次の日。
結局、早めに起きたものの色々と家の事をこなしていたらログインできたのは昼の少し前になってからだった。
今からでは約束の時間まであまり時間は取れないが、それでも少しくらいは生産をしておこうと考えて魔法ギルドへと向かう。
目当ては勿論瞑想室で、そこで少しだけ生産をするつもりなのだ。
工房も一応一度使って生産をしてみたが、別に手順も出来上がったものの数値も変わらなかったので、成功率は気にしないことにしてMPを回復する時間の事を考えて瞑想室を使うことにした。
とはいっても瞑想室でも編纂ができる事は確かめたが、呪文を唱えている間はどうやら瞑想しているとみなされないらしく、精神の値の上がりは普段使う時のようにはいかないようだった。
普段のMP回復兼瞑想スキル上げに使う時は大抵情報掲示板を見ているので、たまに独り言を呟くぐらいで殆ど静かに黙っている。
つまり、あの部屋にいる時に精神の値にプラス効果を得るには、黙ってそこにいる事が重要だということらしい。喋っていると駄目だった事は少し残念だが、理にかなっているので仕方ない。
それでも瞑想室を黙って使用している時間は積算されるらしいので、あそこで生産するのも全くの無駄と言う訳ではない。MP回復のために黙っている時間や瞑想スキルの熟練度の上り具合を考えると、やはりあそこで生産するのが得なのだ。
ぼんやりと今日の予定を考えながら歩くうちに、気が付けば魔法ギルドの塔はすぐ目の前だった。
もうすっかり見慣れたずんぐりとした筍に似た塔。塔の正面には広い階段が設けられ、その階段の先には大きな両開きの扉が来訪者を威圧するような風情で待っている。
なかなか雰囲気を出しているそれを、実は結構気に入ってたりする。しばしその場で立ち止まって眺めていると、流石に今日は土曜日でサラムも人が多いせいか利用者が結構いるらしく、見ている間にも何人もの魔道士らしき人達がその重たそうな扉の向こうに消えていった。
「よし、わしも行くかな」
歩き出す前に一応待ち合わせのベンチへと目を向けるが、まだそこに彼の姿はない。
それを確認した私は塔に近寄り、階段を登ってドアノブのない押すだけの扉に手を掛けた。
魔道士が使う為にだろうか、見かけよりもずっと軽い扉はすんなりと開き、私は片方だけ開けた入口をするりと潜る。
入った場所は天井の高い広いホール……の、はずなのだが、今日は少しばかり様子が違った。
「……なんじゃこりゃ」
見渡す限り、人、人、人。私はギルド内に一歩踏み込んだところで驚きとその人波に阻まれて足を止めた。
しかも驚く事にと言うか当然と言うか、全員ローブ姿。こんなに沢山の魔道士を一度に見たのは初めてだ。広いはずの入口ホールは魔道士達でぎゅうぎゅうで、その向こうにある受付は入り口からではちらとも見えない。
人種的にはざっと見た感じ六割ほどがエルフで、残り三割くらいが人、後は獣人がちらほら、と言うところだろうか。
何かイベントでもあるのかな、と思いつつ壁際へとよって、壁伝いに受付が目指せないかと横へ進んでみる。しかし壁に寄りかかって談笑している人達もいて、どうにもすんなり行けそうにはなかった。
このホールは塔の形の半分くらいを使った広めの扇形をしているのだが、その奥の方で何か声を上げている人達がいてそちらへ行くほど人の層が厚くなっていくのだ。そここそが受付の前のはずなんだけど。
うーん、困った。
部屋の貸し出しとかの受付自体は、窓口まで行かなくてもここでウィンドウを開いて出来ないことはない。しかし各部屋への移動は受付の側にある扉を潜らなければ行けないのだ。
参ったなぁとため息を吐いた時、立ち尽くす私に声が掛けられた。
「あれ、あんたNPC……じゃないよな。参加者さん?」
顔を上げると近くに立っていたエルフの男が私の方を見ていた。もちろん知らない顔だ。
「いや、魔法ギルドを利用しに来ただけだが……何かイベントですか?」
知らない人なのでとりあえず爺言葉はなしで普通に問いかけたが、男は私の言葉に少し困ったように眉を寄せ、頭を掻いた。上げた手に指輪が幾つも嵌っているのがちらりと見える。
「あー、んーと、今日はうちの旅団で貸切なんだよ。悪いけど、できれば日を改めてくんないかな」
「……貸切って、ここを? 魔法ギルドの貸切なんてできるんですか?」
「んー、まぁ、貸切つっても集合場所がここってだけだけどさ」
なんだそりゃ。ここが集合場所って、それなら外の広場で集まればいいじゃないか。
それに旅団の集会なら、普通は旅団ギルドへ行って旅団の専用部屋を使うはずだ。
旅団ギルドはその名の通り、旅団を組もうとする者、組んだ者達が利用する専用施設で専用金庫や専用部屋がある。専用部屋の広さは旅団員の人数に比例して広くなるらしいので大勢でも特に不便はないだろうし、この街にもあるはずなんだからそっちに行けばいいだろうに。
はた迷惑な理由にちょっとむっとしたが、とりあえず顔には出さずにその辺を質問してみた。
「集会なら、外の広場や旅団ギルドの専用部屋で行うのではだめなんですか? サラムにも旅団ギルドはあったはずですが……」
「あっと……今日のは新規の入団希望者への説明会とか兼ねてっからさ。旅団員じゃないと入れない場所じゃ困るだろ? 外だと声が通りにくいしな。そういう訳で、入団希望じゃないなら、悪いんだけど出直してくんないかな?」
「奥の扉を使いたいだけなので、ちょっと通して貰えれば済むんですが……」
「部外者がいるとなるとうちも場が混乱するかもで困るんだよ。一、二時間もすりゃ移動するからさ」
「個室に入ってしまえば別に外の会話も聞こえないし、邪魔にはならないと思いますが……」
というか、公共施設を勝手に集団で占拠すんなこの迷惑野郎ども、と言いたいところなんだが。
いい加減ちょっと腹が立ってきたので、いっそ人並みを掻き分けて奥の扉に飛び込んでしまおうか、と考え始めたころ、不意に横合いから別の声が掛かった。
「どうなさいました?」
柔らかな声に振り向くと、いつの間にか別のエルフの女性がすぐ近くまで寄ってきていた。少したれ目でおっとりした雰囲気の金髪美人だ。癒し系っぽい感じの男に好かれそうな顔立ちだが、私としてはそれ以上の感想はない。段々美人を見てもどうとも思わなくなってきたなぁ。
女性は優しげな微笑を浮かべ、私と男を交互に見やり首を傾げた。
どうやら声こそ荒げていなかったが押し問答をしているうちに、私達は少しばかり周囲の注目を集めてしまっていたらしい。目の前の男は第三者の介入にあからさまにほっとした顔を見せた。
「あ、すいません。実は……この人がギルド使いたいっつって、事情話したんすけど、譲って貰えなくて」
「あら、それは困りましたねぇ」
えーと、譲って貰えないって何だそれ。まるでこっちの心が狭いような言い方だなぁ。困ってるのは私の方だってのに。
「使う人数分だけ部屋が用意される公共施設で、譲るも譲らないもないのでは? 私はただ、奥の扉まで通してもらえないかとお願いしているだけなのですが」
その公共施設のロビーを不当に占拠している貴方達は何なんだと。
私が苦笑と共にそう告げると、エルフの女性は指輪の沢山嵌った手を頬に当てて、美しい顔を困ったように曇らせた。
「まぁ……ご迷惑をおかけして申し訳ありません。でも、奥の方はもっと混み合ってて、ちょっと今列の整理と集合の点呼中なんです。途中で人が動くと点呼が途切れてしまいますし……もう少しだけ、外でお待ち頂けませんか?」
あくまで穏やかな口調ではあるが、彼女もまたこちらに譲るつもりはないらしい。
「あの、こちらも壁際を少し通らせて頂くだけでいいんですが……」
こっちにも予定が、と続けようとした時、私の耳が小さな舌打ちの音を捉えた。
ふと気が付けば周りから随分と見られている。それとなく視線を巡らせれば、私の存在がいかにも邪魔だと言いたげな幾つもの視線とぶつかる。中にはあからさまに眉を寄せ、今にも罵声を発しそうな顔で睨んでくる輩もいる始末だ。
察するに、どうやらこの女性はこの旅団内では結構上の方の人間だとか人気者だとかなのかもしれない。こちらから折れるのは全く面白くないが、これ以上ここにいると、更に面倒なことになりそうだ。何せ目の前の女性が困ったように目を潤ませて頭を下げるたび、周囲の温度が冷えていくようにすら感じるのだ。私はため息を一つ吐いて、少々うんざりした気分で軽く頷いた。
「……わかりました、仕方ないので出直しますが……なるべく早めにここが使えるようにして頂けると助かります」
「ありがとうございます、ご理解頂けて助かります! なるべく早く移動できるよう気をつけますね。あ、そうだわ!」
女は私の言葉にぺこりと頭を下げた後、ぱっと顔を上げ、少しばかり大げさな仕草で両手を前で合わせて笑顔を見せた。
「ここに丁度来られたのも何かの縁かもしれませんよ! あの、良かったら貴方も集会に参加して行かれませんか?」
「は?」
「あっ、いいっすね、それ。あんたもローブ姿ってことは魔道士なんだろ? うちは魔道士ならいつでも入団歓迎だし」
「ね、良いアイデアよね? どうでしょう? うちの旅団は魔道士の人ばっかりなんです。お互い助け合って仲もすごく良いし、他のギルドからも頼りにされてて評判いいんですよ」
「……あー、えーと」
にこやかな笑顔を浮かべたままの女性にぐいっと間近に迫られ、私は思わず後ろに仰け反った。
清楚な白いローブを押し上げるふくらみを強調するような前傾姿勢と上目遣いが素晴らしく型にはまっている。
中の人が普通に男なら、即頷いてたんだろうけども……私はものすっごく遠慮したい。
「あー、大変申し訳ないが、ここでの用事が果たせないなら次の予定が詰まっているので、又の機会にさせて下さい」
「えっ、参加されないんですか? そんなぁ……」
残念そうな彼女の言葉に回りからの視線が痛いが無視だ無視。空気読めよとでも言いたげな視線が鬱陶しいが、そんな視線に流されるようなら爺プレイなんてしていない。ここから出て行くことは折れたが、今度は折れる気はない。
「では、私はこれで」
私は纏わりつくそれら全てを無視して笑顔を見せ、会釈をするとくるりと踵を返した。
「あっ……! あの、良かったら、うちの旅団は魔道士の方ならいつでも入団を受け付けてますから、いつでも見に来てくださいね! 説明会を兼ねたこういう集会も掲示板で告知して時々開催してますから、歓迎します!」
「……機会があれば。では」
もう無言で立ち去っちゃおうかなとも思ったが、一応の礼儀として顔だけ後ろに向けて会釈をする。このくらいしておけば角も立たないだろう。
にこにこと頭を下げる女性に見送られて、私は人口密度の高いホールをため息と共に後にした。
外に出ると、何となく呼吸が楽になったような気がして思わず深呼吸をしたくなった。
久しぶりの人ごみに疲れたのか、それとも今のやり取りに疲れたのか。
私はふらふらと広場の端にあったベンチの一つに座り、気分を落ち着かせようと片手で髭を梳いた。
深呼吸をしようと口を開くとため息がまたこぼれる。
「何かこう……もやっとするような……」
短い時間のやり取りだったのに、何故か心がちょっとささくれた気がするというか。
ただ奥へ行きたかっただけなのに、結局交渉にもならなくて逃げ帰ったような形になったせいだろうか。けど無理を通して奥まで行って、変にマークされるのも避けたかったし。
しかし公共施設を集団で占拠するというのはありなのか? 掲示板で告知しているとか言ってたけど、運営に注意されたりしないのかなぁ。
プレイヤー主催のイベントとか集会みたいなのは結構盛んなので、その告知専用の掲示板があるのは一応知っていたけど、今のところ自分には関係ないと思って見たことはなかった。
これからもあんなのに遭遇するようなら、たまには見ておいてその時間を避けた方が無難だろうか。
でもやっぱり何かもやっとして、面白くない。
一応謝罪を受けて帰ってきた形になっているので、運営に苦情を申し立てるほどではないんだけども……。
「……約束の方を先にするかの」
もやっとするのに気を取られていたが、目的が果たせなかったならもう約束の場所で待っていてもいいかもしれない。とりあえず今の出来事は脇に置いておいて、待ち合わせ場所に行ってようかな……っていっても待ち合わせ場所はこの広場の別のベンチなんだけども。
私はもう一つため息を吐いて座っていたベンチからゆっくりと立ち上がると、広場を横切りこの間彼と話をした場所を目指した。