拝啓、父さん。
僕がこのゲームの中に隔離されて早くも1ヶ月と半月が過ぎようとしています。
もう果物だけの食生活を送るとかマジでうんざりです。おいしいものがたべたいです。
え、みなもから強奪した保存食があっただろう……? その日に食べつくしてしまいましたよ、そんなもん。黙って独り占めにしておけばよかったのに、みんなで分け合った結果がこれだよ!
街に行けばおいしい食べ物が一杯あります。
でもそれを待ち構えて狙っている畜生どもがいる以上、普通に突貫しようものなら死にます。
だけど、手に入れちゃったんです――この状況を解決しうる、アイテム。
「けど、それでもっ……人の道を踏み外していいものか……!」
わなわなと震える手で、先ほど手に入れたばかりのアイテムを見る。
――反転の木の実。
比較的低レベルのモンスターでも落とすが、確率的には滅多に手に入らないレアアイテムの一種だ。
効果は、ログイン中24時間、性別が反転するという……ただそれだけの、データ的には何の役にも立たない、いわばネタアイテム。
しかし、ほぼ全プレイヤーから命を狙われているこの状況で、人目を憚ることもなく街へと出かけられるのは……僕たちにとっては、かなり大きい。
効果が絶大なのはわかっている。しかし、僕にだって男としてのプライドというものがあるわけで。
「女の子のフリをして……ご飯食べにいくのはなあ……」
男としての沽券を取るか、動物としての食欲を取るか。
非常に悩ましいが、こればっかりは他の皆に相談するわけには行かない。
プライドよりも食欲を選びそうな奴もいれば、そもそもラケシスなんかは僕らと比べると悩む必要もない。
こちらが悩んでいる間に、取られてしまうのがオチだ。
「くっ……。どうすればいいんだ……!」
完全に女性の体になるか、たんに着替えるだけなのか、という差はあれども……ようは女装をするわけだ。
しかもそれを衆目に晒すことで……似合ってようが似合ってまいが、男としてのプライドはズタズタに引き裂かれてしまう。
実際、どれだけ精神的に陵辱されるかは……この身をもって知っている。
そう、忘れもしない……忘れたくても忘れられない、中学2年の時の学芸会での演劇!
しかも演目はシェイクスピア作の不朽のラブストーリー、ロミオとジュリエット!
みなもの「どうせなら男女逆転劇やろうぜ!」という明らかにその場の思いつきでの発言により、村中から集まってきた観客の前でドレスを着せられた挙句、相手役の男に扮したみなもとラブシーンさせられたという辱めは、今更のように思い出しても鳥肌モノだ……!
他の男子一同のように単に笑いものにされただけならまだマシだったんだが、中途半端に女顔だったばかりに「夕樹ちゃん似合ってるわねえ」とか「ウチのバカ息子の嫁にならんか」とか言われて……おのれみなもッ! やっぱり絆されずに殺すべきだったか!?
ああもう、今思い出しても恥ずかしくて死にそうだ……!
「でも、なあ……」
そのような恥をかいている経験があるにも関わらず、僕は迷っていた。
何せいつ死ぬのかわからない、この状況。ここで食べに行かなければ後で、女の子の体になってもお腹一杯ご飯を食べておけばよかった、と後悔するのではなかろうか?
旅の恥はかき捨てとも言うし、ここはプライドを捨ててでも……。
「うう……」
悩みに悩み抜いた末に、僕が出した結論は――。
「し、知っている人にバレなきゃいいんだよ! そうだよ! みんなにバレなきゃいいんだ!」
恥ずかしいのは、知り合いとかに見られるから、なのだ。そしてこのゲームの中において知り合いなんて数えるくらいしかいない。
知り合いでもなければまずこっちが性別を変えていることには気付かないだろうし、恥ずかしくもなんともない……とまでは言わないが、大分緩和される……と思う。多分。
それに性別変更は体そのものが女性のものになるから女装じゃない! 女装じゃないから恥ずかしくないもん!
「よし……やるか……」
手にした木の実を、食い入るように見つめ……口元に運ぶ。
だが、いざ木の実を食べようとすると、不安になってくる。
本当にこれでいいのか、とか、バレなければいいやと思いはしたもののバレたらどうしよう、とか、さらに無駄に悩むこと約10分。
「――ええい、ままよ!」
半ばやけくそになり、口に木の実を含む。
「うわ、まずっ!」
が、2秒後。思わず木の実を口から吐き出していた。
不味い不味い、これはヤバい。普段食べている果物も美味しくないけど、これはひどすぎる。甘くもなく辛くもなく酸っぱくも苦くもなく、それでいて不味い。ただただ、不味い。筆舌に尽くしがたい不味さとしか言いようがない。
しかしすぐに吐き出しても効果はあったらしく……あまりの不味さに身悶えているうちにも体が光に包まれ、少しずつ変化していく。
光が止んで、こちらの口の中も落ち着いた時には、身長が多少低くなったのか視点が下がり、体そのものも柔かくなり……装備のデザインも女性用のそれへと変わっていた。
「あ、あー。マイクテスト、マイクテスト。本日は晴天なり」
試しに喋ってみると、少女らしいソプラノの声が出る。
「ちゃんと声も変わるのか……となると問題は、秘匿チャットのほうだな。色々言われるのもアレだし……今日1日は使わないほうがよさそう、かな? 心配されそうだけど……」
――まあ、外見変わっている分狙われる確立も下がるから、なんとでもなるだろう。
そんなことを考えていると、がさり、と後ろから音が聞こえた。
「……え?」
振り向くと……豚頭の亜人型モンスター、オークの姿があった。
「メスだ……」
「ニンゲンのメスだ……」
そうだ。男の体だとその辺あんまり気にする必要もないからすっかり失念していた。
「そういえば……この辺、オーク系モンスターがよく出るんだっけ」
女性プレイヤーにとって、亜人系モンスターのヤバさは周知の事実。
当然この辺を一人で通りかかる女なんぞいないわけで。
すると。当たり前のことだけど、彼らは女に飢えているわけで……。
「……やっばぁっ!?」
慌てて離脱スキルを使い、その場から逃げ出す。
不幸中の幸いなことに、オークには飛び道具を使ったり魔法を使ったりする亜種は存在しない。
そして彼らは元々、鈍足なモンスターだ。スピードを重点的に上げている僕に、追いつけるわけがない……が。
僕はこの時、致命的なミスを犯していた。
どちらの方向に逃げるか、地図を確認するのを怠り……慌ててその場から逃げ出したお陰で。
「……げっ!?」
気がついたときには、オークの集落に、突っ込んでいた。
「あ、あははー。こんにちはー。いいお天気ですねー……っていうかこのゲーム、特定マップ以外はいつも晴天だけど」
突如飛び込んできた女……即ち僕の姿に、オークたちの視線が集中する。
「ひいいいいっ!? ちょ、ま、僕リアルでは男なんで! 今こんなことになっているけれど、そういう趣味ないんで!」
必死に弁解するが、時既に遅し――飢えた豚頭の亜人たちが、一斉にこちらへと殺到してくる!
「ぎゃーっ!?」
少女の姿に似つかわしくない奇声を上げ、反射的にその場から走り去る。
が、いかんせん数が多すぎる。完全に振り切るどころか
「か、かくなる上はッ!」
離脱スキル応用の跳躍で垂直にジャンプ。
そこから頭上の木の枝を掴んでぶり下がり、そこから強引によじ登り……ひたすら、頭上から豚頭を狙い撃ちにしていくが……そうこうしているうちにも、撃ち洩らした連中が、こちらへと登ってくる!
「うあああああっ!? く、来るなぁぁぁぁっ!?」
そして、数体のオークがこちらの枝へと渡ろうとした瞬間。
ぼきり、と嫌な音。そして、重力に従って落ちていく感覚。
ジャンプで届く高さ程度では高所落下ダメージを受けることはない。だがしかし、落下先には気持ち悪いくらいの豚の群れがいる訳で……ッ!
「離せぇぇぇぇっ!?」
脂ぎった豚人の手が、僕の体に触れる。
こっちも必死で抵抗するが多勢に無勢。奴らは露出している太腿に手を這わせ、小ぶりな部類に入るであろう胸を強く……握りつぶすくらいの強さで揉みしだいてくる。
「ひぎぃっ!?」
女性は胸は小さい方が感度がいいとかいう俗説があるけど、これでは気持ちいいどころかただただ痛いだけ。
斬りつけられたり、何かが刺さったのとは全く違う……これまでに経験したことのない類の痛みに、目に涙が滲んでくる。
「あ、ぐっ……ひぃっ!?」
苦痛に身もだえ、歯を食いしばっていると……首筋をオークの舌に舐められて、あまりの気持ち悪さに思わず上ずった声を出してしまう。
僕の悲鳴に気をよくしたのか、オークはさらに顎や横顔、更には耳の中にまで舌を這わせていく。
他のオークたちも興奮してきたのか、手の動きが乱暴さを増し、荒々しく体をまさぐってきて……更にはショートパンツのジッパーを下げて、その中に手を突っ込んでくる輩まで……。
「悔しい、でも感じちゃう……なんて言うかと思ったか!?」
むしろ、あまりの気持ち悪さに、堪忍袋の尾が切れた。やっぱり、このまま成すがままにされるよりかは、結局無理だとしても最後まで抵抗すべきだ!
心がそうと決まれば話は早い。即座に両手にそれぞれ一本ずつナイフを呼び出し、こちらの体を弄っていたオーク二匹の首を掻き切る!
更にそれを別のオークの脳天に投げつけて、突き刺し、さらに二体をあの世へと送り出す。
亜人どもは、こちらの動きを予想していなかったらしい。呆然とその場で棒立ちになって立ち尽くしている。
「はぁぁぁぁぁっ!!」
雄叫びにも似た叫び声を上げて、再びナイフを手にし、オークたちの首を撥ねていく。
でも到底楽観視はできない。むしろ、数匹殺すごとに絶望感が増していく。
直接触れてた奴らは倒せたけど、敵の数が多すぎる。それに対してこちらの取れる手段が圧倒的に足りない。
当然のことだけど、こんなところでオークどもの手にかかるわけにはいかない。しかしこれだけの大勢を相手に、どこまで抵抗できるのか……。
焦燥感と不安に身を焦がしていた、そんな時だった。
「伏せろッ!」
離れたところから声がかかり、反射的に体を地面へと伏せた、次の瞬間。
ごうっという強烈な風が吹く音と共に。頭や背中に、生暖かい液体が降り注いでくる。
「……!」
滑りのあるそれの感触に、怖気が走る。
液体はすぐに蒸発していくが……何だったのかは確認しなくてもわかる。オークどもの血だ。
それが収まると、オークたちの体は光とともに崩れ去り……消えていった。
「今のは……」
おそらく十中八九、風属性の極大魔法――ウィンドガスト。無数のカマイタチを発生させ、急所を狙って切り裂く魔法だ。
「……風属性特化の、高レベル術師……? どうしてこんなところに……?」
ごくりと唾を飲み込む。この魔法の使用者は、明らかに……この辺に出るモンスターと比較して、強すぎる。
術師のスキルツリーの終着点にあり、術師系でもかなり高レベルかつ特定属性特化でなければ到底使えない。一つの属性に特化するということは属性が効かない相手にはかなり不利になるが、それを補って余りある性能を持っている。
この辺りについてはメルキセデクが他の皆とスキル取得について相談していたのを聞いていたからそれなりには知っている。
しかし、急所ダメージ補正があるとはいえ、一発で数え切れないほどのオークを消し飛ばすなんて芸当ができるとなると……とんでもない話だ。
「……」
外見が全く別人になっているから大丈夫だとは思うけれど、それでも一応は用心しながら……声の聞こえた方向へ視線を向ける。
声の主はこちらへと近付いてきて、微笑み、僕へと手を差し伸べてきた。
「大丈夫かい、お嬢さん?」
いかにも気障ったらしい印象を与える、長髪の高位魔術師……ウィザードの男だ。
一見優しそうな人だが、その微笑みの裏には何か厭らしさのようなものを感じる。……僕が“魔王”であるということを差し置いても、付き合うのは極力避けたほうがよさそうな人種のようだ。
「は、はあ……」
とはいえ、助けられた身だ。大人しく、差し伸べられた手を取って立ち上がる。
相手はかなり長身……本来の僕より頭一つ背が高いくらいだろう。これだけ背が高いと、ダンジョン探索とかには不便だろうなあ……とどうでもいいことが頭を過ぎった。
「オークに連れ去られて来たとかかな?」
「いいえ……その、オークを見かけて逃げていたら、方向間違って……」
嘘ではない。うん、本当のことだもんね。
「そいつは災難だったね」
そうこうしているうちにも、彼の仲間と思しきパーティたちが、周辺にいたオークたちを殲滅していく。
その手際は鮮やかで……、感心すると同時に高レベルのパーティがどれだけ恐ろいかを思い知った。
この人たちと同等以上のプレイヤーたちがパーティを組んで僕に襲い掛かった時に、果たして僕は勝てる――いや、逃げ切れるだろうか?
「ああ、怖がらなくていいよ。俺達は、PK行為とかは一切やっていないから」
どうやら僕の様子を見て勘違いしたらしい魔術師の男に、はあ、と曖昧に返事する。
というか、同じ立場のはずのプレイヤーを襲うPKまでいるのには驚いた。僕には縁がない話だけれど、聞いていて気分がいいものではない。
やがて、視界の中のオークは全て姿を消し……この場には僕と、彼らだけが残る。
「さて。俺たちはこの奥に用事があるから、この辺で失礼させてもらうよ」
そして彼らは、集落の奥へと入っていく。
その背中を見送りながら、僕は小さく独りごちる。
「……オークって、そんなにいいドロップとか落とさないよな……?」
武器とかその辺を落としはするけれど、それだって店売りの者にプラスアルファ程度のものだ。
少し性能は劣るけど店で買うなり、多少値段は張るだろうけれど職人に作ってもらうなり、強さに自信があるならばもっと高レベルのモンスターの出る場所で狩りを行なうなりしたほうがよさそうだ。
モンスター相手なら倒されてもレベルがひとつ下がるだけ、とはいえ……わざわざ危険地帯である集落の奥地に進んで入るメリットは……少ないように思える。
――それなのに、彼らはどうしてオークの集落なんかに来たのだろう?
不思議には思ったものの、あまりここには……いろんな意味で長居したくはない。僕は深くは考えずに、この場から一刻でも早く離れることを決意した。