しばし後、私とミストは広場の端の方にあるベンチに移動していた。
いつまでも固まっているミストを促してベンチに腰掛け、マニュアルを思い出しながら右手を軽く振る。
パッと自分の正面に現れたのはステータスウィンドウだった。うっすらと向こう側が透けて見える三十センチ四方程度のガラス板のようなそれは、薄い緑色をしていた。
ウィンドウの一番最初に表示されているのはウォレスという名と現在の私のステータスだ。それをざっと眺め、次にフレンドの項目を表示させた。
当然そこにはまだ誰の名前も存在しない。
「ミツ、フレンド登録してもいいかな?」
横に座ってこちらを見たまま呆然としているミストに声をかけると、彼はハッと我に帰ってこくこくと頷いた。
「あ、ああ、もちろん」
「ありがと。んじゃ、『フレンド申請、ミスト』 」
RGOのシステムでは登録などをしたいプレイヤーが一定の距離内にいれば申請の意思を声に出し、名を指定するだけで相手に申請が届く。
そうマニュアルに書いてあった通りに音声入力でフレンドを申請すると、隣のミストが視線を正面に戻した。
ミストの前に半透明のウィンドウが開いたがそれは私にはただの四角い板にしか見えず、書かれている内容は目に映らなかった。自分のウィンドウも彼の目には同じように見えるのだろうと予測がつき、なるほどと納得する。
やがてポーン、と軽い電子音がして目の前のウィンドウに変化があった。
ミストよりフレンド登録が許可されました、と文字が出て、見ればフレンド欄に名前が一つ浮かんでいる。
思わず嬉しくなって私は笑みを浮かべた。
「ありがとう、ミスト。今後ともよろしく」
「うん……なんか、南海だって思えなくて変な気分だけど、よろしく」
「それはお互い様だと思うけど。ミストだってミツとは似てないよ」
私のその言葉にミストも思わず苦笑を浮かべ頷いた。
「まぁ、確かにな。つい普段の憧れを色々入れちまってさ」
「うんうん、私もついつい拘っちゃって、時間がかかったよ」
そう応えてもう一度胸元に流れた長い髭を手でするりと撫でた。
柔らかな感触に思わず顔がにやけてしまう。
「……お前が老け専だなんて知らなかったぜ」
「馬鹿だなミスト。老け専というのは恋愛対象に年上を選んだ場合の言葉だろ。私のは全然違う」
ミストは馬鹿だと言われて拗ねたような顔を見せた。
せっかく見かけが精悍な青年になったというのに本人の態度が全く伴っていないところが惜しい。
「どう違うんだよ?」
「私の場合は、純粋な憧れだ。魔法使いって言ったらやっぱりどう考えても老人であるべきだろ。叡智溢れる渋い老魔法使いは昔から憧れだったんだ。マー○ンやガ○ダルフ、ダ○ブルドアとかさ! それが実現するなんてもう最高だよ。こうなったからには見かけに恥じない素敵な魔法ジジイを目指すしかないよもう!」
そう、なにを隠そう私は子供の頃からファンタジー系の物語やゲームに出てくる魔法使いの老人が大好きなのだ。そんな私の幼い頃からの純粋な気持ちを老け専などという言葉で片付けて欲しくはない。
私は己の抱く魔法ジジイへの愛を切々と十分ほどかけて説いた。その結果、どうやらミストには私の愛の深さや純粋さがわかってもらえたようだった。
さすがは幼馴染だ。理解が早くて助かる。
何故だか少々うつろな目をしていたのは気になったが。
「つまりお前はジジコンなんだな……」
小さく呟かれた言葉は一応私に届いていたが、聞こえなかった事にした。
そんなこんなで魔法ジジイの魅力について分かり合えたところで、私は腕を振りもう一度ウィンドウを開いた。
ステータスの欄の下の方には所持金が表示されており、その金額は初期に配布される1000Rとなっている。Rはこの世界の通貨単位、ロームの略だ。
「確か魔法職はまず魔道書を買うといいんだよね?」
「……あ、うん。ちゃんとマニュアル読んできたんだな」
「二回読んだし情報サイトも見てきたよ」
「おお、さすが。俺活字嫌いだからさ、マニュアルも読まずに始めちゃって結構苦労したよ」
「それもまた楽しみなんじゃない? まぁとりあえず、まず買い物かな」
そう言って街の地図を確認し、商店街の位置を確かめてウィンドウを閉じた。しかし立ち上がろうとしたところをミストに止められた。
「あ、待てよ。必要な物は俺がもう買っておいたから大丈夫だぜ。あとクエストとかドロップで出た魔法職用アイテムもちょっと前から売らずに取っておいたのがあるからやるよ」
「え、悪いよ。まだお金払えないし」
「いいのいいの。誕生日プレゼントとはいえ、無理言って魔法職やってもらってるのはこっちだし。どうせ初期の魔道書なんて安いもんだし、他のも大したことないけど引き取ってくれると無駄にせずに済むしな」
ミストはそういうと目の前のウィンドウに指を走らせた。
『アイテムトレード申請、ウォレス』
ミストが呟いた言葉に応えるように、私の耳にポーンという応答音が聞こえ、目の前のウィンドウに変化が現れた。
現れたのは「アイテムトレードが申請されました。許可しますか?」 と書かれた文と、YesとNoの文字。
Yesを押すと、ウィンドウの表示が変わり、三つに区切られた画面が開く。
画面はまず真ん中の横線で上下に区切られ、その区切られた上の画面が中央縦に走る線で二つに区切られている。
下の大きな画面は自分のアイテムウィンドウで、上の画面は下から選んだアイテムを移動させる為のトレードウィンドウらしい。
ミストが手元で何か操作をするごとに、上部右側の画面にアイテムが次々と表示されていく。
私は自分のアイテムウィンドウを見たが、現在の自分の持ち物と言えば、布のシャツ、ズボン、ローブと木靴という初期装備に1000Rのみだ。
対価として払う物がない事を少々心苦しく思いながらも、この際ミストの好意に甘えることに決め、黙って彼の作業が終わるのを待った。
「えーっと……こんなもんかな。あ、これもか」
そういって最後に革の靴を選ぶとミストはトレードを終了した。
私もウィンドウを操作してトレードを終了させ、アイテムウィンドウを開いて受け取った品々を眺める。
ミストから譲られたのは、魔道書が三冊に杖が一本、指輪が二つと、布の衣類の上位である毛織の衣類のセットと革の靴。
「本当にいいの? こんなに沢山」
「いいって。どうせどれも俺には役に立たないものばっかりだし。赤の魔道書Ⅰだけはここに来る前に買って来た奴だけど、それ以外はドロップ品とかクエストの報酬で要らなかった奴とか、あとは友達に要らないのを譲ってもらったのだからホントに気にすんなよ。つーか、初心者にこうやってアイテムとか渡すのって楽しみを奪っちまうから、あんま褒められた行為じゃないんだけどさ……このくらいは誘った責任ってことで、させてくれると嬉しいんだけどな」
「そういうことなら、ありがたく貰うよ」
どうやらミストは私の楽しみを必要以上に奪わないよう彼なりに気を使って、ドロップ品や人からのもらい物を中心に、なるべくありふれた物を選んでくれたらしい。そういうことなら受け取るのも気分が悪くない。
もう一度礼を言うと、それより装備してみろと促され、まず私は毛織のシャツやズボン、ローブを装備することにした。
装備の変更は、現在身に着けているものはそのままで、新しい装備を選べば勝手にそれに切り替わるシステムになっている。
画面を操作して装備を変更した瞬間私の体は白い光に包まれた。驚いて自分の体に視線を落とすとその光はほんの一瞬で霧散し、気がつけば身に着けていたローブは生成りから濃い灰色へと色を変え、生地も少し厚手になっていた。ローブの襟から中を除けば下に着ていたシャツとズボンも、同じく生成りから灰色とこげ茶へと変化しているようだ。
全体的に見るとすこぶる地味な毛織の衣類セットは、デザインもどことなくもっさりとして野暮ったい。
その地味な衣類に身を包んだ自分の体をまじまじと見下ろし、私ぐっと拳を握り締めた。
「あ、悪ぃな。それすっごい地味で。けど最初の内は結構重宝する装備だか」
「あああ、なんかこれいい、ガ○ダルフみたい! 渋い! 鏡見たい! ありがとうミスト!」
恐らく余りの地味さに絶句しているのだろうと予想し、せめて性能をフォローしようとしてくれようとしたらしいミストの言葉をさえぎり、私は思わず感動を高らかに叫んでしまった。
ああ、たまらない、この地味さ! これぞ正当派魔法ジジイ!
「お、お前って……」
コストの割りに防御力が高く序盤の魔法職オススメ装備と言われる毛織物シリーズは、実はその色やデザインの地味さが非常に不評な装備だったりするらしいことを、この時の私は全く知らなかった。
それを知った時はなんてもったいない話だと大いに嘆き、地味ローブの魅力についてミストに語り尽くす事になるのだがそれは余談だ。
喜びを隠し切れずつい傍にあった建物の窓に映る自分を眺め回していたら、後ろからミストの深い深いため息が聞こえた。
しまった、ついまた我を忘れてしまった。魔法ジジイには落ち着きは必須スキルだというのにこれでは失格だ。
コホン、と咳払いをしてミストの方へ振り向くと、彼は何故だか妙に疲れたような顔をしていた。
「……とりあえず、鏡は後にして、どっかいこっか?」