俺と鬼と賽の河原と。
それから一週間というもの、何も起こりはしなかった。
ただ、学校や周辺を精華と回っていただけだ。
そして、どの現場にもやはり、痕跡はない。
「ねえ。駄目なの?」
「残念ながらここもアウト。痕跡はおろか、何も残っちゃいないよ」
人気のない夕方の住宅街、捜査は難航していた。
春彦は勝手に事態が進むと言っていたが、こうなると怪しいものである。
「……ねえ、鬼兵衛。あんたは、その犯人を見つけたらどうする気?」
不意に、精華が聞いた。
「倒すけど?」
何の気負いもなく鬼兵衛は言う。
しかし、精華はその言葉を信用していなかった。
「できるの? あんた弱そうじゃない?」
オブラートも何もあったものではないその言葉に、鬼兵衛は辟易と返す。
「ある程度はね。無理なら、肉体労働専門の先輩がいるから大丈夫さ」
言うまでもなく、肉体労働専門の先輩とは、酒呑のことだ。
「じゃああんたは頭脳労働?」
「……ただのサラリーマンだよ。特に目立ったモノはないさ」
「そう……」
それだけ呟いて、精華は押し黙ってしまう。
なんとなく居心地が悪くて、鬼兵衛はどうにか話題を捻りだそうとした。
「君は……。君が、僕を怖がらないのは、学園が非常識だから、だけなのかい?」
なんとなくの問い。
お約束のように、他に何かあるのかも、と聞いてみただけだ。
しかし、その答えは少々意外なものだった。
「私ね、昔、鬼に会ったことがあるのよ」
その言葉に、鬼兵衛は少し面食らう。
その隙に、彼女は続けた。
「地獄の、ね」
「なんだって?」
今度こそ、驚いた。
原生の鬼ならまだしも、地獄の鬼に会ったことがあるとは。
要するに、今現在の鬼兵衛のような人物に会ったことがある、ということだ。
「昔、小学生の頃よ。夕方位に、塾への時間が間に合わなさそうで、近道したの。そう、丁度そこの小道ね」
そう言って彼女はすぐそばの草木生い茂る横道を指差した。
「それで、そこを走ってたら、壁に、ぶつかったのよ。壁だと思ってたのは私だけなんだけど」
その壁とは、文字通りの意味ではないのだろう。
小学生の少女からしてみれば、いや、今だって、鬼の姿は、壁だ。
「尻もちついて、見上げたら、鬼がいたの。そりゃ、あの時は泣き叫んだわよ」
小学生くらいの少女が鬼に見降ろされ、泣きわめく姿は想像に難くない。
それこそ鬼兵衛だって小さい子供に泣きわめかれたことだってある。
それは、そう、定かではないが数年前現世に出張に来たときにも。
「で、その鬼は必死で泣きわめく私を宥めようとしたわ。それで、ずいぶん泣きわめいた頃に、やっと泣き止んで、ちょっとだけ、話をしたの」
その鬼にしてみれば、少々困った出来事だったろう。
その鬼にしてみれば人に害為す気などなかったし、逆に人の為に来ていた可能性の方が高いのだ。
とはいっても、鬼兵衛とて、例外ではないが。
「それで、地獄から来たんだ、って言われて――、私はこう返したわ」
ふと、鬼兵衛は少女の表情を見る。
「私を、地獄に連れてって――」
それは、逆光でよく見えなかったが。
其の五十八 変種 名探偵鬼兵衛。 後編
「……死にたかった、のかい?」
こんなことが聞けたのは、彼女が未だ尚、生きているからだ。
今はそうでもないはずだ、とちょっとした、希望的観測。
「そう、あの頃から、私の両親は家に寄り付かなくてね。挙句、仲も良くないと来たら、死にたくもなるわよ」
鬼兵衛は何も言えない。
自分はただの鬼だ。
なのに、何故、こうも踏み込んでいるのか。
答えは明白。
自分は彼女の話を聞かねばならない。
――話を聞いて、思い出さなければならない。
「そして、私の言葉に困った鬼は言ったわ」
そうだ、自分は、彼女に会ったことがある。
「五年後に、殺してあげよう。だから五年耐えてみてくれ」
その台詞を言ったのは、
鬼兵衛。
まごうこと無き、自分だ。
声も出ない。
だが、一つだけ聞かなければならなかった。
「今でも、死にたいと――。思っているのかい?」
絞り出すような声。
希望を持たせるために言った言葉は、彼女を救えていたのか。
「ええ」
否。
「それだけを目的に、生きて来たんだもの」
喜怒哀楽、その内一つですらない、能面のような顔で彼女は言う。
鬼兵衛は、強く、拳を握り締めた。
「親御、さんは。今どうしてるんだい?」
できるだけ、変化を悟られぬよう、言う。
「死んだわよ。しかも心中。私だけを残してね。果たして、なにがあったのかしらね」
諦めたような言葉。
鬼兵衛は唐突に理解した。
彼女は生きても、死んでもいないのだ。
生徒会長になったのも、きっと祭の一番近くで生を感じようとするため。
「今は、ちょっと楽しいけどね」
その言葉は、制限時間の提示。
今は楽しい。
鬼兵衛が帰るなら、生きる意味はないと言う事。
「あんたは、私を地獄に連れて行ってくれるのかしら?」
事件を解決したとき、鬼兵衛は決断を迫られることとなる。
それから、さらに一週間後。
ついに、事態が動く。
携帯にメール。
『学校に来なさい』
その一言。
はたして、精華は何をしようというのか。
鬼兵衛は寝床にしていた廃ビルからのそりと抜け出し、学校へと向かった。
学校に着いた鬼兵衛が耳にしたのは、ある種、異常とも言える放送だった。
『生徒会から通達です。今日の午前中の授業は中止。代わりに、生徒会主催の宝探しをします』
清華の声だ。
『宝、というのはゴミからちょっとした異常でも構いません。要するに、校内の点検とゴミ拾いを全校生徒で行おうと言うのです』
その言葉に鬼兵衛は頭を抱えた。
全校生徒を利用して学校を洗い出そうと言うのか。
『非常口、換気扇、全て調べてください。持ち帰ったゴミなどは粗品と交換いたします』
このような無茶が通るのは、この学校の特色ゆえか。
そして、それと同時、鬼兵衛は下詰の言わんとしていることを理解した。
「やはり、俺の言った通りである、と言っておこうか」
「君か」
鬼兵衛に声を掛けたのは、下詰春彦本人である。
そして、鬼兵衛は彼に、答え合わせを求めた。
「この状況、世界が望んだ、という事でいいのかな?」
この状況は、本来なら、ありえない。
鬼兵衛は考える。
上手く行きすぎていると。
これで何もなかったのなら思い過ごしだが、これで何か発見された場合、それこそ下詰の予想通りなのだ。
「ああ、そうだろう。なぜ物語の主人公達が動かなかったのか。今ここで何故事態が動いたのか、そいつは一つに集約されることであろうよ」
疑問は残る。
だが、答えははっきりとした。
「要するに。世界はこの事件を解決する主人公に、鬼兵衛、お前を選んだのである、と」
世界の意志と呼ばれるものが意味も無く鬼兵衛を事件の解決に当たらせるとは思えない。
そこは未だ掴めないが、現在の状況には、答えが出かかっていた。
「そして、僕が君の店を出る時に言った言葉」
――もしかすると、人外による神隠し事件など、起こってないのかもしれないぞ?
「ああ、そうだ。神隠し事件など、最初から起きてはいなかったのだよ!」
下詰は心底愉快気に言う。
「そも、人が行方不明になったと言うに被害者の一人目を除いて報道の一つもされておらんのであるからして、おかしいだろう?」
「なっ」
その言葉に、鬼兵衛は驚きを隠せなかった。
「要するに、気付いていないのであるよ。この世界の住人は。しかし、お前たち地獄の人間は魂の数から異常が見分けられた」
ここまで来ると、作為的ですらある。
まるで、地獄から誰かを誘ってるようにも見受けられた。
「そして、神隠しにあったのは、全て。全て事件を嗅ぎまわった者だ」
それだけなら違和感はない。
核心に近づいて犯人が殺しに来ること自体は、なんらおかしくはない。
だが、この状況、もう一つ解釈の仕方がある。
「そう、彼等は皆事件の犯人に消されたのではない。むしろ、お前に事件を解決させようとする世界の絶対意志に消されたのだよ!」
鬼兵衛に解決させるため、他の可能性を世界が消している。
「そして、お前のパートナー有木津島 清華は、お前に選ばれたが故、消されず。物語の登場人物となった」
だから、精華は当然のように神隠し事件について知っており、協力しようとして――。
そして、世界の意志の名のもとに、鬼兵衛を事件の核心へと近付けさせようとする。
ここで、犯人が見つかれば、それは証明以外の何物でもない。
そんなことがあり得ると言うのか。
その答えは、すぐに聞こえた。
鬼兵衛の後から、声。
ここ一週間聞きなれた――
「鬼兵衛。見つかったわ」
――ああ、なんてことだ。
こんな都合のいい状況。
世界の意志が関わらぬわけがない。
何故、鬼兵衛を主人公に選んだか、それはわからない。
しかし、お膳立ては世界によって終えられた。
故に、鬼兵衛は進まねばならぬ。
「どこだい?」
「地下があったの。犯人が、作ったみたいね」
なるほど、と鬼兵衛は肯き、尋ねた。
「発見者は大丈夫だったのかい?」
「ええ。相手はまだ気付いてないみたい。寝てたらしいわ。まあ、起きてたとしても、学園にいる誰かがどうにかしたんでしょうけど」
なるほど、と鬼兵衛は肩をすくめた。
見事なまでのご都合主義。
矛盾、常識、手順、全てが奇跡的な形で片づけられた。
まるで鬼兵衛に事件を解決しろと言っているかの如く。
釈然としない感覚が鬼兵衛を支配するが、しかし、進まないわけにもいかない。
「どこだい?」
「ついてきて」
歩いて行く精華に、鬼兵衛は深呼吸をひとつ。
すぐに後を追った。
「無駄にだだっ広い空間だね……」
「いつの間に造ったのかしらね」
鬼兵衛は、床下から繋がる広大な白い空間を見て、呟いた。
「結界でも張ってるのかな? 流石にみたとおりの大きさだと、潰れると思うんだけど。ところで、君は見てるだけかい?」
問うたのは、横を歩くとある店主にだ。
「イエス、その通り。ぶっちゃけると世界も俺の大事なお客様でね。客は敵対するもんじゃなくて、上手く付き合うもんだろう?」
「……そうかい」
呆れた鬼兵衛は肩を落とし、溜息を一つ。
そして、気分を入れ替えると、目の前に鎮座するソレを、真っ向から見据えた。
「何か用か、鬼」
まるで、多重音声のように、低く、高い声。
「なるほどまさか、竜がいるとは思わなかったよ」
緑の体躯に蛇のような長い姿、爪の生えた手、猛々しい鬣。
鬼兵衛の前に居たのはまさに竜だった。
「ふうむ、見た感じ。力でも失ったのかい?」
何らかの理由で力を失った妖怪が、回復のために人を食らうのは、珍しいことではない。
「何人食った?」
鬼兵衛は目を細め、普段からは考えられないような低い声を放つ。
今回は世界の意志によって隠されている人間もいる。
はたして、何人殺したのかはまだわからない。
もしかすると、殺すまでせずともよいのかもしれない。
しかし、龍は愉快気に笑った。
「数えているとでも想うか? 米粒の一つまで」
「なるほど。ここが初めてってわけじゃあ、ないみたいだね」
「応とも、以前の場所には活きのいいのがいなくなったでな。ある者に協力を得て、降りて来たのよ」
「ところで、君の処遇はどうなるか、知ってるかい?」
「はて、我に裁きとは、我は何かしたのか?」
「そうかい、じゃあ、君に罰を言い渡そう。裏に生きる者が、表を濫りに侵食した場合」
鬼兵衛はその手に金棒を召喚し、剣呑に、言葉を吐きだした。
「死刑だ。霊となって閻魔の裁きを受けよ」
「ほう……、我を殺すというか、お前、名は?」
「青野鬼兵衛」
呟いた言葉に、竜は獰猛な笑みを返す。
「鬼兵衛、鬼兵衛か。聞いたことがあるぞ?」
「へえ、僕も有名になったものだね」
「気性は鬼と思えぬほど温厚。今尚然したる違和感を感じず、雑務向きで、強くはない」
「結論は?」
興味無さげに鬼兵衛が聞く。
竜は愉快気に笑った。
「我の敵には成り得ない!!」
瞬間、竜の口から劫火が迸る。
鬼兵衛の回避は、間に合わない。
「鬼の気は金。火気、金を剋す。呆気なかったな、鬼」
竜の言葉に呼応して、鬼兵衛が炎に巻かれていく。
「鬼兵衛っ!!」
清華が名を呼ぶが、返事は、ない。
「無駄だ。我とて四百年生きて培った炎だ。一介の鬼ごときでどうにかなるとでも想うたかァ!! 愚か、実に愚か! まるで小娘の懸想のようだ!!」
炎が消え、鬼兵衛が立つ場所を今度は煙が包み込む。
竜は、己が勝利を疑っていなかった。
だがしかし、その核心はあっさりと裏切られることとなる。
鬼兵衛を包む煙の向こう。
そこには確かに――。
「あまり人を――、舐めるものではないよ。若造が」
無傷の鬼兵衛が立っていた。
地獄にある、閻魔の執務室。
「大丈夫なんですか?」
書類を渡しに来た、女性が問う。
「なにが、ですか?」
問い返した閻魔に、女性は言った。
「鬼兵衛さんですよ。あの人、結界とか探査とかは得意らしいけど、戦闘になったら……」
だが、その言葉を閻魔は首を横に振って否定した。
「大丈夫ですよ。温厚に見えるようになったのは、実は最近で――」
閻魔は続ける。
自信満々に。
「有利な条件さえ揃えれば、――酒呑にだって勝てるでしょう」
「っ!? 何故あの炎で貴様が生きている? 有り得ぬだろうがぁ!!」
喚く竜とは対照的に、冷めた顔を見せる鬼兵衛。
鬼兵衛の心中でガチリ、ガチリと音を立ててギアが嵌っていく。
今までつながっていなかった部分が繋がって、今のものではない鬼兵衛が、顔を、覗かせた。
「その程度でうろたえる。だから若造で、救えない、大局を見ることは敵わない。自分で考えられないのかね? 小僧」
「鬼兵衛……、あんた……」
鬼兵衛の言葉に、精華は戸惑いを隠せないでいた。
まるで、別人であるかのように冷たい。
今の鬼兵衛の顔は、まさに鬼の形相。
前までの、優しげな表情は完全に裏返った。
「わからないなら、ヒントをやろう。とある大天狗が黒い服しか着ない理由を知っているかね」
威厳も何もあったものではなかった彼が裏返ったのだ。
意味することは一つ。
「木火土金水。そして、水気の色は黒。黒を纏う事によって水気を纏う、これが手品の種明かしだ、どうだ? 理解できたのかね?」
今、鬼兵衛は生きた年月に相応しいあり方を取っている。
「理解できたところで――、死ぬがいい」
弾かれたように鬼兵衛が駆けた。
一瞬の交錯、爪と金棒の鍔迫り合い。
「なるほど竜、お前は火気のようだ」
「何をっ!!」
鍔迫り合いのまま、鬼兵衛は歌う。
「Appeal to you God of the water Drain it Drain it In a muddy stream」
金棒を持たぬ左の掌に、不可視の力が集まって行く。
「準備はよいか? 神には祈ったか? 挨拶は済んだか? 無様に殺される覚悟は?」
鬼兵衛は、一切の反論を与えることなく、力を解き放った。
「水神、エイトヘッドマガツクビ」
瞬間、八つの迸る水流が、竜の体を呑みこんだ。
「ぐぅおおおおああああああああッ!!」
その水流は、竜巻の如く竜をの身を切り裂いて、消える。
「ぐ、ぉ、あ……」
「さて、大人しく地獄に行くというなら、苦しませんが。どうする?」
地に伏せた竜を見下ろし、鬼兵衛は呟いた。
最後の情である。直接殺す方法を取らずとも、魂だけを抜けばよい。
しかし、竜は意地でも抵抗しようと、未だに居た精華を喰らおうとうねりを上げる。
清華は、焦った表情一つせず、それを受け入れようとしていた。
「否、否、否ぁ!! 己は人を喰い、再び天に昇るッ!!」
その叫び、心の底から出たものであったが、鬼兵衛としては許せるものでは。
断じてない。
「戯けがっ!」
その言葉は、果たして、竜に向けてだったのだろうか。
それとも、精華に対してだったろうか。
精華に向かっていく竜頭。
今だ、精華は動かず。
笑みを浮かべてすら、いた。
――気に食わぬ! 気に食う訳がない!!
心で叫んで、鬼兵衛は竜と精華の間に割り込んだ。
鬼兵衛の肩口に、竜の牙が突き刺さる。
「ぐぅっ!」
「鬼兵衛っ? なんで――」
その問いに、鬼兵衛は咆えた。
「その行為は、生者にも、死者にすら礼を失するものだっ! こんなのにその命くれてやるのではない!!」
「鬼兵衛……、私はっ……」
「死ぬのは、生きてからにしろっ!!」
「鬼兵衛ぇ……」
涙目でその場にくずおれる精華を後目に、鬼兵衛は噛まれたまま、懐からある物を取り出した。
「おお、うちの商品だ」
今まで、事態を静観していた春彦が呟く。
彼は、鬼兵衛の勝利を疑ってなどいない。
鬼兵衛ももちろん、負ける気など髪の毛ほども持ってはいなかった。
「下詰神聖店特製ビリヤードボム。魔力をビリヤードの球に込めた魔力爆弾」
春彦の言葉を聞いているのかいないのか、手に持ったそれを、鬼兵衛は竜の口へ叩きこむ。
「っ!!」
一瞬の間、そして爆発。
「鬼兵衛もえげつないな。ナインボールを口ん中ってのは」
春彦の言う通り、鬼兵衛の放った爆発で、竜は満身創痍で地に伏している。
「ぐぅ……、何故……、何故貴様は、爆風に、無傷で……!!」
苦しげに問うた竜に対し、鬼兵衛は呆れたように肩を竦めた。
「阿呆か。なぜ我輩が対策もなく自爆せねばならなんだ」
ビリヤードボムを握っていた手とは逆、そこには、崩れていく札があった。
「これも神聖店謹製の護符だな。効果は、どんな攻撃も一発限り防ぎ切る、だったかね?」
「イエスだ」
そして、それだけ言うと鬼兵衛は地に伏した竜に向って金棒を振り上げた。
「さて、いい加減終わりにしようではないか」
竜の頭に鬼兵衛の金棒が突き刺さる。
「それと、一つ、言っておこう」
竜の頭が地面に縫い止められ、武器たる炎すら、吐けなくなった。
「人食い如きが天に昇れるとは思わぬことだな」
鬼兵衛は返事を聞かず、金棒から手を離し、自由になった両手で印を組む。
刀印、内縛印、剣印、
「オン・キリキリ」
刀印、転法輪印、外五鈷印、諸天救勅印、
「オン・キリウン・キャクウン」
外縛印。
「嚢莫三曼多縛日羅多仙多摩訶盧舎耶多蘇婆多羅耶」
鬼兵衛が唱える。
竜は、させるまいと金棒を弾き飛ばし、宙へと舞い上がった。
「ぐぉおおおおおおおおおおおッ!! さぁああせえええるかぁあああああッ!!」
その口に溜まっていく劫火。
しかし――。
「吽多羅多吟満っ!!」
鬼兵衛の方が数秒速い。
「ぬぅ!? ぬおおおおおぉぉおおお!?」
空から地へ。
叩きつけられるように竜は地へと舞い戻る。
「まさか……、不動金縛りだと!?」
「そのまさかだよ。小僧、終わりだ」
そう言って、動けぬ竜に、鬼兵衛は不動明王印を結ぶ。
「最後は貴様の得意な炎で逝くといい」
そして、大呪。
「全方位の一切如来に礼したてまつるッ!!」
よく通る声が、場を清め。
「一切時一切処に残害破障したまえ!」
鬼兵衛の周りを燃え盛る炎が取り囲み。
「最悪大忿怒尊よ、カン。一切障難を滅尽に滅尽したまえっ!」
その炎が青色へと変わり――、
「フーン、残害破障したまえっ、ハーン……、マーンッ!!」
白く、弾けた。
「お……、ぉお……、これが……、貴様の……」
眩い光、不動明王の威光に目を細めた竜へと、鬼兵衛は無慈悲に告げる。
「懺悔の時間は与えない」
白き爆炎が竜へと迫る――!!
「――貴様は地獄で懺悔しろ」
後には何も、残らなかった。
「ふう、任務完了かな」
気が付けば随分と狭くなった白い部屋で、鬼兵衛は呟いた。
そんな彼に、ずっと後方で待機していた精華が駆け寄る。
「お疲れ様」
「……ずっと逃げてなかったのかい?」
戦闘にかまけて気を使ってやれなかった自分にあきれながら、鬼兵衛は聞いた。
「ええ。もしかしたら流れ弾に当たれるかもしれないと思ったからね」
「……そうかい」
更に呆れを増した鬼兵衛に、今度は春彦が話しかける。
「いやはや、竜も鬼兵衛先生の手にかかれば雑魚同然、ってか?」
それに鬼兵衛は苦笑で答えたのだが、何故かそれに精華が食いついた。
「そう言えばそうよ! あれは何かしら?」
「あれ?」
「いきなり口調を変えたりして、厨二病なの?」
「……厨二病が何かは知らないけど。僕だって鬼だからね。昔はやんちゃしたもんさ」
そう言ってにやりと笑う鬼兵衛に、何故か精華は恥ずかしくなって頬を赤らめる。
「そ、そう、って、やんちゃしてた昔ってなによ」
「うーむ、昔だけどとある人の護法童子をやってた頃が一番派手、だったかな。ここ千年くらいは所帯持って落ち付いたけど」
「……え、所帯持ち?」
「うん、所帯持ち」
精華の顎が落ちた。
「え、あ、え、えええええええ!?」
「美人さんだよな?」
そう言ってからかう下詰に、鬼兵衛は照れながら肯いた。
「う、うん」
そんな鬼兵衛に、精華はまくしたてる。
「な、何よそれ! 初耳すぎるわ!! もっと早く――!」
「いや、何で言わないと――」
「何でも!」
その様は痴話喧嘩の如く。
「事件の解決も見れたし、俺は帰るとするぞー? そっちも程々にな?」
結局痴話喧嘩は、呆れた様子で帰って行く春彦が見えなくなっても続いた。
「行くの?」
行事を終えて、閑散とした雰囲気の学校を背景に、鬼兵衛は居た。
その鬼兵衛は、精華の声を聞いて、彼女の元へと振り向く。
「ああ、まあ、そうだね」
悠然と腕を組みながら立つ精華に、鬼兵衛は苦笑を返した。
正直、あまり会いたくはなかった。
きっと――
「貴方は、私を殺してくれるのかしら?」
――決断を迫られるから。
これは鬼兵衛の罪だ。
まだ先のある少女だとたかを括り、判断を先延ばしにするだけの言葉を放った鬼兵衛の罪。
そして、罪は償わなければならない。
「殺さないよ」
しかし。
だがしかし、鬼兵衛は、殺すのが償いだとは思わない。
「無理だよ。生きてる者しか殺せない」
――せいぜい、彼女を生かしてやるのが――、
「そうさ。だから、君が本当に生きれたとき。殺してあげよう」
――僕の償いだ。
「……そう。じゃあ、生きれるまで、死なないでおくわ。貴方に殺されるの――」
彼女は、そこで微笑みを一つ。
「――楽しみに待ってるわ」
鬼兵衛も皮肉気に笑って返す。
「そうかい。じゃあ、楽しみじゃなくなるのを待ってるよ」
今度は、精華は声を上げて笑った。
「ふふっ、そうね。じゃ、さようなら、変な鬼さん」
「と言っても、まだ帰らないんだけどね」
「……」
「……」
「は?」
「いや、実は滞在期間に余裕があるっていうか、全部任務が終わった訳じゃないっていうか」
「釈明は聞いておこうかしら」
「いや、その、あれだよ? 任務は終わったけど仕事が残ってるっていうか……」
「仕事?」
「観光っていうか……、京都を見に行くっていうか……」
「鬼兵衛……!?」
「え、あ、いや、あれなんだよ、やんごとなきお方の頼みごとを受けてるんだよ」
「……」
「あー……、っと精華さん?」
「……」
「……さっきの空気を返せええええええ!!」
「どうやって!?」
「っ……!! はあ……、はぁ……。まあ、いいわ」
「それは良かった」
「で、行くんでしょ? 行ってらっしゃい。でも、帰る前に顔出してくれると嬉しいかもね」
「うーん……」
「なによ」
「いや、実はさ、持って来たこっち用のポケットマネーの方が、随分余ってるんだけどさ」
そこで鬼兵衛は一度切って、にやりと笑う。
「行くかい? 京都観光」
それに精華も、にやりとあくどい笑みを返したのだった。
「当然」
このようにして、現世の平和も鬼兵衛によって守られたのだそうな。
幕間。
「しかし、何で今更竜が人里なんかに……」
鬼兵衛は一人、今回の事件の不可解さについて考える。
「あれは、もともと山の竜、みたいだったけど」
あのいまいち世間知らずな具合は山育ちで外界との接触が少ない様を連想させた。
「しかも、降りてきたのは最近。追い出された……?」
そして、何人も食ったという割に、回復の少ない様はなんだ。
「そもそも、結界そのものがあれの力では作れたものではない……?」
そこで、あの竜の言葉が思い出された。
『ある者の力を借りて降りて来たのよ』
「協力者……。協力者が結果を張って、竜が人を食って得た力を自分に回していたとしたら……?」
結界をよく調べられなかったことが悔やまれる。
と、そこで鬼兵衛は頭を振った。
今回の事件は不可解なことが多すぎる。
世界は地獄と渡りを付けたかったようにしか思えないし、さらなる黒幕も感じられる。
春彦に聞いた限りでは神隠しの被害者は最初の一人を除いて皆帰ってきたようだし、地獄運営から派遣された鬼も無事地獄へ帰った。
一件解決に見える。
「だが、しかし……。いや、まとめて報告してからにしようか。まずは――、京都だね」
そう言って鬼兵衛は駅で待つ精華を迎えに行ったのだった。
―――
長かった。
四日もかかってしまった。
以上、僕の考えた格好いい鬼兵衛でした。
うん、どうしても超展開一発ネタみたいなのがやりたかったんだね。
まさに厨二ですね、わかります。
ともあれ、今回のお話は別のお話しに繋がるようです。
と言ってもシリアスが続くのは嫌なので次はほのぼのしますが。
そして、ぶっちゃけると鬼兵衛は全く推理してない罠。
勝手に事態は進みましたとさ。
ああ、そう言えば、雑記と言うかなんというかを作りました。
生存確認と言うか、個人的なものとか詳しい進行状況とかを載せたいかと。
でも、ぶっちゃけるとメインは番外編倉庫なのですがね。
これからは、古い番外をそちらにおくこととします。
ええ、これ以上番外を置くと本編の記事を上に動かすのが疲れるので。
HOMEか以下アドレスからお願いします。
http://anihuta.hanamizake.com/
では返信。
ミャーファ様
ということで、鬼兵衛のターンでした。
今後もたまに鬼兵衛のターンも書きたいです。
由壱とか、酒呑みとかも。
将星学園になんて通ったら、一年に一回くらいは爆破されてるんじゃないかと。
奇々怪々様
……不倫の予感……?
次回に続く系エンドですな。
あと、精華さん微妙に病んでる気がする。
鬼兵衛の献身的治療で治るのだろうか。
蛇若様
私の小説にたびたび出てくるのが将星学園です。
高校と言えばここ、という感じで。
ぶっちゃけると、主人公で溢れ返った挙句に、混沌としている、常識を持った一般生徒が苦労する学校だったり。
例え高校生が主人公じゃなくても近所に学園があったり。きっと、学園編があったら将星学園に赴任するのでしょうな。薬師が。
通りすがり六世様
私も考えてませんでしたよ、こんなことになるなんて。
でも、悪ノリが止まらなくて……。
気がついたらこのザマです。そして、超理論で片付く事件、な、なんだってー!! です。
何がしたかったって、超展開一発ネタなんです。
光龍様
感想五百番おめでとうございます。
とくに商品は出ないのですが、なんとなくおめでとうな気分です。
そう、神隠し事件の被害者は実はみんな登山に言って足を滑らしただけなんだよっ!!
な、なんだってー。
春都様
例えいかな名探偵でもこの超展開は予測できなかった。
というか鬼兵衛推理してませんよね、ねえ。
でも、まさに鋭い所を付いてこられてひやりとしました。
それなりにヒントは置いておいたのですが、この超展開には誰にも付いてこれまいwwwなんて思ってたのですが。
ヤーサー様
鬼兵衛は全く推理してないのですがね!!
と、言う訳で、その内薬師の方にもパスが回ってくる模様。
そして、精華さんはいつ死ぬのやら、ドキドキわくわく、でありますな。
しばらくは現世でたまに鬼兵衛と絡んだらいいなと思いつつ。
Eddie様
あれです、鬼兵衛は酒呑に次ぐお色気キャラです。
実に、浮気の予感です。
でも、地獄って多重婚みたいな真似が出来たりするような……。
奥さんも登場させたいですね。小の付く人ですが。
あも様
今回は難産だったというか単に長すぎました。
微妙シリアス、なのかな?
コンセプトは一発ネタ、ハードボイルド鬼兵衛、超展開、でした。
特命係長青野鬼兵衛は次回もあるのでしょうか。
ガトー様
初めてですね、薬師もヒロインズも、っていうのは。
もうほとんど番外な気もする……。
のですが、次の事件につながるので番外におくのもなんか違う気も。
ああ、そう言えば閻魔様出ましたよ閻魔様。数行ほど。
絹ごし弐式改様
コメントありがとうございます。
百八人だったら、主人公の比率が余りに高すぎる気がする。
一般生徒が死ねますな。
具体的には週三ぐらいの割合で。
SEVEN様
流石、流石にスライムは……っ!!
スライムを書くには気力体力覚悟意欲実力そして。
速さが足りませぬ。
とりあえず鬼兵衛が厨二でしたが、スライムは出ませんでした。
f_s様
むしろこれから延々、精華に口調が変わる事についてからかわれるのでは。
そして胃がつぶれると。
ああ、でも酒呑が上司な時点でアイアンな胃じゃないと生きてけないでしょうね。
そう言えば、性格変わってクールは見たことあるけど、我輩とか言ったり、老紳士風になるのはあんまり見ないなぁ。
さて、最後に。
これからの不倫に!
ドキドキわくわくアドベンチャー!!