第4話<中編>
ダーレス軍という特殊なギルドがある。
何が特殊なのかというと、運営側の管理する公式ギルドであることだ。
ダーレス軍は一般のギルドとは異なり、所属したプレイヤーに様々な特典と権利、そして義務が与えられる。
例えば国からの給金や恩賞、NPC店の値引き、軍属しか受けられないクエスト、各関門の通行料免除、騎馬の無料貸し出し。
さらにパトロールクエスト中であればGMの真似事が出来る上に、制服などの軍属専用装備まである。
しかし代わりに失うものや制限も多い。
まず一般のクエストがサブ、メインの区別なく一切受けられなくなる。
グランドクエストの内容の変化。
月に一度、パトロールクエストのクリア義務。
公式イベント『防衛戦』の参加義務。
義務を果たせなかった場合の強制脱退。
違反行為及び公序良俗に反する行為をした場合の即アカウント停止。
脱退しない限り他のギルドに所属できない。
そしてほとんどのクエストが戦闘有りなので実質的に戦闘職しか入れないことなども挙げられる。
そんな厳しい罰則やデメリットに拘わらず、専用装備やその特権目当てで軍に入りたがるプレイヤーは多く、出て行く者も入って来る者も多いのも特徴の一つだ。
さて公式ギルド『ダーレス軍』は4つの騎士団から成り立っている。
町の四方に騎士団の名称で担当分けされており、それぞれにギルドマスターに相当する騎士団長が存在する……のだが、厳格なルールのために入れ替わりが激しいダーレス軍において騎士団長が変わることは日常茶飯事だった。
――その中で1年もの間、騎士団長の座に座り続けている女傑がいる。
「一応聞いて差し上げますけど、何か申し開きがありまして?」
その女傑が私に槍を突きつけたまま柳眉を逆立てている、ガレット・マーベラスさんだ。
今、彼女の頭上にはパトロールクエスト中であることを示す「patrolling」の文字が浮かんでいる。
そのためか道行くプレイヤー達は私達に係わり合いにならないように距離を取るように歩いている。
……こりゃあ、ちょっとまずいなぁ。
――私は自力で素材を採取できない。一人ではモンスターに狩られてしまうからだ。
だから素材の収集は、基本的に他のプレイヤーからの買い取りになる。
いくら製作した武器をNPC売りして利益が出るといえど、その儲けはごくわずか。
プレイヤーからの買取りは危険度や難易度、希少度によって割高になってしまうので、いくら金があっても足りない。欲しいときに手に入る保証もない。
そこで高額な希少素材や莫大な製作資金の大半を既存顧客、つまり贔屓にしてくれるお客様に頼っている。
NPCに売るよりもずっと高く買い取ってもらえるし、オーダーメイドだから在庫の心配も無い。
自作の武器と交換ならばずっと素材の入手も市場価格より安く済む。
さらに注文を受けるときに前もって欲しい素材を伝えておけば、欲しいときに手に入らないなんてことも少なくなる。
特にガレットさんは北方面でしか取れない素材を持ってきてくれる上に羽振りも良いので大変助かっていた。
ついこの間も北でしか取れない貴重な鉱石『晶隕鉄(クリスタルメテオライト)』の入手を頼んだばかりだった。
だがそれも彼女に信用されているから出来たことである。
信用というものは一日二日で手に入るものじゃあない。
毎日せっせと積み重ねた分だけしか無い。
飛び込み営業なんかが断られる主な理由がこれである。
いきなり来た、しかも見ず知らずの相手との間に信用が存在するわけがないからだ。
逆に信用されていれば仕事がしやすくなり、幅も出る。
有れば便利、ではなく無ければ話にならないことも多い。
だから誰もが相手の信用を得るために努力する。
でも実は、信用を失くさないことのほうが大変だったりする。
信用はその得難さ以上に失い易いものなのだ。
今がその瀬戸際かもしれない。
予想外の事態だが、そもそも少し考えればこの展開も予想できたはずだ。
ガレットさんが空いた時間をパトロールの消化に当てる可能性は決して低くないし、この広場は全軍の巡回ルート上にある。
こんなことも考え付かないほど武器のことで頭が一杯だったのか。
自分のことながら心底呆れてしまう。
ともかく、今の私にとって問題なのは彼女に武器を向けられていることでも牢屋に送られることでもない。
いかにして彼女の心証を損なわずに済ますか、である。
「……申し訳ございません。もしかすると私の誤解かもしれませんが、マーベラス様は私が女性と遊ぶ時間が欲しくてご来店を断ったとお思いになっていませんか?」
首元の穂先を見ないようにしながら答えた。
「でしたら何故、そこの方と談笑していらしたのかしら」
ガレットさんはそう言うと、ちらりと横目でトリスさんを見やって、
「まさか、その方と逢引することが仕事だ、なんて仰いませんわよね? あまりに愉快で手元が狂ってしまいますわよ」
と、続けた。
決して大きな声ではないのに、恐ろしく凄みが効いている。
下手なことを言えば有無を言わさず牢屋に送られてしまうかもしれない。
それが冗談でも比喩でもないあたり洒落にならない。
「気分転換に付き合ってもらっていたのですよ。考えが行き詰ってしまい、気晴らしに散歩していたところ、たまたまお会いしたので」
ゆったりと、意識的に間を置きながら話し、彼女の瞳にしっかりと視線を合わせて不自然にならない程度に微笑む。
ガレットさんは金髪に青い瞳と日本人離れした容姿だが、中の人は日本人らしく、口より目を見るコミュニケーションに慣れている。
クレナシオンは個人の癖も如実に再現している。
彼女は『ガレット・マーベラス』というキャラクターに“なりきっている”が、そういった無意識の部分まで変えられるものではない。
だから無理に勢いづく必要は無い。弱腰にさえならなければきっと大丈夫。
――私にやましい気持ちはない。
目の前のことに囚われすぎて思慮が足りなかったかもしれないが、大事なお客様を軽んじるような気持ちはどこにもなかった。
確かに私の都合で判断したところはあった。けれどそれ以外の他意はなかったのだ。
しかしガレットさんは私に騙されたと思っている。
きっと今の彼女には何を言っても言い訳に聞こえてしまうだろう。
だからこそ余裕を演出する。
もともと口が上手いほうではないのだ。
「ですから、私にマーベラス様を軽んじる不遜な考えはございません」
はっきりと言い切った、の、だが。
――チャリ――
直後、槍の穂先が上着の金具にぶつかり、微かな音を立てた。
思わず下げてしまった視線を穂先からポールを伝い、ゆっくりと上げていく。
蒼い瞳が私を凝視していた。
私の挙動から言葉の真偽を確かめようとしている。
それがわかったから、顔を上げ、睨み付けないように注意して、堂々と見つめ返した。
見つめ過ぎは相手に不安感を与えてしまうものだが、今はその方が助かる。なんせガレットさんは自信の塊みたいな人だから。
しかも、相手の目を見つめるということは、相手に見つめれるということで。
――ここで謝るな。今回のことはあくまで不幸な誤解である。予測しなかったのは私のミスだが、私の行動に嘘は無く、意図したことでもない。
ガレットさんの言いがかりは理不尽なもの。
下手に謝れば彼女の疑念を認めることになり、そうなったら最後、どんなに言い繕っても彼女は許してくれなくなるだろう。それこそ誠実さを欠いた対応である。
どうしても謝りたいのならば彼女の誤解が解けてからだ。
弱気になっていく自分の心に必死で言い聞かせながら、彼女の苛烈な疑いの眼差しに向き合うことしばし。
すぅっとガレットさんの目が細まった。
いつの間にか演奏会も終わっていたようで、聞こえるのは噴水の流れる音と、自分の心音だけになっていた。
「……っ」
ごくり、と隣から息を呑む音がした。
ふとガレットさんの鋭い視線が私から逸れた。つられて私も隣を見てしまった。
そこにはトリスさんが胸に手を当てて。
「あ、あのミナギルさんの言っていることは本当です。さっきすぐそこで本当に偶然お会いしたんです」
見ず知らずの、それも怒気を纏っている人に言ったためか、その声は若干震えていた。
ありがたい援護射撃に感謝の念が沸く。
よし、突撃しよう。
「マーベラス様のお怒りはごもっともです。ですが、それが不幸な誤解だとしたらどうでしょうか。私はマーベラス様が清廉潔白を好み、嘘や不正を嫌うことを存じ上げております。ですからプライベートな時間が欲しくてお断りするのだとしても、その旨を正直に伝えさせていただきます」
ガレットさんは私達の言葉を黙って聞いていたが、やがて目を瞑り、ふぅ、と一息ついた。
「……嘘、ではないようですわね」
先ほどまでの疑い振りや怒気が嘘のように、にっこりと笑って、構えていた槍を下ろしてくれた。
「考えてみれば、貴方の仕事はいつも誠実でしたわ。仕事を言い訳にする人ではありませんわね」
彼女の中で私の評価は上々のようだ。なんだかくすぐったいけれど、笑顔で受け取っておこう。
それにしても、まったく。肝が冷えるかと思ったよ。
「ありがとうございます。次回のご利用を心よりお待ちしていますよ。美味しいハミングクッキーが手に入りそうなんです」
「あら。それは楽しみですわ」
今の依頼がひと段落ついたら探し回らないと。
幸い、作れそうな人には心当たりがある。
「ところで、どうですか? ハヤカゼの使い心地は」
「えぇ、とっても良いですわ。でも……やっぱり少し地味ね。性能はともかく、私が扱うからにはもっと華やかな見た目でないと」
「参考にさせていただきます。そうですね、次は飾り布でも巻いてみましょうか」
「色合いも何とかなりませんの?」
「素材の色合いを活かしてみたのですが、お気に召しませんでしたか」
「黒は私のイメージではありませんわ」
「かしこまりました。次回は染料の使用も考えておきます」
「あ、あの……?」
トリスさんがおずおずと、声をかけてきた。
上目遣いの困惑顔。
突然の登場と詰問。そういえば何一つ説明をしていない。
いかんな、ガレットさんとの会話はお互いがロールプレイしているからか、弾みすぎる。
「あぁ、これは失礼しました」
私はベンチから立ち上がるとトリスさんに向きなおった。
「こちらは公式ギルド、ダーレス軍の」
「ノーザン騎士団長、ガレット・マーベラスですわ」
私が言い終わる前に、自ら進み出て右手を差し出した。
相変わらず押しの強い方だ。
「あ、わ、は、初めまして。トリス・マックスウェルです」
トリスさんは服の裾で右手を拭うと、慌てて差し出された手を握り返した。
「あら。なんだか可愛い人ね」
くすり、なんて笑いかけられた彼女は真っ赤になって黙り込んでしまった。
しかしトリスさんの反応を私は笑えない。
ガレットさんは現実にいれば驚くほどの美人だ。
いくら容姿(グラフィック)を自由に設定できるとはいえ、美男美女を作ろうとすると専門知識や別売りのツールが必要になるので、とても面倒だ。
なので、大概の人はデフォルトから自分だとわからないくらい弄ったところでやめてしまう。
だから、ガレットさんほど“手の込んだ美人”はそんなに多くなかったりする。
私も初めて彼女が店にやってきたときは、見とれてしまい接客を忘れかけたほどに。
あの時は見た目と口調が相まって、映画か何かの登場人物かと思ってしまった。
話しているのが日本語なので吹き替え版を目の前で見ているような若干の違和感もあったりしたが。
それはともかく、とんでもなく美人のガレットさんに微笑まれては、初見ならば見惚れても仕方がない。
彼女の微笑にはそれだけの威力がある。なんというか、見ていて贅沢な気分になる。
作り物だとわかっていても、だ。
「あのぅ、さっきから気になってたんですけど……」
「何かしら?」
「普段からそういう口調なんですか? 変わってますねっ」
――その瞬間、ガレットさんが“ラグ”った。
かくいう私も完全にフリーズしてしまった。あぁ、巡り会わせが悪すぎる。
無邪気に放った一言は彼女がMMO初心者だからこそ。
そしてロールプレイを楽しんでいるところにこういう指摘をされて気持ちが良いわけがない。
しかも今回は相手が悪すぎる。
「マーベラスさ――」
「ちょっと黙っていてくださるかしら」
フォローしようと口を開いたが、先に手のひらで動きを封じられてしまった。
「……あの?」
「トリス・マックスウェル、といったかしら?」
「は、はいっ」
さきほど私を詰問していたときすら比べ物にならないほど低く恐ろしげな声。
それだけで私は悟った。止められない、と。
「貴方のように無粋な方は本当に久しぶりだわ」
「えっ?」
あまりの豹変振りにトリスさんは戸惑った声をだした。
しかしガレットさんは無視して続ける。
「今までにも同じように揶揄する者がいました。けれどもそのほとんどが陰口しか叩けないような小心者。そんな輩を気にするほど私は小さくありません」
そう言いながらガレットさんは右手でウィンドウを呼び出し操作していく。
「けれど貴方のように直接誹謗する者も何人かいましたわ。私はそういった方には慈悲深く教えて差し上げてきました」
言い終えると同時、その手の中に赤と白の手袋が出現した。
彼女はその片割れである赤い手袋で――
「唯一人の例外も無く、その身の程を」
トリスさんの頬を叩いた。
――<<ガレット・マーベラスがトリス・マックスウェルに決闘を申し込みました>>――
――彼女は逆鱗に触れてしまったのだ。