俺と鬼と賽の河原と。
李知。
李知である。
彼女に姓は存在しない。
ただの李知であり、李知でしかない。
と、言うのは今回の話にまったく関係しない。
今回は。
「……うだー」
仕事から帰ってきた薬師と。
「薬師様、マッサージを……」
それを好機と見た藍音と。
「待てっ、胸を押しつけるのはマッサージじゃない!」
薬師宅に住み着いた李知のお話である。
其の六十九 貴方の家には誘惑がいっぱい。
その日、玲衣子の家に泊まりに行くという子供たちを、李知は笑顔で見送った。
そんな時である。
「行きましたか。これで、あの子たちが居たらできないこともできますね」
李知の隣に立つ、メイドはぼそり、とつぶやいた。
誰に、とは言わない。
当然、薬師を標的にすることは決まっている。
「何故……、二人が居たらできないんだ?」
李知は、わかっていても聞かずには、いられなかった。
その時李知に、電流走る……!
「教育に悪影響ですから」
あんまりな答えに李知は戦慄した。
即答である。
この女、オブラートに包もうとすら――、しなかった。
潔いまでの姿勢。
そんな藍音に、驚愕し、一瞬その姿勢を見習うべきか、と考えて取りやめる李知。
その選択は正しい。
「……そうか」
結局、そう言うことしかできなかった。
そんな朝の一幕を終え、居間に戻る。
「うだー……」
そこにはソファに転がるUMA、だらけ天狗が存在していた。
「薬師様」
そんなUMAに、藍音は声を掛ける。
「んー……? どしたー?」
ちなみに、日曜とはいえ、三人同時に休みがあるのは結構稀だったりするのだが――。
「……暑くはありませんか」
唐突に、そう、唐突に藍音は言う。
薬師は怪訝な顔をした。
「んー? いや、暖房ついてっから別にそうでもねーと思うがね?」
「私は少々、暑く感じます」
その、その瞬間であった。
その様子をうかがっていた李知に再び戦慄走る。
唐突に、藍音がメイド服の上半身部分を脱ぎ始めたのである。
胸の前のチャックは開かれ、衣替えギリギリの半袖を手首に引っ掛ける。
ぶっちゃけると、胸はほとんど見えていた。
半脱ぎというか、四分の三である。
本当に、ギリギリ。
まるでこだわりのある少年漫画の如く、上半身の極一部だけが驚異的な角度で守られている。
ちなみに、ノーブラでした。
しかし。
「熱でもあるんじゃねーの?」
動く木石、薬師、この程度で動じはしない。
史上最強の不能の名は、伊達ではなかった。
自然な動きで額に手をペタリ、である。
もう既に冒涜とかいうレベルではない。
これぞ、神の領域。悟りの境地であった。
と、いうのはともかくとして。
そんな異常な光景を目撃した李知は、言わざるを得なかった。
「お前達変だっ!!」
「……ううむ」
秋晴れの空の下、ベランダで一人、洗濯物を干しながら李知は唸る。
「まさか……、ああまで凄いとは。私も見習うべきか……?」
言っているのは、先程のアレである。
そう、李知とて恋する乙女。
あそこまでまっすぐに好意を示そうとしていく姿は、まあ、なんというか、方向に誤りがある、ものの。
薬師を相手にするのならあれくらいの気概が丁度いいのではないか、李知はそう思わなくもなかった。
実質、先を越されてしまいそうな勢いであるし、ああでもしなければ、薬師は陥落しそうにない。
要するに、李知は思った訳だ。
両想いになるためには、もっと積極的になるべきか、と。
「しかし……、でも」
先程の藍音を思い浮かべ、シミュレートし、顔を赤くする李知。
彼女はぶっちゃけると谷間どころか露出無しに近いくらい奥ゆかしい人間だ。
藍音の様な真似をするには、羞恥心がまるでカーンの如く動きを阻んでくるのだ。
しかし、そんなことでは好きな男を落とすことなどできはしない。
甘い乙女のジレンマである。
羞恥心と恋慕の板挟み。
巡るは薬師とのドキドキイベント。
しかし、それを実行する行動力は、ない。
「これは……、でも、いや、それは……」
一人、考えて却下を繰り返す李知。
だが。
李知という女は考えすぎるとオーバーヒートして、突飛な行為に出る女性である。
よく考えてみると、薬師の前で胸を露出したことならあったりするわけで。
頭から煙が出そうな雰囲気の真っ赤な彼女の眼は据わっており。
不意に、ベランダからリビングへと歩き出す。
「おーう、今度は李知さんか。どーした? っ!?」
薬師が答えた時、その時すでに、李知はソファに転がる薬師の上に馬乗りになっていた。
「……」
そして、薬師の手を取り、そのままその指を――。
「おう? おおうっ?」
要するに、指ちゅぱというやつである。
果たして彼女の中ではどのような議論がなされたのだろうか。
興味は尽きない。
「まじでどうなさったよ?」
訳だが。
「え? ああ……。いや、あの」
ここに来てふと、我に帰る。
何も考えていなかった。
そもそも、指ちゅぱ自体、暴走の末のものである。
当然、薬師が指を切ったなんていう状況ではないし、馬乗りになる理由なんて更にない。
「いや、その、これはだな。ま、ま……」
「ま?」
「まじないだっ!!」
言うに事欠き、指ちゅぱがまじないとは、見事な破れかぶれだった。
だが、真っ赤になって絶賛てんぱり中の李知にはこれが限界だった。
苦しい。
李知本人もそう思っている。
だがしかし。
「ふーん」
相手が悪かった。
良い意味で。
「んなの流行ってんのか。何のまじないかしらねーけど」
そして。
「お返しに俺もやってやろう」
悪い意味で。
「っーーーーー!!」
いきなり想い人に指を咥えられるという不可解な状況に、李知の脳は再びオーバーヒートした。
彼女は正に驚いた猫が如く飛びあがり、脱兎のごとく逃げ出したのだった。
「……? まあいいか」
結局、鈍感男は気にしない。
そんな一幕であったが、それを見ていた者が居た。
「……負けていられませんね」
超特急不停止メイドである。
彼女は、昼食で行動を起こした。
「なー……、俺の箸の居所について問い詰めたいんだが。小一時間ほど」
「……ありますよ」
「どこに?」
「……ここに」
藍音は、惜しげもなく、己が箸に指を指す。
「では、口を開けてください」
「え、いや、待て待て待て待て。冷静になれ。なんでいきなりそんな状況やねん」
「知らないのですか?」
藍音は、しれっと言った。
「今日はそういう日です」
「……いや、ないだろ。ないだろ。二回言うくらいないだろ。これで三回目だよ。なあ、李知さん」
「えっ? あ、いや」
いきなり話を振られた李知は戸惑いながらも否定しようとして――。
ふと、葛藤。
「……本当ですよね、李知」
嘘をつく訳にはいかない……!
行かないが……!
「何を言ってるんだ薬師。今日は特別な祝日だぞ? でなければ私と藍音が一緒に休めるはずがない」
ここで藍音の尻馬に乗れば、自分も薬師にてずから食事をさせることができるかもしれない、と。
あっさりと乙女は誘惑に負けたのだった。
「では、口を開けてください」
「え、あ、いやまじなん?」
観念して口を開ける薬師。
差し出されたコロッケを、素直に咀嚼するのだった。
「まったく、仕方がないな。薬師は。まあ、そういう日だしな、私もしてやろう」
「んー、しゃーねーか」
諦めて、おずおずと差し出されたそれを、口で受け取る薬師。
諦めてからは、この男、速かった。
そして。
「……これで貴方も共犯者ですね」
ぼそりと、藍音が李知に呟いた。
「ああ……、よろしく頼む」
二人が手を組んだ瞬間だった。
と、まあ、エスカレートした結果、藍音が押し倒して口移ししようとしたり、李知がそれを取り押さえたりしたが、無事、昼食が終わるのだった。
そして夜。
偶然にも李知と藍音は通路で鉢合わせする。
「藍音……、来た当初はどうなるかと思ったが」
「そうですね、李知」
「なんだかお前とは上手くやっていけそうな気がする」
そう言って二人は、薬師の眠る寝室の扉に手を掛けるのだった。
どうやら李知さんは上手くやっているようです
―――
ちょいと遅れました。
風邪気味です。
では返信を。
光龍様
多分、主役になるのは外伝でしょう。
主役でなければ、普通に出ることでしょうが。
これからはしばらくほのぼので行きたいと思います。
ええ、最近シリアス気味だったので。
TAS様
その辺はまあ、刀の方の補正か。
翁が刀から再構成された後にびっくりして思わずうっかりやっちゃったってことで。
自分でもちょっとどうかなと思ったんですけどね。
なんとなく、絵的に首ごろんの方がいいかな、と。
奇々怪々様
ボケ老人、というか翁は既にうん百歳。
もしかすると、ものがたり成立年的にうん千かもしれませんが。
それを考えると元気ですね。
鞘は、そうですね。抜いたものが居るってことで。
通りすがり六世様
確かに、元から元気なおじいちゃんだったことでしょうし。
それに、月の軍勢に何もできず動きを止められてしまったことにより、悔み、更に体を鍛えて剣豪になっていたとしたら……。
まあ、核を基点に、とか、聖句箱破壊しないと、みたいなのはよくありますね。
実際不老不死になると、絶対不変になりますからね。人体的にはあれでも精神はすり減りますし。
悠真様
茶飲み友達、男の友人追加です。
名実ともに老人は翁だけですね。
年齢不詳といえば鬼兵衛酒呑辺りがまったく年齢不詳です。
ええ、翁はやっぱり時代劇ですよね。月をバックに。あと、ちょっとした能力追加の予定も。
ヤーサー様
これで薬師と藍音が不在でも問題ないっすね。
無敵おじいちゃんが一緒です。
しかし、本当に嫁候補が多いですね。全員娶ればいいのに。
ブライアンは春が来たというより、芽衣に春を咲かせて帰った気も。
Eddie様
三編もやりましたからね。あと、二十話辺りからずっと出したいと思ってたりして。
翁に愛着が湧いたりしまして。
まあ、親子についてはあれですからね。
登場人物二人はちょいと少ないなー、というのと、この面子でラブコメフラグが立たない訳がない、って話でしたからね。
あも様
なんだか月ってハイテクなイメージがあります。
薬師は何と言うか、雑学とか、無駄知識とか好きそうですね。
でも、機械の使い方はゲームくらいしか勉強しようとしない。
黒幕に関しては、あんまり大したことないんじゃないかなぁ……、やることは大層だけど。
f_s様
その通りです。
再び始まるフラグ折り。
最終決戦鈍感兵器はいかほどのフラグを破壊できるのか。
そんなお話です。
SEVEN様
パソコン崩壊とは、災難ですね。
まあ、まさかの展開ですよね。爺をお持ち帰りする様は。
ぶっちゃけると親子自体半捨てキャラだったので、というか数合わせに近い物もありまして。
やっぱりね、未亡人は一人でよろしいかと。
最後に。
フラグ破壊の達人すぎて薬師はそこにフラグがあったことすら気付かない。