三波南海は俺の幼馴染だ。
お互いの家も近所にあり、同じ病院で数日違いで生まれてからの腐れ縁は既に十七年を数え、家族ぐるみの付き合いが続いている。
しかし俺は未だにこの女のことがよくわからない。
いや、判っている部分も多くあるのは確かだ。
趣味は古いゲームと料理、好きな食べ物はスイカとアタリメ、犬とネコを比べるなら鳥派で、記憶力はいいが運動が苦手で寒がりだ、とか。
だが何というか、どうしてもわからない部分があるのも確かなのだ。
何かアイツの精神の奥にはブラックボックスのようなものが存在していてその中身が計り知れないというか。十七年付き合って尚、驚かされる事がしょっちゅうだ。
要するに、三波南海はちょっと変わった女なんだろうと思う。
月曜の朝、学校に行こうと家を出ると丁度玄関に鍵をかけている南海の姿が見えた。
家は三件隣だし、学校も同じと来れば登校時間帯も自然と合って来る。
示し合わせたわけじゃないが、一緒に登校するのは大体毎日の日課だった。
「はよ、南海」
「おはよう、ミツ」
いつも通りの挨拶を交わして俺達は学校の方角に歩き出した。
南海は今日もいつもと何も変わらない。
肩より少し長いくらいに切りそろえられた素直な黒髪はハネ一つなく、クラスの大半の女子と違って眉を整えている以外に化粧っ気のない顔は目立つパーツはあまり無いが品良く整い、それを見慣れた幼馴染である俺から見ても多分、結構可愛い。ブレザーとスカートの組み合わせの制服は良く似合っているがどちらかといえばセーラー服の方が似合いそうなタイプだ。
見た目だけでいえば大人し目で、今は死滅した大和撫子とやらに見えないことも無い。
そんな南海を横目でちらりと見ながら、今日の俺は少し気まずい気分を抱えていた。
もちろん一昨日のRGOでの出来事のせいだ。一昨日RGOの中で南海に置いていかれた俺は何度かメールを送ってみたのだが、帰ってきたのは簡単な返事のみで、結局その後は一緒に冒険には行けなかった。
本人に拒否されたのに後をついて回るのもストーカーのようでできなかったのだ。
それらを苦々しく思い出しながら、とりあえず今は南海に嫌な思いをさせたことをもう一度謝ろうと、俺は口を開きかけた。
「謝らなくていいよ」
「……っ」
先手を取られたことに狼狽している俺に、南海はにこりと笑いかけた。
「ミツは気にしすぎ。他人と一緒にやるゲームなんだから、多少のトラブルは覚悟してたさ。その上で個人行動をしているのは私の一方的な都合だし。今は一人で計画を立てて、色々頑張ってみてるんだ」
「ん……悪ぃな」
「だから謝るなって。それより今日は親父さんいないんだろう。夕飯作って持っていくから、VR研に寄らず手伝ってよ?」
わかった、と返事をすると南海はまた俺を見て笑った。
「そこ! 朝から何いい雰囲気出してんのよー!」
突然後ろから聞こえた高い声に振り向く。振り向いた俺の視界を何かがすばやく横切った。
「由里、おはよう」
「おはよー、南海! 今日も朝から可愛いわね~」
「そんなに引っ付いたら歩けないって。由里は毎朝元気だなぁ」
後ろから走ってきてすばやく南海に抱きついたのは、俺と同じクラスの田野由里子だった。いつも思うがコイツの名前の中には田の字がやたらと多い。
コイツは俺と南海が通っていた小学校に高学年の頃に転入してきて、それ以来南海とはずっと親友と言ってもいい関係を続けている。ある意味これもやはり腐れ縁だろう。
由里は(田野とか由里子とか呼ぶとダサいから嫌だと言って激しく怒るのだ)緩やかなウェーブのかかった茶色い髪をばさばさとなびかせながら南海の肩に頬擦りしていた。少しきつめの美人系の顔立ちも、南海と話している時にはだらしなく緩んでいる。
この女も黙っていればかなり美人な部類に入ると思うんだが、大人しくしている気は一切ないらしい。
由里は一見派手に見える外見と他人に合わせない性格のせいで昔から同性に敬遠されがちで女友達が少ない。そのせいか南海にべったりなところがある。
南海は友人の奇怪な行動はいつもの事と全く気にした様子もなく、由里を引っ付かせたままスタスタといつもと同じ遅い速度で歩き続けている。
相変わらずのマイペースぶりだ。
「朝から二人で何の話してたのよ~。私だって幼馴染なんだから仲間に入れなさいよね!」
「大した話はしてないよ。ミツから貰って一昨日始めたRGOの話と、今日はミツんちに夕飯を持っていく話くらいかな」
アウトロー気味なくせに仲間外れが嫌いな由里に、南海はさっきまでの話題を話してやった。
途端にキッときつい視線がこちらに向かってきて、俺は思わずうろたえそうになってしまった。
「夕飯!? あんた、私を差し置いて南海の手料理を食べようっての!?」
「お前に断らなきゃいけない理由はないだろうが!」
「あるわよ! ずるいじゃないの! 私だって南海の手料理食べたいのに~!」
駄々をこねる友人の姿に南海は苦笑すると、それならと俺にとってはあまり有難くない提案をした。
「それなら由里も来たらいい。今日は煮込みハンバーグにするつもりでソースはもう出来てるから、帰りに少し多めに挽肉を買っておくよ。ついでだからケーキも買おうかな?」
「行く行く! わーい、南海の手料理! 何気にメニューがミツの好物なとこが気に入らないけど、年にいっぺんくらいなら我慢してあげるわ。あ、南海、付け合せの野菜はにんじんいっぱいにしてね~」
勝手に押しかけてくるくせに我慢してあげると高飛車に言い放った由里は、更に笑顔で俺の嫌いなにんじんをリクエストした。
くそう、この悪魔め。
「ミツ、ケーキは何がいい?」
「え? あ、えっと、プリン……とか」
しまった、プリンはケーキじゃない。しかしとっさに好物の名が口から出てしまった。
「あんた子供っぽすぎ! それにプリンじゃろうそく立てられないじゃない!」
きゃはは、と笑う由里の声が耳にうるさい。
この年になってケーキにろうそくを要求する方が子供っぽいだろうが!
しかし南海は俺の言葉を嘲笑ったりはせず、ただにこりと笑顔を見せただけだった。
「ミツのプリン好きは変わんないね。じゃあ、まぁ考えておく。っと、予鈴だ、急ご!」
南海はそう言うともう間近になった校門に向かって走りだ……そうとしてバタンと盛大に転んだ。
結局、俺と由里に両側から支えられて南海は保健室に行き、今朝は三人とも遅刻と相成ったのだった。
「ね、ミツ。ちょっと」
「ん?」
放課後の教室で名を呼ばれて顔を上げると由里が近くに来ていた。
何だよ、と返すと由里は無言で俺の前の椅子に座る。
「今朝さ、南海がちらっと言ってたと思うんだけど、あんたがソフトあげて、南海もRGO始めたってホント?」
「ああ、それか。ほんとだよ」
俺が頷くと由里はぷっくりと頬を膨らませた。
「何で教えてくれないのよ~! 私だってアレやってるの知ってんでしょ!? あんたばっかり南海と遊んでずるい~!」
そうだ、そういえば由里もRGOをやっていると聞いたことがあった。由里は夜遊びしてそうな見た目に反して結構なインドア派で、新しい物や機械が好きなのだ。RGO以外にも色々なVRゲームを渡り歩いているらしい。だがRGOの中では一度も会ったことがなかったのですっかり忘れていた。
「そういやお前もやってたんだっけ。つーか、だってお前VRでリアルの知り合いと会うのは嫌だって前に言ってただろ?」
「ばっかね、南海は別に決まってるでしょ!」
「そんなこと知るかよ! 大体何でだよ?」
「決まってるじゃない、面白そうだからよ! あの南海よ!? 何やらかすかわかんないじゃないの!」
ああ……と俺はひどく納得して力なく頷いた。
俺の様子から何かを察したらしく、由里は目を輝かせて顔を寄せる。おい、ちょっと近いから。
「その様子じゃもうなんかあったのね? 教えなさいよ! RGOの南海はどんなだったの?」
結局、俺は土曜日の事の顛末を全て由里に語らせられる羽目になってしまった。
数分後、由里は俺の目の前で机に突っ伏して笑い死にしそうになっていた。
気持ちは良くわかる。俺だってコレが他人事だったなら大いに笑っていただろう。
「っく、はぁ……死ぬ……も、南海サイコー……! ジジイプレイってもう!」
「笑い事じゃないっつーの!」
一昨日のダメージを思い出して思わず声を荒げると、由里は荒い息を吐きながら顔を上げ、俺を嘲うようなムカつく表情を浮かべた。
「ははーん、どうせあんたの事だから、南海なら面倒くさがってソフト貸してもあんまり外装いじらないとでも思ってたんでしょ? そんで幼馴染の女の子を背中に庇って戦う騎士とか、夢見ちゃってたんでしょー?」
「う……!」
図星過ぎて俺は思わず胸を押さえた。
「あんたも大概変人よね。あの南海の幼馴染を十七年もやってて、まだそんな夢が見れるんだから」
「お前に言われたくないっての!」
「私は自覚があるからいいのよーだ。けど面白そうだから私も南海とプレイしたいなぁ」
「……多分しばらくは無理だと思うぜ」
「何でよ?」
俺は一昨日のRGOでの南海の様子を見て、あの調子では南海はしばらく誰とも一緒に遊ばないだろうと感じていた。
南海は大人しそうな見かけに反して、一度こうと決めたら絶対に譲らない頑固な所がある。
昔も……あの時もそうだった。
「お前、小学校の時の南海の伝説ん時いなかったよな?」
「うん。でも話は聞いたわよ? なんかすごかったって」
昔、俺達が通っていた小学校には二学年ごとのクラス替えがあった。
その中で一年から四年まで俺と南海は同じクラスだったのだが、五年になって俺たちはクラスが別になり、南海が入ったクラスにはあいにくアイツと仲のいい友人がいなかったのだ。
仲の良い友人のいないクラスで、大人しそうな外見の、運動がものすごく苦手な、少々変わった名前の少女。
それだけ条件がそろえば南海がからかいの的になるのにそう時間はかからなかった。
からかいが次第にエスカレートしていくのも、もちろんあっという間だ。
持ち物を隠されたり落書きされたりという嫌がらせが少しずつエスカレートしていっていると聞いた俺は、南海に言った。
『南海、俺が先生に言ってやろうか?』
しかし南海は少し考え、首を横に振った。
『大丈夫。ふふ、面白い事考えたんだ』
『は?』
南海は助けを求めるどころか、にこにこと笑っていた。
その目は何かを決意したような光を宿していたが、南海はそれ以上何も語らず、そして黙って行動に移した。
「あの時と同じ目をしてたからさ。あれはマジでしばらく一人でやるつもりだと思う」
「その時は何したのよ? 報復したとは聞いてるけど」
「南海はあの後、家にあったICレコーダーとデジカメと密閉できる袋なんかを用意したんだ」
南海のいう面白い事は、驚くほど的確に、そして迅速に、秘密裏に実行された。
からかわれたり罵倒されたりした時はすぐにICレコーダーにその声を収め、持ち物に被害があったらそれをこっそりと全てデジカメで撮影し、密閉袋に保存していた。
そして十分に証拠を集めた後、親が付けてくれた大切な名前を汚された悲しみを切々と訴えた心に響く手紙を何枚も用意し、ご丁寧にスポイトで水を垂らして所々滲ませ、証拠品と共に県と市の教育委員会、校長、加害者の親に次々に送りつけたのだ。
当然その後、学校は蜂の巣を突付いたような騒ぎに陥った事は言うまでもない。
結局、加害者の生徒達は公の場で全面的に南海に謝罪し、南海はそれを寛大に許し、その騒動は一応の決着をみた。
後になって俺が、加害者が素直に謝らなかった時はどうするつもりだったのかと南海に聞くと、アイツはさらりと答えた。
『その時は、「きぶつはそん」とか、「めいよきそん」で、警察に持ち込むつもりだったよ。あと、三丁目の田中医院の先生が、その時は心がひどく傷ついて体調を崩しましたっていう「しんだんしょ」を書いてくれるから、「しょうがいざい」もつけておきなさいって言ってた』
町内で開業している小児科の田中先生は南海にはいつも大甘で、俺にはいつも厳しいクソじじいだ。
『そんな難しいこと、誰に教わったんだよ。田中先生?』
『ううん、刑事ドラマ見てて思いついたの。けっこううまくいくもんだね』
楽しそうにそう言った南海の明るい笑顔は未だに忘れられない。
こうして、三波南海を本気にさせるな、という言葉は学校中に広がり、南海は伝説になったのだ。
伝説について説明してやると、由里はため息と共に深く頷いた。
「なるほどねぇ……今回はそれとはまぁ大分ベクトルが違うけど、南海が本気なら止められなさそうね。あーあ、しょうがない。しばらく待つかぁ」
「それがいいだろうな。俺も心配だけど、内心ちょっと楽しみかもしれないな……南海ならホントに強くなって帰ってきそうだ」
「うんうん。んじゃそん時が来たら遊んで貰おうっと。あんたもその時までにおかしな夢は捨てておいた方がいいわよ?」
「余計なお世話だ!」
くそう、お前らはささやかな男の純情をなんだと思ってやがるんだ!
いい加減泣くぞ!
夕方、早々に帰ってしまった南海の後を追うように、不本意ながら由里を伴って家に帰ると俺の家にはまだ誰もいなかった。
南海の家を見ると玄関に明かりがついている。南海は俺の家の鍵の隠し場所は知っているはずだが、まだ自分の家にいるらしい。
そのまま自分の家の玄関にカバンを放り込むと、俺達は南海の家を訪ねた。
「南海、上がるぞー」
「おじゃましまーす。あー、なんかいい匂い!」
勝手知ったる家の中に上がりこみ、リビングの扉を開くとふわりといい匂いに迎えられた。
キッチン脇のテーブルにはもうサラダや器が並んでいる。
「あ、丁度良いところに帰ってきたね。そろそろできるとこだよ」
「そっか、どうする?俺んちに運ぶ?」
一応聞いて見ると南海は首を横に振った。
「由里の分が増えたし、面倒だからここで食べよう」
これ運んで、と言われるままに由里と二人でテーブルに料理や皿やコップを並べる。
南海はその間に大きな皿に何かをしていたようだった。
やがて料理も揃い、俺達は席についてお茶の入ったコップをカチンと打ち鳴らした。
「んじゃ、かんぱーい! 南海と、ついでにミツも誕生日おめでとー!」
「今日は俺のだっつの!」
「あはは、ミツ、おめでとう」
南海の作った料理は相変わらず美味かった。俺のだけさりげなくにんじんが少ない所が心憎い。
俺も由里もその後は無言で料理を食べ続け、皿はあっという間に空になった。
南海だけは食べるのが遅いので一人でもぐもぐとマイペースに食べ続けている。
由里は食べながらもRGOについて南海に熱心に話しかけていた。
「ね、南海が一人で頑張るの気が済んだら一緒に遊ぼーね」
「ん。いいよ。でもまだしばらく待っててね」
やはり南海はしばらく人と遊ぶつもりは無いらしい。
俺が内心で少しガッカリしていると、ようやく食事を終えた南海は冷蔵庫へと歩いていった。
「ほらミツ、プリン」
南海が出してきたのは、十五センチくらいのサイズの丸くて平たい大きなプリンで、俺はその形に首を傾げた。
この辺にこんなプリンを売っている店はないはずだ。
「プリンなら簡単だから作って冷やしておいたんだ。この蝋燭ならさせるでしょ」
そう言ってプリンの真ん中に刺されたのはうんと細くて長いタイプの蝋燭。穴が空きすぎても何だから、と一本だけ。
灯された火がどうにも気恥ずかしく、けれど嬉しい。
「せいぜい夢見がちな願い事したらいいわよ」
由里のムカつく言葉を聞きながら、俺は蝋燭をそっと吹き消した。
こういう事を何気なくしてくれるから。
だから俺は何時までも夢から覚めることができないのだ。
十七年経っても、何度驚かされても、現実を見せられても。
南海は多分変な女なんだろう。
しかしその変な女に夢を見続けている俺も、由里の言うとおりやっぱり変人なのかもしれない。
結局その日、変わり者三人のささやかな宴は、夜が更けるまで続いたのだった。