俺と鬼と賽の河原と。
そう、それは女性などではなく――。
紙束だった。
其の百十四 俺と生徒とメガネ。
俺が学校の廊下を歩いていると、紙束に出会った。
いや、正確には足の生えた紙束だった。
「おーい……?」
思わず、俺は脚を止める。
返事は、紙束の向こうから聞こえて来た。
「ぼ、僕ですかぁ?」
「そう、そこの紙束だ」
ああ、ちゃんと人間だ。
俺は胸をなでおろす。どうやらあまりに高く積まれた紙に上半身が隠れきってしまっているらしい。
「あー……うん、半分寄越し」
「きゃふあ!」
半分寄越せ、と俺が言う前に、紙束の持ち主は……。
転んでいた。
……天然なのか?
「おい、大丈夫か?」
手を伸ばした俺を見上げた女性は、どうにも美しかった。
艶やかな黒い髪は首元まで。眼鏡の奥の瞳もまた、綺麗な黒で、優しげな空気を醸し出している。
長いスカートにブラウス。その上にカーディガンを羽織っている所を見れば、どうやら遠くない文化の世界で生きていた人物らしい。
「あ、はっ、はい! 大丈夫でひゅっ……、です」
「とりあえず、落ち着いてくれ」
言いながら、女性が俺の手を掴む。
そうしてなんとか立ち上がった女性は、落としたであろう紙束を見て、驚いた。
落とし、散らばったはずの紙束は、先程の姿のまま床に鎮座している。
「あれ……? 散らばってない」
「ああ、気にすんなほれ、半分持ってやるから、どこに行くんだ?」
「あっ、ありがとうございますですっ、あわっ、ありがとうございます。職員室です」
俺が勝手に半分持ち上げると、慌てて女が頭を下げる。
そうして、俺は歩き出した。
「ところで、その……、貴方は?」
「俺は如意ヶ嶽薬師、ここで教師やってるよ」
「……! 貴方が……」
「んん?」
何ゆえか驚いた女に、俺は疑問符を浮かべた。
すると、女は慌てたように取り繕う。
「そ、そそそそ、その、色々と噂になってるんですっ。色々とぉ!」
遺憾ながら、俺にそれを否定することはできなかった。
「そーだなぁ……」
入学式の大立ち回りとか、色々と噂に事欠かなくなっていることは事実。
名前ぐらいは聞こえてても仕方ないだろうな、と俺は溜息一つ。
「そういや、お前さんの名前は?」
「ひゃいっ、僕ですか!?」
「そう、お前さん」
言った俺に、女は一度深呼吸し、俺に教えた。
「え、ええと、はい! ベアトリーチェ・チェンチと言いますですっ、はい」
「ふむ……、ここはいい名前だ、とか姓名判断をする所なんだろうが。悪いが俺には名前の良し悪しの判断がつかん」
「っはい、恐縮ですっ!」
「いや、褒めてる訳でもねーんだけどさ……」
「ふぇ、そうなんですか?」
変な奴だな。
心中で呟くと、俺は片手で職員室の扉を開いた。
机の上にどさりと紙の束を置き、俺は再び外へ向かう。
「じゃ、俺はこれで帰るとしよう」
ベアトリーチェは、ぺこりと頭を下げた。
「ありがとうございましたっ」
いやはや、変な奴だったな。
まあ、授業も別みたいだし、もう会うこともねーだろう。
だなんてしたり顔で呟くのはやめて良かったと思う。
所でだが――、地獄にも、電車に列車、新幹線、そういったものは存在する。
そして、奇しくもその日俺は家の手続きがどうので役所に赴き、電車で帰り始めていたのだが――。
「っ……。……!」
電車内に、見知った顔が一つ。
俺は無遠慮に、その人影に近づいた。
「おい」
ベアトリーチェ。彼女の顔は、不自然に赤く、まるで助けを求めているようで。
まあ、何がどうって言われれば。
「痴漢はいかんな、痴漢は」
「っ!!」
言った瞬間、近くにいた一人の男が速足で逃げ去った。
俺はそれを特に追いもしない。
別に痴漢を捕まえるのが目的ではないのだ。
ここでベアトリーチェが、『許さんッ、追えっ!』というならそれも吝かではないが。
しかし、怖かったとでも言うように俺の腕にしがみつくベアトリーチェを見れば、振りはらって追い掛ける選択肢はないだろう。
「おうおう、無事……、じゃないな」
「っ、ひっく……!」
今にも泣きそうな、どころか半べそのベアトリーチェ。
この怯えようは異常だと思わなくもないが、俺は痴漢されたことはないのでその恐怖は理解できない。
いや、俺が痴漢されたら別の意味で非常に恐ろしくあるが。
「……うん、そうだな。出よう」
色々と考えて、こんな電車の中では落ち着くことすらできやしない、と俺は判断。
「ふぇ……?」
俺は一発ベアトリーチェを抱きかかえると――。
「いや、いい天気だな」
電車の窓から飛び出した。
「ひぃいいいいやあああああああああああああっ!!」
あ、やばい。
これ無賃乗車だった。後で金払いにいかねーと。
「うぇっ……、ひっく……、ひぃ、ああ……」
半べそから全泣きに昇格したベアトリーチェは、土手で未だに泣き続けている。
「あー……、悪かった。いきなり飛び出すのはいかんかったよなぁ。飛び出しますよー、五、四、三、零。位は言うべきだった」
「うぇええええええええんッ!!」
余計泣き出してしまった。
どうしようこれ。
これを誰かに見られたら――。
「薬師さんっ、一体何をやってるんですか!!」
誰かに見られるんですね。これが世界の法則ですか。
「やあ、三つ編み閻魔殿、助けてくれ」
道路のある方から姿を現したのは、なんとも言えぬ閻魔様であった。
「助けてくれって……、一体何をやらかしたんですか、貴方は!」
「かくかくしかじか、で終わらせたいところだが、そこの」
言いながら、俺はベアトリーチェを指差して。
「うちの学校の生徒。電車で会う。痴漢されている。追い払う。電車から落ちる。以上」
できるだけわかりやすく説明したつもりの俺だったが、閻魔には伝わらなかった。
「電車から落ちる、以上、ってなんですか! その思考ルーチンが異常ですっ」
「いやさ、満員電車で座るとこもないから落ち着ける場所に移動しねーとなー、と思ったんだよ。俺は」
無論、逆効果だったが。
「馬鹿ですかっ、馬鹿ですか!」
「ひでぇ、二度も言うとは。親父にも言われたことない……、あるわ」
「どっちですか!」
「いや、閻魔、論点がずれてるぜ」
そう、問題は――。
「貴方が無賃乗車した件ですね?」
「いや、違うから」
「そうなのですか? まあ、そちらは私が立て替えておきますが」
「お、助かる。で、問題はそこのベアトリーチェさんだろ」
「ああ、そうでしたね。一瞬、またいつものことか、と思って見逃しそうになりました」
「なんだそりゃ」
「自分のむねにきいてください」
心当たり……、ないな。
一人俺が肯いていると、いきなり閻魔が歩き出した。
俺は捨てられた犬の様な目で閻魔を見つめる。
「おま、この状況で見捨てて消えるのか。どんな鬼畜だ」
閻魔は、肩を怒らせて思い切り否定した。
「違いますっ!! 温かい飲み物でも買ってきますからっ、その間薬師さん、お願いします」
「おお、ありがとさん」
俺の礼を背に、閻魔は小走りに駆けていった。
そして、仕方ない、とベアトリーチェに向き直る。
「おーい、ベアトリーチェさんや」
「ひっく……、うう……」
「ベアトリーチェさん、ベアトリーチェさーん」
しかし、ベアトリーチェは嗚咽を返すのみ。
そして、俺は。
「お前さん、名前長いよな」
ベアトリーチェを呼ぶのが面倒になっていた。
「ひっ……、わあああああああああぁあんっ!」
残念、逆効果だ。
すごい泣き声である。
どこかの誰かを、というか今飲みもん買いに行ってる人を思い出す。
「なあ、ビーチェ。いい加減泣きやんでくれ」
「ふぇ……?」
不思議そうに見上げたベアトリーチェを見下ろして、俺は言った。
「あだ名だな。ビーチェ。確かベアトリーチェならんなもんだろう?」
「……ひゃい」
いきなりあだ名の話になった俺に、ベアトリーチェ、あらためビーチェは毒気を抜かれたらしい。
未だ嗚咽交じりではあるが、とりあえず泣き声、と呼べるものは収まった。
「む、おお。あそこにおあつらえむきに椅子があるぞ」
言いながら、ビーチェの手をとり、半ば強引にベンチに座って、抱きしめてやる。
そして、ぽんぽんと背中も叩いてやった。
そうして、ビーチェが完全に落ち着くまで、何も言わずに待つ。
「……あの、先生」
ビーチェが不意に、恥ずかしげに声を上げる。
「先生?」
腕を離して、思わず聞き返した俺に、ビーチェは肩を震わせた。
「あっ、あ、あの! 駄目でしたか!?」
「いや、別にいいけどな。ただ、学外ではタメ口推奨だ」
「へっ? ひゃ、ひゃいッ……、……はい」
「で、なんだ?」
先を促した俺に、ビーチェは照れたように呟いた。
「……ありがとうございます」
「ん?」
「いえ、その……、助けてもらったのにお礼もしてなくて、あの」
「いや、んなことより、敬語」
言い放った俺に、ビーチェは面喰って俺を見た。
「どうしても、外さないと、駄目ですか?」
「いや、まあ、程々にな」
「う……ん、それじゃあ、そうしま……、するけれど。敬語交じりになっちゃうかも」
しかし、それにしても。
これじゃあ、女性、というより少年だな。
標準より低い背と、僕、の言葉に対し、俺はそんな感想を抱く。
「ねえ、先生」
ふと、聞かれて俺は顔を上げた。
「なんだ?」
「先生、って、……恋人いる?」
「なんだ不躾に。彼女いない歴四桁の数字を言えば満足か。鬼畜めが。いや、鬼畜眼鏡め」
「ひぃ、ごめんなさいぃ! 気になっただけなんですぅ!」
「いや、そんなビビらんでも。うん、彼女かー、いねーなー」
居たためしもない。
彼女いない歴未だ更新中である。
「先生」
「ん? なんだビーチェ」
「僕のこと、ビーチェなんて呼んだの、先生が初めてです――」
なんだか感慨深そう、とでも言えばいいのかどうなのか、少々恥ずかしげにビーチェ入った。
しかし、この眼鏡、相変わらずに敬語が抜けていない。
とまあ、どうでもいいことを考えていると、何事かをビーチェは悩みだした。
ベンチの上でうんうんと唸っている。
そして。
不意に、ビーチェが立ちあがった。
「その、先生っ」
俺を見たビーチェに、何か嫌な予感を覚えた俺。
そして、それはあながち間違いでもなかった。
「ぼ、僕がっ。僕が先生の彼女に立候補してもいいですかっ!?」
……。
こうしては居られない、と俺は立ち上がり、なんとなく、ビーチェの頬を突く。
「あ、あのっ、先生?」
つんつんと突き続けること数十秒。
「待て、ビーチェ。お前は可愛い。考え直せ」
出て来たのはそんな言葉だった。
「え、えぇええぇえええ……? ど、どうしてですか? 僕に魅力はありませんかっ?」
「むしろ俺が聞きたいよ。どうしてですか? 俺に魅力はありますか?」
「そ、それは……」
言い淀むビーチェ。
これで惚れたなら、どう考えても吊り橋効果である。電車を飛び降りた際のドキドキに違いない。
しかし、どうにも純粋に惚れた腫れたの話ではないらしい。
面倒な事情でもありそうだが――。
そんな面倒なお話は御免だ。
「それが言えんなら無理だな。後、もう一つ理由があるとすれば――」
そう、それは――。
「後ろに怖い顔の閻魔様が笑顔で突っ立ってるからかな」
「どうしてっ、貴方はっ、こうもっ、簡単に女性を!!」
こうして俺は閻魔宅で説教中である。
「あんまりじゃありませんか? それに、先週会ったばかりと言いますしっ! 貴方は一体何を考えて――!」
ちなみにビーチェは家まで送ってきた。
抜かりはない。
「悪かったって。……そうだ」
ふと、俺は閻魔の頬をつついてみる。
閻魔は面喰ったように俺を見上げた。
「な、何をするんですか……」
俺は一心不乱に頬をつつく。
「ふむ、閻魔の方が柔らかいな」
「知りませんっ!」
閻魔はそっぽを向いてしまった。
俺は手を下げて、台所へと向かう。
飯でも作って機嫌でも取ろうか。
「ふむ、味噌汁だな。味噌あったよな?」
「ああ、ありますけど、なんでいきなり……」
「昨日俺は戦闘機ゲーをやっていた」
「……はあ、そうなんですか」
「で、だ。ミサイルが撃たれると管制官がミサイル、ミサイル、って言ってくれるんだが――」
「それが?」
「英語だからミソッ、ミソォ! に聞こえるんだ」
「……そうですか」
「それにしてもベアトリーチェ・チェンチか。面倒なことになりそうだな……」
―――
と、まあ。導入部としてこんな感じです。おもしろかったかどうかは自信ありません。
こっからベアトリーチェさんのお話もスタートしたり。
では返信。
奇々怪々様
オレ・オレオさんの出番は……、できたら出したいと思うくらいには素敵に思ってます。
あと、もう既に玲衣子さん宅は薬師別邸だと思います。
更に、玲衣子さんと薬師は傍から見れば明らかに恋人を通り越して夫婦だと。
前回の初期版に関しては、いやあ、既に私は書いてる時点で大ダメージですから。次書いたら二度死ぬことに。
SEVEN様
オレオレさんに関しては、いつか再登場することを祈りましょう。
玲衣子さんなら笑顔で監禁くらいはやらかしそうです。そして薬師も精的な方面に行かなければ面白がるように抵抗しないかと。
あと、薬師が空気を読んだら何回結婚したらいいんでしょう。
ちなみにビーチェさんは僕っ娘でした。後眼鏡。
トケー様
玲衣子さんは外堀を埋めて勝ちに向かうようです。
そして、周りが結婚してるよね、と言えば薬師もそうだったかも、とかいいそうです。
ちなみにベアトリーチェさんはある意味どのベアトリーチェさんにも掠ってないかもしれないくらいの有様でした。
あと、スライムは薬師の生涯で唯一勝てない相手だと。倒せる倒せないじゃなく、勝てない方向で。
通りすがり六世様
自分は既にグロッキーです。スライム怖い。天使の羽と悪魔の羽が生えてました、怖い。
ええ、冒頭は完全に思いつきでした。全く関係ないけど思いついたのでやっちまいました。
そして、どうすれば薬師の理性を断ち切れるのか、自分すらわからないです。
全員で迫ってもスルーしそうですし。
Smith様
エロ……、ですか。
何を隠そう私はエロが書けないです。いや、書けないこともないかもですが、何って、書いたことないんですね、これが。
書くなら各方面から勉強してこないといけませんね。エロに関してはまったく別の技術が必要なので。
というか、濡れ場のある小説を書いた高校生ってどれくらいいるやら……。
志之司 琳様
オレ・オレオ、製品化したらおいしいかもしれません。
そして、相も変わらず薬師の空気ブレイカーぶりが異常ですね。エロに発展しない方がおかしい気がするのに。
ベアトリーチェさんは今後あれやこれやと関わってくるようです。しかし、どうせ薬師だ。悩み解決ついでにフラグ立てて帰ること間違いなし。
そして、北海道では未だ雪が降る日があります。今日正に降りました。春度が足りないようです。
春都様
まったく意識しなければぽろぽろ甘い言葉が出てくるのに、というか。
出てくるからぽろぽろフラグを立てていくんですね、わかります。そしてフラグに埋もれて死んでしまえ。
あと、きっと泉助氏はデートとかセッティングしてくれると期待してます。
しかし、たまに勧められるXXXですが、やるなら自サイトの方ででしょうね。しかし、まだ書けるか分らん領域です。正直っ……、喘ぎとかっ、エロいの書ける方は凄いと思います。
最後に。
ベアトリーチェは非常に打ち難い。
それ故ビーチェにマイナーチェンジ。