『――状況が動いた』
ノアの言葉のおかげで、体と心に緊張が戻る。
『動いた、って何が……?』
『とりあえず、メールボックスを開け。話はそれからだ』
レオンハルトに言われた通りに、メールボックスウィンドウを開き……その中身を確認する。
そこには。“追加の解放条件について”という、システムメッセージが放り込まれていた。
僕はそれを見る。それは小難しい文章で、僕たちが解放される条件が書かれている。
わざとかどうかはわからないが、酷くわかりにくい書かれ方をしていたけれど……内容としてはシンプルなものだった。
新たに追加された、僕たちの解放の条件。それは。
――“魔王”以外の全プレイヤーの死亡。
『……何これ』
感想はそれしか浮かばなかった。もういい加減、怒る気にも悲しむ気にもなれない。
――いい加減、心がマヒしかけているのかもしれない。
ぼんやりとメールの内容を読み返しながら、そんなことを思う。
『まあ、俺ら全員の殺害が他のプレイヤーの解放条件であるとすれば……その逆もまた然り、ってところか』
これまでルールとして明記されていないのは妙だと思ったけれどな、とキールは溜息を吐く。
『現実的に考えれば無理だろう。確実に3年間生き延びられるなら話は違ってくるだろうが……』
そこでレオンハルトは、溜息一つを吐いた。
『ゲームのルールとしては定義されていない、目には見えないタイムリミット、というものも存在するからな。
あまり考えたくはないが……1年以上の長期に及ぶようであればそれも考慮に入れなければならない』
『ルールにはない……見えないタイムリミット?』
『この世界は所詮、ゲームサーバーの中の世界に過ぎない。そしてコンピュータというのはメンテナンスなしに永久に動く機械ではない』
常時動かさなければならないサーバーマシンなら尚更壊れやすい、とレオンハルトは付け加える。
『ゲームサーバーが何らかの手段で破壊されるなり、いわゆる寿命を迎えたりしたら……どうなると思う?』
アスタロトがそれで無事に、出してくれるとは思えない。それで出れるんだったら、初日……長くても数日のうちに、解放されていたはずだ。
それなのに、1ヶ月も出れない状態が続いているということは……仮にサーバーが壊れたりすれば……。
『――それが、見えないタイムリミット』
僕たちとは関係のない、外部要因によるゲームオーバー。
『ヤバいぜそれ。運営会社の東京……ってか首都圏だろ? 関東・東海地震とか、何年も前から言われているじゃん』
『それを考えると自分たちの体がある場所で災害が起きた場合も危険ね。機械に繋がれている都合上、避難させるのは容易じゃないだろうし……』
考えれば考えるほど、気が滅入ってくる。
ゲーム内でさえ絶望的なキツい条件なのに、ゲームの外の不可抗力によるゲームオーバーまであるなんて。
そうでなくとも……時間経過と共に僕たちの何百倍、何千倍ものプレイヤーが死ぬ。
――果たして僕たちに、そこまでに犠牲を出してまで生きる権利があるというのか……?
『しかし、1000人もの人間を一瞬にして殺すなどという虐殺行為を涼しい顔……かどうかはともかく平気でやるのがアスタロトという人物だ。
そう考えれば、そもそもの解放の条件にも何か罠が仕込まれているかもしれないね?』
滅入る思考を遮ったのは、ファーテルの台詞。相変わらず落ち着いた、静かな声だが、そこには相当な怒りが見え隠れしていた。
――優しく大人しい人間ほど、本気で怒ると怖い。
彼の穏やかだが辛辣な言葉を聞いて、僕は心の底から本当に……そう思った。
僅かな間だが重い沈黙が流れた後、ファーテルが咳払いして、話題を切り替える。
『ところで皆……“タブラの狼”というゲームを知っているかい?』
その質問への返事は、誰も返さなかった。
おそらく誰も知らないのだろう。実際、僕も……やったことがあるどころか、名前も聞いたことがない。
『“デュスターヴァルドの人狼”、“ミラーズホロウの人狼”……“汝は人狼なりや?”の名前が日本だと有名かな。ネット上でも流行ったゲームだ』
『最後のは、名前だけ聞いたことがあるかな……確か推理ゲームだったような』
実際にプレイした訳ではないから、ゲームのジャンルくらいしかわからない。
『俺はやったことがある』
と、ノアが挙手した。といっても、秘匿チャット機能には映像がついているわけではないから実際のところは手を上げた訳ではないけれど。
彼の他にはプレイ経験者はいないらしい。
『やっぱり、聞いたこともないなあ……推理ゲームっつっても何を推理するんだ?』
『僕も知りません。どんな内容のゲームなんですか?』
当然の流れとしてノアとファーテルに、ゲームの内容についての説明を求める声がいくつか上がる。
『プレイヤーは、人狼による殺人事件の容疑者である、村人を演じる。
この中には本物の人狼が紛れていて、村人は人狼を“役職を持つプレイヤー”からの情報と他のプレイヤーそれぞれの発言からの推理で捜し当て処刑、人狼は正体を隠しながら村人を食い殺していく。
最終的に人狼を全滅させられれば村人たちの勝利。人狼の数が村人の数よりも多くなれば人狼の勝利――ストーリー上、村人は全滅する』
ノアの淡々とした説明に、うわあ、という声がいくつか聞こえた。僕も似たような声を出していたかもしれない。
『その……なんというか……随分と、趣味が悪いお話で』
キールの言葉を、この話題を振ってきた人物は苦笑交じりに肯定した。
『そうだね。ゲームのルールだから、というメタ視点を取り除いてしまうと……かなり酷いストーリーだと思うよ。
村人たちは疑心暗鬼になって、人狼を処刑することで事態の収拾を図る。冤罪が出ても、気にせずに処刑を続けていく。
それで人狼を全滅させられれば単純な話なんだけれど、狼だって殺されるとわかれば必死だ。
あの手この手で村人を騙して、発言などに隙ができた村人に濡れ衣を着せて、自分たちの代わりに処刑させようとする。
狼に騙されて村人を吊ってしまうと、疑心暗鬼が加速して……村人が村人を疑い、処刑するようになっていく。
こうして他人を信じられなくなった村人たちは敗北しみんな狼に食べられて――狼たちも村を去り、そして誰もいなくなる。
さて、このゲーム、何かに似ている気がしないかい?』
『推理で狼を見抜き排除するのと、最初からわかっている“魔王”を暴力で排除する……という違いはあるけれど……』
確かに、似ている――気がする。今の僕たちが置かれている状況に。
『さらに言えば、このゲームにおける人狼は、僕たちの秘匿チャット機能と同じように……お互いにしか聞こえない会話を交わすことができる』
『村人たちが疑心暗鬼に陥ってお互いに潰しあう一方で、人狼はこっそりと会話して一致団結しなければ生き残れないとは皮肉が利いているな』
レオンハルトが苦笑する。
僕たちも、プレイヤーが足並みを揃えられないのを横目で見ながら、秘匿チャットで会話して行動を相談し合うのが常だ。
――そうしなければ、生き残れない。
“人ならざる者”とされた存在にとって、お互いの絆が生存のための鍵というのは……確かに皮肉が、利きすぎている。人狼ゲームの考案者は、重度の人間不信だったのだろうか。
そんなことを考えていると、何事かを考え込んでいた様子のノアが再び口を開いた。
『昨日の“粛清”は、狼の襲撃の代わりというよりは……ネットでの、掲示板形式のゲームで採用される突然死に近いものを感じるな』
『突然死?』
『簡単に言えば、丸一日で発言がないキャラクターを取り除くためのシステムだ。発言しないキャラクターがいると、推理もできなくなるからな。
掲示板形式は1回のプレイに数日……互角の勝負であれば1週間くらいの期間がかかるから、急用とか体調不良とかも発生しやすい……それを踏まえて考えられたルールだ』
彼の簡単な説明に、ファーテルが更に補足する。
『死亡条件としてはどちらかというと……発言数が乏しく後々残すと推理材料に困りそうなキャラクターを、最初のうちに処刑する寡黙吊りに似ているけれどね』
つまり、人狼が誰であるかを発言内容から推理するゲームにおいては、発言しないことは悪であり、それだけで退場となる要素であるということなのだろう。
そしてアスタロトは、積極的に解決に当たらないことを悪とし、その典型例である低レベルのまま解放されるのを待つキャラクターを排除にかかった、ということなのだろうか。
『まあ、“粛清”についての考察は後にしよう。
さて、このゲームに似ている人狼ゲームについてだけれど……参加する人数や使用するルールの種類によっては……第三勢力というものがいるんだ』
『第三勢力?』
『そう。ゲームによって名前が違っていて……ハムスター人間や妖狐、妖魔と呼ばれることもあるね』
妖狐、妖魔は兎も角。ハムスター人間というのは、ゲームの殺伐とした内容から随分とかけ離れている。
その異質さが第三勢力らしいといえばらしいかもしれないけれど、でも、ハムスターはちょっと、アレだよなあ……和風にねずみ男、とかにしたほうがまだそれっぽい気がする。
『ファーテル、お前は……アスタロトはゲームの管理者であると同時に、第三勢力のプレイヤー……と推理しているのか?』
ノアの指摘を、ファーテルは『そうだ』と肯定する。
『そして、この第三勢力の勝利条件は……自身が生存している間に、どちらかの勢力が全滅すること』
――つまり、僕らが全員死ぬことこそが、アスタロトが目的を達成する条件となる可能性がある。
アスタロトの目的は、彼女の正体同様に不明。そして、彼女が目的を果たしたからとプレイヤーを解放するかどうかは……非常に怪しい。
こんな趣味の悪いゲームを主催する人物が……たった7人の“魔王”を全員殺せば無事に帰れる、という単純なルールで、プレイヤーたちを解放するだろうか?
『ということは、そもそも奴の言う解放のための条件が嘘である可能性もあるのか』
『完全に嘘、というよりは……何か罠を仕込んでいる可能性のほうが高そうね……』
『もしくは何か大事なことがあって、それについて黙っている、とかですね……? いずれにせよ、かなりまずいですよこれ』
これでは、どうせ僕たちにとって詰んでいるのなら、せめて……と自己犠牲による解決もを図ることもできない。
そう読むのを予想してのブラフであるというパターンも否定できないけれど……本当に何もないということは、まずなさそうだ。
『まあ、これは……あくまで仮説だよ。僕たちが現時点で知りうる情報によって組み立てた、一つの説に過ぎない。
でも、アスタロトの言葉を額面どおりに受け止めるのはかなり危険であることだけは確かだ……彼女の正体が何にせよ、ね』
『問題は一般プレイヤーが……、アスタロトの言う条件に疑問を持つか、ね』
『無理でしょう』
ラケシスの言葉に、メルキセデクが溜息混じりに言い放つ。
『人間は……飢え死にするくらいなら、共食いしてでも生き延びようとする生き物ですよ』
『そんなことは……』
いくらなんでもないだろう、と言うよりも先に、彼が話を続ける。
『どこかの国で、落盤事故で生き埋めになった人が……事故で死んだ人の死体を食べて生き延びたという話を、聞いたことがあります。
自分が本当に飢え死にしそうな時に、目の前に食べ物があったなら……例えそれが人の肉だったとしても、何も考えずに食いつく人間のほうが多いかと』
『――この世の中に人間ほど凶暴な動物はいない。狼は共食いをしないが、人間は人間を生きながらにして丸呑みにする』
ロシアの小説家の言葉だ、とノアが言う。
『皆が皆そうではない、とは思うし、そう信じたいけれど……アスタロトに煽動されているからね。
煽動された人間の集団意識というのがかなり危険なのは、人類がこれまで辿ってきた歴史を見れば明らかだ』
歴史に限らずとも、一人なら理性によって歯止めがかかることでも、それが集団になれば……という現象は数が多い。
赤信号、みんなで渡れば怖くない――がその典型例だろう。規則があったとしても、集団の意識がそれを否定するのであれば簡単に破ることができる。
倫理についても同じこと。集団意識のヒステリーが起きれば、殺人どころか虐殺、民族浄化に至るまで、正当化され……行なえるようになってしまう。
そして今。このゲームは数十万人の集団意識がヒステリーを起こしていて、それらはたった七人の人間へと向けられているのだ。
――果たしてこの世に、これほど恐ろしいことが……他にあるのだろうか?
その上、自殺による逃避は許されないときている。他のプレイヤー数十万人を道連れにするのを覚悟するのならば話は別、になるのだろうが。
「どこまでも救いがない、残酷なゲーム……だな」
声に出して、一人ごちる。
“粛清”によって膨大な量の被害が出るとしても、僕たちには生き延びて……真の解放条件を満たす以外の選択肢がないのだ。