俺と鬼と賽の河原と。
ビーチェと会ってから、早くも半月が経過した。
そして、ビーチェの影響は、妙な所にも及んでいたのだった。
「なあ、薬師。最近冷たいじゃないか、昔はあんなに愛してくれたのに」
「黙らっしゃいひっつくなよ憐子さん。むしろいつも通りだろ」
「まあ、それもそうなのだけど。ただ、あんまりにも彼女に構いすぎるのでね。こっちも構ってほしいのさ」
と、憐子さんは俺からべったり離れようとしない。
そして、それだけでもなく。
「ご主人っ、釣った魚に餌ぐらい与えないと駄目だよ? 飼ってる猫にもねっ!」
最近よく憐子さんの頭に乗っかっているにゃん子もやはり俺にべったりだ。
猫状態、人間形態、その両方を巧みに使い分け俺から離れない。
結果として、俺の両腕にはにゃん子と憐子さんがひっついているのである。
そんなとある朝。
其の百十六 貧乏暇なし、俺に休みなし。
「にゃーんっ!」
人間形態のまま、にゃん子が俺の頭に飛び乗った。
無論、俺の頭に収まりきる様な大きさじゃないので、腕と顔だけ俺の頭に載り、後はぶら下がる形になる。
「にゃん子、重いんだが」
「にゃっ!? 酷い、花も恥じらう乙女を相手に重いだなんてっ!」
「お前さんの年齢をここで聞いておきたい」
「にゃにゃっ、女性の年齢を聞くのはタブーだよっ?」
「凄いな、女って便利だ」
憐子さんの行動理念には女の勘もあるし。なるほど女って実に便利な言葉ですね。
もう女って付けば何でもいいかのような無法地帯だ。
そんな風に白い目で答える俺に、にゃん子は不満げに言い募った。
「にゃー……、あの子にはあんなにやさしいのに。やっぱり眼鏡萌えなの? だったらにゃん子も眼鏡かけるよ? ほら」
「どっから出したその眼鏡」
言いながら、にゃん子の眼鏡を奪い取る。別に眼鏡だからどうとかいう訳でもないのだ、と体で表現してみたのだ。
そんな中、俺の肩を叩く人間が一人。
と言っても憐子さんの他に居ないのだが――。
「ほら、薬師」
「いきなり眼鏡を発生させるな、技術の無駄遣いさんめ」
憐子さんの目元に突然現れた眼鏡も奪い取る。
すると、何故か憐子さんがはっと息をのむ。
「まさか、私の眼鏡だけが目的だったのか……!」
にゃん子もそれに乗っかった。
「最低な男だねっ、ご主人!」
「眼鏡目的ってどんな偏執狂だっ」
「こんな偏執狂だな」
そう言って憐子さんに指を指されてしまう。
指を指すなど行儀の悪い、と言おうかと思ったが、言っても仕方ない。憐子さんだからな。
ともあれ、俺はにゃん子を頭から降ろし、歩き出した。
こんなことをしておいてあれだが、俺には出掛ける約束があるのだ。
「うん、今日は休みじゃないのか?」
聞いた憐子さんに、俺は片手をあげて、振り向かず答えた。
「約束だよ。噂の眼鏡との」
「やけに、構うんだな?」
憐子さんが、楽しげに聞いてくる。
俺は、どうせからかわれるのだろう、と嫌そうに返した。
「なんか文句でも?」
ただ、やはり何を返してもからかわれるような気がしたのは気のせいじゃないだろう。
いやな予感がして振り向けば、やはり憐子さんは笑っている。
にやにやと嫌な笑みだ。俺の笑みに似ている。いや、俺が似たのか。
と、俺は溜息を一つ。そんなことはどうでもいいのだ。
問題はこの楽しそうにしている憐子さんだ。確実にからかわれるだろう。こうなったら逃げられん。それが憐子さんだ。
しかし、予想に反して憐子さんは俺をからかうような真似はしなかった」
「いいや? ただ……、気を付けるべきだな。あれは――、普通じゃない空気がある」
「根拠は?」
なんとなく問うてみた言葉に、憐子さんはあっさりと答えた。
「女の勘だ」
相変わらず曖昧な人だ。俺はもう一度溜息。
だが、憐子さんのこういう勘はよく当たる。それと同時、ビーチェに対し心当たりもある。
だから、反論する気もない。俺は素直に忠告を受け取ることにした。
「精々気を付けるさ」
だが、それを見極めるためにもやはり会う必要があるのだろう。
俺の知るベアトリーチェ・チェンチなのであれば――、やはり面倒だ。
今度こそ歩き出し、振り向かない。
「じゃ、行ってくる」
俺はそう言い残して家を後にした。
「にゃにゃ? にゃん子もちょっと用事を思い出したのにゃ」
「奇遇だな。私もだ」
「気になるよねっ?」
「気になるな」
「気配を消すのは得意だよ?」
「奇遇だな、私もなんだ。そして、ちょっと気配を消して外に出たくなってしまったんだが」
「付き合うにゃ」
こんな会話が行われていたとは露とも知らず。
「待たせたな」
駅前にて待ち合わせ。この話を聞いた藍音に言わせれば、お約束なのだそうだ。
そして、先の台詞もお約束だとか言っていた。
何がお約束なのかいまいちわからない俺だったが、お約束である事実が大事なのであろう、と俺は思うことにして、ビーチェに声を掛けたのである。
そんなビーチェはいつも通りの格好で、俺を見とめた。
「あっ、先生。ぼ、僕も今来た所ですから」
そう言ってビーチェが俺の横に付く。
しかし、休日の買い物にも呼び出されるとは、いよいよもってビーチェがなにを思っているのか怪しくなってくる。
果たして、彼女は本来こんなに積極的な人間なのか。普段を見た限りそうは見えないのだ。どうも焦ってるようにも見える。
ただの純粋な恋心なら丁重にお断りすればいいと思うのだが。
「で、どこ行くんだ?」
ともあれ、まずは様子見。全部俺の気のせいならそれでよし。
俺は考えをおくびにも出さず、ビーチェに聞く。
ビーチェは緊張に肩を震わせるようにして言葉にした。
「ま、まずは本屋に――、い、いきましょう!」
無理に気分を持ち上げているのか、無駄に元気のいいビーチェ。
見るからに空元気だが、まあ、それもいいだろう。
しかし。
「足ががちがちで動いてないぞビーチェさんよ」
「そそ、その……、男の人と出掛けるのって、初めてで……」
ははぁ、だったらなんで俺なんて呼んだんだ、とは言わない。
また逃げられてしまうかもしれないからな。そうして不信が募って聞いて逃げられて、なんて。
そんなの堂々巡りである。
「肩の力抜けよ」
「ひゃ、ひゃいっ! あっ」
仕方がない、と俺はビーチェの手を引き歩いていくこととした。
目的地は本屋か。確かにらしいと言えばらしいが、しかし色気も素っ気もねーな。
少なくとも、男を誘う場所ではない。
思わず、苦笑いをしてしまう。
「って、どうした?」
ふと、後ろを向けばビーチェが顔を真っ赤にしていた。
そんなビーチェは顔を俯けながら、俺に言う。
「そ、そそそ、その、手」
「なるほど、汚え手で触ってんじゃねー、このカス野郎が、ということか。流石鬼畜眼鏡だぜ」
「ち、ちがっ、違いますですっ、……じゃなくて、違うんですっ」
「そうかい。じゃあ行くぞ」
そう言って、俺はビーチェの手を引き、再び歩き出した。
「むむっ、ご主人手ぇ繋いでる。ずるいっ」
「そうだな、ちょっと羨ましいかもしれないな……」
「あっ、どっか行くみたいだよ?」
「よし、追うか」
本屋は本屋でも、古臭い古本屋。
色気は更に低下中。
俺の心境は既に孫の買い物に付き合う祖父の気分へと転じていた。
「なんか見つかったかね?」
問えば、輝く瞳が俺の視界へと入る。
「はいっ!」
どうやら、満足に足るものが発見できたらしい。
そいつは重畳、と俺は肩を竦めた。
本当に色気も何もあったもんじゃない。
覚悟決めていた俺としては肩すかしを食らった気分だ。
しかしよく飽きない。
見てて感心するほどだ。なんと言っても昼食を挟み、ここにまた戻ってきて既に三時間が過ぎている。
しかし、色気のある会話もなく。ひたすら本を漁り。
俺はなんとなく小難しい単行本に端へと押しやられた漫画を立ち読み、いや、椅子があるから座り読みか。
ともあれ、古書店に似合わぬ漫画を読み耽っていた訳だ。俺は。
そしてやっと、一種類十八巻分の話を読み切れるか――、と言った所で。
「お待たせしましたっ、そ、そそ、その、すみませんです。熱中し過ぎて……」
んなこたどうでもいい。
それよりも物語の結末なんだ。
いやだっ、読ませてくれっ!
と、言いたいところだが、仕方がない。所詮連れて来られた身である。
後でもう一度読みに来よう。
迷惑な客この上なしだが、古本屋の定め。諦めてもらうことにして、俺は手から本を離した。
「それじゃ、出るか」
「にゃー……。古本屋から出てこにゃいにゃー……」
「色気が無いな……、期待はしてなかったが、押し倒すまではいかずとも、せめて、なあ? もっとこう、あるだろうに」
「お腹すいたにゃー」
「そんなお前に私がパンをやろう。あんぱんだ」
「おおっ、やたっ」
「なあ、何を買ったんだ?」
なんとなく聞いた質問。
日常会話の範疇であるし、とりとめのない雑談の一つだった。
しかし、俺はこの質問を、少し後悔した。
「僕が買ったのは、今回は輪廻転生がテーマの本、です」
ここでやめておけばよかった。
しかし、もう遅い。
俺は聞いてしまった。
「なんで? そういうの好きなん?」
俺の言葉に、ビーチェは、どこか遠くを見ながら、告げた。
俺は微妙に上の空で聞いていた。
「……前世というものがあるならば、犯した罪は死んで許されることもないのでしょうか?」
遠くで喋る薬師の声は遠く。
「……何言ってるのかわからないね、憐子は聞こえる?」
「……」
「憐子? 顔が怖いけど、どうかした?」
「あの小娘の名前はなんと言ったか……」
「ベアトリーチェ・チェンチだけど?」
「……そうか。帰るぞ」
「……なにか。いや、うん、そうだね、帰ろっか。それが正解なんでしょう?」
「ああ。そうだ」
「……前世というものがあるならば、犯した罪は死んで許されることもないのでしょうか?」
質問の答えになっていない。
ただ、不意にじくりと胸が痛んだ。
「犯した罪はもう取り返せない。だから、もう許されないんじゃないか。答えが欲しいんです」
俺は不意に思い出す。
ベアトリーチェ・チェンチ。俺の現世では意外と有名な女だ。
ろくでもない親父の家に生まれ、性的虐待を受け、そして最後に父親を殺害し、その罪で死刑。
「――私はもう許されないんでしょうか」
ビーチェから感じる薄気味悪さの正体が分かった。
そうだ。
――俺はビーチェの向こうに俺を見ていたのだ。
『やけに、構うんだな?』
なるほど、その通りだ。俺と同じ空気を感じて、気にしていた訳か。俺は。
ビーチェの懺悔は、俺の心を波立たせる。
そうだ。俺は天狗となり、母を置き去りにした。それは俺の罪だ。
そして、誰にも言ってない両親の行方。
いまさら過去をああだこうだと囀るつもりはない。折り合いは付けた。
しかし。
「さあな。犯した罪の行き先なんて誰にもわからねーよ」
俺にかける言葉が無いように、ビーチェへも、俺は何も言うことはできなかった。
―――
シリアス突入しかけってとこですね。
薬師の過去にも突っ込みたいとおもいます。
春都様
次々回でハイパーシリアスモードして、事態は収束に向かいます。
ビーチェはそこで色々と活躍してくれるようです。まあ、どうせ……。
フラグ強化タイム始まるだけなんでしょうけどね!!
後、相も変わらず藍音さんが眩しいです。ビーチェの出番を奪っていくほどに。
マリンド・アニム様
眼鏡の女教師に放課後押し倒されるロマンの体現……。
薬師はいい加減藍音さんに押し倒されて行為に至ってもらうべきだと思います。
どうせ薬師からは不可能でしょうから。
そして、あんな真似しておきながらやっぱり顔真っ赤ですよ。藍音さん可愛いですねわかります。
奇々怪々様
ビーチェの心の闇も見えて来た辺りでいったん終了です。
ヤンデレ化、なるんでしょうか。それはそれで楽しい展開だと思いますけど。
あと、薬師の押したり引いたりの手練手管には恐れ入りますね。巧みにエロをガードしてます。
まあ、Ifの玲衣子編続き書こうかなとか思ってあれなんですけどね。もしかすると、ひょっとしたりしなかったり、しませんね、ええ。
SEVEN様
この小説、意外と眼鏡が居なかったので最近瞬発的に増量中です。
そして、薬師のたこ足配線っぷりはその辺のコネクターもびっくりです。
いつかショートしてしまえと思うのですが中々しぶといことこの上ない。
まあ、噂は背びれ尾びれ胸鰭と、最終的に魚どころか龍になってると思います。
通りすがり六世様。
あえて恋愛関係のことを考えないようにしてるんじゃないかってほどの妙な鋭さと鈍感さですよね、薬師は。
最近出ずっぱりのビーチェですが、MVPは結局藍音さんとかにとられる始末。頑張れビーチェ。
藍音さんの七面六臂、獅子奮迅の大活躍は後世に語り継がれるでしょう。
ちなみに、今回のシリアスは次々回で終了と見せかけて、私のことだから纏めきれず前篇後編になるんじゃないかとにらんでます。
光龍様
学生たちの趣味と言えば学校の人間の噂話でしょう、という勝手なイメェジという奴が私にはあります。
まあ、なんだかんだとうちの学校でもどこぞの教師が女と歩いてたとか言ったりしますからね。
そんな妄想の中でいつしか薬師×酒呑とかいう腐の人が出てくる日も――。その日が遠いことを祈ります。
そして、薬師はそろそろ十股越えたんでしょうか、越えてるっぽいっすね。
志之司 琳様
ビーチェ、今回はどうにか頑張れたんでしょうか……。ちなみに次回ヒロインは別人です。
藍音さんはもう、薬師と行為に至って責任取ってもらってしまえば良いと思います。
既成事実でも作ってしまえばきっと責任取ってくれるでしょうに。
まあ、ビーチェも見事撃ち落として、事件は終結するでしょう。薬師ですから。
最後に。
ビーチェ、生きていればいいことあるさ。……死んでるか。