「暖かき灯火、燃え盛る焚き火、地を舐め風に踊るものよ、大いなる怒りを身に宿した一筋の矢となれ、我が眼前の敵を赤き舌で焼き尽くせ――」
朗々と流れる声に合わせて周囲の空気がキラキラと光る。いや、光っているのは空気ではない。
紡がれる音に合わせて徐々にその数を増し、煌くのは文字だ。
小さな文字が明滅しながら列を成し、くるくると立っている私の周りで螺旋を描く。
一つの魔法分の呪文を言い終えると繋がった線は勝手に途切れ、一つながりの円になった。
私はそれを眺めながらも詠唱を止めることなく次へと進める。一つの呪文から次へと移る時に全く間を挟まなくても、こんな風に勝手に切り離されるので私はただ繋げて最後まで言い切るだけでいいから楽だ。
やがてもう一つ分の呪文の詠唱が終わると円がまた一つ増える。そしてもう一つ。
くるくると私を囲み回る円は、三つを数えた所で増えるのを止めた。
「筆記、終り」
三つ目の呪文を唱え終えたところで終りを告げる言葉を放つ。
すると輪になって回っていた文字達はさらさらとほどけ、私の目の前の空中に浮かんだ白い本の中に列を成して吸い込まれていった。
本の表紙は文字を吸い込むごとに赤く染まって行く。最後の一文字を飲み込むと、本はふっと力を失ったかのように地面へと落ち、パタン、と音を立ててその表紙を閉じた。
表紙に描かれたのは「赤の魔道書Ⅰ」の文字。
私は表紙をそっと撫でてそれを確かめると、ふぅ、と息を吐いた。
「うわ、減ってる」
ふいと手を振ってステータスウィンドウを開き、残りのMPを確かめるとかなり減っている。
今日はまだ二冊試しに作ってみただけだと言うのに数値はもう半分を割り込みそうだ。MPだけは、このレベル帯にしては多分ちょっとは自慢できるっていうくらい多いというのに。
普通に戦闘しているよりも消費が桁違いに多いのが痛い。
けどしょうがないかなぁ。私はこの方法しか出来そうになかったんだし。
「一番初級の魔道書二冊作っただけでこれかぁ……材料が安いのはいいけど、数は作れないなぁ」
場所が宿屋の部屋の中ということもあり私の独り言を聞く人もいないので、つい素になってしまう。
私はたった今完成した赤の魔道書をアイテム欄に放り込むと、側にあったベッドに座り込んだ。
「やっぱり熟練度が上がるまでは結構大変かな……気長にやるしかないか」
ぼふんと寝転がると逆さまの窓の外が目に入る。今のRGOの中の時間は明け方だ。
朝もやに包まれた街はとても静かだった。
結局あの後、オットーの店を出た頃には私はもう寝ないといけない時間になっていた。
セットしておいたアラームがチカチカと点滅して急かすので、仕方なくそれ以上遊ぶのを諦めてログアウトしたのだ。
次の日を待ち遠しく眠りにつき、今日ばかりは授業もそぞろに聞いて、終わった途端に家に帰ってきた訳で。
しかしログインしてみるとRGOはまだ夜明け前で、今日は朝の時間を探索したかったので外に出るには少士早かった。ので、こうして部屋の中で編纂者について書かれたマニュアルを読み、実際に魔道書を作ってみた訳なんだけども。
マニュアルを読むと、心配した生産の方法は至極簡単だった。
白紙の書を開き、口述筆記開始、と唱えて書の中に詰めたい内容を制限時間内に読み上げるだけ。開始を告げると同時にウィンドウが現れ、そこに砂時計が表示される。それが落ちきるまでが制限時間だ。グレンダさんが言っていた通りその時間は普通の筆記の時よりも確かに短いのだが、早口言葉をあれだけ繰り返した後なら気分的にも楽勝だった。
同じ種類の魔道書を合体させる「編纂・合」に関しても、「口述筆記・合、開始」と始めの言葉を言い換えるだけでいい。合の場合は二冊の魔道書にかかれた全く同じ内容を二回繰り返さないといけない。だが制限時間も倍に伸びるので、要は間違えないことと根気の問題だけになる。ただし、出来上がった書に更に合成して行くと徐々に成功率が下がるらしい。
それでもやり方としては、今の所どちらも難しくはない。
「やり方とか、時間は問題ないんだよね……問題なのは、作った魔道書が売れるかどうか……まぁ、最悪当分はNPCに売るしかないか」
NPCに売ると市価の半額での買い取りになってしまう。つまり赤の魔道書Ⅰなら800Rで売られているので、買取は400Rということだ。幸いな事に白紙の書Ⅰが200Rと思ったよりずっと安かったのでそれでも利益は一応出るのだが、MPを全部消費しても一度に四冊しか作れない。もっと上位の素材を使って、上位の呪文を込めるとなればその効率はきっとうんと落ちるだろう。
ちなみにこれが筆記になると多分MP的には余裕が出るのでもっと数を作れるはずだ。その代わりインクや羽ペンなどは何回か使うとなくなる消耗品との事なので、その分の経費が少しだけ上乗せになる。でも多分最終的な収支はどっちも似たようなものなんじゃないかとは思う。
「宿屋でもこうして生産できたんだから、後はやっぱり瞑想室で出来るかどうか試してみるのがいいかな。また引きこもりになるのが難点といえば難点だけど。エフェクトとかは気に入ってるんだけど、人に見せるわけでもないのがちょっと惜しいなぁ」
生産の時に本が浮く様とか、文字が躍る姿がキレイだし、すごく魔道士っぽくて気に入ってるんだけど、残念ながら宿屋も瞑想室も単独使用なので人に見せることはできない。かといって外でやる気もないし。
それでもグレンダさんの言葉の通り、編纂者の生産工程は専用の工房でなくても行えたことはとても嬉しかった。
筆記だと机と椅子があった方が良いとの事だったが、口述筆記を選んだ私にはそれも必要ない。ただマニュアルによれば例え呪文を言い間違えたりしなくても熟練度が上がるまでは一定の確率で失敗するらしく、工房などを使った方が成功率が上がるのは確かなようだった。
今作った魔道書は赤の魔道書Ⅰを二冊だったので、いっそ合成してしまうのが良いだろう。
しかし合成するためには二冊分の呪文を唱える必要があるので、それをやるともうMPが空になる。「赤の魔道書Ⅰ(+1)」を一冊作るだけでMPが空って考えてみるとすごい。ちなみに詠唱中は唱えるごとにMPがぐんぐん減っていくので、途中でMP切れになった場合は生産失敗になる。
そうなるとMP欄を見ながら生産して、足りなくなりそうな時はいつかのようにMP回復薬を頭から被れるようにしておいた方がいいんだろうか……。でもあれ種類によっては結構高いから使ったら赤字になる可能性があるからそれは最終手段にしたいなぁ。
「とりあえずどんな本を作るかをまずよく考えて見ないとね。材料だって好きなだけ買える訳じゃないし。MPに関しては熟練度が上がって消費が減るまで我慢するしかないか……後はサラムでも本を漁って知力を上げて、少しレベル上げてMPの底上げとかくらいしかできることはないかな」
とりあえず地道に頑張るしかなさそうだ。ま、何事もそんなもんだし、別にそういうのは嫌いじゃないからいいしね。
そんな事をつらつらと考えているうちに外は更に明るくなってきていた。
そろそろ街に出て、早朝に出会えるものを探しながら歩くのもきっと楽しいだろう。この街の探検も、色々なお店巡りもまだ殆ど出来ていないし。
「生産もすごくいいけど……まずは、この街と仲良くなるのが先、かな」
よし、と勢いをつけて立ち上がると、私は部屋を出るべく歩き出した。
宿屋の一階の食堂へと出ると、朝は女将さんではなく、旦那さんが起きていて何かの仕込をしていた。
「おはようございます。早いですね、ウォレスさん」
「ああ、おはようございます。今日はちょっと朝の街でも歩いてみようかと思いまして」
最初は適当に選んで泊まった宿屋だったのだが、雰囲気が気に入ったのでこの街にいる間はここを使おうかと決めている。その旨をもう告げてあるので、主人とも女将さんとも大分気安い仲になっていた。
「そうですか。今朝は晴れているし、確かに散歩には丁度良さそうですよ」
「それは何より。もっともこの街は雨の日も風情があって捨てがたいですがのう」
「ははは、なかなか通ですね。では、いってらっしゃい。どうぞごゆっくり」
主人の声に送られて通りに出る。外はまだ朝もやが残っていたが確かに天気がよく、立ち並ぶ家々の間から日差しが差し込み始めている。
私はのんびりと歩きながら街を行く人々を眺め、その中から緑のマーカーを探した。店の前を箒で掃いているおばさん、家の前に置いた植木鉢に水を与えているおじさん、何か届け物をするのか走っていく子供。
さてさて、今日は誰に話しかけようかな。
「作ったものをNPCに売るの? ならリエに頼むと良いわよ」
「リエちゃんに?」
数日後の昼休み、珍しく由里と一緒にご飯を食べながら、生産職に就いたけれど作ったものが売れるかどうか微妙だ、という話をするとそんな提案をされた。
まだ何の職に就いたのかは具体的に明かしていないのだが、魔法系の生産だと言う事だけは話してある。今の所それが売れるかどうかはわからないことも含めて。
由里なら話してもいいんだけど、もうちょっと熟練度が上がって使える本が作れるようになるまで何となく気恥ずかしいから内緒にしとこうかな、とか思っているのだ。
「商人だと熟練度によるけどNPCとの売買全般にボーナスがつくのよ。すごく沢山つくとかじゃないけど、普通に店売りするよりちょっとだけお得なの。リエならマージンなしで売り買いしてくれるわよ」
「それはリエちゃんに悪いじゃろ」
「ナミ、言葉」
「あ、ごめん」
つい語尾が……由里とかミツ相手ならいいけど、他の友達やクラスメイトと喋る時は気をつけないと……。
「あの子はナミからお金なんて取らないと思うわよ。けど、オークションとかに一応出してプレイヤーにも売れるかどうか試してからでもいいんじゃないの?」
それは私も考えなくもなかったんだけど、ちょっと気が進まないんだよね。
「それもちょっとは考えたんだけど、オークションって出品者の名前出ちゃうからさ。魔法具生産系のスレッドの荒れ具合とか色々考えると、まだあんまり名前出したくないなって思って」
「あー、なるほど。ならそれもリエに依頼すればいいのよ」
「オークションも?」
その言葉に首を傾げると、由里は頷いて言葉を続けた。
「商人だけはどこにいてもオークションに出品したり入札したり現在の情報を見たりできるようになってるのよ。だから忙しい人から商品を委託されて代わりに出品したり、依頼されて特定の品を落札したりとかしてる人、結構いるのよ。他にも通称「自販機」っていう無人の販売所を作れるスキルもあるから、露店販売でも委託する事ができるし」
「じゃあ、その委託者の情報は?」
「委託を受けた商人が公開非公開も設定できるから、非公開にしてもらえばわからないわよ」
「それ、すごく助かるかも。じゃあ今度試しに頼んでみようかな」
「そうしたらいいわよ。リエもきっと喜ぶし。普段は鑑定とか買い物くらいにしか今のトコ役に立ててないから。アイテムは結構仲間内で回して融通し合っちゃうから、余った物とかいらない物が出たときじゃないと露店とかしないのよね」
「そっか。じゃあお願いしてみようかな。まだ街の探索ばっかりしてたからそんなに作ってないんだけど、そろそろ熟練度上げるためにも少し集中してやろうと思って。売りたいものが溜まったら連絡するって、良かったらリエちゃんに伝えといて」
「うん、家に帰ったら言っておくね」
そこで会話が途切れたので、膝に乗せたまま放って置いたお弁当にまた箸をつけた。
一人暮らしなので普段から余ったおかずを小分けにして冷凍して取ってあって、それを適当に詰めてくるだけの簡単なものだ。後はミニトマトを詰めたり玉子焼きを朝焼いたりするだけで彩りもいいし問題ない。たまに由里と弁当ごと取り替えて違う家庭の味を楽しんだりもする。由里のお母さんも料理は上手いのでお弁当はいつも美味しかった。
「そういえば、委託者非公開ってことは、作ったものにも名前入れないの?」
「そのつもり。適当に偽名入れとこうとおもって」
生産した物はその殆ど全てに生産者の名前を設定する事が出来る。別に物そのものに書かれている訳ではないが、アイテムウィンドウでアイテムの詳細を確かめると見ることが出来る項目だ。
武器防具はもちろん薬や魔法具、騎獣なども、作った人によってその数値や効力が少しずつ違ってくることが多いので、自分の作った物に多少の自信があれば名前を入れることが多い。
名のついた品物が売れて人気が出たり品質に信用が出来れば更に人を呼ぶ事になるから、あまり酷い数値のものでなければ名前を入れる方が得なのだ。
名は自分の好きに設定できるので、個別注文などを受けたくない人はいわゆる号のような感じで別名を使うこともできる。
「名前が売れるのもいいことばっかりじゃないもんね。注文が増えすぎて他の時間が取れなくなったとか、注文されて作ったらやっぱりいらないとか言われたり、数値が平凡だからまけろとか言われた、なんて聞くことも結構あるし」
「そういうのもあるのかぁ。リエちゃんに委託して迷惑掛けないかな?」
「大丈夫よ。商人にはブラックリストって言うスキルがあって、悪質な客がいた場合はその客とのやり取りのログを取って、商人ギルドとかで閲覧できるリストに載せることができるのよ。そうなると悪評が広がるし、下手すれば商人全員に相手にされなくなったりするかもでしょ? だから商人相手に強気に出る人は少ないの」
へぇ。それは思ったより大分便利だ。ちゃんと商人も副職として成り立つようになってるんだなぁ。
じゃあ、オークションに出せるようなものが出来たら委託してみようかな。
「じゃあ露天とかオークションでは売れた金額から原価だけ引いて、利益から何割かちゃんと払うって言っておいてね。NPCにしか売れないようなものの時だけはちょっとだけ甘えてもいいかな」
「オッケー、伝えとく。そのくらいなら全然大丈夫だと思うわ。今日はインするの?」
「今日は定期連絡の日だから、夜は長話につき合わせられるんじゃないかな。課題も出てるから土日ゆっくり遊ぶために終わらせておきたいし、ログインしないかも」
「そっか、おばさん達元気?」
単身赴任中の父とついていった母とは二週間に一回くらい連絡を取っている。普段は電話とかメールのやりとりだけど、たまにVRチャットで団欒? のようなことをすることもあり、今日はその予定だった。
「元気元気。VRチャットだとなんか二人共普段しないようなすっごい若い格好してくるからこっちがぎょっとするくらいだよ」
「あははは、わかるわそれ! VRアバター用の衣装って、普段絶対着ないようなのが色々あって着てみると意外と面白いもん」
「由里なら何でも似合うだろうけどさ、親の場合それを見るほうの身になって欲しいかなぁ」
両親も私もそうだが、仮想ショッピングモールなんかを利用する人は大抵がリアルの自分そっくりのVRアバターを持っている。どの街にも一つくらいは設置してある有料の3Dスキャンシステムを使って自分の全身映像を撮影し、それをアバターにできるよう加工して登録するのだ。
そうして作った自分そっくりのアバターは試着の必要な買い物や親しい人とのチャット、遠方での会議とかのビジネス用に使われることが多い。アバターは幾つでも作れるので、リアルタイプと、デフォルメしたキャラクターっぽいアバターとかとの使い分けをしている人がほとんどだろう。
もちろんリアルアバターは由里も持っている。たまに一緒にVRで買い物に行ったりするのだ。
可笑しそうな由里の笑い声を聞きながら最後に残ったプチトマトを口に放り込む。由里の方はとっくに食べ終わっていた。同じ時間に食べ始めるのにどうして食べ終わりはこんなに違うんだろうといつも思う。
「ごちそうさまっと。じゃあ、リエちゃんによろしくね。この土日はちょっと頑張って生産してみるよ」
「そのうち見せてよね?」
「ん、わかった」
頷いて食べ終えた弁当をしまい、時計を見るともうそろそろ昼休みも終わる時間だった。
帰りも一緒に帰る約束をして、二人で教室へと戻る。
今日は金曜だからログインできないかもしれないのが少し残念だ。でも少しなら遊べるかなぁ。それと明日もログインしたら約束があるから、生産するなら後かな……約束忘れないようにしないと。
朝に洗濯とか掃除とかすませちゃって、早めにログインして少しだけ生産しようかな。
とりあえず初級魔道書を何種類か作って、その合成を考えているんだけど……できればちょっとくらい、売れますように。