俺と鬼と賽の河原と。
「一つ積んでは由美のため」
「二つ積んでは由美のため」
「三つ積んでは――」
「あの……、お父様、重いです」
由美の額には、濡れた手拭が何重にも乗っかっていた。
其の三十五 俺と家族と娘と風邪と。
由美が、風邪をひいた。
「ご、ごめんなさい……」
残念ながら、霊体になって尚、人類は風邪から逃れられないらしい。
「気にすんなっての。ほらほら、ゆっくり寝てろ」
実質、地獄において病が流行することは、殆ど無い。
そも、病原菌の絶対数が、圧倒的に少ないからだ。
何故、と問われれば、病原菌が死んで、地獄に来た時、それは病原菌などよりも、別の前世の姿を取るのだ。
当然である、特別な思いがあれば、死した時に前世の魂が表面化する、という話があるが、死んだときの魂が何かを考えることもない程の単細胞生物などであれば、至極簡単に、その精神は奥底へと追いやられるわけだ。
だが、しかし。
いないわけでもない。
まあ、本来なら全く問題ないほどの量なのだが、今回は時期が悪かった。
人から餓鬼となり、そして、その治療中。
まだなりたてとも言える由美の体は、免疫が落ちているのだ。
故に、運悪く感染してしまった、と。
「一応体温計で熱測っとけ」
ベッドの上に横たわる由美に、体温計を渡す。
上気した頬と、荒い息が痛ましい。
そんな俺は、ベッドの横に座りこむようにして、体温計がなるのを待つ。
由壱は仕事に出向き、只管に部屋は静かだった。
そんな中、空気を読まない体温計の音が鳴り響く。
由美が脇から取り出したそれを、俺は受け取り、言った。
「三十八度二分、辛いだろ? 今日はゆっくり休め」
そう言った俺に、由美は申し訳なさそうにする。
「ごめんなさい……、私がしっかりしてないから……」
二度目の謝罪。
それを俺は首を横に振って否定した。
「だからいいっつの。俺としちゃ、完璧超人であってくれる方が困るね。俺の存在意義がない」
いじれないしな。
熱気を放つ額に俺は優しく触れ、言う。
「ともかく、治すことに専念だ。今日くらいなら、べったり甘えてくれても歓迎するぞ?」
「あ……、はい」
「いい子だ。さて、と。でこに貼る類の物でも買ってくるか――」
正直に言って、風邪を引くことなど通常ではありえないため、風邪対策の物はほとんどないと言っていい。
額に貼るようなのが売ってるとしたら、下詰神聖店くらいか。
そう思って立ち上がったら、着流しの裾を、掴まれていた。
「あ……」
それに今気づいたかのように、ぱ、と由美が指を拡げた。
俺は思わず、苦笑いする。
「言ったよな? 今日はべったり甘えてくれても歓迎する、って」
俺の言葉に、由美の手が、宙を泳ぐ。
「だが、言ってくれなきゃわからん」
すると、今度は口を開いて、何か言おうとして、閉じる。
「甘えるってのは、そうだな、自分が甘えに行くってことだろ? だから、まあ、要求がないなら、俺は行ってしまうが――」
それでも、口を真一文字に引き締める由美を見て、俺は溜息一つ吐くと、どかり、とベッドの隣に胡坐をかいた。
意外そうに見てくる由美に、俺は苦笑いを見せる。
「言ってくれなきゃわからん事もあるが、言わなくてもわかること、ってのもあるんだよ」
すると、やはり申し訳なさそうな顔。
「ごめ、んなさい……」
「だから、謝らなくていいっつの。誰も迷惑なんて思ってねーよ、いっそこっちが悪いことしてる気分になる」
と、その時、俺の頭に少々閃いた。
「そうだな、次謝ったら、罰ゲームな」
「えっ?」
驚いた表情の由美に、俺はいたずらっぽく笑いかけた。
「おっと、無理すんな」
すると、すぐはっとしたような表情になって、
「あ、ごめ……」
謝りそうになって、言葉を飲み込む。
「おっと、危ないぞ? 大丈夫か? 罰ゲームになったらあれやこれやするからな、覚悟しろよ?」
笑って言う俺に対し、由美はその光景を想像したのか、ただでさえ赤い顔を更に赤くする。
「おいおい、無理すんなよ?」
俺はもう一度、その玉のような汗の浮かぶ額に優しく触れて、言った。
「とっとと寝ちまえ。寝付くまではずっとここにいるから」
由美はこくんと、肯き。
ほどなくして、眠りに落ちた。
「さて、まずは……、桶と手拭だな」
そう一人呟いて、風呂場から桶を取り、水を入れる。
その中に、手拭を放り込み、絞る。
そして、由美の許まで歩いて行き、額に乗せる。
「さて、と。次は、昼飯か……、粥だな」
昼まではしばらくある。
俺は、苦しそうな由美の手を握り、目を閉じた。
「さて、丁度いいか?」
鍋の中で煮られる白い粒を、少々掬って、口に含む
「おっし、いけるな」
中身を容器に入れる。
これで粥が完成。
台所から出て、由美の元へ。
すると、はっとしたように跳び起きて、不安げに辺りを見回す由美を俺は目撃する。
「俺はここだっての。どこにもいかねーよ」
俺は苦笑一つ。
すると、俺を見つけた由美は、すぐに満面の笑みを見せ。
「やけに嬉しそうだな」
俺の言葉に、それをすぐに引っ込めた。
俺はにやりと笑う。
「もう笑うのやめるのか? 折角可愛いかったのに?」
ぼんっ、という擬音がしてもおかしくない程に顔を赤くする由美。
照れてる照れてる。
そんな由美に、俺は今度は普通に笑いかけ、粥の入ったお椀かられんげで一口分を掬い、息を吹きかけ冷ます。
「ほら、口ぃ、開けろ」
「え? あ……、はい」
戸惑いながらも口を開いた由美の元に、れんげを運ぶ。
「美味いか?」
聞くと、由美は肯き、その後、おずおずと告げた。
「あの、自分で……、食べれます」
「そうかぁ、そうだなあ。由美も自分で食べれるなぁ」
「はい、だから……」
「だが断る」
俺の言葉に、目を丸くする由美。
「言ったよな? 甘えてもいいって。だから甘えとけ。ほれほれ、第二波行くぞ?」
「うぅ……」
そのように、俺は再び由美の口に、粥を運んで行く。
それ以上、由美は抵抗しなかった。
ただ、恥ずかしそうにしながらも、俺の行為を受け入れる由美と、無心に由美の口に粥を運ぶ俺。
由美の粥を咀嚼する音だけが、部屋に響いていた。
そして、由美の食事も終わり、俺は額に乗せていた手拭がもうその役目を果たせていないことに気付く。
手拭を拾って、桶の中に入れてみるが、桶の中の水も既に温く。
「面倒くせえな。しゃーねー、やるか」
由美が表情に疑問を浮かべる中、俺は迷いなく気流を操った。
冷たい空気が駆け抜け、冷えた手拭が出来上がる。
「いま、何を……?」
「冷気を集めただけだな」
主に冷蔵庫やらの空気を適当に吹かせただけだ。
扇風機要らずである。
「ほれ」
言いながら、俺は由美の額に手拭を張り付ける。
「さて……。夕飯の材料がねーなー。……買ってくるか」
独りごちて、立ち上がる。
今回は、裾を掴まれることはなく。
俺はちらと由美を見る。
その瞳が、何かを語っていた。
だが。
「あの……、お父様」
その思いは、ちゃんと口から紡がれた。
「行かないで……、ください」
俺は思わず、口の端が吊り上るのを止められなかった。
「よくできました」
「うーむ……、ちょっとお邪魔するぞ?」
「え? あ、あの?」
俺は、普通に由美の眠るベッドに入り込んだ。
「む、暑苦しいなら退散するが。暇なんで、俺も寝かしてくれると助かる?」
「いえ、あの、その、……嬉しいです」
「そいつは重畳」
そして、ベッドに入ってしばらく。
不意に由美が言った。
「あの……」
「なんだ?」
由美は、申し訳なさそうに言う。
「今日は、仕事まで休ませて……、ごめんなさい」
その言葉に、俺は――。
「お前さん、罰ゲーム」
今、禁句を言った事に気づいたらしく、由美は口を丸くして驚きを表現する。
「あ……」
そんな彼女に、俺は苦笑一つ、そして言う。
「お前さんな、ごめんなさいじゃなくて他にも色々言う事があるだろうに」
すると、彼女は首を傾げた。
仕方がないので、俺は答えを言ってやることにする。
「こういうときは、ありがとう、でいいんだよ」
罰ゲーム、覚悟しろよ? と最後に付け足して、俺は締めくくった。
「はい……、ありがとうございます……!」
ただ、その言葉に満足したように頷いて、俺は眠りについた。
今日も、俺の周囲はいつもと変わらない平和の様相を呈している。
「ただいまー!! 夕飯の材料も買ってきたよー!!」
返事はない。
「あれ? 寝てる……。仲いいな、兄さんと由美は」
兄は、風邪がうつったら、どうするつもりなのだろう。
そんなことを考えながら、少女の兄は、微笑ましい気分で由美の部屋を後にした。
――
其の三十五です。
今回は、由美でした。
次は――、誰にしよう。
そして最近、調子がいい気がする。
速度につながらないのが困りものですが。
では返信。
シヴァやん様
誤字報告どうもです。
何故か前さんと李知さんを間違える癖があるようで……。名前の感覚が似てるのか、さん付けが悪いのか。
ともあれ、実に、猫が鬼になった際に、前世に人間が混ざっていた場合、猫耳っ娘が誕生する可能性も……。
ちなみに、猫らしくないという行為とは、人に忠誠を抱く、などでしょうね。そして鬼に、そして猫耳が誕生! となる訳です。
春都様
感想ありがとうございます。
スケールが壮大でも、一応ほのぼのラブコメですからね。
どこまで行っても薬師の日常、が基本であります。
これからも精進していきますので、お付き合いください。
奇々怪々様
人妻フラグなんですが――、参ったことにネタがふと思いついてしまって持て余す状況に。
どうしよう……、ただ、これ以上予定にない人を増やすと修正がががががが。
猫耳李知さんは、今後登場する可能性は……、大…?
それと、薬師は色々なところが鈍いんです、きっと。
ねこ様
私も猫の飼える家に住みたいです。
昔は居たのですが、今は借り家暮らしでして。
というのは置いておいて、猫フラグは、あるかもしれないです。あってももっと後になるでしょうが。
そして、猫に膝を占領されるとは羨ましいっ、ちょっと猫探してきます。
悠真様
もしも、薬師と閻魔が結婚したら、妹と薬師でいじり倒され。
もしも、李知さんと薬師が結婚したら、薬師と母でいじり倒され。
結局、ハイパーいじられタイムが発動するいじられサイド。
でも、結局妹も薬師にいじられるんですよね、ぶっちゃけ。
jannqu様
感想どうもです。
望まぬ選択肢しかないならば、新たに作り出すんだ!
「残業する」という。と、まあ、それはいいとして。
シュレディンガー。まあぶっちゃけるとなんにせよ猫に付ける名前ではないですね、はい。
それでは、これからも気合入れて頑張っていきますので、受験準備頑張ってください。
最後に。
薬師って……、何気にヒロインポジだよね。