一体どのくらいの間戦っているのか、私はしばらく前からもう考えるのを止めていた。多分時間にしたらそれほど長い時間ではないだろうと思う。
もし補助魔法をかけていたら何回かかけ直すくらいの時間が経っているんじゃないかとは思うが、それも予想でしかない。けれど私達の上に流れるのはそんな事を考える暇もないくらい濃密な時間だった。
「さすがになかなかやりますわね、ウォレスさん」
「そちらこそ……」
口を動かす事に体力が関係なくて良かったと思いながら、私は言葉を紡ぐ。
これが現実だったらそろそろ口がだるくなっている頃だろう。
あと口の回る速さにステータスが関係していなくて本当に良かったと思う。
「次は私の番ですわね」
「ええ、どうぞ」
私は何が来てもいいよう気合を入れなおし、彼女の発する言葉を一音も聞き漏らすまいと耳を済ませた。開いた足にぐっと力がこもる。そういえばいつの間にか二人共何となく立ち上がっていて、テーブルを挟んで仁王立ちで対峙している。
きっと見た目だけ見れば、まさに真剣勝負、と言う様子なんじゃないかな。
っと、そんな事を考えている場合じゃない。
彼女が口を開く。
来る!
「それでは、これでどうです? ――家のつるべは潰れぬつるべ、隣のつるべは潰れるつるべ!」
「――家のつるべは潰れぬつるべ、隣のつるべは潰れるつるべ!」
彼女の言葉を最後まで聞き、間髪要れずに一息で言い切ると、シンと一瞬の静寂が戻る。
今回も彼女の言葉を一字一句違わず復唱できたことに、思わずほっと息を吐いた。
また勝負がつかなかった事をどう思っているのか、グレンダさんは特に悔しがるでもなく笑みを浮かべたままだ。
私と彼女の真剣勝負。それは――早口言葉勝負。
私達は至極真剣だが……多分、間抜けな勝負に見えるんだろうなぁ。
「早口言葉で勝負しましょう」と最初に言われた時、私は何を言われたのか解らず一瞬固まった。
ええと、と意味のない言葉が思わず口から零れたが、後に続く言葉を捜して目線が彷徨う。
「その、早口言葉というのは……早口言葉、ですよね?」
「ええ。早口言葉ですね」
グレンダさんはあっさりと言い切り、にこりと笑った。
「ルールは簡単です。お互いに早口言葉を出題し、出された方がそれを復唱する。間違えたら負け。簡単でしょう?」
はい、簡単です。確かに簡単ですが……。
NPCとかAIとかそういう言葉が一瞬脳裏を過ぎる。それって私に勝ち目はないんじゃ……?
いや、でも彼女が聞いた音をそのままシステム的に復唱するんだったらそりゃ勝負にならないけど、それならそもそも勝負とか言い出さないんじゃないだろうか。なら適当な所で許してくれるとか引き分けになるとか、手抜いてくれるとか。……っていうか、やっぱり中の人……いやいや、そういう事を考え出したらきりがないし!
それに私はもうとっくにNPCをNPCと思うのはやめにしたはずだ!
唐突でびっくりしたが、この勝負が口述筆記のスキルへの道だというなら断ることは出来ない。
筆記の道が絶望的な私に他に選ぶ道はないんだから。
「受けて立ちましょう」
内心の動揺を治めると、私は重々しく(つもりだけだが)頷いた。
「あら、自信がおありのようですわね」
「こう見えても早口言葉には些か自信がありますのでな。久しぶりですが、そう簡単には負ける訳にはいきませんよ」
「それは楽しみですこと」
にこにこと笑うグレンダさんが怖いが引く気はない。
そう、私の数少ない――正確には二つしかない――特技と言えるかもしれない事の二つ。
それは何を隠そう記憶力と、早口なのだ。
(いや、どっちかっていうとあんまり自慢できるものでもないから隠しておきたいかもしれないけど)
実は昔小学校で早口言葉が流行ったことがあって、私は学年で一番になったこともあったりするくらいだ。実際は学年でとはいっても別に学校中で競ったというわけではないんだけどね。
まぁそういう訳で、その二つしか得意だと言える事がない私に親しい友達は口を揃えて、だったらいっそアナウンサーでも目指せば、と言ってくれるくらいには得意といえるだろう。
将来それを目指すかどうかは置いておいて、そもそもミツが私に魔法職を勧めたのだってアイツもその事を覚えていたからだろう。
流行っていたのは小学校の頃なので早口を誇れたのは随分前の話だが、RGOで魔法を唱えるようになってから結構勘も戻ってきている気もするのでそれなりにがんばれるだろう。
「口だけは早いナミちゃん」と呼ばれた私の実力、見せてやる!
……思い出したらなんか哀しくなってきた。
「では次はこちらが。……お綾や親におあやまり お綾やお湯屋へ行くと八百屋にお言い!」
「――お綾や親におあやまり お綾やお湯屋へ行くと八百屋にお言い!」
私の発した言葉に続き、彼女もまた一字一句違わず繰り返す。
勝負を初めてから、こうして結構時間が経ったわけだが未だに勝敗はつきそうにない。
生麦生米とか、隣の客はとかの定番から始まって、それぞれが出題した数はもう二十近いんじゃないだろうか。私の方はそろそろ早口言葉のストックがなくなりそうで、どうしたものかとさっきから悩んでいる。
思い出せる限りのものを思い出して頑張っているのだが何せ昔覚えたものが殆どなのだ。
「月づきに月見る月は多けれど月見る月はこの月の月!」
「――月づきに月見る月は多けれど月見る月はこの月の月!」
ちなみにグレンダさんの方は出題傾向からすると、一応このRGOの世界観的にアウトな言葉の入ったものは言わないようだ。私は普通に東京特許許可局とか言ってるけども。
彼女の出題した、「魔術師魔術修行中」とかは、なんか自分の今の姿と被っていてうっかり笑いそうになってしまって危なかった。
「旅客機百機客各百人、旅客機百機客各百人、旅客機百機客各百人!」
「――旅客機百機客各百人、旅客機百機客各百人、旅客機百機客各百人!」
うう、今のは結構私もやっとやっとだったのにあっさりとクリアされてしまった。
お互いに長い早口言葉を選んだり、時々短い早口言葉で複数回繰り返すものを混ぜたりもして揺さぶりを掛け合ったりしているのだが、決着は一向に見えてこない。
このままではどう考えても私の方が不利な気がする。けど、勝つって言ったってな……
そんな考えに囚われている間に彼女がまた口を開く――っと、やばい、気が散ってた!
「歌うたいが歌うたいに来て 歌うたえと言うが 歌うたいが歌うたうだけうたい切れば 歌うたうけれども 歌うたいだけ 歌うたい切れないから 歌うたわぬ」
ちょっ、いきなり長いし!
「う、歌うたいが歌うたいに来て 歌うたえと言うが 歌うたいが歌うたうたい……っ」
あああ、間違えたぁっ!
「ま、負けました……」
がっくりと項垂れた私を見て、グレンダさんがくすりと笑う。
集中力が切れて考え事をしていたのが悪かった。
これでは課題はどうなるのか、と不安に思う私に、けれど明るい声が掛る。
「あら、まだ終りではありませんよ。これは私から出題を始めた勝負です。まだウォレスさんの出題が一回分残っていますわ。それを私が言い切れば私の勝ち。間違えれば引き分けです。そろそろ私の知っている早口言葉も少なくなっていましたし、丁度良いので次を最後の勝負と致しましょう。そうですね……これだけ良い勝負をしてくれたんですもの。次の勝負でウォレスさんが勝てば、貴方の勝ちと致します」
その彼女の言葉に項垂れていた頭を起こす。
確かに勝ちはないが、引き分けはまだ残っている。おまけに引き分けたら私の勝ちでいいって言うのはいい条件だ。
けれど勝てるんだろうか、と私は心の中で呟いた。
さっきまで出していた早口言葉だってかなりの難易度のものも混じっていたのだ。しかし彼女はどれも余裕で繰り返していた。
やっぱりこういうことでNPCに勝とうなんて土台無理なんじゃないだろうか、という思いがまた頭を過ぎる。
一体何を出題すれば勝てる見込みがあるのか、もうさっぱりわからない。有名どころもマイナーなのも知っているものは既に色々取り混ぜてきた。正直もうネタ切れなのだ。簡単なのなら使ってないのは幾つかあるが、彼女が言えないような難しいものなんてもう思いつかない。
そうなるといっそ……即興で作る、とか? 確かにそれなら幾らか有利になるかもしれない。
早口言葉を作る時の注意点てなんだったっけ? 小学校でもやったはずだ、即興の早口言葉。
確か、似たような言葉が羅列されているだとか、発声しにくい配置になってるとか……
「考えはまとまりまして?」
「ええと、少々お待ちを」
あ、あとマ行の後は発声しにくいっていうのもあった気がする。
似たような言葉、発声しにくい配置、マ行、それと何よりグレンダさんが知らないような。
そんな条件、ぱっと思いつくわけがない。私は暗記は得意だけど応用は人並み程度だ。
何かないかな、何か……マ行ってつまりマミムメモな訳だけど、マ、ミ、ム……ミ?
「……決めました」
「はい」
「これで、勝負です」
考えをまとめ、覚悟を決めてグレンダさんをひたと見つめる。
どこまでも余裕の笑みを浮かべた彼女を見ていると思わず負けそうな気分になるが、これで最後の勝負だ。勝手も負けても悔いはない。
私は深呼吸を何回かし、それからたった今考え付いた早口言葉を慎重に頭の中で繰り返す。
あまり短い言葉ではないが、三回くらいの復唱にするのが良いだろう。
私が間違えたら元も子もない。
精一杯心を静めて、すぅ、と息を大きく吸った。
「いきます――ミナミナミミミナガギミミミナガスギ、ミナミナミミミナガギミミミナガスギ、ミナミナミミミナガギミミミナガスギ!」
「み、ミナミナミミミナガギミミミナガスギ、ミナミナミミミナガギミミミナガスギ、ミナミナミミミナガミミ、」
「アウト!」
「っ!」
今間違った!
私の言葉にグレンダさんはハッと口に手を当てた。沈黙が二人の間に落ちる。
彼女はそうしてしばらく固まった後、やがて、ふっと息を吐いた。その肩から力が抜け、余裕の笑みを浮かべていた顔が困ったようなものに変わる。
「……負けましたわ」
や……、やったぁぁ!
勝った! っていうか引き分けだけど、でも一応勝ちだ!
「聞いた事のない早口言葉でした。オリジナルですか?」
「ええ。たった今即興で作ったものです。賭けだったのですが……これで、引き分けですな」
「約束ですから、ウォレスさんの勝ちということになりますわ」
「ありがとうございます」
あああ、良かった。いっそ自虐ともいえるネタを披露したかいがあったというものだ。ミナミナミが何の事かなんてグレンダさんにはわからないだろうけど、これを繰り返すのは私の心情的には結構切なかった。
はぁ、と安堵の息を吐いて後ろに押しやられていた椅子に腰を掛けると、グレンダさんがふふふ、と楽しそうに笑う。
彼女は本当に楽しそうに、目じりに皺を寄せてくすくすと笑っていた。
「どうかしましたか?」
「いえ。あの人の言った通りだったと思いまして」
あの人って、ロブルか。手紙に何か書いてあったのかな?
「ロブルは、何と?」
「この荷物を届ける旅人は随分な変わり者で面白いから、ちょっと遊んでやれって」
「……」
ロブル……友達だと思ってたのに!
がっくりと肩を落とした私の姿が面白かったのか、グレンダさんには更に笑われたし。うう、確かにロブルの言葉どおり、グレンダさんは手強かったよ。
「ふふふ、ほんの冗談ですわ、あの人の。そんなにがっかりなさらないで」
「はぁ……」
「さぁ、しゃっきりなさって。貴方は編纂者の試練を突破したのですから」
あ、そうだった! じゃあこれで、クエストクリア!?
ついに編纂者になれるのか!
グレンダさんは顔を上げた私の前に、どこからか取り出した一冊の本を差し出した。
赤茶色の革張りの表紙の本は魔道書より少し薄くて小さい。表紙には『編纂の書』と書かれていた。
「これは編纂者となる資格を得た者に渡される極意書です。こちらを貴方に。ただしこれは、最初に言いましたとおり口述筆記の方法を記したものです。これを受け取れば以後筆記はできなくなります。これを受け取りますか?」
「はい、勿論!」
迷いなく書に手を伸ばすと、それは私の手に渡った途端にスッと掻き消えた。
と同時にポーンと聞きなれた音が鳴り、ウィンドウが現れる。
『生産クエスト「知を編む者への道」をクリアしました
クエスト報酬:編纂の書 』
やった! ついに編纂者だ!
なんかもう、職に就けただけですごい嬉しい。役に立つとか立たないとか、全部今日のこの苦労の前に吹っ飛んだ。これだけ苦労したのだ。役に立たなくてももう絶対止めない。多分。
「おめでとうございます、ウォレスさん。それともう一つ。私から、私との勝負に勝った貴方への贈り物です。ラウニー、出ていらっしゃい。そこにいるのでしょう?」
「はぁい」
部屋に小さな声が響いた。
慌てて辺りを見回すと、こっちだよ、とまた小さな声がする。
慌てて下を向くと、私の前のテーブルの上に小さな子供が立っていた。
紺色のチュニックとズボンで細身の体を包んだ、その子供は間違いなく――
「知の、妖精」
「やっぱり知ってるんだね! 僕の仲間に会ったの? 誰?」
「ええと、ブラウじゃよ。ファトスの図書館で知り合ったよ」
「元気だった?」
「ああ、とても。とっておきのクッキーを取られてしまったよ」
あはは、と明るい声を上げてラウニーが笑う。こうやって見るとやっぱり妖精って可愛いなぁ。
しかし、グレンダさんとロブルは夫婦して妖精と友達なのかぁ。一人で感心していると、グレンダさんがラウニーに声を掛けた。
「ラウニー、さっきの勝負はずっと見ていたのでしょう? ウォレスさんは充分貴方の祝福を受けるに値すると思うのだけれど、どうかしら?」
「もちろんいいよ! さっきのすごく面白かったし、ブラウの友達なら僕にとっても友達だもん!」
うわ、嬉しいな。こんなところで祝福が受けれるなんて思ってもみなかった。
サラムにはいるんじゃないかなーなんて思ってたけど、会うまでに図書館の本を全部読みきる覚悟は決めていたのに。
「じゃあ、ウォレスさん顔貸して」
「はいはい」
「――知の道は目に見え難く、時には薄闇に続く。貴方の志が、その道を照らす光たらん事を。言の葉の合間に住まう知の妖精ラウニーがここに祝福を贈る――」
ブラウが告げたのと同じように、可愛らしい声が厳かに祝福の言葉を紡ぐ。
頬に触れた小さな唇はやっぱりくすぐったかった。
でも、ラウニーの祝福は何の意味があるんだろう?
「じゃあ、またね!」
「ああ、どうもありがとう、ラウニー」
ラウニーは祝福を終えるとぱたぱたと手を振り、笑い声を一つ残し、くるりと一回転して姿を消した。
残された空気が少しの間キラキラと光り、それもやがて消える。
それを見届けた後、私はグレンダさんの方に向き直った。
「あの、ありがとうございました。実際は引き分けだったのに、こんな……」
「いいえ、勝負は勝負です。条件を出したのは私ですもの。貴方の勝ちは変わりませんわ」
「それでも、感謝します。ところで、彼の祝福にはどんな効果が?」
「あの子の祝福は技能の一つとなります。何を得られるのかはあの子の気まぐれやその出会い方など、その時々で違いますので、後でご自分で確かめられると良いでしょう。ただ妖精はあの子に限らず気まぐれで悪戯好きですから、役に立つものとは限らないかもしれませんが……」
……なんか嫌な予感がするのは気のせいだろうか。
とりあえず後で確かめてみよう。
「さて、ではこれで編纂者としての伝承は終りです。後は実際にご自分で書を作ってみてください。口述筆記の場合、必要な物は白紙の書と魔力だけです。やり方は編纂の書に記してありますから、やってみる方が早いでしょう」
「わかりました。お世話になりました」
「いいえ、こちらこそ。優秀な後継者が誕生した事は何よりの喜びです。また何かありましたらいつでも訪ねて来て下さい。貴方の歩く知の道が明るくありますように」
ではまた、と何度も頭を下げて暇を告げ、店の方へと戻る。
ついに私も生産職につけたんだ、と思うと思わず足も早くなる気がした。
とりあえず外に出て、またベンチにでも座ってマニュアルを読んで――
「あ、ウォレスさん!」
「はい?」
と、思ったら背後から急に声が掛かった。
誰かと思えば店主のオットーさんだ。何か?
「白紙の書、買っていかれませんか? 他ではなかなか手に入りませんよ!」
「……お願いします」
くっ、この商売上手!