俺と鬼と賽の河原と。
石を積みながらふと思う。
あー、盆だなぁ……。
だがしかし、実は俺が迎えられる側だったことに気付いたのは――
ナスに箸を刺した後だった。
「去年も、やったような……」
其の五十 俺と盆と賽の河原と。
仕事を終え、帰ってきた俺が見たのは――
「ブルータス、お前もか」
胡瓜に箸を刺す藍音の姿だった。
「……なんでしょう?」
何を言ってるんだこいつ、と言ったような雰囲気で藍音が聞く。
俺は素直に、無駄な努力だと教えてやることにした。
「俺達。死んでる」
「あ、……そうでした。今更貴方に帰られては困るので、おいしく頂くことにします」
うん、その方が胡瓜にとっても幸せだろうよ。
そのようにして俺の盆は始まった訳だが。
「お父様。おかえりなさい」
「おお、ただいま」
とりあえず藍音のいた玄関を通り抜け、居間に。
そこにいたのは由美だった。
そして、その由美は、俺の想像に反して、謎の心意気を見せていた。
「私、今日頑張りますから!!」
「は……、はあ」
思わず、返事が鈍くなってしまう。
はたして何を頑張るというのか。
だがしかし、頑張るって、何を? なんて聞いてしまえばせっかくやる気になっている由美の勢いをそぐことになりかねん。
何か重大決心をして前進しようとしたところに水を差すなど親としてやってはいけないことだ、と俺は適当に話を合わせることにした。
「まあ、頑張ってくれ。期待してる」
と、まあ。
俺は、こう言ってしまったのだ。
最初は、小さな疑念。
あの時は、まさかこんなことになろうとは思わなかったのだ。
さて、頑張る由美の猛攻がどこから始まったのか、と言うと。
それは按摩からである。
「どう、でしょう……?」
由美が精いっぱいに俺の背を指で押す姿はどうにも愛嬌があるのだが、正直に言うと物足りない。
と言うか痒い。
天狗になった時点で基本耐久力が上がったのに加え、少女の握力では限界がある。
よっていっそ痒い。
しかし、正直に言えるわけがない。
実際、してくれる心意気は嬉しいのだ。
だが、痒い。
嬉しい、嬉しいが痒いのだ。
はたして俺はいつまで耐えられるのだろうか。
うっかりかゆ、うま、と言い残して死んでしまわぬだろうか。
「じゃあ、次は腰の方……」
無理か。
……お粥……、美味いです……。
第一陣按摩地獄を通り抜けた次の試練は、……。
どうやら、
どうやら由美が夕飯を作ってくれるらしい。
ただし――
「由美よ。何故服を着ていない」
裸に前掛けで。
状況の不透明さに眩暈がする。
「え? あ……、でも、これが作法だって」
作法、何の作法なんだい君。
台所は神聖な場所だから、前掛け以外を着て入ってはいけないなんて風習、あったか?
いや、ない。
思わず反語表現、と言うのを使ってしまうくらいない。
とりあえず俺は、何も見なかったことにして居間で一人、夕飯を待つことにした。
「裸エプロン……、先を越されてしまいましたね」
「うおっと、藍音か」
一人居間の椅子に座ってぼんやりする俺の背後、ぬっ、と言った感じの動きで出てきたのは藍音であった。
そしてその藍音は自分の服の首元に手を掛け――
「……ですが、今からでも遅くはないはずです」
徐に服を脱ぎ始め――
「って、脱がんでいい」
「……っ、着エロの方が好きと……」
「エロなしが好み」
「……純愛ですか。プラトニックラブ……、貴方が望むなら」
どうしたんだこいつは。
余りの由美のおかしさに、さらなる疑念を覚えたのがこの時。
次の問題は、食事中である。
俺の右手は空。
そう、目前に豪華な食事があるにもかかわらず俺の右手には箸が装備されていないのだ。
これは……、インド式……だと?
嘘をつかない人たちのようにこの熱々できたてねっちょねちょの麻婆豆腐を食えというか。
よし、やってやる、やってやるさ。
やってやるぜ!!
――無理だろ。
二秒で冷静になりました。
インドの人たちでも普通にレンゲやスプーンを使うだろ。
麻婆豆腐を手で食う国がこの世のどこにあるだろうか。
いや、ない。
多分。
と、言う事はこれは謎かけか?
ここはかの有名な慌てない一休さんのようなとんちを効かせて一本取ったら素直に食わしてくれるのか。
箸……、箸……。
いや、レンゲか……、それとも食事の内容に何か秘密が……。
麻婆……、神父。
と、このように頭を悩ませていると、不意に俺の耳に声が届いた。
「お父様。お父様?」
「え、あ。おう」
「は、はい、あーん」
おお、なんということだろう。
あろうことか由美がこちらにれんげを突き出してきているではないか。
しかもあーん、あーんとは!
と、妙に激しく反応してみたが、どういうことだ……。
まったく読めない。
突きだされた麻婆に食いつきながらも考える。
今までされたこと……。
按摩……、料理、そして料理を食べさせる……。
これらに共通するのは……、いや、まだわからない。
もう少し様子を見ることとしよう。
「どうですか?」
「ん、美味いぞ?」
ああ、由壱、お前はどこに行ってしまったんだ。
兄さんには、明日が見えないよ。
と、俺は由美の手によって疑念を抱えたまま食事を済ませたのであった。
そして、全ての疑念が確信に変わったのは、風呂での出来事だった。
俺がいつも通りに風呂につかっていると、そこに現れたのは、やはり由美である。
「その……、あの……、お背中流します!!」
まさかの乱入に面食らったが、このくらいの年なら父親と一緒に風呂に入ることもあるのかもしれない。
そう思って、俺は大人しく背中を流されることにした。
「わ……、すごい」
「なにが?」
思わず聞き返す。
「背中、おっきくて……」
「まあ、野郎の背中だしな」
「それに……」
つつ、と由美の細い指が俺の背を滑る。
「古い傷がたくさん……」
「あー……、まあな。気持ち悪けりゃ気にしなくていいぞ?」
言うと、由美は勢いよく首を横に振った。
「いえ! あの……、素敵です」
「へ……?」
「だって、この一つ一つにお父様の歴史があるんですよね?」
由美の指が、俺の背を滑って行く。
色々な意味でこそばゆい。
そして、不意に由美の腕が前に回されて。
気が付けば俺はぎゅっと抱きしめられていた。
「どうした」
背中越しの俺の声に、ぽつり、と由美は返した。
「いやな……、夢をみました」
それから、由美はぽつりぽつりと夢の内容を明らかにする。
要するに、俺がいなくなる話だという。
朝起きたら、俺がどこにもいない。
そして、由壱も藍音も出て行ってしまう。
その中で由美は一人暮らし続ける。
「安心しろっての、俺はどこにも――。いや、やっぱどこか行くかもな」
行かない、そう言おうとして止めた。
そんな安い言葉で人の不安を拭えるほど俺は口に自信がない。
俺の言葉に、由美の腕に籠る力が、増す。
「まだ、色々とやりたいこともあるからな。その時は黙って応援してくれるんだろ?」
俺はいつも通りの軽い口調で言った。
さて、どう返ってくるか。
その言葉にどう返そうか、と悩んでいた俺だったが。
返ってきた言葉は、俺が思ってたよりもずっと早く。
俺の望んだ答えであった。
「いか、ないでください……」
俺の背に感じる雫は、きっと風呂場のお湯ではない。
由美が我がままを言っている。
それが、素直に嬉しかった。
どうやら、思っていたより俺と由美は問題が、なかったらしい。
「いか……、ないで……!! お願いだから……! 一緒に、いてっ……」
自然に、苦笑に似た笑みが零れた。
そして、今度はいつもよりも棒読みに。
安心させるように呟いた。
「そうかぁ。由美がそう言うなら仕方がない」
「え?」
「由美が我侭言うから俺はここを動くのを諦めるよ」
家族になってからも、由美は我侭を言おうとはしない。
見捨てられないよう、ひたすら相手に合わせる。
そのようにして生きているのだ。
だがしかし、それはどこまでいっても相手任せの生き方である。
「由美がどっか行けって言うまではどこにもいかない。ってことだな」
それではいけない。
自分から繋ぎとめる努力がなくては、人は離れる生き物なのだ。
しかし、それにしても。
出会った頃の由美だったなら、きっとここで応援する、と言ったことだろう。
いやはや、成長したものだ。
「ひっく……、あ…、ああぁ……」
結局、安心して泣き出した由美が落ち着くまで、のぼせるような時間が掛かってしまったが。
「どうですか?」
「んー、丁度いいけど」
手拭が、俺の背を擦って行く。
しかし、腹が痛い。
実を言うと、由美に全力でさば折りにされていたわけである。
本人は抱きついているつもりでも、鬼の腕力では全力で折りに来ているとしか。
やせ我慢で耐え抜いてみたものの、やはり痛いものである。
普段の腕力は少女並、というか本人に自覚がないのが問題だ。
そこは自覚の違いというかなんというか。
まあ、そのあたりは少しずつ制御できるようになってもらいたいが。
「そう言えば、今日のあれは、夢見が悪かったからなのか?」
あの妙な波状攻撃は何故始まったのか。
問うと、由美は違う、と言う。
どういうことだろうか。
夢が原因じゃないとしたらなんだ?
俺は今日の出来事を思い浮かべた。
按摩される……、料理を作ってもらう。
料理を食べさせられる……、風呂場で背中を流される……。
これに共通すること。
そこで一つ閃いた。
世話、だ。
世話をされている。
この言葉が呼び水となり、すべてはっきりした。
俺は、たった一つの答えをはじき出したのだ。
介護。
――俺、介護されてる……!?
まだ若いと思っていたのに……、介護。
年寄り扱い、だと……?
由美が意味もなくそんなことをするとは思えん。
と言う事は、自分では気付かなかったが俺も年だった、と言うことか……?
天狗だから、などと調子に乗っていたが、大丈夫だと思っていたのは自分だけで、周りから見れば危なっかしい元気な老人だったと。
いや、待て。
待つんだ。
大丈夫、まだ大丈夫だ。
そう、それはあれだ。
別にまだ年なんじゃなくて、これから俺が介護されなければならなくなったときの為の予行演習なんだ。
そうだそうに違いない。
俺はまだ年じゃない。
実年齢千……歳だけど。
そうだ。
年じゃないので由美には俺は要介護者にはならない、と教えてやらなければなるまい。
「いやーあれだぞー? 俺もう霊だし天狗だし。介護はこの先必要ないぞー?」
「違いますっ!!」
すごい剣幕で怒られてしまった。
「まったく……、お父様ったら何を勘違いしてるんでしょうか……」
「いや、だってなぁ?」
「だっても明後日もありません! お父様は本当に女性の気持ちに鈍いんですから……」
返す言葉もない。
と、由美とそんな問答を繰り広げる俺は。
いや、俺の頭は、由美の膝の上に乗っていたりする。
耳に棒を突っ込まれながら。
いや、別に拷問をされているわけではない。
所謂一つの耳掃除、である。
「で、結局。なんでなんだ?」
「あ、動かないでください。うーんと、藍音さんにお盆について聞いたら、死んだ大切な人を敬う日だって」
なるほど間違ってはいない。
子供でも分かる簡単な説明だ。
だが、場所が悪かった。
それだと、地獄では大切な人に親切なことをする日、になってしまう。
のだが。
「じゃあ、俺もお前さんにお返しをしなきゃいけないんだな」
「へっ?」
それもそれでいいやもしれん。
今日と言う日も平和である。
―――
鬼っ娘三連発。
一人猫が混ざってますが。
定期的に鬼っ娘補給しないとだめですね。
寝つきが悪いです。
……思ってみれば、五十話ですね。
随分と長くなりました。
ここいらで、人気投票みたいな特別企画とかやってみたいけど特に案がないし、もう、感想三百八十番の方にリクエストみたいな真似しかできない気も。
ただ、荒れたりする原因にもなるので迂闊な真似はできませんし。
と言うわけで特にやることありません。
あ、でも感想の最後に好きなキャラを書いてくれると参考にするかもしれません。
ただし、結局私の采配一つなので、確実に反映するかは五分ですので、話し半分、感想書いたついでに、とでもお願いします。
では返信。
ヤーサー様
いやはや、今回は会心の李知さんでした。
そりゃ私だって飼いたいですよ。ふさふさの耳をもさもさしたいです。
んー、確かに閻魔メイドとかありましたし美沙希ちゃんがその役回りになりそうなものですが。
やはりクールビューティにどうしても桃色ワンピースを着せたくて……。
奇々怪々様
どうにも、李知さんはこれから先も残念な目にあうようです。
ふふふ、イフルートですか……、残念ながらそれは……、っ!?
くそ、鎮まれ俺の右手ッ……、猫耳を書こうとするんじゃない!
と言う訳で暴走する可能性は高いかと。
SY様
今回の件には黒幕が……。
なんとGJな黒幕なのでしょう。
そしてあの天狗のことだから、ボイスレコーダーとカメラを実は容赦なく発動していたに違いない……。
いや、薬師がレコーダー、玲衣子がカメラか……。
李知さん未曾有の危機である。
春都様
燃え尽きました。
真っ白に。
しかし、私にはまだ燃やすものが残っている。
私の萌の炎を消すことは誰にも出来ないっぽいです。
黒茶色様
大分ずり下がったパンツ、それに気付かない李知さん……。
きっちりしてるくせにここぞで詰めが甘いのが李知さんクオリティ。
ガチムチスライムが生まれてしまったらもう、厨二に加えて破壊力が上がり過ぎかと。
モニタの前に死者が転がる。これがサイバーテロである。
SEVEN様
無意識で相手の弱点を無慈悲に貫く薬師の鷹の目が私にも欲しい。
無自覚だから更に手に負えない。
最低で鬼の鬼畜である。
よし、では私は山にこもって天狗になることにします。
通りすがり六世様
値段では測れない価値がある――。
中学二年生の思い出。
猫に対する悪戯と言えばあれでしょう。
またたび。きっと泥酔状態かえろえろな李知さんが……。
ねこ様
そう、猫なのです。
なんてったって猫なのです。
毛糸とかを見ると手を出してしまうのです。
そして絡まってしまう事でしょう。
Eddie様
猫に接近したらもふもふするのは義務である。
故に李知さんはもふもふされねばならず、薬師はもふもふしなければならない。
そして猫李知さん育成ゲームとか考え付いた私は負け組でしょう。
いや、ある種勝ったのかもしれない。
最後に。
薬師の鬼畜大魔王っぷりにはあきれを通り越して尊敬の念さえ覚える。