「経験値たまったか?」
「んー、ぼちぼちかな。もう一回行けば上がるかな?」
私は手にした木のコップの中のジュースを飲み干し、ステータスを開いて眉を寄せた。
魔法職の面倒なところはMPが切れると何もできなくなるところだ。
このゲームではHPやMPは宿屋で休んだり、休憩して食事や飲み物をとったり回復薬を飲んだりという方法で回復することができる。しかしMP回復薬はHP回復薬に比べて値段が高めなので、私はまだ買っていなかった。買っても勿体ないからこんな最初から使う気もない。軽食や飲み物の方がだいぶ割安なので当分はそちらの方を使うつもりだ。あとはMPを回復するスキルなんかはあるらしいのだが、あいにくまだ私は取っていなかった。
ミストの奢りのジュースを飲んで回復したMPを見ながら、私はこれからの方針をぼんやりと考えていた。
「まぁ、最初は誰でも同じように時間がかかるから仕方ないな。俺だって最初は薬草ばっか買ってたよ」
「ミストは騎士系目指してるんだっけ?」
「ああ、でもまだ騎乗スキルの熟練度が足りてないから、もうちょいセダの街の訓練所に通わないとだな」
セダというのはファトスの隣のエリアにある大きな商業都市の名だということで、そこには騎乗スキルを取得できる訓練所があるらしい。
本当なら週末なんかは熱心に訓練所に行きたいところだろうが、私に付き合って始まりの街の喫茶店でジュースを奢ってくれたりしている訳だ。
まぁ誘った責任ということで申し訳ないとは思わないが、もう少し私のレベルが上がったら少しくらいは恩返しでもしたいところだ。
しかし私としてはそろそろミストに一度別行動を切り出そうかと考えていた。
レベル上げは大事だが、どうせ出遅れているのだからそんなに初日からガツガツしたところですぐに追いつけるわけでもない。私もこの街を探検したりしてみたいし、地図に名の出ていた『魔法ギルド』という場所も気になる。
ファトスにも初心者向けの小さなクエストが沢山あるという話だし、簡単そうなら幾つかやってみたい。
ミストには訓練所通いに戻ってもらって、私は街を見回ってから一人でレベル上げでもしようか。
そんな事を考えていると、ミストが急にウィンドウを開いて動きを止めた。
見ていると口をパクパクさせて何か話している。周りに聞こえないチャットモードか何かで誰かフレンドと会話しているらしい。
ちょっと間抜けな姿だ、と思いながら見ているとやがて会話は終わり、ミストは顔を上げてこっちを向いた。
「悪ぃ、何か今から何人かこっちに来るって」
「友達?」
「ん、ここでの仲間。VR研の連中が多いかな」
「ああ、あれか」
VR研というのは学校で光伸が所属している部活、VRシステム研究会の事だ。
VRシステムの研究というと聞こえはいいが要するにゲームで遊ぶ会だと聞いていた。
光伸がこのゲームで遊んでいるのだから、そこの仲間が同じようにこれで遊んでいても全く不思議はない。
VR研のメンバーとは何人かと顔を合わせた事はあるが、あまり会話をしたことはなかった。
どんな連中だったか、と思い返そうとしていると遠くからミスト、と声が上がった。
「お、こっちこっち」
ミストが立ち上がって手を振る。歩いてきたのは四人。
男が三人と女の子が一人。皆やはり美形だった。うーん、これでは元の顔が全く思い出せなくて少し困る。
「先輩、インしてるなら声かけてくださいよ~!」
可愛らしい声を上げてミストに走り寄ったのは小柄なエルフの女の子だった。ウェーブのかかった肩くらいまでの金髪がふわふわと揺れる。
長い睫の奥の瞳は鮮やかな青で、顔立ちは全体に小作りで可愛らしい。短めの白のローブは前開きで、下に着ているらしいワンピースも良く似合っている。
ミストを先輩と呼ぶからにはVR研の一年生なのだろう。そういえば今年は結構人数が入ってきて、その中に女子も何人かいたと聞いた気がするからそれのどれかかもしれない。
美少女だが私の好みとはちょっと違うなぁと思いつつ、私は残る三人の男の姿もちらりと観察した。
残りは猫系か何かの獣人が一人と熊か何かの獣人が一人、もう一人は人間。
特に興味を惹かれる人はおらず、トカゲとかはいないのかなぁと考える私の脇で、美少女はミストに甘えるように一緒にどこかの地下迷宮に行こうと熱心に誘いをかけていた。
「いや、今週は一緒に行けないって言ってただろ。友達の案内してるんだ」
「え~、じゃあその人も一緒でもいいですから行きましょうよぅ!」
「そうだな、俺らとならすぐレベル上がるし、その人にも得だしいいじゃん」
猫耳男がそう言うと隣の人間男がきょろきょろと辺りを見回した。
「一緒なのってこの前言ってたミナミさんだろ? 俺らにも紹介しろよ!」
「え、ミナミさんて、あの三波さん? 逆から読んでもミナミナミの?」
なんと言う失礼な覚え方だこの野郎。
私は確かに三波南海という名で逆から読んでもミナミナミだが、それを言われるのがとても嫌いなのだ。
小学校で散々からかわれた苦い思い出が蘇ってしまう。全く、あれは放っておけば確実にいじめへの第一歩となるところだった。
私の知らない所で私の話をされていると思うと何かムカつくから、後でミストを一発殴っておこう。いや、VRでは痛くもないのだからミツを一発殴るか。それともおかずを減らすほうが効くかな?
「お前ら、ここでリアルの名前言うのはマナー違反だろ。よせよ」
そんな私の不穏な考えを察知したのか、ミストは慌てたように仲間の言葉を遮り、私の方を恐る恐る振り向いた。
にっこりと笑顔を返してやるとミストもつられて笑顔になる。少々引きつっているのは気のせいだろう。
ミストの視線につられて四人も私の方を見た。
「どうも」
目が合ったので片手を挙げて挨拶をすると、四人は黙ったまま私とミストを交互に見つめる。説明を求める四対の目を向けられて、ミストは渋々と私を手で示した。
「あー、だからその、コレ、ウォレス。俺の友達で……まぁ、三波南海だ」
コレとか言うのは気に入らないが、最後の名前はごく小さく告げられたので許してやろう。
「えええっ、マジで!?」
「つーかこの人NPCじゃなかったのかよ!」
「なんで爺さんなの!?」
「え~、ほんとに先輩のお友達なんですかぁ!?」
四人はそれぞれいまいち個性に欠けるリアクションを順に示してくれた。
NPCと思っていたとは失礼な話だが、ミストの友人と言う事で黙って我慢してやる事にする。
「おい、静かにしろって。落ち着けよ。VRなんだから、どんな姿だっておかしくないだろ?」
自分も散々驚いていた事は棚に上げ、ミストは彼らを窘めた。
けれど彼らはまだ納得いかないという様子だ。全く、人がどんな格好をしていようと勝手だろうに。
「え~、でも、普通しないですよそんな格好。女の子なのにお爺さんだなんて、変じゃないですかぁ?」
「だよな。せっかく色んなキャラを作れるんだからもっと美人とか美少女とかの方が萌えるよな!」
「もったいないですよ、ミナミさん。俺ミナミさんがRGOやるってミツから聞いて楽しみにしてたのに~」
「可愛い魔法少女を守るのって、前衛としてはモチベ上がるしなー」
アホかこいつらは。何で私がお前らのモチベーションを上げてやらなきゃならないんだ。むしろそんなもの地の底まで叩き落としてやりたい。
もっとムキムキの兄貴キャラで来てダミ声で甘えてやりたくなったぞ、この野郎。
「私がどんな姿でプレイしようと自由でしょう? プレイスタイルの多様性もこのゲームの魅力の一つのはずですし。私は魔法使いの老人というキャラクターがすごく好きなので、こういう格好にしたんですよ」
内心のムカつきを抑えてなるべく穏やかに余所行きモードで返答をした。ミストの仲間だという事からの我慢だ。だが今後一切リアルでVR研に近づくのは止めようと心に決める。
しかし私のそんな努力はお構いなしに、ムカつく四人はやっぱりムカつくことを言ってくれた。
「そりゃ魔法使いの老人ってのもまぁわかんなくもないけど、魔法少女の方が萌えるよなぁ?」
「そうそう。リナたんみたいな子の方が、男としては守ってあげたいよな、やっぱ!」
「やぁだ、止めてくださいよもぅ! 私だって白魔道士としてがんばって皆さんの背中守ってるつもりなんですからぁ」
どうやらこの美少女はリナたんとか言うらしい。白魔道士は確か回復と補助魔法を中心に習得しているとなれる中級職業だ。ミストは仲間に魔法職が少ないと言っていたが、一応回復系はいるらしい。
目の前の茶番を黙って見ていると不意にミストが横から四人を怒鳴りつけた。
「おい、お前らいい加減にしろよ! 南海がどんなプレイしたってコイツの自由だろ!? 人の姿にケチつけるなよな!」
ミストの強い言葉に四人は一瞬怯み、ばつの悪そうな顔をしたが、それでもまだ懲りずに言い募った。
「や、ケチつけるって程の事じゃないけどさー……やっぱもったいなくねぇ? せっかくリアルも女の子なんだぜ?」
「そうだ! いっそ今からキャラ作り直したらどうかな? まだ始めたばっかなんだろ? 俺らも育てるの手伝うし!」
「あ、それいいじゃん! そういや俺、神デザイナーが作って販売した外装データ持ってるんだよ。良かったらそれ譲りますよミナミさん、もうめっちゃ可愛いんですよ~。あの外装でクールキャラとか最高っすよきっと! メアド教えてくれたら転送しますよ!」
「え~、でもミナミ先輩? が今の格好気に入ってるなら別に無理に変えなくてもいいんじゃないですかぁ? よく考えると結構似合ってるかもだしぃ」
キャラを作り直したらどうか、と至極簡単に言われたプレイヤーにあるまじき言葉に私はぶち切れそうだった。
このアホ四人の中で、リナたんとやらだけはどうやら一応私の味方に回ったらしい。腹の奥に黒いものが見え隠れしているがそんな事はこの際どうでもいい。
好き勝手言って私の愛すべき魔法ジジイを虚仮にしてくれたコイツらをどうしてくれよう。
しかし私のそんな怒りは次の瞬間凍りついた。
「魔法使いの爺さんて渋いけどさ、弱いと何か見た目と合ってなくて辛いよなぁ」
ガーン。
擬音で形容するならまさにそれだ。
私は雷に打たれたような気持ちだった。
弱い。そうだ、当たり前だ。
私はまだ今日始めたばかりのレベル1だ。
私の後ろで木の椅子がガタンと音を立てた。
自分が無意識の内に立ち上がっていた事にその音で気付く。
内心の狼狽を隠して視線を斜め下に向けたまま、目の前の五人の顔も見ずに私は軽く頭を下げた。
「すまないが用事がある。失礼する」
「えっ、おい!? ナ……ウォレス!」
ミストの声を無視して喫茶店のテーブルを離れ大通りに出る。そのまま北の噴水広場の方へとずんずん歩いた。
確か噴水広場から左へ進んで西大通りを行けばそこに魔法ギルドがあったはずだ。
広場を早足で通り抜け西通りに入った時、後ろからミストが追いついてきた。
「おい、ナミ、じゃない、ウォレス! 待ってくれって!」
腕を引かれて私はその場で止まる。
着いてきたのはミストだけで、他の四人の姿はなかった。
「ごめん、ナ……ウォレス。ほんと、ごめん! あいつらが好き勝手言って……」
「別に……そのことはミストが謝る事じゃないから気にしなくていい。あいつらは確かにムカついたけど」
「うん、でもごめんな。後でよく言っておくから。もちろん、お前は好きにプレイしたらいいんだし、キャラを作り直す必要もないんだからな?」
判っていると頷くとミストはほっとした顔を見せた。せっかく精悍な顔つきになったのにそんな犬のような顔をされると笑いそうになって困るから止めて欲しいところだ。
「あいつらには帰れって言っておいたからさ、気を取り直してまたレベル上げ行こうぜ。付き合うよ」
行こう、と腕を引かれたが私はそれには従わなかった。逆にぐいと自分の腕を引くと、ミストの手が離れる。
「悪いが、私はしばらくあんたと行動を共にしない」
「え……なんで!? いや、お前が嫌だって言うならあいつらと一緒のパーティとかには誘わないって!」
「そう言う事じゃない。ミスト、私はむしろ思い違いに気付かせてくれたあの連中に感謝している」
「思い違い?」
心底不思議そうな顔をしたミストに私は重々しく頷いた。
「私は勘違いをしていた。外見を憧れの老魔法使い風に整えて、それでもう立派な魔道士になった気でいた。だがそれは大きな思い違いだった。
老魔法使い達にはあの見かけになるまでの年月の間に蓄えた知識や、培った経験がある。だから彼らはあんなにも貫禄や威厳、優しさや暖かさに溢れているんだ。
それなのに私ときたら似ているのは外見だけで、まだレベル1だ」
「や、そりゃ今日始めたんだから仕方ないだろ……」
呆れたようなミストの言葉に私は納得できず、激しく首を横に振った。
「仕方なくない! 私自身が憧れの老魔法使い達を冒涜していたんだぞ! 安易な憧れだけでこの姿を選んだ自分が許せない! この外装を纏ってしまった以上、このままで良い訳がない!」
「けど、じゃあ尚更早くレベル上げを……」
ミストがもう一度差し出した手を半歩引いてかわし、私は真剣な眼差しで彼を見つめた。私の本気を悟ってかミストも自然と口を閉じた。
「少し一人になって考えてみたい。立派な魔法ジジイになる為の道を自分なりに探したいんだ」
「南海……本気なのかよ」
諦めたように手を下ろしたミストに微笑み、私は力強く頷いた。
「これからはもうRGOにいる時は南海って呼ぶな。今から私は完璧な『ウォレス』を目指す。もう中の人などいないってくらいに」
今まで私はさほど真剣にロールプレイをしようとは思っていなかった。
見かけは老人だけど、普段の自分もさほど女らしい言葉遣いではないからそのままで構わないだろうと思っていた。しかしそれももう止めだ。
「という訳で、ミスト君。すまぬがしばらく別行動としよう。わしはこれから魔法ギルドへ行き、もっと知識を求めようと思うんじゃよ」
「うっ……!!」
何故かミストはその場にガクリと崩れ落ちた。まさにorzだ。
私のジジイ言葉の何がそんなにショックだったのかは知らないが、まぁ放っておこう。
ひょっとするとあまり上手く演じられていなかったのかもしれないな。これも研究の余地がありそうだ。
「次に会う時は、お主は騎士になっとるかのう? それまでにはわしももうちっとましになっとるじゃろう」
立ち直れないミストを一瞥し、私は灰色のローブをバサリと大きく翻した。
あ、今の我ながらちょっと格好良かったに違いない。
「さらばじゃ。いずれまた会おう」
なんてね。
しばしの別れを惜しんでか切なげに涙ぐむミストをその場に残し、私は西通りへと足を進めた。我が幼馴染ながら少々大げさな奴だ。
だがさらばだミスト。
次にここで会う時はきっと立派な魔法ジジイになっていてみせる。
どうかその日を待っていてくれ。
こうしてこの日この時、私にとっての真のRGO――Romance Gray Online――が開幕したのだった。
渋い魔法ジジイへの道のりはまだまだ始まったばかりだった。
目指せロマンスグレー!