らせているのだろう。
「早いとこ、何か掴まないと――」
「東京から連れてきた御嬢さんにどやされる、ってか?」
誤魔化すような、三度目の苦笑。
正にその通りだった。
「彼女も……出席日数ってやつがあるからね。それに、今一つ手掛かりが見つからないんだ。尻尾一つ掴めないからね」
「で、俺を頼りに来た、と。間違いじゃないが、先立つものは持ってるかい?」
「君も無関係じゃないと思うけどね」
何といっても世界規模の危機に発展しかねないのだ。
下詰とて無関係ではない。
そんな言葉に、今度は下詰が笑って見せる。
「その通りだ。世界一つ飛んだところで別に構わないが、ここは困るんでな。色々と」
「そういうことさ、それに、気にならないかい? 今回の事件の真相」
「まあ、報酬としては十分であるかな。うん」
下詰は、椅子に座り直し、楽しげに口を歪めると、言った。
「よろしい、私見でよければ語らせてもらおうか」
―
前さんとの話に答えながら、ぽつりぽつりと俺考えを巡らせていく。
嫌な予感は、現在に至るまでの一連の事件に関係するものだと思っていい。
何故か、と問われれば、原因を探ろうと思えば思うほど別世界へ、否。
俺のいた現世へと近づいていくのを感じるのだ。
普段は別世界に探知なぞ掛けられないが、今回は特別な事情が存在する。
いわゆる、世界の危機である。
大天狗その他、大妖怪は自然の安全装置としての役目を持っているため、世界に危機が迫れば何らかの働きがあってもおかしくはない訳だ。
それを考えると、現世を中心に、余波がこちらにまで飛んでくるということになる。
「最初はね。いつまで続くかな、どころか、いつまでもつかな、って思ったんだけど」
そして、今回の事件の肝はなんなのだろうか。
何がこの事件をこうまで不透明にしているのか。
答えは相手の目的だ。
相手が何がしたいのか未だつかめていない。
そして、各々の事件に関連性が今一つ見受けられず同一犯でない可能性もあるのだ。
しかし、まったく別件だとするのも早計。
どの事件にも人の関与が見られる。
「……そんなに俺っていい加減に見えたのか?」
京都、如意ヶ岳天狗内乱に関与の可能性があるらしい、と後になって聞かされた他、
龍が東京に降りてきたことに関する協力。
そして、岐阜で翁の刀を抜き放った件。
果たして、そうも簡単にそう言ったことへの協力者は現れるものだろうか。
答えは否。
一連の流れを利用して何かしようとしているとしか思えない。
「んー……、死んだ魚の眼をしてたかな」
そして、事件の場所を結ぶと一直線になる、と言うのもどうにもきな臭い。
果たして、次の事件は起きるのだろうか。
それとも、既に相手の準備は終わっているのだろうか。
わからない。
「……んな目してたんかい」
―
「まずはそうだな。すべての事件が繋がってる前提で話をしよう」
そう、前置きして下詰は語った。
「まあ、理由としてはあれだな。世界が言い知れぬ危機を感じ取ってるってあたりだな」
確かに、各々の事件だけであれば大したことはない。
世界もまた、わざわざ回りくどい真似もしないはずだ。
「でも、天狗内乱もそれに入れるのは早計じゃないかい?」
明らかに人の関与が疑われる二つと違い、その事件においては偶然の可能性が高い。
しかし、下詰は首を横に振った。
「地獄でも、隠れ蓑に使われたかもって話はあるんだろう? 実際その通りだ。地獄じゃわかないことであろうけども、高ランクのアイテムが召喚されてるのであるよ」
その言葉に、鬼兵衛は眉をひそめる。
「本当かい……!? こっちではなにも関知できなかったんだけどな」
「ああ、それに関しては俺が道具専門なのと、地獄の方の監視とこっちで感じるのじゃ全然別だからな」
こう言えばわかるか、と言って下詰は付け足した。
「コーラにラー油でも垂らしたとして、視覚的には見分けはつかないが、飲むと辛みを覚える。そういう違いだな。別世界から見てるんだから多少話も変わってくる」
「確かにそうだね」
「で、だ。これだけで犯人は随分と絞れる訳だが――」
その言葉に思わず鬼兵衛は目を剥いた。
「そんな簡単にわかるのか……! 初めからこっちに来てれば良かったよ……」
今までの徒労に、思わずため息が出る。
下詰はそんな鬼兵衛に、苦笑を返した。
「実は無関係に見えて、あれこれ関わってるというか、俺は翁事件に関しても薬師から聞いてる訳であるからして。事件の全体像を見るならば、俺の方が適任と言う訳だ」
なるほど、と鬼兵衛は手を打つ。
実は鬼兵衛は翁の事件に関して深く理解していない。
いや、詳しく理解できているのは当事者たる、ブライアンと薬師位だろう。
その薬師から事情を聴き、そして、龍の事件にリアルタイムで関わっている。
これほど一連の事件に詳しい人物もいないだろう。
「で、だが」
そこで、下詰は咳払いを一つ。
「そもそも、天狗内乱は隠れ蓑で、目暗ましだ」
「そうだな……、その通りだ」
「だが、良く考えても見てほしい訳だが、誰に対する目暗ましなんだ?」
はたと思う。
そう言えば、その場の妖力を派手にかき乱して、自分の術を隠すのは良いが、こうして現地の人間にはばれている。
下詰が言ったように、まったく観点が別なのだ。
地獄では、派手に妖力が暴れまわってるのはわかるが、誰の、とかどんな、とかがわからない。
しかし、現地に居ればあっさりと違和感を感じることができる。
これでは地獄にしか効果がない。
「なるほど確かに。これは明らかに地獄への警戒だ」
だがしかし。
「それでどうなるんだい?」
それで如何様に犯人に辿り着くのか。
そんな質問に下詰は、こともなく答える。
「そんなもの決まってる。一体どこの誰が――」
下詰はきっぱりと断言した。
「地獄なんて信じてるって言うんだ?」
「……」
鬼兵衛は思わず黙り込む。
地獄の人間には判らない観点でこの男は犯人に近づいた。
「確かにそうだ……。現世で地獄のことを知ってるのは極少数……」
答えに辿り着いた鬼兵衛に、下詰は実に楽しげに笑って告げる。
「そうだ。大妖怪だよ」
―
確かに来た当初は死んだ目をしてたかもしれないな。
そう思って、先程までの考えを打ち消し、俺は前さんとの会話に集中する。
「あの頃はなぁ……、一番人生、もとい天狗生に飽きてた時期だったからな」
俺にできるのは待つことだけだ。
「で、今はどうなんかね。俺の眼は」
俺の問いに、前さんは微笑んで見せた。
「今は、そうだなぁ……。死んでない魚の眼かな」
「結局魚かよ」
俺はジト目になって前さんを見る。
だが、俺の眼が今死んでいない第一の要因は、前さんなんだと思う。
今こうして目の前で楽しげに笑っている前さんと出会ったから、今現在の俺が居る。
「うん、でも今日の薬師はダメ」
「そいつは手厳しい。死んでるか? 眼」
「ぎらついてるけど、――イマイチかな」
本当に、良く見ている。
「そうかいそうかい」
もし、この悪い予感が当たったとして。
この笑顔は曇るのだろうか。
そしてどうすれば俺は、彼女の望む眼でいられるだろうか。
「なあ……」
「なに?」
俺は問う。
「河原って有休取れんのかな?」
前さんは苦笑。
「無理じゃないかな?」
俺も笑う。
「無断欠勤ってクビか?」
「そうじゃない?」
「はっはっは。そいつは困るな」
わざとらしく笑って見せる俺に、前さんは言った。
「クビんなったら、私が養ってあげるよ」
やはり俺は笑って返す。
「そりゃ安心だ」
俺は石から手を離すと、立ち上がった。
―
「さて、と言うことで、京都にいる大妖怪と言えばほとんど大天狗ぐらいな訳で、しかも術の起動が山からな時点で概ね確定な訳だが、もうひとつだけ語らせてもらおうか」
「まだ、何かあるのかい?」
鬼兵衛が聞くと、下詰は自信満々で頷いて見せた。
「世界が呼びたい男を」
思わず鬼兵衛は眼を丸くする。
「……そんなことまでわかってるのかい!?」
「まあ、推測しか立てられない訳であるが。確かめる術などどこにもないしな」
そう断って、下詰は続けた。
「まず、世界が別世からわざわざ人を呼ぶ理由はなんだ?」
「……それは、危機が迫ってるからじゃないのかい?」
話にならん、と鬼兵衛の答えを下詰は一蹴する。
「そもそも、別世界の人間じゃないと解決できない問題と言うのはなんだ? この世界の面子でどうやっても解決できない事件とは?」
確かに、と鬼兵衛は考え込む。
この間の高校だけで、多くの特異能力者がいるのだ。
しかも超高レベルの。
大抵の危機など、一人いれば十分なはずだ。
それが集ったとしても解決できない事象など、地獄の人間だって解決できまい。
「だが、世界の目的を考えれば説明が付く」
「よくわかるね……、僕にはさっぱりだ」
本気で感心する鬼兵衛に、下詰は苦笑いした。
「お前とて、わかるだけの情報は持ってるはずだと思うが……」
そう言われてもわからないものはわからない。
結局、鬼兵衛は下詰に続きを促した。
「そもそも今回の相手はなんだ? 大妖怪だ」
絶対とは言えないが、その可能性が高い。
「そして、世界は大妖怪をどうしたいのか。これは多分……、殺したいんじゃないのか?」
「殺す……、だって?」
まさか、と鬼兵衛は驚愕をあらわにする。
大妖怪は死なない。
例え首を落とされても甦る。
そんな大妖怪を消滅し得る人物と言えば――。
「いるだろう? そう、世界が登場を待つ主役は――」
鬼兵衛は頷く。
そう、京都に来たのもその人物について聞きたいことがあったからでもある位だ。
「奇妙にして奇怪。先代を消滅せしめ、その身もまた地獄に落ちた大天狗――」
「藍音、準備しろ。行くぞ?」
「どこへでしょうか」
「現世だよ。面倒事さ」
「……そうですか」
「まあ、嫌なら一人で行くんだが。で、どうする?」
「あなたとなら、どこまでも」
「じゃあ、行くとするか。世界を救いに!」
「――如意ヶ嶽薬師坊。彼が壇上に登って、演目はスタートする」
―――
其の七十八でした。
シリアス開始っぽいです。
今回のパートナーは藍音さんで。
あれこれ謎解きして、バトルもします。バトルはあっさり終わりそうですが。
ちなみにですが、次は過去編一回やって、本編に入りたいと思います。
では返信。
春都様
そろそろ今年も終わりですね。
学生には冬休みなる長期休暇があるので楽しみです。
薬師には全く休む暇はなさそうですがね。
シリアス的にもラブコメ的にも。
ヤーサー様
子供たちは遊びに出かけていたようです。
流石にあれ以上人数が居たら薬師が泣いてしまうでしょう。
その内薬師が拗ねて引きこもってしまいます。
暁御は何というか……。こう、重大なことには関われない絶対運命の様なものが……。
マリンド・アニム様
二人掛かりでの猛攻が始まったようです。
でもそこは機動要塞薬師ですから。
余りに堅牢鉄壁俊足軽快すぎますが。
ただ、そんな薬師でも、百年近く掛けた遠大な努力の末にメイド属性を食らってしまった模様。
奇々怪々様
まな板でも、洗濯板でも胸を張って生きればいいはずさ、と。今良いこと言いました。
薬師はもうあれなんですね。こう、娘と何やってんだろ……、的な方向に持っていくイカれたメンタルをしてるんですね。
そして貧乳を愛でるのに最適な手って、どんなんなんでしょうね……。
●●●●、パステルカラーで紫な液体に注意です。
リトル様
暴走特急過ぎて誰も止められないです。
そしてこの小説、厨二病で血反吐吐かせたり、ラブコメで砂糖吐かせたりと。
まるで読者にやさしくないっすね。
作者にも優しくないですが!
ROM野郎様
コメントどうもです。
それはまた……、考えるだけでおぞましい。
まるで熱湯と冷水を交互に掛けるような……。
新種の拷問ですか。
見てる人様
それはもう満喫ですよ。
顔を埋め、匂いを嗅いだり、自分で着てみたりその他諸々。
最近二人も猛烈な追い上げを見せています。
薬師は余りのスピードで逃げていきますが。
通りすがり六世様
ふふふ、書く私は回避できない逃げられない死ぬしかないという。
死因は厨二病ですね。ええ。
二人とも全力全開で最強攻撃力ですが、防御力と言う名の免疫はないのです。
それと、ちゃんと今回も出てきましたよ前さん。次回から二回か三回くらい確実に出番ないけど。
ガトー様
俺と鬼と賽の河原と。{ほのぼのラブコメ(笑)}に進化しそうですね。
……もうしてる?
まあ、正にカオス。今からシリアス開始しようとしてるくらいですしね。
でも、まあ、楽しければいいですよね……?
f_s様
地獄ではよっぽどじゃないと病気にかからないですが、直接菌を接種したとなれば話は変わってくるという。
そして熱で朦朧としたところに好き放題。
看病しない方が休める気がします。
ちなみに地獄にも死したインフルエンザ菌の魂が。
トケー様
その熱い叫び、いつか届いて薬師を呪いころすことで……、あれ?
いい加減薬師は銀子と結婚するべきでしょう。
藍音とはもう何というか結婚以前の問題と言うか、既に手遅れと言うか。
メイド属性付けられて世話されてる時点ですでに終身契約完了ですね。
らいむ様
ククク……、俺の心が壊れるのが先か、書きあがるのが先かっ……。
多分私が死にます。
スライム一回分で心臓がドキドキします。
恋とかそんなレベルじゃありません。心臓が口から飛び出そうになるんです。
Eddie様
藍音さん最強伝説が始まりそうです。
スライムは僕らに伝えてくれた――。
明けない夜はない。ただし日照りで干からびるかもな。
薬師は過剰なスキンシップと言うか、エロ方面に向かうと残念な気分になる希少な男ですから。
最後に。
暁御……、始まっちまったよ。シリアス。