チヒロ・ファミルス。
今は亡き前王の一人娘にして、王家の血を受け継ぐただ一人の人間。
その頭脳は明晰で、赤ん坊の平均的な成長を一足飛びに飛び越え、3ヶ月で壁を支えにして立ち上がり、半年で数メートルの自力歩行に成功。1歳にして言葉を喋り始める。
1歳半で文字の書き方をマスターし、己の魔力の扱い方も、ほとんど失敗無く出来るレベルという、まさに神童と呼ぶにふさわしい成長速度を見せる王女は、現代の名前である遠藤千尋(18歳)という名と体を捨て、異世界より転生させられ。チヒロ・ファミルスという名前で王女生活をエンジョイしていた。
「おひるまーだー?」
…タカビーな方向へと。
<メイドの一人>
彼女の名前はチヒロ・ファミルス。今はまだ2歳児だけれど、そのうち国をしょって立つ人物だ。
お姫様ってメイドをこき使えるから楽しくてしょうがないね。と言わんばかりにおねだりし放題の毎日です。
喋りだしたら急に生意気になってしまったこの性格に、私を含めたメイド軍団はたじたじである。
「ねえ、チヒロ?メイドさんたちも疲れてるみたいだからもうそのくらいにしておいてあげない?」
「うん。おかー様がそういうならそうするー」
そのチヒロ様にも弱点はある。母であるイリーヌ女王陛下と…
「チヒロー元気ー?」
今御入室なされた婚約者であるタイチ王だ。
「おにーちゃーん」ガシッ!
「おやおや、寂しかったかい?」
「おにーちゃん。ベランダ行くのー」
「はいはい、それでは母上。チヒロをお借りしますね」
「ええ、チヒロも大好きなおにーちゃんと一緒に話せてご機嫌ねー」
私達メイドにとっても至福のひと時が訪れた…。
タイチとチヒロは、タイチが空いた時間にチヒロの元へ赴き、二人っきりでテラスに出て本音で話をする。という暗黙の了解が出来ていた。
だが話してる内容は…
「最近またステフが黒いオーラ出してくるんですけど…」
ただの愚痴だったりする。
だが、その愚痴に律儀にも答えを出してくれるチヒロ。兄に頼られるのは自然な流れと言うものだ。
「お兄ちゃんはいろんな女性を天然で口説いてるからいけないのよ。もう少し自分の言動に気をつけなさい。私も近くにいたらそれよりひどい状態で暗黒オーラを浴びせてあげる」
…調教の時間と言った方が正確かも知れない。
ここで、タイチ相談Q&Aの一例を紹介しよう。
「明日から1週間連続で立食パーリィなんですけどどうにかなりませんか?」
「家臣の家に呼ばれると言う事は、家臣から信頼されようとしている証じゃない。喜んで全てに出なさい」
「アンからまた手紙が届いて来てるんですけど…」
「知るかボケ。適当にあしらえや」
等などだ。
だが、今日の話は少し毛色が違った。それは、チヒロの二歳の誕生日を間近に控えた肌寒い夕暮れの出来事。
「チヒロ。ついに恐れていた事態だ。魔術関連の売り上げが落ち始めた」
魔術道具の売り上げは近年、新技術により一般に普及できた。しかし生産の責任者であるタカ・フェルトが初期の技術から進歩する予兆がまったく無いので、大陸中に普及し終わった魔石を使った単純魔術道具がいよいよ売れなくなり始めてきた。
生産に需要が追いついてしまったのだ。この後はずっと右肩下がりになるのはどんな馬鹿でも予測できる。
もう開拓する場所が無いからだ。これは売れすぎたが故の弊害ともいえるだろう。
「と、言うわけで予定より早まったが、チヒロを魔法研究所に行かせる事を勝手に決めたが、いいよな?」
「了解よ。何とかやってみるわ」
いよいよ千尋の真価が発揮されるときだ。チヒロはタイチに力強く頷く事で、その期待に応えた。
翌日、タカ・フェルト魔術研究所に訪れたチヒロ。
「馬車の揺れがやばい…」
感想の第一声は、研究所の事ではなかった。
チヒロに任された任務とは、魔術の一般的普及を目指した新しい産業としての魔術道具。もしくは技術だ。
チヒロは、職員への挨拶もほどほどに、早速魔術道具生成工程を魔術的観点から見る。
魔力の流れを感じ、魔力を集める、が出来ないと、行使することなんて出来ない。
魔術師としての初歩は既に体得しているので、この程度なら千尋にも余裕で出来る。
チヒロはその生成工程を見て、即座に解析する。
基本的な方陣の書き方としては、円で魔力を一定範囲に放射されるようにとどめ、五芒星で効果を決める。その中&周りに書き込んで、追加効果を載せる。これが魔術式の基本的な概要のようだ。
そこで作られているのは、火の属性を付与させた魔石を加工してコンロの火種を作っている工程だった。
横を見ると、水属性の魔石をシャワーに加工している。その他にも作業に従事している者は居るが、皆似たり寄ったりだ。
いくら産業が発展途上だからと言ってもこれだけというのはひどい。
(なるほど、これはあの時後三年くらいしか持たないと言った訳が分かったわ)
おこなっていたのは、単純な魔力の属性操作のみで、時代背景そのままな単純工程だった。ここには孝明の力は入らなかったのか、現代っぽさは微塵も無い。
「…今行なっている事はこれだけ?」
「ええ、この研究所で現在行なっている作業はこれだけです。後は新魔術研究を行なっている塔がありますが、そちらもご覧になられますか?」
「ええ、おねがい」
タカ・フェルトも地下で研究しているという新魔術研究が行なわれている塔は、この国の郊外の森の中に存在する。これは、新魔術が危険な物でも周囲に悪影響を与えないように配慮された物であって、孝明を近くに置いておくのをやばいと思って、郊外に追いやろうなどと思った貴族たちの思惑の結果ではないと思われる。根拠は何も無いが。
建物自体は小さいが、その横には大きな平地があり、職員の魔術師達が、魔術を撃ちながら検討しあっている。手に魔石を持っている事から、威力を調べて数値化しているのだろう。
「とりあえず、タカ・フェルトに会わせて」
チヒロがタカを呼ぶように指示すると、案内役の職員はとたんに渋面の表情を浮かべる。
「…えーっと。タカ様は現在地下で睡眠中と思われますが…」
この職員はまじめな部類の職員のようだ。タカの事を恐れている。
人相で表情を読むような技術の無いチヒロでも気づくような明確な拒絶に、チヒロはこんな下っ端職員じゃ話にならんと言わんばかりに、問答無用で堂々と施設内に入っていった。
ドアを勢いよく開けると、現在外に居る職員達が普段使っているのか、乱雑に資料が散らばっている。
チヒロはそれを無視し、地下へと続く階段を勢い良く駆け下りる。
タカ・フェルトの研究室には、御丁寧にも「睡眠中。起こさないでね♪」等と書かれている立て札があるが、千尋の足はその速度を落とす事無くドアを開け、タカ・フェルトを勢い良く蹴り始めた。
「起きろやタカ!」
アキと付けなかったのは、後ろの職員に配慮したからである。それくらいの理性はまだ残っているようだ。
ゲシッゲシッと怒りの形相で激しく蹴り続ける様子を見た職員は、
「王族の圧力という物を肌で感じた。アレは悪魔だ。絶対逆らってはいけない」
という言葉を職員達に振れ回った。
その言葉を聞いた職員達は震え上がり、さらに噂は巡り、
「チヒロ様はタカ・フェルト様を足蹴にできるくらいの強い魔力を持ってる」とか。
「タカ・フェルト様はチヒロ様に服従した」という本当とは微妙に違う見解に変わり。
チヒロ・ファミルスへ逆らう事は即、死に繋がるとの認識を植えつけられた。
そんな事を知る由も無いチヒロは、眠れるタカ・フェルトを無理やり起こした後、寝ぼけ眼のタカに向かって言い放った。
「おまえ、ものづくりの才能ねーよ!私と変われ」
これが世に言う。「チヒロの魔法研究所乗っ取り事件」である。
その後のチヒロは、毎日研究所に入り浸り。寝るのに不便だからと専用の寝室まで用意してしまうほどだった。
チヒロは既存の技術を応用し、並列使用、直列使用、合成使用など、この世界の人から見れば革新的な、しかしチヒロから見れば電池の応用の技術を使い。
さらに長時間、しかもパワーもすごいという。以降の時代に語り継がれる技術、『魔石電源』の雛形を作り上げた。
この技術を生産用に普及させ、国の財政を一時的に立て直したが。既存の技術である以上一時的だ。タイチは更なる研究をチヒロに依頼した。
<タイチ>
「…チヒロ。これは…やりすぎじゃないか?確かに現代技術を使ってどうにかしろとか言ったけど…」
タイチの最近の楽しみはイリーヌとの世間話だ。もちろん国政に関わるような事は何一つ喋らないし、イリーヌもそれは心得ているので何も聞かない。
だがそうなると、自然とお互いの共通点である、チヒロの事が話題の中心になってしまうのも仕方の無い事だ。
そこで俺は、チヒロがあんまりにも部屋に戻ってこないので様子を見に行ってきてくれませんか?というイリーヌの言葉を受けて俺は研究所へと足を踏み入れ…られなかった。
そこには足の踏み場も無いくらいの実験材料と失敗作。
ボードにはどういう原理かも分からない魔術理論の羅列。
左上の方に、「魔力同期作用」とか書いてあるので、多分また何か新理論を発見したんだろう…。
「チヒロー」
「…ハーイ」
返事のした方を注視して見る。職員達が忙しなく働いている中心に紙束に埋もれた物体が動いている。少しだけ中に足を踏み入れ、角度を変えてみると。そこには伝説の二歳半。チヒロ・ファミルス王女が椅子に座って何か作業をしていた。
「あ、おにいちゃん。ちょうど良かった。これ持ってみて」
いきなりチヒロの拳大の小さな水晶のような物を握らされた魔力量からみて聖石のようだ。
千尋が後ろに数歩下がる。
(お兄ちゃん。聞こえる?)
「おあ!?頭の中から声が聞こえる!?」
(やっと携帯電話完成したよー。これでいつでもお話できるね。あ、これの使い方はね。頭に強く思い浮かべればこの聖石間だけ会話が出来るという優れものだよ)
(こうか?)
(動作確認ばっちりだね。それ持ってっていいよ。暇なときそれ使ってくれればいいから)
なんかばっちり束縛されるような物を渡された感が否めないが。まあ、いいか。便利なのには変わりない。
(ああ、じゃあこれイリーヌ母上にも一つ渡してあげてくれ。とても寂しがっていたからな)
(りょうかーい)
(後、こいつらにはどうせ理解できないだろうが、魔術回路関係はブラックボックス化して国家機密にして置けよ。技術パクられたらこの国潰れるから)
(それはばっちり、量産品は図面化するけど、重要物、たとえば理論とか攻撃用魔術とかは私の頭の中だから)
魔力同期作用の発見と携帯電話の概要はこうだ。
念話は、高圧の魔力で行なったり、遠くに離れすぎると。近くにいた人全員に掛かってしまったり、聞こえなくなったりしてしまうので、繋ぎになるような物を用いて、同じ魔力の物同士。この場合は対になる魔石に周波数を合わせるのだそうだ。今回は、魔石と魔石を繋ぐ役割をチヒロの血を使用する事で効力を果たしている。
チヒロの血は魔力に溢れているのは周知の事実なので繋ぎとしては最上級と言えるだろう。
遠くに離れればその分魔力を使うが、この街に居る限りはそれほど負担にはならないようだ。
どこからそんなアイディアが沸くんだか…。
(必要は成功の母。だよ♪)
聞こえてらっしゃいましたか…。必要な時以外ステフに持たせよう…。
<タカ・フェルト>
僕の名前はタカ・フェルト。この国最高の魔術師…だったはず。
姉貴に研究所を奪われて最近は兵士の育成。魔術師の戦術的行使を目的とした部隊の訓練の指揮を執っている。
僕は理論的なことは本当はまったく知らないので、国の利益のために研究員になってたけど、本当は戦闘技術が僕の持ち味…ですよ?
力は僕の方が強いんだから。…あーでもコントロール覚えたら魔力量はどっこいかちょっと抜かれるかな…。
でも戦闘経験は圧倒的に僕の方が優れているから戦いになっても負ける事は無い。
これだけは間違いないし。譲らない!
今は、隊員達に休憩を取らせてのんびりと昼食だ。みんな僕の事を尊敬の目で見てくれている。この目で見られる事は快感だ。
何だってやっちゃうぜ!
「おーい、タカー」
最近僕の疫病神なんじゃないかと思える、遠くから近づいてくる影はチヒロ。僕の元姉だ。
今は周りに人が居ないから気軽な会話も出来る。というより周りの人間全員逃げた。魔術部隊にとってもチヒロは恐怖の対象であるようだ。
チヒロは周囲の状況などお構い無しに僕に近づいてくる。最近の行動からすると、僕の身に何かが間違いなく起きると冷や汗の警告が止まらない。
「タカ。合成魔術の実験体よろしく!」
…案の定だ。こういう実験は魔法抵抗の高い僕にしか出来ない事なんだろうけど…割と痛いんだぞ?
「もちろんいいよね?それじゃあ行くよー」
もちろんこちらの許可も取らないで始めるチヒロ。油断してると下手したら死んでしまうから侮れない。
僕は全方位のバリアを張ってチヒロの攻撃を待つ。僕も大概優しい性格してるぜ。
ちなみになぜ全方位なのかと言うと、チヒロの以前の実験で風と木の合成魔術で超花粉攻撃なる物をやられた結果、ひどいくしゃみと鼻水に三日間うなされた経験からだ。
なぜこんな地味な効果の魔法を開発したのか未だに分からない。嫌がらせとしたら最上級だけど。
姉貴には絶対逆らえない。なんてことは絶対無い!無いと信じさせろ~!
チヒロは懐からカードを2枚取り出し、その二枚のカードを制御するように自分の魔力を染み渡らせる。
どうやら新しく開発したのはカードのようだ。
十分にカードの魔力を馴染ませる事が出来たのか、その二つのカードを自分の胸の前で合わせる。
カードから光がほとばしり、一直線にタカの方へと迫る。そのスピードは人間には認知できないスピードで迫り、その謎の攻撃が障壁に全て受け止められた後、障壁が圧力に耐えられなくなり、吹き飛んだ。攻撃を放ったチヒロも、攻撃を受けて吹き飛ばされたタカも、一瞬の出来事にポカーンとしている。
「あー、うん。ごめん、こんな強力だと思わなかった…」
「…とりあえず一瞬で何がなんだか分からなかったから説明を求めます」
あまりの出来事に、タカも敬語になってしまっている。どれだけ障壁に自信があったかというものが分かることだろう。
あまりの威力に、遠目から見ている魔術師部隊も、足をがくがく震わせ、戦々恐々している。
「水の魔力と風の魔力を合わせて擬似的な雷を作ってタカの障壁に指向性を持たせて放った。っていう流れなんだけど…」
「姉貴…雷魔術ってかなり高位の魔術なんですけど…原理教えてくれるかい?」
上位魔法をあんな簡単に再現させられたらこちらの立つ瀬が無いんですけど…。
「これはね。魔石を磨り潰した粉をこのカードを作る段階で混ぜた魔力カードよ。最初から属性を指定してあるから合成も楽だし、まとめて持ち運べるから便利よ。ただ生産性が無いから量産は無理ね私専用道具にするわ」
まあ、2発連続くらいだったら何とかバリアで防げそうな威力だったからそこそこ強いのは間違い無いが。こんな事続けたらいずれ死ぬ…。
「感触的に後3発は連続使用できたわね」
「確実に死にますから!」
僕の死期って意外と近いかもしれない。主に実験体としての最後が明確に頭に思い浮かぶんですけど。
「…という出来事があったんだけど…姉貴の暴走止められませんかね?」
タカは、タイチの執務室に押し入り、ステフにいつも通りセクハラした後。事の次第をタイチに打ち明け、チヒロを何とかして欲しいと嘆願に来ていた。
「むりっす」
結果はこのとおり。おそらくステフへのセクハラをしなければ止める事も吝かでは無かったであろうが、タイチの機嫌はそのときから急降下だ。
タカ・フェルトは、間違いなく空気の読めない馬鹿だった。