1125年6月
「オー・マイー・ゴッド!」
俺は絶望した。自分の役に立たない知識に絶望した。いや、役に立たないどころではなく、有害と言ってもいい知識にだ。えっ、何が有害なのかって?それは、俺が持っている一部の現代知識のことだよ。俺は未来から来たことを活かして、現代知識を利用して上手く立ち回ってやろうと思っていたんだよ。内政で国力を蓄えて、外交で他国の力をそいだり味方を増やしたりしようと思ったんだ。この時代では、情報を持っている奴が断然有利だからな。我ながら、ナイスアイデア!だが、そこに大きな落とし穴があったんだよ。現代知識を持っていることによって、逆に不利になることがあったんだ。
俺が最初にそのことに気付いたのは、7月に出発を予定していたインドへの商船団派遣が上手くいっていないことを聞いたときだった。どういうわけか、出資者があまりいないというんだよ。そのうえ、肝心の商船団に誰も手を挙げないんだと。そこで俺は、船着場に行って船員から情報収集をしたんだ。そこで聞いた情報に、俺は驚いたね。この時代では、たかがインドに行くのに1年近くかかることも多いんだと。俺は最初、それは冗談だと思った。だから言ったんだ。
「スエズ運河を通れば、もっと早く行けるんじゃないの?」
しかし、船員から返ってきたのはけげんな表情だった。
「おい、坊主。スエズ運河って何だ?」
がーん!
この時代、スエズ運河は無かったんだ。俺って、なんてうっかりさんなんだ。それもこれも、全て現代知識があるからだ。余計な知識があるせいで、判断を誤ってしまったではないか。俺は、インドなんて3か月もあれば戻って来れると思って、6か月以内に戻って来いという条件を付けていたんだが、それじゃあ誰も手を挙げないよなあ。俺は、最初っから躓いた計画に肩を大きく落とした。
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俺はみんなと一緒に海水浴に行ったんだが、あまり元気が出なかった。遊んでいる最中でもぼんやりしていて、心ここにあらずっていう感じだな。女の子がみんな素っ裸だというのに、なんでこんなに元気が出ないんだろう。
「どうしたの、マヌちゃん。元気出してよ」
俺は、奴隷で最年長のマリスに励まされた。他の女の子の多くは、上はツルペタで下はツルツルなんだけど、こいつはもう13歳だから胸は結構膨らんでいるし、下もそれなりに茂っている。おかげで、俺は少しだけ元気が出たぞ。ようし、明日は頑張るぞ。
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翌日、俺はニコス兄の嫁のところへ行った。アルメリア商人に相談しようとも思ったんだが、とりあえず手近な人間に聞こうと思い立ったからだ。まあ、結果的には正解だったんだが。
「ねえ、どうしたらいいと思う?」
俺は、インド商船団のことを話して、どうすべきか知恵を貸してくれるようにと頼んだ。すると、とんでもない答えが返ってきたんだ。
「そうねえ。戦争が終わってからの方がいいんじゃないかしらね。今は、海路は危険だと思うわ」
兄嫁の話では、戦争がいつ終わるのかわからないので、インド商船団は数年先送りにした方がいいと言う。そんな、冗談じゃないよ。俺の記念すべき最初の大きな事業なんだぜ。そんなに遅らせてたまるかよ。そこで俺は、大きな問題に突然気がついた。十字軍の後では、地中海の制海権はキリスト教国が握っているはずなのだが、スエズ運河無しにインド洋にどうやって出るのか考えていなかったからだ。
「じゃあ、安全になったらどうやって行けばいいの?」
この際だ。兄嫁に聞いてみよう。
「そうねえ。私も詳しくは知らないんだけど」
そう言いつつも、色々教えてくれた。イスラム商人は、アレクサンドリアから陸路で紅海西岸の港へ向かい、そこで船を買うか借りるかしてインドへ行くのだという。陸路が約1か月、海路が約1~2か月というところらしい。これで往復4か月から6か月なのだが、買い付けにも時間がかかるので、最悪1年かかることもあるらしい。しかも、ここから船で直接行けないという。
そして、時期が悪いこともわかった。イスラム商人は、三角帆をそなえた「ダウ船」というので航海するそうだが、船団を組んで4月から5月頃にペルシア湾やアラビア半島をで、南西の風を利用して1~2か月でインドに到着する。彼らは港を移動しながら数か月かけて商品を買い付けたり売ったりして、北東風が吹く11月から2月に帰るのだという。南西の風は9月まで吹いているそうだが、7月にここを出発すると、かなりぎりぎりのスケジュールになるという。
がーん!
もっと早くから準備しなくちゃいけなかったのか。いや、それならば陸路という方法もあるじゃないか。
「陸路だと、どうなるの?」
俺は、再び兄嫁に聞いてみた。
「えっ、それはいくらなんでも無謀よ」
トルコやイラク方面は、領主が分立していて勢力争いをしているために命がけの旅になるという。今のローマ商人で行く気概がある者はいないというのだ。そうなると、消去法で海路しかないわけだが。
「じゃあ、海路を行くしかないのか」
ふう。もう打つ手は無いのだろうか。俺が何かいい方法はないかと考えていると、兄嫁は爆弾発言をしてくれた。
「せめて、ヴェネツィアとの戦争が終わればいいのだけれど」
えーっ!あの、おねえさん。今、なんと言いましたか?今戦争しているのは、トルコじゃないんですかーっ!
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なんてこった。部屋に戻った俺は、自分の頭をポカポカ叩いた。俺はてっきりローマ帝国はトルコと戦争していると思っていたんだけれど、実際はヴェネツィアと戦争していたのだ。その理由は、マヌエルの父であるヨハンネス2世がヴェネツィアの特権を剥奪しようとしたことにある。それでヴェネツィアは、1122年に実力行使に出たんだと。なんだよ、もう3年も戦争してるのかよ。しかも悪いことに、兄嫁の母の祖国アルメニアは、ローマ帝国と準戦争状態にあるという。そして兄嫁の父がエデッサという国の王だった時に、アルメニアと組んでローマ領の都市に攻め込んで奪い取ったというのだ。
こんな状況じゃあ、ローマ帝国の商人がインドなんて行けるわけがない。俺は一石二鳥どころか、一石三鳥になる計画を思い描いていたんだが、これで絶望的になったな。それもこれも、俺が現代知識にあぐらをかいて、情報収集をしっかりしていなかったせいなんだ。畜生!俺って、なんておバカさんなんだろう。俺はその夜、思いっきり枕を濡らしてしまった。
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それからしばらくの間、俺は抜け殻のようになっていた。海水浴に行って女の子の裸を見ても、あまり楽しい気分になれなかった。しかし、まさかキリスト教国同士で戦争するなんて、思ってもみなかったぜ。他の時代、他の地域ならいざ知らず、今は十字軍の最盛期だぞ。イスラム勢力に一致団結してあたらないと負けちまうだろ。いや、だから結局負けたのか。そうなると、これからはそこんとこをなんとかしないとな。俺がそんなことを考えていると、マリスが近付いてきた。
「どうしたの、マヌちゃん。元気出してよ」
マリスは俺のことを心配してくれるが、マリスの形の良い胸を見ても俺の元気は股間に少し出るくらいだ。まあ、俺のことを心配してくれる気持ちは嬉しいいけど。
「それがさあ、親しい人同士でけんかしちゃって。おかげで何もかも上手くいかないんだよねえ」
俺は思わずグチを言うが、マリスは笑ってこう言った。
「マヌちゃん。だったら、仲直りしてもらえばいいんだよ」
それを聞いた俺は、はっとした。そうだ、そうだよ。けんかしているなら、仲直りしてもらえばいいんだよ。今の俺なら、不可能じゃない。いや、実際無理かもしれないが、最初から諦めていたら駄目じゃん。ダメモトで、精一杯足掻いてみようじゃないか。
「マリス、ありがとう。お前のおかげで、元気が出たよ」
俺は、マリスに抱きついた。実はどさくさに紛れてキスしようと思ったんだが、背が届かないので諦めた。でもそのおかげで、胸に顔をうずめることが出来たんだけどな。
「良かった。マヌちゃんが元気になって」
マリスは、俺が元気になって単純に喜んでくれたようだ。こいつ、思ったよりもいい女だな。
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数日後、俺は兄嫁の伝で、アルメニア商人の偉い人を紹介してもらい、戦争を止めさせる方法はないか、コンスタンティノポリスで交渉出来るヴェネツィア人がいないか相談を持ちかけた。
前者については、父がヴェネツィアに対する関税を一気に10%に上げたので、元に戻すか半分以下に引き下げないと難しいという。これについては、しばらく考えることにした。
後者については、当てがあるという。それに、アルメニア商人としても母国とローマの友好を望んでいるので、皇族には協力を惜しまないという。おお、これはなんという幸運だろう。商人を味方につければ、大きな力になるんじゃないか。
そうなると、後は俺の頑張りと運次第か。俺は無い知恵絞って、なんとか講和出来るような条件を考えることにした。
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