「ふぅ、美味かった。いいな、ここ。人も来ないし」
「セダは人が多いから、どこに行っても賑やかだし、落ち着く場所は貴重じゃろうの」
食後に出てきたデザートとコーヒーっぽい飲み物を飲んで一息つく。
俺がコーヒーを飲んでいる傍らでウォレスはウィンドウを開いて何やら操作をし始めた。
それを眺めていると、目当ての物を見つけたのか何かを取り出し、そしてウィンドウを閉じる。
それからウォレスは俺の方に手に持った何かを差し出した。
「それで、今日の本題じゃがな。これをミストに。今まで色々と貰っていたささやかなお礼じゃよ」
そう言ってウォレスが差し出したのは、一冊の小さな黒い手帳のような物だった。
大きさは俺の手よりも少し小さいくらい。厚みも薄く、表紙は革のような手触りで、まさに手帳だ。魔道書のような本の一種としてはかなり小さい。
こんなアイテムを見たことがなかった俺は珍しく思いながらそれをくるりと回して眺めた。
つん、と指先で突付くとポーン、と音がしてウィンドウが開く。
そこに記されたアイテム名は――
『黒歴史の書』
……ここがVRで本当に良かった。そうじゃなかったらコーヒーを鼻から吹いてるところだ。
「……ウォレス」
「ん? 何じゃね?」
全く悪びれもせずにお茶を飲んでいるウォレスに俺は声を最大限潜めて荒げた。
「これは何かの嫌がらせかおい!」
「……器用だのう。他に人はいないし食事も終わったんじゃから怒鳴っても別にかまわんが」
「じゃあ遠慮なく、ってそうじゃねぇぇ!! 何だこの名前は! 」
「それは仕方ないのじゃよ。だって使える漢字の範囲が内容の傾向によって決まってるんだもん」
「もん、とか言うな!」
爺さんの姿でもんとか言っても色々無理だから!
現実でも滅多に言わないような可愛い言い方しても流されたりしないんだからな!
……多分!
「っていうか、え、じゃあ……これお前が作ったのか!?」
「無論そうじゃよ。わしは本を作ることのできる生産職に就いたのでな」
「そんなのがあるのか!?」
「うむ。いつもは魔道書なんかをメインで作っておるがの。これは魔道書ではなくて、装備アイテムなんじゃよ。アクセサリーの類じゃな。鎧や服の下に装備するお守りみたいなもので……そうじゃな、ポケット聖書みたいなもんじゃな」
「なんだそりゃ……」
アイテムの詳細を良く見てみると、確かにHPや筋力体力に、装飾品としてはかなり大きい補正数値が書かれている。その分少しだけ知性が下がるようだが、それでも十分装備して役に立つ数字だ。
「こう見えてもこれを作るまでにうんと試行錯誤して苦労しておるんだからの。目当ての効果が現れる書を見つけて上手に組み合わせるまでに何度やり直したことか」
「本の中の文にステータスアップの効果があるものがあるってことか? 一体中には何が書いてあるんだ?」
俺はその本を開こうと手をかけたが、ページがめくられることはなかった。がっちりとページがくっついていて板のようになっているのだ。本らしいのは見かけだけらしい。
「その本は開けないように設定してあるから中は見れんよ。わし以外は」
「そんなことも設定できるのか……俺はお前から貰ったもんを人に売ったりしないぞ?」
何となくちょっと寂しい気持ちになってそういうと、ウォレスは違う違うと笑って手を横に振った。
「そんな心配はしとらんよ。ただ、なんと言うかの……その本の内容がその、大分昔に勇者と呼ばれた男の自伝のようなものの一節をメインに、幾つかの書の内容を組み合わせたものなんじゃがの」
「えっ!? 何だよそれ! それ、グランドクエストのヒントとかじゃねぇの!?」
思わず興奮してテーブルに身を乗り出すと、ウォレスは言い辛そうに視線をそらし、小さく首を横に振った。
「いや、そんな格好の良いものではなく……前半は勇者やその仲間の冒険を書き記したものなのじゃが、後半がの」
ウォレス曰く。
『――こうして、俺と仲間達の最初の冒険は終わりを告げた。共に戦った王子は王となり、俺はその王の友が一人として、彼を支えて欲しいと望まれた。しかし未だ若輩の身であるし、まだ世界は安定したとは言い難い。俺はもっと人々のそばでその生活を守るべく力を尽くしたい――(中略)――と、まぁ、そんな感じにテキトー言って断っておいたけどな。俺ってば超カッケー! つーか、この俺様が一国の将軍なんかに納まる器かっつーの。勇者様なんだぜ? もっと強い敵ぶっ倒したりしたいし、どうせなら自分で建国してハーレム作るとかもいいよな! ま、俺様の暗黒覇王幻影剣にかかればそんな偉業もあっという間に決まって――(以下略)』
「……などなどといったことが書かれている訳じゃよ」
「……それって、良いのか、ゲーム的に」
聞いてるだけでなんかぐったり来た。
それはどう考えても開発者のお遊びというかむしろヤケになって暴走というか。
多分開発スケジュールがタイトで、本の中身を入れるのがもう嫌になった誰かの仕業とかなんじゃないだろうか。
そんな隅っこにある本の最後まで真面目に読むやつはいまいと考えたのかもしれないが……。
「まぁ、面白かったといえば面白かったし、良いんじゃないかの。それにそういう変な文こそステータス補正効果が高かったりするし、ある意味お遊びなんじゃろ。作る時にそれを復唱するのは結構辛かったがの」
「そういうのが詰まってるからこの名前な訳か……」
呆れてため息が口からこぼれる。
俺のため息を受けて、ウォレスはにっこりと笑った。
「や、それは半分趣味。面白いじゃろ」
「……面白くねぇ!!」
「まぁまぁ、これをおまけにつけてやるからそう怒るな」
俺の心からの叫びもどこ吹く風といった風情で、ウォレスは笑いながらアイテムウィンドウを開き、そこからもう一冊の本を取り出してこちらに差し出した。
しかし俺は差し出された本をまじまじと見つめ、反射的に伸ばしかけた手を思わず引っ込めてしまった。
「……呪いの本?」
それはこれでもかというほどおどろおどろしい見た目の、くすんだ銀の縁取りで飾られた黒い革張りの本だった。
大きさは普通の魔道書サイズなのだが、とにかく見かけが何かすごい。
黒い革張りの表紙は随分と年季を感じさせる風合いでところどころはげたり色褪せたりしている。おまけに閉じられたページを含むあちこちに何故か赤茶けた染みがこびりついていた。
その上表紙の真ん中には手の平くらいの大きさのくすんだ銀のメダルが貼り付けられ、何故かその中心にぎょろりとした妙に立体的でリアルな目が象嵌されている。動かないようだが、何となくこっちを見ているように思えてマジで怖い。
更にそのメダルの端から伸びた何本かの鎖が本をがっちりと縛り上げているのだ。魔道書なのだとしたら鎖はただの飾りだろうが、とりあえず不気味なのに変わりはない。
あー、こういうの良くゲームとかに出てきた気がするよな。
中二設定がいっぱいついてたりして、主にトラブルの元となるアイテムっぽい位置付けで。
「呪いなんぞかかっとらんよ。ほれ、受け取れ」
恐る恐る受け取ってアイテムを突付くと、ポーン、という音と共に名前が記されたウィンドウが出てくる。
「『森谷の書?』 どっかで見たような……」
「あ、オークションにも一冊同じ名前のを出しとるからそれかもしれんの。アレと効果は同じじゃが、こっちは装飾に凝ってみたんじゃよ。スキルの熟練度が上がったら作ったものの外装を色々カスタマイズできるようになっての。それで試しに遊んでみたんじゃ」
って、じゃあまさかあそこで売ってた魔道書を、ウォレスが作って売ってたってことか!
しかし遊んでみた結果がこれとは、なんという趣味の悪さだ。
呆れながら魔道書の詳細を見ると、使える魔法一覧が載っていた。なんと並んでいるのは見かけとは裏腹に光系統の回復魔法ばかりだった。
「わし特製の回復魔法特化魔道書じゃよ。少しだけ補助魔法も入っとるな。良かったら、前に会ったあのリナたんとかいう子にでもプレゼントしておくれ。白魔道士にはぴったりじゃろ」
……どう考えても嫌がらせです本当にあ(略)
「大枚はたいて競り落とした事にしておけば好感度アップ間違いなし! ここはもう行くしかないじゃろ!」
「いや、どう考えても嫌われるだろこれは!」
「外見はどうあれ今オークションで話題のアイテムなんじゃよ? オークションハウスに寄ってきたというなら、魔道士がたくさんいたのを見たじゃろ?」
「見たけど……あれの原因がまさかお前だったとは……」
この場合、さすがお前だ、と言った方がいいんだろうか。
というか、これをリナにやるって、ファトスでのアレもやっぱり密かに根に持っていたのか……。
そうだよな、ナミはそういう女だった。
やった方は忘れてもやられた方は忘れない、とよく言うが、やった方が忘れた頃を見計らってごくささやかなお返しをするのがナミという女だった。本人に言わせれば別にお返しなどではなく、単なる善意の試みや自分の楽しみを追及したのをおすそ分けしただけだ、ということらしいが、もちろん俺は信じていない。
俺も喧嘩したらしばらく後に外側をプリンで包んだ人参ゼリーを食わせられたり、トウガラシがいやに効いた料理ばかり続いたり、食べさせてくれたメニューが妙に質素だったりしたもんだ。
食い物関係ばかりなところがなんか切ない。
「じゃあ、アレをオクに出してたG&B商会ってのは……」
「スゥちゃんに委託販売を頼んでおるんじゃよ。あ、これは内緒にな」
「スピッツか。そういやアイツ商人だったもんな。商会になったんだな」
「うむ。スゥちゃんには自販機やらオークションやらで色々助けて貰っておるよ」
「G&Bって何の略なんだ?」
「無論、爺さん&婆さんじゃよ」
……聞いた俺が馬鹿だった。
ウォレスの語るところによれば、スピッツが商会になったことで自販機を設置できる数も増え、販売用NPCもおけるようになったらしい。まだ設置してはいないが、そのNPCは全て執事風の爺さんと女中頭風の婆さんにする予定なんだそうな。
「もちろんお前が名前とそれを提案したってのは……聞くまでもないよな」
「うむ。愚問じゃな」
相変わらずナミの趣味は良くわからない。
とうとう爺さんだけじゃなく婆さんまで出てきたのか。
しかし、このネーミングセンスの酷さから行くと、アレは一体……
「なぁ、お前のこの魔道書さ、森谷の書ってのはどういう意味でつけたんだ? オークションに出してたのも皆、苗字っぽいの使ってたろ」
「ああ、それは簡単じゃよ。色んな魔法少女から苗字だけとったんじゃよ」
「……魔法少女?」
「古いアニメとかに良くいるじゃろ。あれの有名どころを適当にネットで検索して、普通にありそうな苗字を選んでつけてみたしたんじゃよ。名前と本の中身に脈絡はあんまりないがの」
……オークションハウスで頑張って張ってる人たちが聞いたら落札を躊躇うような話だなオイ。
「それは……特殊な人達しか、喜ばないんじゃないかな、と」
「だって、名前考えるの面倒だったんだもん」
「だから、もんって言うな!」
「それでも本の外見は普通じゃから良いじゃろ別に。気づく人はその道のプロじゃろうし、問題はない。むしろ全ての本が魔法少女の名に相応しいピンクのハート形でキラキラしい飾りを散りばめた魔道書、とかじゃないだけ良心的じゃろ」
「……まさか、作ったのか?」
「さぁのう?」
絶対作ってるー! 間違いない!
「そんなのをどこに売るんだ一体! 買うやついないだろ!?」
「ふふふ、そういうのやこういうのは制限なしにしてオークションにかけるのじゃよ。本は欲しい、けど外見が嫌。でも他の本には入札ができない……と、まぁそういうジレンマが楽しいじゃろ」
「最高に地味な嫌がらせだな……」
はぁ、と俺は思わずため息を吐いた。
ナミはそういう地味な嫌がらせ、というか、ささやかな悪戯なんかを考えるのが相変わらず上手い。
しかも本人はちょっとしたお茶目程度の気分なんだよな。必死になって入札している魔道士達、可哀そうに……。
「まぁ、アイテムの外装も詳細見れば確認できるからな……それに入札するなら本人の選択か。けど、魔道書が作れる職業だなんて、そんなのがばれたら多分厄介ごとになるぞ?」
「それはわかっておるよ。だからこそ委託にして、署名もしないのじゃから。当分は隠れておることにするよ。ミストもその黒歴史の書は人には見せぬように頼むよ」
「絶対に見せないから安心しろ」
見せられるかこんなもん!
……しかし、いくら周到に隠れているといっても、本当にウォレスがトラブルに巻き込まれるようなことはないんだろうか?
あのオークション会場でも何か揉めてた連中もいたことだし。
どうせだから一応注意しておこうと、盗み聞きしたことはぼかして今日オークション会場で見聞きした話をすると、ウォレスは何故か妙に楽しそうな顔を浮かべた。
「それはそれは。揉め事には巻き込まれんよう、十分に気を付けんとな。とりあえずオークションハウスに近づくのは当分やめにするよ。ありがとうミスト」
「いや、俺はお前が面倒なことにならないならそれでいいからさ。気を付けてくれよ」
「うむ。いや、しかし……楽しくなりそうじゃの」
そういって小さくつぶやき、ウォレスはまた明るい笑みを浮かべる。
その呟きと浮かべた笑顔に、俺は何故だか一瞬既視感を覚えた気がした。
「それじゃあまた。もう少ししたらまたどこかに遊びに行けると思うから、そしたら連絡するからの」
「ああ、待ってる。じゃあな」
食事を終えて店を出て、路地の出口で別れ、歩き去っていく老魔法使いの背中を見送る。
背筋が曲がったりはしていないが、ゆっくりなその歩き方は老人のロールプレイが実に板についているように見えた。
けどあれ素なんだろうな。ナミは歩くのが相当遅いから、その速度がもう感覚的に染みついてるんだろう。それが老人のロールプレイに見えるって、一体どんな皮肉だ。本人に言ったら多分落ち込むか拗ねるかするだろうから言わないけど。
さて、俺はこの後はさっきから届いてるVR研のフレからのメールに返事して、もう一度オークションでも覗いて……貰った本、どうしよう。特に魔道書の方……。
「あ」
ウォレスと逆の方向に歩き出そうとした俺は、さっき浮かんだ既視感の正体に気が付いて振り向いた。
『けっこううまくいくもんだね』
さっきのウォレスの笑みが、昔そう言って笑った小学生のナミとどこか似た笑顔だった――と気が付いた時には、視界の中にはもうウォレスの姿はどこにもなかったのだった。
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閑話でした。
遅くなってすみません。ちょっと腱鞘炎気味で書く時間を減らしています。
次までまた少し間が空くかと思います。
感想をいつもどうもありがとうございました。励みにさせて頂いています。