その後。気がついた時には僕はジャンヌを人目につかない岩陰へと運び込み、僕が負わせた怪我の手当てをしていた。
まあ一応、こちらの身の安全のために……武器は没収、手と足はそれぞれロープで縛り付けて、拘束しているけれど。
「えーっと、化膿の治療はこの薬草で……っと。凍傷にはこっちの薬だな……」
このゲームには元々、応急処置スキルは全てのクラスについている。
更にハンターの場合は薬草学などのスキルがあり、時間さえかければ手当てに関しては万全の体制を整えることができた。
「……何やっているんだろう、僕」
思わず、乾いた笑みが浮かぶ。
本当に……自分でも、何をやっているんだかわからない。
確かに――ついさっきまで、本気で……彼女のことを殺そうとしていた、そのはずなのに。
とはいえ、僕の個人的な事情による勝手な判断で、“魔王”を狙う彼女を逃がすわけにも行かない。僕一人が個人的に、恨みを買って狙われているというのならともかく、そうではないのだから。
『……あのさ、みんな』
僕は早速、秘匿チャットで……仲間たちに声をかける。
『もし、リアルでの友人知人が……“魔王”を殺そうと、自分の前に現れたら……皆ならどうする?』
とりあえず、意見交換という形から始めることにした。
『いや、そんなこと言われてもなあ。相手がリアルの知り合いでも、外見も名前も変わっているだろうし判別不可能だろ? 元々こっちでのネームとか知っているならともかく』
『ネームを知っている前提、とかで考えて』
うーん、とキールが唸る声が聞こえる。
『……好きな子とかだったら、うっかり刺されるかもしれん』
そして出てきた彼の返答は、非常に判断に困るものだった。
他の人ならともかくキールがこういうこと言い出してくると、ギャグなのかマジなのか、判断がつかない。
『僕はリアル・ゲーム内問わず、知り合いならできる限り説得しようと思いますね……それでも本気で殺しにかかるなら……わかりません』
『私も似たようなものだね』
メルキセデクとファーテルの答えは、とても彼ららしい……予想通りのものだ。
逆に、意外だったのがレオンハルトの回答だった。
『“仮にゲームの中にいれば”一人だけ躊躇うかもしれない相手はいる。が、その相手がゲームをプレイしている可能性はゼロだからな』
『引退したのか?』
『ああ。妊娠しているから、ゲーム関係はこのゲームだけに限らず全て引退させてある』
思わず、全員が沈黙した。
“一人だけ躊躇うかもしれない相手”が、妊娠……?
『それってもしかして……』
いや、直接的なことは言うまい。それこそ野暮と言うものだ。
『本当は、俺も今頃は引退しているはずだったんだがな』
溜息混じりにレオンハルトが吐き捨てる。
子供の父親になる以上、当然といえば当然だろう。ゲームなんて時間のかかる趣味にかまけている暇はなくなる。
中毒性の強いネットゲーム、それもMMORPGなら尚更だろう。
『こっちでの付き合いの兼ね合いで、先月末まで……という話だった。それなのに……』
しかし、予定通りにはならず……彼はこのゲームに閉じ込められてしまった。それも、デスゲームのターゲットとして。
『何にせよ俺は、あいつ以外の人間なら、躊躇いなく殺せる自信がある。
こっちが知り合いでも手にかけようなどという奴は……こちらから願い下げだ』
『もし仮に、このゲームにその……彼女がいた場合はどうしてたと思う?』
キールの問いに、彼はくくっと笑った。
『さあて。ありもしないことを語るのは趣味ではないが……お前がさっき言ったようにうっかり刺されたかも知れん』
そして出てきたのは、彼らしくもない答え。
それに思わず呆れる僕たちに彼は、『俺も男だ、惚れた女には弱い』と苦笑交じりに語った。
恋愛というものに疎いというか、わざと興味を持たないようにしている僕にはその感覚がわからない。
でも、それでも。
――読心の力により人の醜さを知ったレオンハルトすら、信じたいと思わせるだけの強い感情を抱かせる。
愛情の力というのは、僕が思っているよりもずっと強いのかもしれない。
『ノアは……』
話題が脱線しそうになったので、他の仲間に話を振る。
『俺には、現実世界で親しい人間などいない』
しかしノアの返事は、案の定というか、ある意味極めて彼らしいものだった。
『だから、関係のない話だ』
『私も同じ感じ。リアルの知り合いで、自分の身を危険に晒してまで助けたいくらいに、親しい人間はいないわねぇ』
と、ラケシスがノアに同調する。
『え。ラケシスさんって、友達多そうな感じがするんですけれど……』
『あら、そう見える? まあ、リアルとゲームの中ではまるっきり別人だから、ね……』
彼女は彼女なりに、色々と事情というものがあるようだ。
実際、リアルでは人見知りが激しいのに、ネットワーク上では饒舌……という人間もこのネットワーク社会においてはそれほど少なくはない。悪い言い方をすれば、内弁慶ならぬネット弁慶、というやつだ。
ラケシスはそういう人種なのかも知れない。が、これ以上の詮索はしないほうがよさそうだ。それこそプライバシーに関わる問題だろうし。
『で、ユーリ。どうして突然、そんなことを聞いてきたんだよ』
『……襲い掛かってきたのが、リアルでのクラスメートだった』
僅かばかりの沈黙。
誰も何も言ってこないので、こちらから口を開いた。
『もっとも、戦っている間はわからないままで……気絶する直前にわかったことなんだけどね』
そして細かい事情を話す。
流石にリアルでのことを事細かく説明はしなかったけれど……彼女の人となりくらいは伝えておいた。
無論、“魔王”を殺害しようとする理由となっているであろう、責任感の強さのことも含めて。
『責任感が強いが故に、全部背負っちまったってのはなあ』
『彼女のせいでもないし、当然僕たちのせいでもない。全部アスタロトがやったこと……のはずなんだけれど』
溜息は何度吐いても吐き足りない。この1ヶ月とちょっとで……それまでの人生と同じくらいの回数の溜息を吐いているんじゃないのか、とすら最近は思いかけている。
『ユーリはどうしたいんだ』
『わかりません』
レオンハルトの問いかけに即答すると、ほぼ全員から呆れ声が聞こえてきた。
『いや、本当。頭の中真っ白で……うん。気がついたら相手の手当てをしていたくらいだし。
だから、皆に相談できればいいなぁ、というかしなきゃ駄目だよなぁ……と思って話を持ちかけたわけなんだけれど……』
『でも結局、こればっかりは……僕たちの意見に頼らず、君が決めるべきことなんじゃないかな?』
ファーテルの言うことは、もっともだ。
殺すことも見逃すことも、決めるのは僕になる。
『そうなんだけれど、ね……それでも、どうしていいかが定まらないんだよ』
理性が殺せと叫ぶ一方で、感情が助けろと叫んでいる。
『……生かしておくというのなら、精々説得しておくんだな。俺たちに直接火の粉が降りかかるようなら』
『わかっているよ』
殺す、とでも続けようとしたであろうノアの台詞を、返事で遮る。
『何とか、説得してみる。全く聞く耳持たないようなら、その時は……僕の手で、決着をつける』
正直なことを言えば、まだ覚悟はできていない。
「……」
怪我を手当てし終えた後もずっと眠り続ける、彼女の顔を横目で見ながら、熟考する。
彼女はこちらの正体を知らなかったが故に、挑んできた。正体を明かせば、説得は容易かもしれない。
でも、それは最終手段にしておきたい、という気持ちがある。逆に言えば……それすら拒絶されたら、殺すしかない。
「とりあえず、まず最初に取引を持ちかけて……その反応を見るか」
考えがまとまったら、後は彼女が目を覚ますのを待つばかり。
どうなるかは予想がつかないが……僕としては、彼女が大人しく納得して、引き下がってくれるのを祈るしかない。
まあ絶対、そう簡単には引き下がらないんだろうけれど。責任感が強いだけじゃなくて、負けず嫌いな上頑固だし。
「せめてこっちの話を聞いてくれれば……それだけでも大きく違うだろうしなあ」
そんなことをぼやきながら、本日だけで何度目かわからない溜息を吐く。
どうにでもなれ、と色々投げ捨てたい気持ちだが、そういう訳にも行かないのが現状だ。
そんな僕の横では……こっちの苦悩などそ知らぬ顔で、みなも、もといジャンヌがすやすやと眠っていた。