俺と鬼と賽の河原と。
其の二十一 俺とお前とこの地獄と。
一つ、澱穢汚泥
『各地で、強盗、テロ活動が相次いでおります。皆さんは早急に避難してください』
危機の、レベルが上がった。
先ほどまで家で待機だったのに、今では避難命令。
「こりゃ、何が起こってるんだ…?」
鬼の側なら何か分かっているかもしれない、と先ほどから携帯で電話している前さんを見る。
すると、丁度電話を終えたようで、電話から耳を離し、前さんがこちらを見上げた。
「あたしにも、出頭来てる」
「そうか……、そこまで来ると、深刻だな」
非番の鬼にまで申告が来るとなると、これはいよいよもってだ。
「うん、上もあんまり状況が掴めてないみたい。推測は飛び交ってるみたいだけど」
確かにそうだ。
集団催眠にでもかかったかのごとき怒涛の強盗テロ。
「有力なのは、供養の急落か?」
聞くと、前さんは肯いた。
これは面倒かも知れん。
供養というのは本来、四丁目の霊を鎮めるもの。
それがなくなると、精神バランスに異常をきたす場合がある。
転生待ちはただでさえ不安定だってのに、供養を何者かがストップしたら、最悪怨念が暴走する可能性だってある。
「そうとなると、強盗やらですんでりゃマシってことになっちまう」
怨念が暴走すれば。
街一つ吹き飛ばすくらい造作もないであろう。
「ふむ……、じゃ、ここでお開き、か」
そう言うと、前さんが俺を引きとめた。
「危ないよ!? あたしが避難所まで――」
だが、心配そうな前さんに俺は首を振り、笑って見せる。
「一刻を争う、ってんだろ? 聞こえてたからな、さっきの電話」
流石に全部は聞き取れなかったが、事は一刻を争うと叫んだ声は聞こえていた。
それに、前さんは心配そうな表情でこちらを見ていたが、やがて肯く。
「わかった。薬師も、すぐ避難してね」
「あーあー、わかってる」
「危なくなったらすぐ助けを呼ぶんだよ?」
「わかってる。そう簡単にはやられん」
「心配だなぁ…」
とはいってもこれ以上の問答は無駄だ。
前さんは気をつけてとだけ残すと、駆けだしていく。
その後ろ姿を見送り、考える。
さて――、俺は、どうしようか。
「そもそも俺って事件の全容さっぱりだしな。だがかといって手伝わないには何となく、規模が大きいし」
そも、目的もはっきりしてないからな。
今回は明らかに作為的。
だったら、相次ぐテロリスト、長いからテストでいいか、を全部捕まえて終わり、という訳にも、行くまい。
黒幕を探して潰すのが最も必要なことだろう。
が。
個人でそれができれば苦労しないわけで。
「あー……、逃げ遅れの救助でもするか…」
そう思って、俺は歩きだした。
二つ、捏弩曾途霊菅笑
などと、軽く考えていたのが間違いだった。
「おらぁっ!!! そっち行ったぞ!!」
「待てこらぁッ!!」
「息の根止めてしまえぇええ!!」
「何で休日俺は銃撃戦の真っただ中を駆け抜けてるんだろうなっ!!」
ひたすら俺は戦場と化した街を駆け抜けた。
銃弾はまだ当たってはいない。
相手が素人なのが幸いした、動きを止めなければとりあえず当たらない。
敵も、短機関銃などは流石に持ってきてないようだしな。
どうせ連中が撃ってるのなんざ『土曜の夜の馬鹿騒ぎ』みたいな粗悪品だろう。
「って、うおっ!」
鼻先を掠めた弾丸が、すぐ横のショーウィンドウをたたき割る。
「っつ、ちょいと掠めたぞおいっ!」
細かい破片が俺にも降りかかっていたが、無視。
「どうする…? 反撃っつったって一般人。銃ならそこかしこにばら撒かれてるんだが――? なんか、お相手の数が奥に進むにつれ、増えてないか?」
聞いてみたが、俺一人だったことに気付く。
「うわ、恥ずかし」
とりあえず大人の面目を保つため、無表情で考える。
確か、さっきまでいたのが四丁目中心部。
で、しばらく東に行って、そこからさらに東に三十分ってとこで戦闘に巻き込まれ、奥に進むごとに敵が増えている、と。
なんとなく、閃いた。
この奥に、淀んだ念の電波塔がある。
「どーせ、そんな展開なんだろう!?」
そも、供養の念を遮断しただけならこんな性急に事は起きないだろうし、更にはこんな風にむらができることなく、まんべんなく犯罪者が溢れ返るはず。
なのにむらがあるという事は、答えは簡単。
淀んだ念を発信する物がある。
それを破壊したならば、ある程度霊の凶暴化を抑えられるんじゃないか?
「それに、退路もないしな!!」
気づくのが遅すぎたせいでもう引き返すとか言っている場合ではなくなってしまった。
少なくとも、このまま突っ切って大周りに逃げるしかないだろう。
だったら、途中見つけたらそいつを壊してやろうじゃないか。
俺はそう決めて、走りながら道路にばら撒かれていた銃を掴みあげる。
リボルバーやら色々あったが、オートマチックにした。
ぶっちゃけると初心者はリボルバーの方がいいのだろうが、リボルバーの弾込めは、初心者には時間がかかりすぎる。
ってことで、適当に同じ型のものからカートリッジを抜いてポケットに捻じ込み、俺は再び闘争劇を開始した。
程なくして、その電波塔は見つかった。
もともと、淀んだ風を感じていたから探すのに手間取らなかったのだろう。
東側ギリギリの道路に、それはあった。
「なるほど、石積み、ね」
道路のど真ん中に、ただ憮然と石が積み上げられ塔をなしている。
石積みとは、本来塔を立てて供養とする行為。
そして、供養の念が澱んでしまうために五分の制限を付け、鬼が倒しに来るのだ。
それを、巨大に積み上げて放置しておけば、それはいとも簡単に、瘴気をまき散らしてしまう。
「うーむ、銃なんていらなかった、か?」
言いながら、人の身長ほどまで積み上げられた石を蹴り崩す。
よし、これで変な空気の淀みは無くなった。
だが、これで終わりという訳にも、行かなくなったらしい。
ここの瘴気が薄まったおかげで、俺は逆に別の淀みを遠くに感じることができた。
「ううむ……、三つくらいあんのか。しかも基本に忠実、北西南」
思うに、四方に作って障壁でも作っているのだろう。
瘴気の壁を作る事で、外界から入って来る供養の念を淀ませることができる、と。
だが、問題としては流石に三つの方角にある塔を全て壊しに行くのは、時間がかかる。
そう考えて俺は携帯電話を取り出した。
三度のコールで、相手が出る。
『薬師か? なんだ、今忙しいんだが――』
「李知、この事件の現場指揮官は誰だ?」
『閻魔様が直接取っておられるが?』
「あー、閻魔の電話番号か連絡先は?」
『なんだ? 何かあった……、って――。ガサッ――、もしもし、閻魔です、電話代わりましたが何かお話しが?』
「おっと、いきなり代わられるとびっくりするな、というのは置いといて本題だが、四方に瘴気まき散らしてる塔ができてるのは知ってるか?」
もしかしたらこちらよりも先に知っているかと思ったが、返ってきた声は冴えない。
『いえ……、こちらはテロや強盗の鎮静化で手一杯でして。ですが有るのはわかった以上サーチして人を向かわせます』
「お願いする、ちなみに東はもう壊したから他を頼む」
『っ? 避難してないのですか?』
おお?
なんか避難というか批難されている。
「いや、あれだ、避難の途中だったんだよ」
『避難所とは程遠いと思われますが、東は』
「いやいや逃げ惑ってるうちにここまで来ちゃったんだよ」
嘘半分だが、本当も半分だからな。
すると、電話の向こうで溜息を吐かれた。
呆れられたらしい。
『…まあいいです。早く避難を』
「へい、へい。所でお前さんらはどの辺にいる?」
『中央区の3番地ですが?』
「ぐ、いや」
『どうしました?』
「いや、大したことじゃない。とっとと逃げさせてもらおう。こっちにもそろそろ銃もったおっさん達が集まってきてるんでね」
『っ!? 大丈夫なんですか?』
「ま、大丈夫だろ。さっき突っ切って来たんだ。塔を壊したならさっきより攻撃性なくなってるんじゃねーの?」
『やっぱり、避難してなかったんじゃないですか』
「うわー、敵がー」
急いで俺は携帯を切る。
「さて、このまま帰るってのも芸がない。それに何より――」
それを懐にしまうと、俺は走りだした。
「逃げ遅れた子がいるようだしな!」
そこに居たのは、鳶色の髪の少女だった。
高校生くらいの外見の彼女は、地べたに座り込み、そして、そこに覆いかぶさるように男が――。
「伏せてろそこの御嬢さんっ!!」
俺は、その男の首根っこを引っ掴むと、背負い投げの要領で地面に頭から叩きつけた。
よし、白目剥いちゃいるが手加減したし大丈夫だろう。
それよりもこの少女だ。
「そこなお嬢さん、立てるかい?」
そう言って手を差し出すと、弱弱しくも、少女は俺の手を掴んで立ち上がってくれた。
「あ、ありがと」
そう言って、こちらを不安そうに見る彼女に、俺は安心させるように言った。
「俺は三丁目の住人だよ」
「え?」
「だから、四丁目の人間見たいにゃなってない。っつか、早く逃げるぞ。無事な住人はもう皆避難所だ」
「う、うん」
「それと、お前さん、名前は?」
「里見…。古川里見」
「俺は如意ヶ嶽薬師。薬師でいい。さて、行くか」
少女の手を引きながら俺はまた走りだした。
あー、今日は走ってばかりだな。
ともあれ、どこに行こうか。
俺一人なら強行突破なんだが、的が増えた分直撃の可能性がウナギ登りと来た。
かといって、どこか建物に入るわけにも行かない。
外には人は少ないが、建物内部では立てこもりが頻発しているのだ。
巻き込まれる可能性のがよっぽど高い。
となると、まだ外の方が安全だ。五十歩百歩だが。
「せめて――、屋上とか安全に高度の高い場所に行ければいいんだが……」
高い所に行ければ秘策で一気に楽に行けるのだが、低い場所では銃撃のせいで危なくて出来やしない。
それに、ここから避難所まではかなりある。
むしろ、ここからなら中央区の指揮現場の方が近いか?
「里見、中央区の三番地に行く!」
「わかった!」
後からは、数人の銃をもった男達。
少女の手を引いて逃げる俺。
ここはいつから細菌兵器が蔓延して腐った死体の蔓延る街みたいになったんだ?
まあいい。
俺は、只管に広い道路を駆け抜けた。
が。
「っ、これは不味いだろう!?」
あれから三十分ものレースを続け、あいつら、無差別に撃ってきやがった。
俺は全力疾走する里見の後に付き、銃撃をガード。
「っつ、ぐ」
二発ほど脇腹を抉って行った。
漏れ出す血を空いてる手で押さえつつ、走る。
「だー、くそ、急いで少ない場所行くぞ!」
驚く里見の手を引っ張って、半分抱えるように俺は走りだす。
里見の息も荒かった。
三十分全力疾走マラソンなのだから、よくもっている方とすら言える。
とりあえず隠れなければ。
俺は里見を本当に抱えあげると、大きく道を曲がり、さらにもう一度狭い路地に飛び込んだ。
遅れて、男達がひとつ前の路地を走ってくる。
「どこ行った?」
「まあいいや、放っておけ。それより、今なら泥棒し放題だぜ?」
「そうだな」
そう言って、追ってきていた奴らが道路を通り過ぎて行く。
それを確認して、俺は安堵し、壁に背を預けながら腰をおろした。
それに続いて里見も腰を下ろす。
「ふう……、それにしても、厄日だな」
「そう……、ね…。私もそうおも――っ!!」
俺の言葉に同意しようとこちらを向いた里見が、俺の脇腹に気付いてしまった。
「だ、大丈夫?! 痛くないの!?」
俺は、慌てた様子の里見に苦笑いして見せる。
「大丈夫大丈夫。こんくらいならすぐ治る。それより、大声はやめた方が」
俺の言葉にはっとなって里見が謝罪した。
「あ、ごめんなさい」
「いい。それより、休憩十分、ってとこだ。きついだろうが、耐えてくれ」
「う、うん」
そう言って、肯いた彼女が、震えていることに俺は気付く。
俺は、なんとなく安心させようと、彼女の頭を撫でる。
彼女は、抵抗も肯定もしなかった。
ただ、頭に伝わる感触に、現実を確認し続けていた。
「いい子だ。ゆっくり休め」
それだけ言って、俺はもう何も言わない。
沈黙だけが二人を包んでいた。
三つ、超特急風之如
『こちらチームジュリエット。北塔を破壊しました!』
『こちらチームデルタ、南塔を破壊!』
中央区の広場に、即席で作った司令部の中。
耳につけたインカムから聞こえてくる情報に、私こと、閻魔は次の指示を飛ばす。
「チームブラボー。状況は?」
『こちらチームブラボー。周辺住民の抵抗激しく、難航しております』
「わかりました。増援を送ります」
『了解、感謝します』
「それでは、チームジュリエット、デルタ、聞こえますか? その状態のまま西塔へ向かってください」
『了解!!』
指示を出し終え、私は一つ息を吐いた。
「ふぅ……、なんとか、無事に終わりそうですね」
私は、隣に立つ李知に同意を求めた。
「そうですね。まだ、消滅者は出ていませんし。ただ、霊的構成停止弾の使用で出費が重なりました」
霊的構成停止弾とは、要約すれば霊の活動を一時的に止める弾丸のことである。
ある程度力のある者は抵抗できるが、一般の者に関しては、なんら問題なく通用し、消滅する危険もない。
これがあるからこそ、未だ死者を出さないという奇跡的なことができるのである。
「ですが、消滅者が出ていないだけましでしょう。それに停止弾は下詰神聖店からのほとんど厚意で受け取っています」
店主には、礼を言いに行かなければなりませんね。
「そうなのですか? 下詰店主がよく、そんなことしましたね」
「快く卸してくれましたよ。彼曰く商売は趣味。余裕があるなら趣味をさせてもらうが、そうでないなら援助するだそうです」
「そうですか」
と、そこで会話を切って、台に乗せられたモニタを見る。
すると、そこには。
「二人の霊体反応接近。モニタに表示します!」
管制員の一人がモニタを動かす。
すると、拡大された画像には。
「えぇ!? 薬師!?」
如意ヶ嶽薬師さんがいた。
「落ち着きなさい、前」
いきなり飛びあがった前を諌め、私はモニタを注視する。
そこには、少女の手を引きながら、一心に走り抜ける薬師さんの姿があった。
「大丈夫か? 里見」
「っ……、平気」
中央区の簡易司令部まで後数百メートル。
俺と里見は、なんとか無事に逃走を続けていた。
俺はともかくとして、里見の息は荒い。
口では問題ないと言っていたが、現実、彼女の体力は限界に達していた。
当然だろう。
ただの少女がいきなりこのような全力疾走耐久レースに巻き込まれれば、音をあげていたっておかしくない。
その点に関しては、評価できよう。
「後もうちょいだ、一気に駆け抜ける!」
だが。
里見を気遣ってペースを落としていたのが災いした。
後に、人影。
「来やがった!!」
不意に、銃声が響く。
「ちっ、あぶねえ!」
銃弾は俺のすぐ横の地面を抉る。
「だー、くそ、仕方ねえ」
「へ?」
俺は、里見の体を持ち上げると、すぐさま、全力疾走を開始した。
「行くぜえぇえええっ!!」
「きゃあぁぁぁぁあああッ!!」
走る。
走る。
後から迫る銃弾を全て無視して。
避けるなど考えない。
距離を稼げば稼ぐほどいい。
多少掠めるくらいなら、放っておけ。
そしてもしも当たろうとも。
足だけは止めるな。
腕に抱えた自分以外の者だけは、責任を取れ。
走る、走る走る。
ついに、司令部のバリケードが見えた。
そこに立つのは、バリケードのドアを開いて待つ、前さんの姿。
「これで、終着!!」
俺はそこに、転がり込んだ。
なんとか、無事に生還することに成功する。
「ぜっ、はぁっ……、はぁ……」
肩で息をしながら里見を降ろし周りを見回すと、そこにはあきれ顔の前さんとか、李知さんとか、閻魔とか色々いた。
他は大体唖然としていたが、まず最初に、閻魔がゆっくりとこちらに向かって来た。
「まず最初に、無事で何よりです」
「……ありがとよ」
苦笑いして、返す。
すると、閻魔も苦笑いして、続けた。
「次に、前に、ちゃんと申し開きした方がいいですよ? とだけ言っておきます」
なんてこったい。
「それなんて死刑宣告?」
その瞬間、俺の背後で殺気が発生した。
「薬師? すぐ避難してね、って言ったよね?」
「はい、そうですね」
俺は敬語。
正直怖い。
「なのに、何で東塔を壊したり、女の子と一緒にデッドヒートを繰り広げてるのかな?」
「それは、あれじゃないですかね。不幸な偶然というか」
「うん、不幸な偶然? 避難するとか言いながら避難所の反対方向に走りだすのが?」
「ごめんなさい」
「反省してる?」
「いやあんまり」
また、行ってくるわけだし。
「そんなに怒られたいの?」
「ううむ、怒られたくないが、気になることがあってな」
「何?」
「いや、薬師お兄さんにはまだ仕事が残ってるっていう訳さ!」
その瞬間、俺は瞬時に踵を返すと、前さんの横を通り抜け、バリケードの外に出る。
「それじゃーな、里見!」
言いながら、走り抜けると、後ろから遠巻きに声が聞こえてきた。
「うん、ありがとう!」
よし、それじゃ、行くか。
犯人の元へ。
四つ、疾風嵐の上歌
「ふん。塔を破壊したようだが、もう遅い。取る分は取った」
私は、地獄の河原の直上、朱紐返り橋の上で呟いた。
これで、私のすべきことは終わる。
後は――、怨念を現世に送り、怨念砲を発動するのみ……。
「まだ早いさ。ってか独り言は気持ち悪いからやめとけ」
「っ!!」
一瞬。
一瞬にして、その人影は降り立った。
「ここに人が来るとは――、驚いた」
その人影が、問う。
「お前の名前は? あと、どこの世界のもんだ?」
私は、迷い無く答えた。
「ブライアン・ブレデリック。出身はアルトゲイズ、と言ってもわからんだろうがな」
私の出身世界には、黒髪黒眼などいなかった、という事は別世界出身なのだろう。
そして、今度はこちらが質問する番だ。
「なぜここに犯人がいると?」
降り立った男に問うと、男は事もなく言ってのけた。
「そりゃ、発生した怨念の使い道が解らんからな。愉快犯にしては大規模だから、使い道はある、と。ただ、街の真ん中で集めてみろ。簡単に探知に引っ掛かる」
男の言葉に、私は言い返さない。
ほとんど、正答だ。
「だから、四丁目三丁目の境界の外に立って、力を集めてんだろ? 何のために集めてるんだか知らんが」
見事である、としか言いようがない。
冥府の鬼たちですらここまで鼻は利かないだろう。
「何故」
「年の功だな」
年の功?
このせいぜい二十代後半にしか見えない若者が?
だとすればこの男は――、
「何者だ?」
スーツに高下駄。
適当に伸ばされた黒い髪。
そして、こちらをまっすぐ見つめる黒い瞳。
男は、言った。
「天に尾を引く天ツ狗――」
その背には、黒い翼が生えていた。
「待ってください! 薬師一人でどこに行ったのか、せめて探知するくらい!!」
私は、そう言って机を叩く前に、首を横に振って応えた。
「できません。既に、彼の反応はロストしています」
「ロスト?! 何で?」
本来地獄の探知機能は、一度見つけた相手なら、どこでも追いかけることができる。
それができない場合と言うのは、相手が監視を外すほど速く動いたとき。
「対象は高速移動しながら、サーチ範囲から離脱しました」
「そんな……。薬師は鬼じゃないのに…、これじゃ危なすぎる! 私が探しに行ってきます!!」
そう言って飛び出そうとする前を、私はやんわりと制止した。
「やめておきましょう」
「何故!?」
私は、そう言った彼女に向って、ある一つの答えを投げかける。
「彼は鬼ではありませんが。人間でもありません」
「え?」
彼女は、目を丸くして驚いた。
『こちらチームゴルフ。中央銀行に到着したのですが……』
それは、横にいた李知も同じようだけど。
それを後目に、私は続けた。
「性欲。これをなんと心得るか」
簡単である。
「人間の中で上から数えた方が早いほどの強い欲求。種族繁栄の為の生殖行為に対する本能。人として、生物として最も重要と言ってもいい欲求です」
だが、彼はそれがないと言った。
「で、あるならば。それがない彼は、人として、どころか生物としてすら、ずれている。人間でいられるはずがない。今回の件で確信しました」
だが、彼は鬼ではない。
『えー、中央銀行職員に聴取したところ、突然現れた男が風の刃で強盗を鎮圧し、金を下ろして帰ったそうで』
地獄で変化すれば、世界の性質上確実に鬼になる。
という事は、彼は生前。
化物であった。
『その男の名前が、確か――、如意ヶ嶽、薬師――』
「彼は、人ではない。彼の名前は如意ヶ嶽薬師坊。如意ヶ嶽の、大天狗です」
「さて、目的を吐いてもらおうか」
俺の前に立っているのは、金の髪をオールバックにした中世の騎士のような男だった。
鎧こそ着ていないが、その空気はそれを彷彿とさせる。
その、男が、ゆっくりと語りだす。
「我が国は。長い戦争にある」
「ふむ?」
その言葉にある推測が浮かぶ。
だが、それを言う前に男は答えを述べた。
「その戦争を終わらせる兵器。それの起動のために人々の怨念と魂が必要だ」
なるほど。
俺は納得する。
だが。
「それをやらかすと、怨念に引きずられてその怨念元が全て吹っ飛ぶ件に関しては?」
魂と怨念を吸って発動する兵器。
確かに、威力は面白いことになるだろう。
だが、それは認められない。
「ふん、ここにいる者など、一度死んだ身であろう?」
男は言った。
言い切りやがった。
「少なくとも、ここの数千の死者の魂で、我が国の一億の民が生き残る。どう考えても、我等が正義」
正直に言おう。
むかついたと。
「随分立派な口上だが。ぐだぐだ喋ってんじゃねえよ」
「なんだと…? 確かに、私にも罪悪感はある。だが、貴様は我が国の人間を見捨てるというのか!!」
「ああ。そも、人にはやりたい事しかできんよ」
「それが、貴様の正義か!?」
「いいや? 俺はやりたいことしてるだけだ」
人は、嫌々仕事をしていたとして。
だが、死にたくないからやるのだ。
本当にしたくないことはできない。
「ここで悩むのは、正義でも悪でもない、ただ、悪と呼ばれたくないだけにすぎんよ」
正義と呼んでいいのは。
ここで誰も殺さずに全て救える奴だけだ。
「そもそも正義とか悪とか、馬鹿らしい」
気に入らない様子の男に。
俺は言ってやった。
「正義とか言ってるが。所詮、唯の我侭だろ? お前の使命も俺の主張も」
「何を言う」
そのまま言葉を続けようとした男を俺は遮り、続ける。
「馬鹿言ってんじゃねーよ。所詮、一人でもいやがる奴がいたらそれは正義でも善でもねーんだよ。そもそも――、正義も悪もありゃしねえ。そこには、我侭が転がってるだけ。それがかち合ったなら、やることは一つだろうが。力尽くだ、他に何がある?」
それに対し、男は首を横に振って応えた。
「それは思考の停止に他ならない。考え、正義を実行すべきだろう?」
「そんな堂々めぐりの思考なら。そんな思考、――捨てちまえ」
「なっ」
俺は、続けた。
「正義だの何だの悩むのは――。悪と呼ばれる事が怖い臆病者」
男なら。
「男なら、悪と呼ばれようと黙ってこなせ。目的が相反したなら黙ってぶつかれ。審判は――、後世が下す……」
前に立つ男が、腰に下げた剣を抜く。
俺も、手に持っていた錫杖を構えた。
「正しさも何もない。公平に、ぶつかり合った結果がすべてだッ!!」
錫杖一閃。
それをブライアンは後方に跳んで避ける。
だが。
凛、と錫杖から、音が響き。
雷撃が、ブライアンに襲いかかった。
「ぬおっ!!」
それを、ブライアンは剣で弾く。
「っつ……、化生の類であること、甘く見ていた」
「そも、剣で雷弾くお前のが化生くせえよ」
次の瞬間、ブライアンが俺の眼前に現れる。
上段からの斬撃。
俺はそれを錫杖で防ぎ、鍔迫り合いの最中、蹴りを放つ。
ブライアンが後ろに跳躍。
その瞬間。
俺は錫杖の石突で地面を叩いた。
凛、と、澄んだ音が辺りに響き。
瞬間、
轟音。
光の奔流がブライアンを包む。
「ぐっ、あああっ!!」
終わったな。
なんてったって、雷の直撃だ。
立っていられるはずがない。
そう思っていた。
だが、そうは問屋が卸さない。
「う、おおおおおっ!!」
雷撃の中心から、ブライアンが飛び出す。
そして、一閃。
俺はそれに錫杖を当てて防ぐ。
「っつ、人外のタフさだな!!」
剣戟が始まる。
一合。
二合。
三合
「私は負けん! 負けられぬ!!」
四合。
五合。
六合、
七合!
「そう、かい……っ!」
そしてついに。
長い剣劇の果て、俺の錫杖が、ブライアンの剣に巻きとられ、
天高く、舞い上がる。
肩で息をしながら、ブライアンは言う。
「ふっ…! ふっ…、私の勝ちだ!」
振り上げられる剣。
勝ち誇るブライアン。
それに対し、
俺は、言う。
「確かに、俺はいつか負けるだろう。時か病か、新しい者か。現に、俺はそれに負けてここにいる」
確かに、勝ち続けるなんて不可能だ。
何時か人は、負けて消える。
「確かに、俺は誰かに負けるだろう」
だが。
それは。
「だがそれは――、今日ではないし、
――お前にでもない」
とんっ、と。
何でもないような音を立てて。
錫杖が、奴の背後に突き刺さる。
凛と澄んだ、辺りを浄化するような音が響き。
「なっ――」
瞬間、雷撃が辺りを包みこんだ。
俺は、黒焦げの死体、もといブライアンを見つめて、溜息を一つ。
「おら、とっとと帰れよ。現世で死んでないんだろ? お前。ここにいていいのは、何かに負けた奴だけだ」
「私は……」
「俺はお前にそんなに構ってられねえんだよ。最後に一仕事あるからな」
そう言って、俺はブライアンに背を向けると、翼をはためかせ、空に舞い上がる。
そして、四丁目の中央区へ。
淀んだ空気。
その中心に降り立った俺は、懐から、ある物を取り出す。
天狗の羽団扇。
橙と白の巨大な羽団扇。
付き合い始めて千年を超えた、俺の相棒。
それを俺は、澱と怨念に、振り抜いた。
「近からんものは目を見開け。遠からぬものは風に聞けっ。如意ヶ嶽薬師坊、一世一代の大演舞!!」
高下駄で拍子を刻み。
風が声を上げ。
羽団扇で音を掻き鳴らし、
これにて、祭の終焉と為す!
「踊れ騒げ宴に祭りだ。陽気な囃子に愉快な上歌!」
風起こし、俺は舞う。
「不快愉快もありゃしない、踊りに踊れ! 気ぃ触れるまで!!」
局地的な竜巻が、
四丁目を包みこんだ。
「怨念、瘴気、共に消失! 嘘のようです!!」
簡易司令部に、歓喜の声が上がる。
やったのですね、薬師さん。
あの竜巻が起こって、そこから全ての強盗、テロが沈静化された。
彼は、風に乗せて怨念と瘴気を、散らしたのだ。
「分かりました。状況を終了。実行班は休憩してください。事後処理班はすぐさま移動を始めなさい」
『了解です!!』
返事の声を聞いて、私は溜息を一つ。
そして、疲労に任せ、乱暴に椅子に座りこんだ。
「私は……」
橋の上、私は立つことすらできず、仰向けに倒れていた。
私に、もう居場所はない。
そう思うと、何故か笑いが込み上げてくる。
そもそも、半年前、ここに来た時点で私は国に帰ることなどできなかったのだ。
私を地獄に送ったのは外法。
片道切符。
もう、国に戻ることなど敵わず。
だったら、国など関係ない。やめてしまえばよかった。
だが。
私に祖国以外の帰る場所はなかった。
否。
地獄は私の居場所ではなかった。
「ふ、ふふ。ははは、はははははっ」
だが、私の心は清々しかった。
きっと、私を倒した男の言った通り。
負けた者にしかここに居場所はないのだろう。
しかし。
私は負けた、清々しいまでのボロ負けだ。
「ははっ、奴は自分で負かして置きながら、何を言っているんだ。私はお前に負けて地獄の住人となった、なれたんだ……」
その時、確かに。
確かに地獄は、私の居場所になっていた。
奴が全て吹き飛ばした空が、何よりも清々しく。
綺麗だった。
「さーて帰るか、帰りたくねー、鬱です」
瘴気も怨念も吹き飛ばし。
すべては終わったが、正直に言おう。
俺の戦いはまだまだこれからだ!!
怒られたり、天狗について聞かれたり、根掘り葉掘り事情聴取とか。
考えるだけで鬱です。
そもそもこんなに働いたのだから、褒め称えてくれてよかろうに。
現に、俺の携帯は、鳴りっぱなしだ。
「はぁー……。俺は臨時休業です」
言いながら、俺は携帯の電源を切る。
そして、俺は一人ふらふらと、寮へ帰って行く。
「帰って寝る。今日はしんどい」
河原は今日も、平和なようです。
―――
どうも、兄二です。
二十一をお届けします。
二十一にして初めてのまともなバトル!
一回はやっておきたかった。
さて、こっからは今回のお話しについて。
薬師は、天狗でした。
しかも大天狗。
まあ、名前なんて如意ヶ嶽薬師坊ですからね。
気付けよ。
という話は置いておいて。
ここに、現在の薬師のプロフィールを。
如意ヶ嶽の大天狗 如意ヶ嶽薬師
如意ヶ嶽を仕切る大天狗だったが、三年前(本編現在で)死亡。
地獄に来て積み人を始める。
また、現世において人から化け物になった者の一人。
幼少時の複雑な事情から、精神に異常が生まれ、性欲が消えるという現象を体験。
そのことにより、人間としてどころか、生物としてもずれた状態となり、もともと素質のあった薬師は天狗となり、さらに性欲の減退が促進される。
薬師を欲情させれる者は、人外であり、よっぽどその方向に特化していなければならない。
武器は羽団扇、錫杖。
その他、修験者用の道具を使ったりするかも。
羽団扇
なんか変わった感じで配置されており、天狗の怪力で振ると、振り方によって上昇気流や乱気流、かまいたちまで自由自在という話だが、
どう考えても妖怪の妖力の仕業です、本当にありがとうございました。
錫杖
音が鳴ると、雷が降る。
鳴らし方によってパターンがあり、手に持って振ると、横に。
手に持って地面をたたくと、敵に落雷。
地面に指して手を離していると、避雷針のように錫杖に雷が落ちる。
あと、里見さん本編登場おめでとう。
彼女は基本番外編となりますが、ちらちらと本編にも表れるようです。
ああ、後、薬師の「だがそれは、今日ではないし、お前にでもない」の下りはとある映画の台詞をいじったものだったり。
かっこいいですよね。
さて、では返信を。
ザクロ様
薬師の全自動フラグ立て機は、女性には優しくしないといけないという、強迫観念にも似たトラウマちっくな優しさから来るものがあったり。
というか、なんといいますか、本人は気にしてないですけど、父親の二の轍は踏まないぜと無意識に反抗しているのです。
結果女泣かせになりそうな。
ちなみに、地獄の治安は中々いいです。なんというか、鬼の一人一人が有事には臨時警官。なのでおちおち犯罪もしてらんないです。
更に、警察と呼ばれる者はないけど、運営で治安課があり、大体警察と同じことしてます。
スマイル殲滅様
それが愛ですッ!
という挨拶も程々に、あれですね。
薬師のフラグ立て機能は、ぶっちゃけ千年越しのトラウマがうまいこと変形合体して完成したものです。
そりゃまあ、千年は伊達じゃないのですよ。
山椒魚様
あの場を収めたのは、風でこう、すぱーんと。
とりあえず、派手にやりましたが、こんな感じで落ち着きました。
これでやっと天狗編が書ける。
ねこ様
ドメスティックでバイオレンスな家庭で育った後、天狗になり、他の山と戦闘、などという結構悲惨な状態ですね。
ってか、薬師って、幼少期、人から天狗への転換期、天狗初期、天狗絶頂期、天狗末期、河原初期、と、書く背景多すぎやしません?
そんな感じの怒涛の人生ですが、彼は現在の状況を結構楽しんでるようなので、まあ、いいんじゃないでしょうか。
ちなみに、酒呑童子は固有名詞で、餓鬼は地獄の変化者の中で最も多い症例を総じてこう呼ぶだけで、種族としてはさほど確立しておりません。
XXX様
薬師お兄さんは、現世の不幸分を一気に取り戻そうと必死なのです。
いや、嘘だッ! きっと天狗時代に部下の天狗相手にフラグ立てまくってたんだそうに違いないっ!!
ふう、取り乱しました。
ともかく、今も昔も変わらず彼はフラグを立て続けるのです。
妄想万歳様
ふふふふ、奴のことだ、きっと閻魔様も拾っていくに違いない。
許さんっ!
ただ、今回の件で閻魔様はお疲れの様子。
このチャンス、薬師が見逃すはずが……。
暁御については、きっとこの後出てくるさ。
というか、このお話の構成上、ブッツブツ切れるので、まんべんなく書いて行こうとしても偏りが出るんですよね。
さて。
最後に、
どうでもいいが、これ、捏弩曾途霊菅笑、デッドヒートレースゲームって読むんだぜ!