その後、彼女が気がついたのは、HPやステータス異常が完全に回復してから60分、一時間後だった。
なかなか目を覚まさなかった理由は……彼女もレベル上げとかで無茶をしていて、かなり疲労していたんだろう……とは思うけれど、それが本当に当たっているかどうか、僕に確かめる術はない。
「気がついた?」
一応、相手の警戒を解くために愛想笑いくらいは浮かべておく。
「どうして……、あたしを殺さなかったの?」
彼女の口から出たのは、どこか責めるような声だった。
――むしろ、こっちが聞きたいよ。自分自身に。
そう思いながらも、僕は真剣な表情で彼女の顔を見つめ……。
「まあ、そんな怖い顔せずに……取引をしようよ?」
そのような話を、切り出した。
「取引……って……?」
彼女は戸惑いの表情を浮かべている。何故かほんのり、顔が赤い。
何か、すごい誤解をしているんじゃなかろうか。
その誤解を解くためにも、僕は早速本題に入った。
「君が持っている食べ物系アイテム全部と、所持金の半分をこっちに寄越してもらいたい」
それで命が助かるんなら安いものだよね? と僕は彼女に笑いかける。
「……所持金は兎も角、何故に食べ物まで?」
「……お察しください。色々と」
ジャンヌは少し考え込み。
「なるほど……言われてみれば確かに、マトモな食事を取れそうにないしね」
僕の考えを察し、頷いた。
「そういうこと。いわゆるギブアンドテイクというやつだね」
そう言って彼女を拘束していた縄を……手のほうだけ解いてやる。そうしないと、トレードウィンドウが開けないからだ。
足は縛ったままの上、妙な動きをすればいつでも撃てるようにクロスボウを準備してある。
彼女も……反抗すれば気が変わって殺されるかもしれない、ということはわかっている様子で、大人しくトレードウィンドウを開き……こちらに所持金と食料を送ってくる。
食料はパンや燻製肉、缶詰などの保存食系ばかり。この手のアイテムは持ち運びはしやすいものの、味はあまり上等なものではない。
扱いとしては、リアルにおけるジャンクフードのようなもの、と言っていいだろう。極端に不味くもないが、美味くもない……と言ったところだ。
もっとも、現実世界での僕たちのは、ファーストフード店なんてバスで数十分かけて街に出ないと行けない……そんなジャンクフードの類とは縁が薄い人種なので、この例えについては実感が涌かないし間違っているかもしれないけど。
何にせよ、こちらとしては滅多に食べれない貴重品。ありがたく頂戴することにしよう。
「じゃ、早速」
僕は送られてきたパンと鳥の燻製肉をそれぞれ一つずつ取り出す。それと、戦闘後に水を汲んだ水筒も出しておく。
「……今食べるの?」
「あの木の実じゃ、データ上は空腹度が回復しても、全然食べた気がしないし」
と、僕はパンをナイフで切って、肉を挟み……即席のサンドを作り、早速かぶりつく。
どちらかというと僕は、パンより米派なんだけれど……かれこれ1ヶ月ぶりに食べるパンは、とても懐かしく、美味しく感じられた。
燻製肉は見た目通りにかなり固くて……お世辞にもいい肉とは言えない代物だが、それでも久方ぶりの鶏肉の味は、僕の舌を悦ばせてくれる。
修学旅行のときに東京で食べた豪華なバイキング料理よりも、こんな即席のチキンサンドのほうが贅沢な食べ物のようにすら思える。
そのくらい、今の僕は人間らしい食事に飢えていた。
「ごちそうさまでした」
あっという間に食べ終え、彼女に感謝の言葉を述べる。
ジャンヌは呆気に取られたまま、こちらをじっと見つめている。
「もうちょっと、緊張感とか持ったほうがいいんじゃないの? プレイヤー皆から命狙われているんでしょ?」
「そう言われても……ずっと張り詰めたままというのは……きついし」
彼女は僕の言葉に顔を顰める。根が真面目なだけに、引っかかるものを感じたのかもしれない。
「あたしだって、あんたたちを殺すのを諦めた訳じゃないわ」
ジャンヌは、先程晒してしまった醜態のことなどすっかり忘れているかのように――いや、実際忘れているのかもしれないけれど――キッ、と僕の顔を睨みつけてきた。
その瞳には、研ぎ澄まされた剣を思わせる鋭い光が戻っている。
「友達を助けるため?」
「――そうよ」
予想通りの返事に、僕は思わず、顔を顰めた。
みなもの考えはわからなくもない。彼女らしいとも思う。
でも、それでも……僕は彼女に、冷たく言い放つ。
「やめときなよ。もう」
「何であんたに、そんなことを言われなきゃなんないのよ!」
ああもう。予想していたけれど、こいつはどうしてこうなんだか……。
「僕にだって負けたんだ。他の皆に勝てるわけないだろ」
「そんなの……やってみなきゃ、わからないじゃない!」
……性格の、負けず嫌いな部分が、完全に裏目に出ているなこれは。
みなもは昔から、実際に完膚なきまでに叩き伏せられるとかしないと、負けたと自覚しない。平時ならそれでもいいけれど、この状況では負けイコール死亡だ。
「そうよ、今回は攻略法が甘かっただけっ! だから負けたけど、次は反省を生かして慎重に……!」
その台詞を聞いた瞬間。僕の中で何かがぷつりと切れた。
「……僕たちを何だと思っているんだ!」
激情のままに叫ぶ。
彼女まで、そういう考え――ボスモンスターを見る目で、僕たちを見ているとは思わなかった。だから、余計に腹立たしく……僕の逆鱗に触れたのかもしれない。
「どうせ、ボスモンスターか何かだと思っているんだろ!
だけど、僕たちだって人間だ! 他のプレイヤーと同じように、アスタロトに閉じ込められて、苦しめられている人間なんだよ!
なのにどうして! どうして他の連中から狙われなきゃいけないんだよ……!」
側に立っていた樹を、思いっきり殴りつける。
流石にハンターに殴られて倒れるほど柔ではなかったが、幹や枝が大きな音を立てて揺れた。
「……っ、でもあんたたちが死ぬことでみんなが助かるのよ!?」
「それを保障しているのはアスタロトじゃないか! 同じ人間よりも、あの女を信用するのか!?」
こちらだって、僕たちが全滅することでアスタロトが勝利するという絶対的な証拠を掴んだわけではない。
……だが、一つだけ露骨に、プレイヤーにとって難易度が低い設定というのは、どう考えても怪しすぎる。
「それはそうかもしれないけれど、それを言い出したら他の方法だって……!」
「だろうね。そうだとしたら、彼女は僕たちを生きて帰すつもりが、そもそも全くないんだろうけれど!」
沈黙が流れる。
そして僕の怒りも、少しずつだけど収まっていく。
みなもは成績はあまりよくないが、バカじゃない。むしろ頭の回転は早いほうだ。僕の言いたいことはちゃんと伝わっている……はずだ。
「どうしろっていうのよ……」
「状況が変わるまでは大人しくしていろ、としか言えないな。僕からは」
「……っ」
ジャンヌは、震える自分の肩を強く抱きしめながら……その場に蹲る。
「……あなたたちが、プレイヤーだということがわかっても……私たちがアスタロトに騙されている可能性があるとしても……私は……っ、私にはっ……他に選択肢なんかないのよ……っ」
そして、涙を堪えながらも……彼女は顔を上げて、僕を強く睨みつけてくる。
おそらく彼女は、ギルドとかには所属せずに単独行動をしているのだろう。
攻略のための作戦行動が可能な大手のギルドは、“魔王”討伐を目的にするか否かに問わず……攻略をより効率的に行なうために古参のプレイヤーが集まっている、らしい。詳しくは僕も知らないけれど。
デスゲーム開始時に初心者だった彼女を受け入れてくれるようなところは、皆無だったろう。仮にあったとしても、そこに初心者が殺到するのは目に見えている。
大手ギルド所属でもなければ、“魔王”を殺害する以外の選択肢は与えられない。単独で攻略できる内容じゃないからだ。彼女が“魔王”を倒すという選択肢を選んだのも、それがきっかけだろう。
逆に、中小のギルドにとっては……“魔王”退治を目的とするジャンヌの存在は、重すぎる。場合によっては、彼女の勝手な行動によって“魔王”から報復されかねないのだから、受け入れるところはないだろう。
あくまで推測だけど――彼女は我が強すぎたが故に、自分から背負った責任感にがんじがらめに縛られて……孤独になってしまった。
人並みの意志力の持ち主なら妥協ができたんだろうけれど、彼女は不幸にもずば抜けた意志力の持ち主で、それが裏目に出ている。しかも自覚症状はあんまりないと来たもんだ。
これは信念そのものを揺るがさなきゃ、色んな意味で話にならない。
――仕方ない。お互いのためにもここは、切り札を切るしかなさそうだ。
「そこまで意思が固いんなら、さ。一つだけ聞いていい?」
「何よ……」
「もし、君が助けたいという友達のうち一人が、“魔王”だったらどうする?」
ジャンヌは息を呑む。
どうやら、そんなことは考えたこともなかったらしい。当然といえば当然だ。
66万人以上が同時に閉じ込められて、その中のたった7人に選ばれるなんてのは、相当運が悪くなければひっかからない。
僕だって、自分自身がこんなことにならなければ……現実世界の友人が巻き込まれた、とかそんなことは微塵も思わなかったんじゃないだろうか。
「そ、れは……」
「“魔王”が全てのプレイヤーからランダムに選ばれている以上、その可能性はゼロに限りなく近くても……ゼロではないはずだけど?」
真っ直ぐに彼女の顔を見るが、彼女はこちらから視線を逸らしてくる。
「でも、そんなのって……」
「よっぽど運が悪かったのさ、僕も含めてね」
何せ、不幸の女神とも呼べそうなあの魔女が選び出したんだから。
「じゃあ、あんたたちはどうなの? 例えば、私が現実世界の友達だったら……あんたはどうするの!?」
彼女の問いに、僕はあるがままに答えた。
「“今回は”手を下さなかったけれど。次があるなら躊躇いを捨てて……本気で殺すよ」
今回は、を殊更に強調すると……彼女の顔が見る見るうちに青ざめていく。僕の正体に思い当たったのかもしれない。
「それって……! う、嘘っ! そんな嘘吐いて脅そうったって……!」
彼女の信念は、情によるもの。だからそれを揺さぶられると、価値観が一気に崩壊していくのだろう。
明らかにうろたえ始める彼女に、僕は更なる追い討ちをかける。
「ねえ……みなも。僕は、僕のことを助けてくれた君を殺したくないんだよ?」
その一言で、確信に至ったのか。震える声で、彼女は僕へと問いかけてくる。
「夕樹……なの……?」
僕はその問いに、直接的に答えることはせずに……立ち上がった。
「まだ挑むというのであれば、次こそは容赦しない」
例え、現実世界の幼馴染だということが、お互いわかっている相手でも。
一度見逃されて……それでも、こっちの命を狙ってくるというのであれば、殺さなければならない。
今回は僕にとっても不意打ちだったから、どうしても覚悟が定まらなかった部分がある。
でも次に彼女に会うことががあるならば――それまでには、覚悟を決める。決めなければならない。
「それと、僕以外の“魔王”は……君にとっては赤の他人だ。君に情けをかけるなんてあり得ない。
返り討ちにあいたくなければ、簡単には“粛清”されない程度にレベル上げだけしていたほうがいいと思うよ」
「……! 待って、夕樹!」
背中にかかる、悲鳴にも似た叫び声。
でも、僕は振り返ることすらしない。
「――さよなら、“みなも”。
君が考えを改めてくれて……もう一度、ゲームの外の世界で、生きて会えることを願っているよ」
ただ、それだけを言い残して――その場から立ち去った。