『おーい、ユーリちゃん』
過去に浸る僕の思考を、現実に引き戻したのは。場違いに明るい、人の声だった。
『何か街のほうで、お前のコトを見つけたとか騒ぎになっているけれど大丈夫かー?』
声の主の姿は何処を探しても見当たらない。
当然だ。彼はここにはいない。全く別の場所にいる。
その声に僕は。
『あ、大丈夫。何とか逃げ切った。ただ……明日には、狩場を変えたほうがいいかなー、とか考えているんだけど』
口には出さず。“心の声”で応じた。
“魔王”用の特殊機能として、このゲームには本来ないシステム、パーティ間の秘匿チャット機能がつけられている。
元々はゲームマスターのために用意されたシステムを、改造したのだというのが僕たちの共通見解だ。
声には出さず心で強く思うことで、遠く離れた仲間……自分たちと同じ立場の“魔王”たちに自分の声を伝えることができる。
使う時の感覚としては、テレパシーみたいなものだ。といっても、実際のテレパシーがどんなものかは知っているわけではないけど……まあきっと、こういう感じなんだろう。
『というかキール、この近くにいるの?』
キールと呼ばれた声の主は、ああ、と首肯した。
彼は僕がこのゲームで最初に喋った相手……チュートリアルクエストの場所を教えてくれた、あの商人である。それがお互い66万分の7に当たるとは……酷い偶然もあったものだ、と心底思う。
『ちょっとあそこの街でしか買えないアイテムが必要になって……それの買出しにな。
まあ店に入るタイミングとかは見計らっているし、顔とかも極力見えないようにしてあるから大丈夫だとは思うけれど……』
何だかんだで、僕らの中で一番綱渡りしているのはキールだと思う。
マーチャントという、本来戦闘とは殆ど無縁、その上信頼第一の職業でありながら“魔王”に選ばれてしまった彼。
彼は何だかんだで、各地の街を渡り歩きながら生活している。危険極まりないとは思うけれど、彼に割り当てられた役割分担のこともあり、本人もそれでいいと納得しているので僕が口を挟む問題じゃない。
『なんなら今日は、僕の隠れているところに来る?』
『いや、尾行されたりとかあると困るからやめとく』
キールは実にあっけらかんとした声で答えた。
確かに彼には、こういうところに気を使ってもらわないと僕らとしても困る。
『……本当、こんな状況でよく街に出入りできるよなあ……』
けれど、街を中心に活動しながら……会う人会う人、どころか偶然通りすがった相手まで疑わなければいけないというのは……かなり疲れるはずだ。少なくとも、僕には耐えられない。
それでもキールは、こうやって耐えているんだから、凄いと思う。
『まあ、戦闘面では足手まといな分、こういうところで役に立たないと……って、あ。何かまたレベル上がってら』
『こっちもだ。皆反応ないし……狩りでもしてるのか、それとも誰かから逃げているのか……』
数の面で圧倒的に不利な僕たちだけど、その分――かどうかはわからないが、システム面においては他のプレイヤーよりも遥かに優遇されており、どのような状況においても“パーティを組んでいる”と扱われる。
普通なら違うダンジョンや街にいたりすれば、別のキャラクターが稼いだ経験点が入ることはない。そしてレベルについても、リーダーから上下どちらでも10以上離れているキャラクターは、パーティに入れることができない。
しかし、僕らは違う。お互いどんなに離れていても、レベル差がどれだけあっても。経験点が分配される。
おそらくは……僕のような初心者が選ばれた場合の保険だったんだろう。それのおかげで、何とか九死に一生を得たわけだけど。
というか、閉じ込められたそのタイミングでトッププレイヤーの一人だった“魔王”がソロでダンジョンに潜っていた、という偶然がなかったら……多分、死んでた。僕だけじゃなく、顔と名前が公開された時点で街中にいた“魔王”のほぼ全員が。
閑話休題。この機能の特性上、何処にいたって同じ経験値が入るので……基本的に、僕たちの行動はソロでの活動となる。
単独行動が苦手なキャラでもソロでの活動を強いられ、それを納得させられている理由はただ一つ――複数人が集まると目立つ一方で、分散していれば目立たないからだ。
『……本当は、皆でパーティ組んで狩りとかできたほうが楽しいんだろうけどね……』
まあ、一応は“魔王”以外……一般のプレイヤーたちともパーティを組む機能がついている。というよりもむしろ、“魔王”用のパーティ機能は、感覚としてはパーティと同等・それ以上に拡張されたギルドシステム、に近いのかもしれない。
でも……そんな機能があっても、他のプレイヤーとのパーティを組む機会があるとは、到底思えない。
『まあ俺も集団でわいわいやるほうが好きだから、そっちのほうが楽しいってのには同意するけれど……この状況じゃなあ』
僕も他のプレイヤーたちから誘ってきたとしても、それに乗れるほど……バカではないつもりだ。
――パーティを組むふりをして暗殺、下手すれば自分たちはモンスター相手の戦闘では死なないのをいいことに強力なモンスターを使って殺しにかかってくるかもしれない。
そういう危険性を考えれば、どんなに優しそうな人たちが相手だったとしても……肩を並べて戦う、なんてのは、リスクが高すぎる。
そんなことを話しているうちに、腹の虫が警鐘を鳴らし始める。
「っと……もうこんな時間か」
時間をチェックすると、いつも昼食を食べる時間になっていた。
このゲームは至極厄介なことに、空腹だけではなく飢餓までも再現されている。
ステータスや体のデータから算出された必要量の食事を取らないと行動不能――飢餓状態になり、その後はHPやMPがどんどん減っていく。そしてHPが0になった時は当然……死亡する、という訳だ。
そのため、充分な食事の確保は、殊に絶対にHPを0にする訳にはいかない立場である僕たちにとっては、命に関わる至上命題だ。
といっても、初心者プレイヤーが金を使い切ってしまった時のための救済処置はあり……僕たちもそれを活用させてもらっている。
ダンジョン以外のマップには、殆ど必ず果実の実る樹がある。今僕が拠点にしている場所にも、果樹が存在していた。
「よいしょっと」
早速手近な木に登って、その枝に実った果実をもぎ取り。そのまま太い枝に腰をかけ、一齧りする。
「う……」
一口だけで、甘い味が口いっぱいに広がっていく。
「相変わらず……胸焼けしそ……」
このゲームの木の実は本物の果物を再現した……というよりは、林檎や桃の果汁を混ぜ合わせて凝縮して固めたような味がする。味がとにかく濃いミックスジュース、とでも表現すべきだろうか。お世辞にも美味しいとは言えない、というかはっきり言って不味い代物だ。
しかしドロップで食べ物アイテムが手に入らなければ、これくらいしか食べるものがない。所詮、救済処置は救済処置に過ぎないのだ。
街に行けば様々な食べ物が売られているし、凝った調理がされた食事が食べれるレストランなんてのもある。
機材さえ用意できれば、プレイヤーが調理することだって可能だ。職人系プレイヤーの中には料理専門の者もいるし、彼らに頼めばかなり美味しい食事が食べれるだろう。
――これらはあくまで他のプレイヤーの話で、僕とは無縁なのだけど。
『突然なんだけど……キール』
『どうした?』
僕は無茶を承知で、思ったことを口にしてみた。
『……食べ物とかって、さ。仕入れられないかな?』
きっかり2秒後。
『無茶言うな』
キールから、青筋でも立ってそうな返事が返ってきた。
『無理、だよねー』
『むしろ、食料買えるんだったらやっているって。俺だってうまい飯は食いたい』
『ですよねー……でも実際のところ、何が問題なの?』
その質問に対する回答は溜息交じりだった。
『食料系アイテムを扱っている店とレストランは、大手のギルドの連中が交代で見張っていやがる。おそらく、俺たちが痺れを切らして飯を食いにくるのを狙っているんだろう』
何というこちらの心理に付け込んだ作戦……腹は立つが、確かに相手側の行動としては正しい。
屋外ならほぼ何処でも、タダで食べれる木の実の類の味が不味いと知っているなら尚更、つけ込む隙として考えるだろう。彼らの立場に立てば、これは悪くない手段だ。
――被害を蒙る側としては、心の底からムカつく嫌がらせだけど!
そんなことを思いながらもう一口、果実を齧ってその甘さを唾液で和らげているところに。キールが更に苛立ちの炎の燃料……現在の街の光景について、感想を述べる。
『あー、くそー……。こっちが大変な思いをしながら生きているっつーのに、弁当持った一般プレイヤーのカップルどもが、街占拠していやがりますよー。こいつらみんな死ねばいいのに』
『このゲーム料理スキルとかその辺りが無駄に手が込んでいるから、手作り弁当とかは余計に腹立たしい……。こっちはテレパシー飛ばしながらまずい果物で済ませているというのに……』
他の人の反応がないことをいいことに、秘匿チャットを独占し妬み嫉みの感情を吐き出す。
僕は母親の一件があるので、自身の恋愛そのものにはあまり興味がない。そう、自分が女の子とどうこうという話には興味がないのだけれど……、他人の幸せそうな恋愛とかを見てると、どす黒い感情が湧き上がってくる。
自分でもどうかと思うけれど、三つ子の魂なんとやらだ。この件については僕は全面的に悪くない。何か問題が起こっても、情状的酌量の余地があり、無罪放免となるはずだ。
当時3歳の子供の前でその辺の昼ドラなんて目じゃない醜い愛憎劇を演じトラウマを植えつけた、両親と名前も知らないストーカー女が原因なのだから。
『ゲームの中じゃあ、“ただしイケメンに限る”理論も通用しないからな……カップルができることできること……』
キールの声はわなわなと震えている。
男も女も、殆どのプレイヤーが……よほどのキワモノ趣味か身内での笑いを狙いでもしない限りは、整った外見をしている。
とはいえ、この非常事態にカップルが出来上がってこれ見よがしにイチャついているのには、見た目さえよければどうのこうのという問題だけではなく……俗に言う吊り橋効果の存在も大きいのだろう。
仮想現実の世界に閉じ込められ、どうなるかわからないという極限状況。そんなところに魅力的な外見の異性が近くにいたら……という心理状態は理解できなくもない。
そして、この世界において間違いなく、最も命の危険に晒されている僕たち7人の……男女比率は、男6の女1。
『……うう……同じように“魔王”として選ばれたとしても、男女比が男3の女4なら……少なくとも男4の女3くらいだったなら……。空気読もうぜアスタロトさんよぉ……』
キールが嘆くように、現実はとことん……特に僕たちに対しては、完膚なきまでに非情だった。