さて。その日の授業を終えて放課後となり、知り合いの農家の手伝いのバイトを終えて家に帰ると、既に明かりが点いていた。父は既に帰って来ているらしい。
「ただいまー」
「おう、お帰り」
唯一の家族である父は、ソファーに座ってニュースを見ながら、酒を飲んでいた。
まだお酒には早いんじゃないの、といつものようにからかおうとしたけれど……やめておいた。今日は余計なことを言って、機嫌を損ねるわけには行かない。
まずは簡単なつまみを作って出して、父の様子を伺う。
「おう、ありがとな」
一言言うと、つまみを食べ始めた。少し目を離しているうちに、ニュースは先程までの全国のものから、地方のローカルニュースに切り替わっている。
とりあえず、現時点での機嫌は悪くなさそうだ。そう判断した僕は早速、話題を切り出す。
「父さん、その……ネット回線、新しいのにしない?」
「は? 今のでも充分だろ?」
予想通りの返事だった。
昔なら兎も角、今の父さんが見るのは精々、動画チャンネルくらいだ。そのくらいなら、今のでも充分な速度が確保できるし、新しい回線を入れる必要はない。
言い訳を考えている間に……父はこちらの目的を見抜いたようだ。
「お前……もしかして。ヴァーチャルリアリティのネットゲームに手ぇ出すつもりじゃねえだろうなあ?」
やめとけやめとけ、と手を振る父。
「ありゃMMORPGもFPSも、普通の奴よりも廃人になる確率高いんだろ? 危なっかしくてしょうがねえ」
「ネトゲの女関係で母さんに逃げられた人に言われると、なんか説得力があるようなないような……」
それを言われると、父さんがげほげほと咳き込む。
僕が3歳の頃。父さんはネットゲームで知り合った女性に押しかけられた。
相手はどうやら、いわゆる現実と妄想の区別がつかない人種で――ゲーム上の愛の告白を真に受けて、ストーキングに走ったとのこと。
こんな山奥まで襲撃する彼女も彼女だが、妻帯者でありながらネット上とはいえ恋愛する父さんも父さんだと、今の僕は思う。
何れにせよ、それに対して母さんはぶち切れて、自分が書くところは全部記入した離婚届だけを置いて家を出て行った。その後は音信不通だ。実家に帰ったのか、その後別の人と結婚したのか。それすら伝わってこない。
その一件以来、父さんはネットゲーム、というかゲーム全般に手を出していない。まあ僕の世話でそれどころじゃなくなったというのもあるだろうけれど。
「本当、口だけはうまくなりやがって……一体誰に似たんだか……」
「母さんと一緒にいた3年間と、父さんと一緒にいた17年間。どっちが長いか考えればおのずと答えは出そうなものだけど」
そんなことを言ったら、こいつめ、と軽く小突かれた。
「そういうこと言うんなら、回線の話は聞かなかったことにするぞ」
「あっ、ご、ごめんっ!」
慌てて謝る僕に、父さんは苦笑を返す。どうやら本気で怒っているようではなさそうだ。
「父さんお願いっ、初期の工事代とかその辺は、後でバイト代で返すからっ」
ぱんっ、と手を合わせて頼み込む。
父さんは暫く、何事かを考えていたようだったけれど……。
「しゃーねーな……来週の期末のテストで全教科80点取ったら考えてやる」
考えてやる、という返事が返ってくるということは、了承を取ったも同然だ。
結局折れたことに、僕はこっそり、父には見えないようにガッツポーズした。
その後、いつもの試験よりも気合いれて勉強して――公約を果たすことに成功する。
そして、試験結果が返ってきた直後の土曜日。
僕と同様に親と約束を取り付けて回線を新しいものに更新できたクラスメートたちと一緒に、ゲームソフトを買いに行くのに、街へと出かけることになった。
バスで揺られ続けること数十分――田畑や山の風景よりも建物が目立ち始めたところで、話題は、どうやって親を説得したか、というものになった。
「ウチは比較的楽だったなあ。みんな新しいもの好きだし」
「こっちは兄貴と二人がかりで説得したぜ。まあ兄貴はMMORPGよりも、よりリアルなFPSとかしたいみたいだけど」
という、みなもや健太のような比較的楽な例もあれば。
「すっごい苦労したよ……うちの親、回線の違いとかも全然わからないアナログ人間だから」
「俺のところもそんな感じだったな……今の回線、いつ使えなくなるかわからないとか適当に騙したけど」
彼らのようなかなり苦戦した例もある。というか、親を騙すな。
さておき。そんなことを話していると、駅前の繁華街へと到着する。
そして早速ゲームショップに向かい、特設されているヴァーチャルリアリティMMOコーナーへと向かうのだが、そこで僕たちが見た物は。
予想以上の数の、ソフトのパッケージの山。
「何というか……どれを買っていいかすらわからないね……」
「運営会社の数だけでも数十社はあるからなあ……群雄割拠、というのも困りもんだな……」
選択肢が多岐に渡るということは、メリットでもありデメリットでもある。
そして、慣れた人ならともかく……ネットワークを介したヴァーチャルリアリティゲームの初心者である僕らにとっては、どれを選んでいいかわからない、というデメリットのほうが圧倒的に強い。
事前に評判のゲームを詳しくチェックすべきだったかなあ、と途方に暮れている横でみなもが動き、パッケージをひとつ、手に取った。
「とりあえず、最初は……これにしてみない?」
「……パンデモニウム?」
みなもが見せたそのソフトのタイトルを口に出す。
名前くらいは聞いたことがある。すごく人気のゲームだという話も。
でも実際にどんなゲームなのかは、知らなかった。
「そう。今のヴァーチャルリアリティタイプのMMORPGでは一番人気。プレイヤー総数はなんと100万人!」
実際のところどのくらいすごいのかは、漠然としすぎていてよくわからない。
「100万って……仙台の人口くらいか?」
「そいつはすごい」
小学校の修学旅行でついたイメージのせいで、僕らの間で都会といえば仙台だった。
中学の時は東京に行ったけれど。あれはもう、何と言うか。僕らにとっては外国とか異世界とかの類だったから……。
「そうねー……ウチの県全域の人口と比較すると……半分くらいかしら」
「……それだと微妙だな」
健太の微妙発言には苦笑しながらも納得せざるを得ない。
面積を見れば全国屈指だから広い分の人口はいるはずだし、大きな市とかは流石に数十万人の人口がいるはずなのだが……それでもどうしても、田舎のイメージがついて回る。
「少なくとも、うちの地方の人口よりは多い」
「だろうな」
「それはまあ当然だろうね」
県内を3つに分けた場合、うちの地方は他の2つの地方と比べて、大きな市が少ない。となると必然的に、他の地方と比べて人口は少なくなる。一番大きい市で人口10万人強ということを考えると、100万人どころかその半分もいないかもしれない。
そんな会話をしながら、僕もパッケージを手に取って、値段とかを確認する。
ソフトそのものはそれなりに値段が張るけれど、月額料金はかなり安い。大人数のプレイヤーを抱えているからこそ、値段を安くできるのだろう。
「スタンダードなファンタジー系だし、これでいいんじゃないかな?」
「そうだな」
他の皆もそれぞれ、パッケージを手に取る。そしてそのまま揃ってレジに向かい……バイトと思しき若い店員に微妙な顔をされることとなった。