食事が終わった後は、真っ直ぐ次の目的地へと向かう。
「えーっと商業エリアは……ここを真っ直ぐに行ったあたりか」
ゲーム内の大体の街には、NPCの運営する店が立ち並びプレイヤー商人も集まる場所は商業エリアと呼ばれる場所が存在する。
他にも、先程までいたレストランやその他の娯楽施設が軒を連ねる娯楽エリア、宿屋や住居が並ぶ居住エリア、ゲーム内婚姻を始めとした様々な役所があり平常時にはGMも常駐していたという公共エリアなど、どの街にもある共通の区画というのはいくつかある。まあ、その殆どの機能を僕たちが使うことは……こんな機会でもなければないのだけれど。
余談だが、転職クエストのためにそれぞれの職業ごとに設置されたNPCも、大抵は街の中にいる。
このゲームの転職システムだと、一次職を選んだ後は、次になれる二次職の選択肢はかなり狭まる。アーチャーの場合なれる二次職はハンターやガンナー、といった具合にだ。
アーチャーを選んでいた僕は、野外で人がいないタイミングを見計らうことができれば、簡単にハンターへと転職できたけれど……人が集まるところにNPCが設置されている場合はそうもいかない。当然のごとく市街地が活動の中心となる商人系のキールなんかは、転職NPCに近付くこともままならず一次職のマーチャントのままだ。
「まあ、こんなことになるとは作った人も思わなかっただろうし……」
ぼやきながらも、街の中を見渡す。
僕たちが生まれた2000年代のゲームを父さんに借りてやったことがあるが、あれからどこをどうやったらここまで大きな世界ができるのか、不思議でならない。
交通網が殆ど存在しない上に、僕たちは転送サービスなんて使うことがない、むしろ使えないから余計に広く感じるんだろうけれど。
「こんな大きな街が、他に9個もあるんだから……本当に大きいんだよな、この世界」
ゲームの世界の中に設置された街は10個、小さな村落とかはいくつもあるらしいけれど殆どのプレイヤーが街を拠点として動いており、各都市に住んでいるプレイヤー人口は6万人くらい、らしい。現実で言うところの、小都市くらいの規模……僕の個人的な感覚だと、県内で地方の代表的な都市以外の市の人口くらいはある、といったところだ。
街のキャパシティ的にはそれぞれ10万人くらい、全部あわせればゲームのプレイヤー全員を抱え込めるキャパシティがあるらしいけれど、プレイヤー全員が都市で暮らしている訳ではない。人口にして約6万人、11人に1人くらいの割合で、街の外に拠点を作っているプレイヤーがいるのだ。
こんなギスギスとした雰囲気になっている街よりは、小さくともまだ雰囲気はいいであろう村落を拠点としたいプレイヤーも多いのだろう。僕も、“魔王”でない一般のプレイヤーだったらそうしていただろう。……意味のない仮定だけど。
「それにしても……キールの奴、よく耐えられるよなぁ」
改めて、こんな重い空気の中、都市人口のほぼ全員から狙われている中で、あちこちの街を転々としながら街での潜伏を続けるキールの精神力でのタフさに恐れ入る。
僕、というか人並みの神経の持ち主じゃ絶対に無理だ。ただ図太いだけでも、それはそれで無理だろうけれど。
――キールはもう既に、人間から違うものに精神そのものが変質しつつあるのかもしれない。
自分でも失礼なこと言っているとは思うけれど……そのくらい人間離れしていないと、こんな環境には到底耐えられないと思う。
――僕も変わっていくのだろうか。それとも、自分が気付かないだけで変容しつつあるのだろうか。
そんなことを考えながら歩いていると……曲がり角にさしかかったところで他のプレイヤーにぶつかった。
「……あ、すみません」
即座に謝るが、ぶつかった相手の顔を見た瞬間背中を嫌な汗が流れる。
その相手とは……亜麻色の髪の、見覚えのある、というか顔を忘れるわけもない、聖騎士の少女……。
「……ッ!」
――げぇっ、みなも! じゃなかった、ジャンヌ!
これはかなりヤバいが、しかし、それを顔に出すわけには行かない。下手に動くと怪しまれる。
「……?」
何故かジャーンジャーンという銅鑼の音の幻聴が聞こえる中、みなも、もといジャンヌはこっちの気持ちなんてそ知らぬ顔で、じっと無言で見つめてくる。
「あ、あの。どうかしましたか?」
緊張のためか上ずった声が出てしまう。怪しまれないといいけど……。
「すいません、リアル知人のアバターに似ていたもので。まあ、そいつは男なんですけれど」
「そ、そうなんですかー」
まあ、間違いなく僕のことだろうな。うん。
「そいつもハンターでして」
「66万人もプレイヤーがいるから、外見が似ているということもありますよ」
いくら組み合わせが多彩とはいえ、このゲームの中の外見なんて、所詮はデータの組み合わせにすぎない。となれば、いくらでも似た外見の人間はできるだろう。
「ですよねー。まあ、アイツが女装とか性転換アイテムとか使うとは思えないんで、別人ってのはすぐにわかったんですけれどね」
「へえ」
「中学時代にちょっとしたお茶目のつもりが、物凄いトラウマになっちゃったみたいですから♪」
お前……ッ! あれをちょっとしたお茶目と言い張るかっ……!?
あれはどう考えても、末代までの恥クラスだろ!
「そうなんですかぁ」
しかし、内心どれだけ怒りに打ち震えようとも、表向きは平常心であるところを見せないとならない。
悪いのは彼女ではない。アスタロトだ。そんなことはわかっている。全てあの女が悪いのなんて、最初からわかりきったこと。
だけど、それでも……! それでも、腹立たしいものは腹立たしい……!
「それでも、やっぱり似てるなぁって」
そりゃあ、本人だもんな!
「あ、あの、私買い物とかがあるんですけれど」
「じゃあ、あたしもこの辺で。引き止めてごめんなさいね?」
そしてみなもは、僕が向かうのとは逆方向に立ち去っていく。
「……」
とりあえず、最大の危険は去った……。
でもどうしてだろうか、何か空しさを感じるのは……。
「僕は……気付いて欲しかった……? いや、そんな馬鹿な……」
ここでバレたら恥かくどころか、命が危険に晒される可能性だってあったのに?
一体、何を考えているんだ僕は。
「……と、とりあえず……商業エリアに行こう」
まずはアイテムの買い出しをしなければ……と、目的の場所へと向かう。
しかし、僕は向かった先で信じられないものを見て、その場に立ち尽くすこととなった。
「……っ!? 何だあれ……?」
商業エリアの中心にある噴水広場。プレイヤー商人も多く集まるそこで……アルケミストの青年が、制服姿の集団から暴行を受けている。
無論彼は、“魔王”じゃない。
プレイヤーにとって倒すべき敵である“魔王”じゃない彼が……一体どうして、プレイヤー集団であるギルド、それも街を支配するような大手ギルドのメンバーから、あのような暴行を受けているんだ?
呆然と立ち尽くしていると、周囲からひそひそとした話し声が聞こえてくる。
「あっちゃー……やっぱりなあ」
「無許可で商売したから自業自得ではあるけれど……」
ちょっと待て。それだけであんなことをしているのかあのギルドの連中。
というかそもそも、許可って何だ、許可って。商人系とか生産系の職業ってのは大体、スキル取ればどこででも露店開けるんじゃなかったっけ?
……検討はつかないこともがないが、矢張り詳しい話を確認はすべきだろう。
「あの、許可って一体……?」
近くで傍観している商人の一人に質問してみると、彼は溜息混じりに答えてくれた。
「ああ。もしかして他所の街から来たのかい? 他所じゃどうだかは知らないけれど……この街だと商人職や生産職は、ギルドの許可なしじゃ商売できんのさ」
「商売できないって……」
「あいつら、俺らからみかじめ料取って、ギルドの運営資金にしているからなあ。最も会計あたりがピンハネしているって噂も耐えないけど」
「それって……その所為で物価が上昇しますよね?」
みかじめ料の分は商売で補わなければならないだろう。
そうすれば、アイテムの価格は上がり、ギルドとは関係のないプレイヤーに迷惑がかかるのではないか。
「ああ。とはいえ、俺たちみたいな非戦闘職のレベル上げのサポートはあいつらがやってくれるからなあ……難しいところだよ、本当」
確かに、非戦闘系の職業である彼らは、単独でのソロ狩りによるレベルアップを続けるのは難しい。
だから誰かが支援してやらなければならないというのはわかる。
でもそれで弱みを握る、というのは……間違っている気がする。
「あいつはギルド未所属のプレイヤーに、俺たちの店よりも安く薬売ってボロ儲けしてたからな」
「いい気味だぜ、本当」
思い悩んでいるところに、彼の同業者――アルケミストたちらしき声が聞こえてくる。
彼らにとって、私刑を受けている人物のことは全くの他人事……それどころか嘲笑の対象らしい。
それ以外の人たちも……不快そうにする人は多いけれど、ただ見ているだけ。誰も彼らの暴挙を止めようとしない。感覚が麻痺してしまっているのだろうか?
僕は、その光景が信じられなかった。信じたくなかった、と言った方が正しいかもしれない。
同じ立場のはずの人間にこんなことしている奴らが、許されていい訳がないはずなのに! 何で誰も何も言わないんだ!
「……ッ!」
――いい加減、傍観するのも限界だ。
僕は、彼らのほうへと一歩だけだが、足を踏み出す。
「おい、嬢ちゃん。近付かないほうがいいぞ」
しかし、一般プレイヤーの一人……重い鎧を着込んだ体格顔立ち共に厳つい重戦士の大男が僕の肩を乱暴に掴んで、制止してきた。
「何でですかっ!?」
「“魔王”に殺されるわけじゃない……PKされたとしてもレベルが1下がるだけだ」
「レベルが1下がるって、“粛清”に遭う可能性が高くなるんじゃ……」
大男は頷く。
「だけど、あいつらみたいなでかいギルドでも組まなきゃ、攻略なんてできそうにないからな」
「だからって、ギルド所属の人間以外の生殺与奪まで握られるのは……絶対に間違っている!」
一体彼らは、何様のつもりなんだ。
昔からこのゲームをやっていたとか、運良く大きなギルドに入れた……それだけで権力を握って……形振り構わず、好き放題。しかも彼らのやっていることが、被害者にとっては自分の生死に関わる問題になりかねない。
こんなことをやっている彼らが、許されていい訳がない。見逃していい訳がない。
「まあ、気持ちはわかるが……お前さんも痛い目に遭いたいのか?」
「……!」
姿形が変わっても“魔王”は“魔王”。戦闘すれば、それはPVPの範疇を超えた殺し合いになる。
彼らは弱者相手に暴力を振るっていい気になっているだけで、レベルは大したことはない。ほぼ確実に一蹴することができる。だが、彼らを殺してしまえば僕が“魔王”であることがバレてしまう。それはまずい。
しかし、ここで仮に彼らを殺さない程度に痛い目に遭わせた場合でも、他のギルドメンバーが集まってくるだろう。
いずれにせよ、僕にできることはない。歯を食いしばって拳を握り締めて、ただ見ていることくらいしか。
「装備を見たところ、あんたも安心できるレベルじゃねえんだろう? 他人の心配をしている余裕あるのか?」
そうだ。彼の忠告とは別の意味で、他人の心配をしているところじゃない。
「……そうですね。でも、悔しいです。何もできずに見ているだけ、っていうのは……」
「俺もだ。これじゃあ、どっちが悪魔かわからん……傍観している俺たちも含めて、な」
大男は肩を落として溜息を吐く。彼もかなり良心の呵責は覚えているらしいが、あの中に飛び込む勇気はないらしい。
「本当……おかしいですよね、こんなの……」
僕は彼の意見に頷きながら、ぼんやりと……秘匿チャットでの他愛もない会話から出た、あるエピソードを思い出す。
――パンデモニウムという単語は、全ての悪魔、万魔殿といった意味を持つ。
誰か……誰が言ったかははっきり思い出せないけれど“魔王”の一人が言っていた。
開発者がどうしてこんな名前をつけたのか、僕たちには知る由もないけれど……今の……ゲームとしての秩序を失ったこの世界に、相応しい名だ。
心の底から、そう思った。