俺と鬼と賽の河原と。
「……お父様」
「んー?」
「私の胸って……、小さいでしょうか」
「まあ、年相応にツルペタだな」
「……どうすれば、大きくなるでしょう?」
「牛乳飲めば、っつー話を聞いたことはあるが、詳しくは知らねーや。藍音に聞いた方がいいんじゃねーの?」
「そうですね、ちょっと行ってきますっ」
「……、いやぁ……、由美も活発になったもんだ。お父さん安心したよ。でもなんで胸?」
数分後。
「お父様ーっ!」
「おう、どしたー?」
「胸、揉んでくださいっ!」
「落ち着け、素数を数えてくれ」
今回はそんな話である。
其の七十 俺と娘と寒い日と。
何故俺なのか――。
んなことはどうでもいい。
流石に娘の胸を揉むような変態にはなれなかった。
不満げにぶーたれる由美を藍音に押しつけて、俺は外に出る。
そこでふと気付いたことがあった訳だ。
「あれ……? 藍音に預けといたらもっと悪いんじゃね?」
即座に家に戻っていた。
藍音の教育はいかん。
現代の若者の内では大したことはなくて、ただ俺が年寄りなだけかも知れんが、いかん。
一応、節度は保ってはいる。
いるが――、その節度はどう考えてもギリギリ限界値なのだ。
限界も限界、それはもう、叩きつけるとかいう問題ではない。
なんというか、警察に捕まらなければいいかな、という程度なのだ。
良くも悪くもあけすけな訳だ。
まあ、真綿にくるむかの如く育てて温室育ちの何もできない子育つのには同意できんから、俺の望む教育方針でもあるが、まずは常識から入ろうか藍音さんや、というこの状況。
とりあえず、焦って速攻居間の扉を開く訳だが――。
「あっ、お父様……」
「薬師様、混ざりたいなら――」
見事な失策だった。
よく考えてもみればいい。
胸を揉めと言われる、藍音に押しつける。
となれば、居間で百合の花咲き乱れそうな光景が広がっていても、ある種、仕方がない。
いやそりゃ居間でやるなよとか、すぐかよ、とか、そもそも本当にやるのかよ、とか言いたかったが、藍音に押しつけたのは俺。
言い訳はできない。
「薬師様も揉みたいなら恥ずかしがらずに」
「邪魔したな」
藍音の非常に不穏当な言葉を聞くことなく、俺は居間の扉を閉めた。
「終わったら呼んでくれ」
そう言って、俺は玄関で待つことにする。
まあ、速攻後悔したが。
俺は今、玄関に腰を降ろし、手を組んでそれを支えに顔を伏せている。
いわゆる沈んだ体勢な訳だが。
何故、俺は娘の嬌声を玄関先で聞いているのであろうか……。
……気分が真っ青を通り越してどす黒い。
とても、残念な気分だった。
というか藍音は何をやっているんだ。
いや、何も言うまい。
なんとなく、疎外される父親の気分を暗い玄関で感じていようと。
例え、一抹の寂しさを感じようとも。
この事態の半分の責任は俺にある。
藍音に任せた俺が馬鹿だったのだ。
これはその罰だ、と俺は言い聞かせた。
と、そうしていかほど経ったのか。
この世の虚しさに、俺が悟りを開きかけたころ、藍音から俺に、声がかかった。
「終わりました」
「やっとか」
俺は立ち上がり、居間に入る。
由美の頬は少しだけ、上気していた。
が、気にしないことにする。
「お父様、出かけるんじゃなかったんですか?」
「おー、そうさな。一人でどっか行ってもしゃーねーよ」
そう言って、俺は歩いていく。
実は最近、家にコタツが導入された。
地獄では困るほど雪は降らさないが、十一月になると寒くなってくるものだ。
と、いうわけで、俺は徐にコタツに足を突っ込むと電源を入れた。
しかし、だからと言ってなにかある訳でなく。
結果的に暇な俺は、テレビを点けることとなった。
コタツの上に顎を乗せて、ぼんやりと見るテレビ。
見ているようで見れていない、記号の羅列と大差ない。
面白いか、と聞かれればそうでもなかった。
まあ、そんなもんだ、と納得し、俺はテレビから一瞬目を離す。
そんな時だ。
ふと、由美が目に入った。
彼女は、こちらを見ている。
なにか、物欲しげに。
はて、なんだろう。
考える前に、ふと、思い付いた。
「由美」
俺の言葉に、由美は方をびくりと震わせる。
そんな彼女を安心させるように、俺は苦笑しながら、こたつ布団の端を持ち上げた。
「入れよ」
なんとなく、手持無沙汰というか、所在無げに見えたのだ。
「あっ、じゃあ……」
そんな風に俺の横を通り過ぎて、俺の左の面に座ろうとする由美を、俺は捕まえる。
「あの、お父様……?」
「こうした方があったかい」
俺は言って、有無を言わせず由美を膝の上に乗せた。
小さい由美はすっぽりと収まって、丁度後頭部を俺の胸に預ける形になる。
うん、これでいい。
「何がですか?」
何がいいのか、わざわざこっちを見上げて聞かれても困る。
言うなれば、なんとなくだ。
こうあった方が落ち着く、的な。
「そうですか……」
そんな説明で納得したのか、それっきり、由美は何も言わなかった。
俺も、特に言うことはなかったから、軽く由美の頭に顎を乗せて、二人、テレビを見ていた。
相も変わらず、面白くも、つまらなくもない。
だが、まあいいか。
テレビはただのBGM。
目立っても、無くてもいけない。
そんなもんだろう。
いつしか、俺はテレビを見るのをやめた。
ぼんやりと、娘の顔を見る。
ほんのりと朱の乗った顔に、なんとも言えない穏やかさを覚えた。
生前はこんな穏やかな日々が送れるとは思ってなかっただけに、なんとも言えない気持ちになる。
俺の家族も増えたもんだ。
「? 私の顔に何かついてますか?」
なんて思っていたら、どうやら顔を見ていたことに気付かれてしまったらしい。
「いや……」
俺は少しだけ返答に詰まる。
「由美は可愛いなと思っただけだ」
真っ赤になった。
可愛いな。
「そう……、ですか?」
頬に軽く指を当てて、照れたように聞く由美に、俺は大きく頷いた。
「おうともさ。可愛い俺の家族だとも」
言いながら、俺はコタツの上、籠の中に入ったみかんを取る。
皮を剥いて、中身を出してから、更に薄皮も剥く。
そして。
「食うか?」
「あ、はい」
肯いた由美の口元に、俺はみかんを運んでやる。
ついでに俺も一つ、みかんを口に運んだ。
まるで、小動物が如くみかんを咀嚼する由美を見て、萌えというものを理解しそうな気になったが、とりあえずみかんを食べ終えて。
むー、手がべたつくな。
だがこたつ出んのたりぃー。
「あっ……」
「どした?」
仕方ないので手のみかんの汁を舐めて見た訳だが、なんか由美は変な表情をしてらっしゃる。
聞いてみれば何でもない、というのでそういうことにしておくが。
そんな時だ。
すっと、自然に俺の隣に藍音が入ってきた。
二人で同じ面に入るようなこたつではないのだが、藍音が細いため、さほど気にならない。
「どうしたよ」
いつも藍音の行動は唐突だ。
今更、驚くも何もあったもんではないが。
「……私も、貴方の可愛い家族ですか?」
聞いてたのか。
そして、そんなつまらんことを聞きに来たのか。
「私にはつまらないことではないと思いますが」
そこまで言うのであれば、仕方ない。
「何を今更。俺とお前さんは千年近くも家族じゃねーか」
言ってて随分長いと今更ながらに実感した。
死んでも続いた縁。
腐れた所か発酵してることだろう。
そんな風に考える俺の肩に、藍音は頭を預けてきた。
「貴方はたまに……、ずるいです」
俺は適当に返す。
「そうかい」
頭が痛い。
いや、頭痛的な意味ではなくて。
どうやら、頬杖ついて船を漕いでいて、不意に頭からこたつに落下したらしい。
ぼやけた意識が少しずつはっきりしている。
むう、一時間ほど寝てたのか。
時計を見て時間の経過を確認。
そして、腹の上と、肩に未だ感触があることを感じて、二人も寝ていることに気付く。
体に悪いんだがな。コタツで寝るのは。
まあいいか。
そんなことを思いながら、ふと、視線を水平に戻すと。
横の面に座る由壱と眼があった。
「帰ってきてたのか」
「うん、まあね。それにしても、モテモテだね。兄さんは」
そう言ってにやにやする由壱に、俺は苦笑いした。
「両手に花だ」
うらやましいだろう?
「いや、俺は遠慮したいかな。うん、それは女難の領域だよね」
「ひでーな」
「俺は見てるだけで十分だよ」
「女っ気ねーなお前。俺の言えた義理じゃねーが」
「いや、兄さんは、ってのはともかく。それこそ、余計な御世話だよ。今は女の子より、強くなりたいかな」
我が弟ながらなかなかいい心がけではないか。
それこそ照れもなく強くなりたいと語れるのは、あまりできることではない。
「ふーん?」
由壱は頷いた。
「うん。今の俺じゃ、好きな子一人守れそうにないからね」
そう言って笑う由壱。
かっこいいな。将来モテるぞ。
「はは、兄さんに言われると本当臭くてやだなぁ。というか、成長できるのかな?」
む?
「外見的な成長なら、ある程度操作できるって聞いたことあるぞ? つか進化?」
「進化って……」
「こう、精神的にどばーんと変わった時、とか。要するに自身がパラダイムシフトを迎えたら、だな。たまに外見が変わることがあるらしいぞ?」
いわゆる、妖怪になるのと同じ構造だ。
精神的な変化を受けて、体を最適化する。
子供に多いらしい。
ちなみに由美は鬼だから難しいだろう。
まあ、頑張れば胸くらいはなんとかなるかもしれないが。
「パラダイムシフト、ねえ……? 兄さんはそういう言葉は知ってるんだ」
「おうとも、にーさんは博識だぞ? まあ、成長なんぞ出来んのはほんの一握り、だそうだが」
へえ、と弟は感嘆の声を上げた。
「じゃあ、もしも俺が成長して、強くなったら、兄さんの相棒になれるかな」
「……相棒?」
いきなり飛び出した言葉。
由壱は肯いて見せた。
「今回の仕事も。前の仕事も。現世に行くのは危ない仕事ばかりだよね」
「気づいてたんか」
「そりゃ。藍音さんもわかってるみたいだったけどね。例えば、スーツが破れてたりしたら、何かが掠めたんじゃないかと思うのは、不思議じゃないと思うけど」
まあ、その通りだ。
別段隠そうとしている訳でも、聞かれた訳でもないから言ってないだけだ。
「まあ、俺も兄さんが負けて死ぬなんて思ってないよ。あと、死んでも地獄行きだし」
その意味ではほとんど危険がない訳で、心配など無用な話なのだがね?
「そういう心配じゃないよ。兄さんは誰かが見てないと、あっちへふらふらこっちへふらふら、気が付けばふっといなくなりそうだからね」
誰かと結婚してしまえばいいんだろうけどね、と付け足す由壱に、ぐうの音も出なかった。
「でも、手綱取ってくれるような、っていうか。兄さんみたいな扱いにくい暴れ馬の手綱を取れるような女性はしばらく現れそうにないし」
だから、お前さんが俺を見ている、と?
「そうだね。まあ、それすらすぐの話じゃないけど。でも、きっと兄さんが結婚するより早いよ」
「自信家だな」
「と、いうか、兄さんを分析したらおのずとこうなるよ」
確かに、俺が結婚する確率は限りなく低いな。
生まれて千年はしなかった訳だし。
そりゃ千年あれば妖怪は大妖になるし、人は仙人として大成できるだろう。
強くなるだけなら百年要らないし、手段を選ばなきゃ、十年いらない。
「そりゃそーだな。圧倒的にお前さんが強くなる方がはえーわ」
そう言って、笑った。
笑いながら言った。
「だが、俺の相棒は難しいぜ? なんてったってとびきり優秀だからな」
言いながら、頭を肩に乗せた相棒を見やる。
由壱も皮肉気に笑っていた。
「そうだね。何年経っても相棒は譲ってもらえなさそうだ。でも、仲間くらいにはなれるよね」
「そうだな。どんだけ強くなっても相棒は譲らんだろうな。だが、仲間くらいにはなれるだろ」
結局、由壱も男だった、ということか。
俺はうんうんと頷いた。
男も大きくなれば庇護下にあることを嫌うもんだ。
できることなら庇護したい、とも。
そんな男の子の願いを少し、応援したくなった。
「ま、頑張れ」
「頑張るよ」
それっきり、何も語ることはなかった。
気まずいなんてこともなくて、穏やかに。
いつの間にか、テレビは消えていた。
なるほど、これが一家団欒か。
大黒柱、くらいには自惚れさせてもらってもいいだろう俺と。
家事を担う長女と。
お節介焼きな長男と、その全員から愛されてる妹、か。
ううむ、母親でも探すべきかね?
そんなことを考えているうちに、再び俺の意識は遠のいたのだった。
目覚めると右隣に藍音が居たのは良い訳だが、左に李知さんが増えていたのは何故だろう。
―――
由美メインと見せかけて藍音が来たと思ったらトリは由壱、この三弾重ねが真のトラップです。
というのは置いておいて。
今回は家族メインってことで。
一応由美分を強めにしてありますが。
さて、これで七十話。
三月の終わりから始めたこの小説も半年過ぎて七十話です。
良いペースかどうかは悩みますし、上手くなったかどうかも微妙ですが。
つか、七十話過ぎたのに、薬師の鈍感っぷりは磨きがかかるだけですね。
凄まじい。
ちなみに北海道は雪降ってたりします。
では返信。
ヤーサー様
あんまりセーブしてないけど、一応気は遣ってるみたいです。
そして、李知さんは藍音さんに中てられてしまったようです。
ええ、あそこの家族に入るともうべったべたですよ。
もう、靴に付けたガムの如く。風邪は大丈夫でした。一日熱上がりましたけど夜寝たら復活です。
奇々怪々様
指ちゅぱです、ええ。
今度は女の子にみかんを食わせて見ましたが。
大丈夫、風邪なんて無くてもタガは外れるものですから。
まあ、おかげ様で熱もとっとと引きました。指ちゅぱの御利益ですね。
悠真様
危ない従者。常にレッドゾーンですね。
彼女はレッドゾーン内で手加減してるので今一加減の具合が分かりません。
李知さんはきっかけがないと大胆になれませんからね。
ある種藍音の行動は渡りに船だった訳ですが。
ミャーファ様
彼女の脳内で何があったのかは不明ですが。
ただ、まあ、乙女脳的が暴走した結果ですからね。
藍音さんは自重できません、マグロの如く。
速度は上がるでしょうが、きっとブレーキは付いてないでしょう。
ヤモリ様
感想どうもです。
一回死んでもう会えないとまで思ってますからね。ちょっとした暴走位なら許容範囲でしょう、薬師も。ちょっとしたかどうかは分かりませんが。
ちなみに、妖怪化に可逆性はないので、色欲が戻る、というよりは上書きされるだけになります。
翁は、まあ。圧倒的にほのぼのしてませんが、今頃は薬師宅できっとほのぼのしてるでしょう。悪代官をすっぱ抜いたりはしてない、はずです。
山椒魚様
お久しぶりです。
無理をしてまで感想を書いてくださらずとも良いのですが、こうしてたまに顔を出していただけるとやはりうれしいものです。
相変わらず薬師は鈍感です。これは宇宙の法則ですね。アレに関しては、やはりネタが思いつかないのと、本編に上手くつなげられないから幅を利かせてしまうんですね、ええ。
皆が忘れたころにまたやりたいなとは思いますが。
光龍様
薬師の一挙一刀足は皆のSAN値をガリガリと削っていきますね。
狙い澄ましたクリティカルヒットを打ってくるから性質が悪いです。
ある種、自分を窮地に追い込んでる気もしますが。
果たして藍音さんがリミットブレイクするのはいつでしょう。
あも様
所詮機関車の類はレールの上しか走れないのですね、わかります。
果たしていつになれば薬師の元へ直行するレールへシフトできるのか。
あのドSの薬師の元に続く切り替え機などあるのか。
大天狗時代の薬師はむしろ嫉妬の炎で焼き殺されそうな気もします。
通りすがり六世様
鳥だって、鷹とか鷲とかいますからね。
乙女は皆猛禽類ですよ。
自分で何言ってるのか分からなくなってきましたが、薬師の貞操は大丈夫でしょうか。
まあ、薬師の貞操を奪うなどミッションインポッシブルなのでしょうが。
Eddie様
あの後、二人にSOINEされて終了です。
きっと彼は相手が勝負下着でスケスケだったとしても、普通に寝るでしょう。
既にスッパで布団に入りこんだお師匠様が証明済みです。
薬師と間違いを起こすには本当に何かの間違いが起こらないと無理っすね、ええ。
悪党様
コメントどうもです。
アンリミテッドフラグワークスですか。
確かに乱立してますが。
ただ、旗の丘ってすごく歩きにくそうですね。
C.l.D様
コメントありがとうございます。
そりゃまあ、お見合いに乱入されるなんてイベントまで起こしましたからね。
気合が入るってものです。
入りすぎな件についてはスルーするのが紳士ってやつです。
SEVEN様
きつく圧迫してる分、圧壊したが最後です。
藍音さんは圧壊してなくても最後ですが。
ドキドキと顔を赤くしながらしながら性教育に加わる李知さんの姿が目に浮かびます。
今回は、由美とエロエロでしたね! ええ!! 薬師は直接関わってないのが遺憾です。
f_s様
ブレーキは壊れ、アクセルは全開。
これが藍音さんです。
そして、たまにいきなりブレーキが利かなくなるのが李知さんです。
何が言いたいって、ブレーキが利かなくなるとネコミミメイドもやってしまうでしょう、と。
最後に。
フラグ神の弟たる由壱はフラグを手に入れることができるのか――!!