「うわ、安い」
RGOのアイテム相場のまとめサイトに載っていたのは、予想通りとはいえ実に酷い数字だった。
私が思わず素直な感想をパソコン相手に呟いたって許されるだろうこれは。
それくらい、魔法職用アイテム、中でも杖の相場はとりわけ低かったのだ。
まだ私が名前を聞いたことのないようなそこそこランクの高そうな杖でもかなり評価が低く、せいぜいNPCに売るよりはまし程度の値段しかついていないように思える。
横に参考として書かれているちょっと前までの相場からすると最近は少しは上がっているようだが、到底売れているとはいい難いようだった。
「需要がなければ仕方ないとはいえ……当分買う必要はないけど、ちょっと欲しくなっちゃいそうな値段だなぁこれ」
この間良いドロップがあったばかりの私には必要ないけども。
なら本の方はどうかと見れば、こちらは新規の魔道士の数が増えてきたという話もあったせいか、以前より少し相場が上がっているようだった。それでも他職向けの装備品に比べればやっぱりかなり安い。
魔法職自体の全体的な人口が戦闘職と比べてまだ少なめなので、戦闘職の人が拾って売りに出したドロップ品が結構余っているのだろう。
魔道書はものによってはあまり使い勝手の良くない魔法しか入っていないものもあるし、転職してしまったら必要なくなった、というものも出てくる。
そういうものもアイテム欄を圧迫するので露店やオークションに出てくることが多い。まぁ私にとっては非常に嬉しい話だ。
実際、ファトスから移動できなかった頃には魔道書の値段に悩まされた事も多かったがセダに行ってからは安価な魔道書を幾つか手に入れる事が出来ている。
「あ、この魔道書知らないや。ドロップかな……今度オークションで探してみようっと」
情報サイトで見たところによると、フォナンの周辺は様々な生産素材に使えるアイテムのドロップが増えているようだった。確かサラム辺りまでは装備品や薬の類もたまにドロップしていたはずだ。
生産職の種類も色々出てきたし、生産をやりこむ人も増えているようだからそっちの市場を活性化させるためにそうなってるのだろう。とすると、今後もどんどんその傾向は強まるということだろうなぁ。
とりあえず今のところはまだ魔道書の類を安く手に入れるのは難しくはなさそうなのは幸いだ。
作ったものが売れるかどうかは別として、編纂者になってから必要となる素材を手に入れることが容易いならそれに越した事はない。
「速読スキルはどうしても欲しいし、やっぱり決まりかな。どうしても役に立たなかったら最悪転職すればいいし……」
生産職は一度に一つの職業しか選べない。しかし、別の職業に転職した後再度もとの職業に戻った場合、スキルの熟練度等は全てまた始めからスタート、というわけではない。
転職した職業と元の職業の種類が近い場合はスキルや職としての熟練度は七割から九割くらいは保持されているのだ。
そういう救済策があるので、多少のロスは覚悟しても他の職業に試しについてみる、という事も出来なくはない。
ただ、ついた生産職の種類があまりに元のものとかけ離れている場合は、当然その熟練度の保持率は大幅に落ちるので注意が必要だけども。
「どうせ私は体力勝負な職業には就けないし……ま、何とかなるでしょ」
職に就く前から転職の心配をするなんて馬鹿げた事をする趣味はない。どうせするならもっと楽しいことをしないとね。
とりあえず知りたかった最近の相場はわかったのでサイトを閉じた。
ついでに情報サイトを開いて新着情報や、生産関連の情報をチェックしてみる。今まで生産関連は現在発見されている生産職それぞれのなり方や特徴をざっと見ただけで、あまり細かくは読んでいなかったのだ。
詳しく読み込めば、それぞれの職についたあとの具体的な生産物や熟練度上げのお勧め生産品など、色々な情報が載っているから気にはなっていたんだけど。
「んー……編纂者っていうのはやっぱりまだ載ってない、と。魔法職の人はやっぱり魔法具の生産とか薬師とかが多いみたいだけど……なんか情報少ないなぁ」
魔法具生産はもうある程度出来上がった素材に対して魔法効果を付与したり、魔法効果を持つものを合成したり、というスキルが主となるみたいなんだけど、具体的な生産物なんかに関する情報がすごく少ない。
よく売りに出されてるような魔法具なんかについては載ってるけど。
「新着情報がすごく少ないのって何でだろ……魔法職の絶対数の問題かな?」
私は首を傾げながらも用の済んだサイトを閉じて、端末を手に立ち上がった。
魔法具の生産と編纂者に似たところがないかと思って参考までに覗いてみただけなので、役に立たなくてもさほどがっかりはしなかったが、新着情報の少なさが何となく気になる。
ログインしたら中の情報掲示板も覗いてみるかな。
エレベーターが下の階に着いた時のような一瞬の浮遊感とごく軽い振動の後、目を開けるとそこには天井の太い梁が見えた。茶色いレンガとこげ茶色の木材、少しくすんだ漆喰の壁の組み合わせで作られている部屋は現実では余り見慣れない作りだ。
異国の田舎町にでも泊まったらこんな風だろうかとあちこちの宿屋を利用する度にいつも思う。街や宿屋によって少しずつ造りが違うところも面白い。こういう異国情緒を手軽に味わえるのもVRの魅力なのかもしれないが、あまり慣れると現実で旅行する気がなくなってしまいそうだ。
そんな事を考えながらベッドに横たわった身を起こす。カーテンが開いたままの窓の外に目をやると、今日は雨は降っていないようだった。時間帯は多分夕方の少し前くらいだろう。昼間の街を見て回るにはまだ都合が良さそうだ。
RGOの世界での一日は二十四時間よりも数時間短く設定されている。だから現実で毎日同じ時間にログインしても毎回少しずつ中での時間帯がずれる。そのためいつも望む時間帯にログインできるとは限らないが、ギルドなどは基本的に二十四時間営業だし夜間営業の店も沢山あるので、街の中ではさほど不便を感じることはない。むしろ夜間営業の店は昼間とはまた品揃えが少し違ったりして、別の面白さがあったりもする。
街の外は夜になるとモンスターの種類が変わって数が増えるので、私のような夜間の狩りや旅にあまり向いていないソロの人間は少し困る事もあるがそれは仕方ないだろう。それにその分、それらを補うように夜の時間帯には掲示板などでのパーティ募集も増える傾向にあるから、遊ぼうと思えばやり方は色々ある。
自分のステータスや身なりなどを何となく癖で確かめた後、私は女将さんに挨拶をして宿屋を後にした。
歩き出すとやはり晴れた昼間の街並みは気持ちが良かった。今日のサラムは遠くの塔が良く見える。晴れているせいかログインする人が増える時間帯のせいか、人の姿も昨日よりも多いようだった。
「あ、ほんとだ。美味しい」
「うむ。暑い季節に外で食べたいような味じゃろ」
宿から出た後ユーリィに連絡を取ったが、彼女はもうサラムで待っていてくれたのであっさりと合流する事が出来た。
昨日は一人で座っていた広場のベンチに、今日はユーリィと二人で座りながら魔法焼きを食べる。
爺とオカマが仲良く並んで甘い物を食べている姿をミストが見たならきっとまた盛大に嘆いたことだろうが、幸いなことに今日はここにはいなかった。
「確かにこれなら外で食べるおやつに丁度好さそうね。まとめて買っておこうかな」
「わしもそうしようかと思っておるんじゃが、歩きながらちょくちょく食べてしまいそうでの」
「あはは、確かにちょっと危険かも」
これって食べ歩きに丁度いいサイズなのが良くないんだと思うな。
まぁ、食べ過ぎたところでお金が少々出て行くだけで、お腹は膨れないんだけども。
ユーリィとそんな話をしながらも、私はさっきからウィンドウを開いてRGO内の情報掲示板を眺めていた。ユーリィもウィンドウを開いているが、どうやらアイテムの整理をしているらしい。荷物におやつを追加する余裕があるかどうか調べているようだ。
そんな彼女を横目で見ながら、私は今見ていた掲示板の様子に溜息を吐いた。
「のう、ユーリィ」
「ん、なーに?」
「この情報掲示板の、魔法具生産関係のスレッドなんじゃが……何でこんなに荒れとるのか知っとるかね?」
ゲーム内の情報掲示板を覗いてみたところ、外の情報サイトの新着情報が少ない理由はすぐに分かった。どうやら中の掲示板がひどく荒れていて、確定した情報が非常に少なかったのが原因のようだった。
この内部の情報掲示板はゲーム内の時間で進むため、未確認情報や誤情報も数多く元より結構荒れやすい。
真偽を問う会話が飛び交ったり、議論が紛糾して、罵詈雑言の応酬に変わったりといったことがよくあるのだ。
(罵詈雑言と言っても、あまりに酷い発言はさすがに運営の方から削除されたり、控えるように警告がいったりするらしい)
けれどそんな中でも検証に熱心な人と言うのはかなりいるので、そういった真偽も時間とともに徐々に明らかになり、大抵のスレッドは次第に鎮静化していくのだが。
「あー、最近どこも荒れやすいけど、魔法具生産系のスレッドは特にそうなのよねぇ。私はここんとこあんまり見てないんだけど、どんな感じ?」
「何というか……誤情報と疑いの嵐、という感じかの」
「じゃあ通常運転ね。それがいつも通りよ。それ系のスレッドはいつもそうなの。古いのでも新しいのでもいいから、いくつか開いて流し見してみてよ。すぐわかるから」
ユーリィの言葉に頭痛を感じる様な気分になりながら、もう一度ウィンドウに目を落とす。
生産レシピなどの発見報告に関するスレッドなんかを適当にいくつか開き、最初からざっと流し見てみた。
そうやって見てみると、確かに彼女の言う通り、どのスレッドも似たような感じで展開しているのがわかる。
大体の流れはこうだ。
まず、誰かが新しい発見を報告する。そうすると当然それの真偽を図る発言が出る。しばらくすると、その発見を検証してみたけれど合っていなかったという報告が相次ぐ。発見を報告した人は反論するが、結局は反対意見に負けてしまう事が多いようだ。最後には報告者が嘘吐き呼ばわりされ、これは誤情報だった、という結論が出て話は流れてしまう。
この流れは他の情報に関するスレッドでも良く見るものだが、魔法具生産に関してだけはそれが随分と多い気がした。
というか、ほとんどそれだと言ってもいいくらいだ。他の報告スレッドと比べると明らかに誤情報が溢れすぎている。
「これは……ひょっとしなくても、前にミストが話していた、アレなのかの」
「多分そうだろうって言われてるわ。でも、残念ながら証拠がないのよねぇ。否定派の発言者も毎回違う事が多いから追及も難しいみたい。オマケに情報を地道に検証した人の話じゃ、嘘や間違いも結構混ざってるらしいのよ。それも、多分意図的に」
なるほど。真実が嘘となるよう誘導し、そしてそれを悟られないように更にわざと嘘を投じるということか。
「それは……そんなだと、魔法具生産職の人は大変じゃろう」
「荒れてる掲示板に関しては、皆もう検証するのは半ば諦めてるみたいよ。まぁ、こういうMMOだと仕方ないところもあるのよ。他人より少しでも強くなりたい、多くの物を得たい、先に行きたいって思う人は多いもの。そうなれば情報の秘匿や資源の奪い合いはどうしたって起こる話だしね」
「……他人と一緒に遊ぶゲームでは避けられない話なのかもしれんのう」
MMO歴の長いユーリィは流石に達観しているが、こういうゲームで遊んだ時間の短い私には何だか馴染みのない話でもある。
一人で遊ぶゲームの場合攻略サイトを作ったりして自分の得た情報を提供したがる人は多いから、情報の秘匿なんて話はまず出てこない。
「まぁ、私は別にそういうのを悪いとも良いとも思わないのよ。そういうプレイの方法もあるって言うだけの話だもん。PKとかそういうのに比べれば、囲い込みとか情報の隠匿、撹乱くらいは可愛い方だしね。まぁ、私はしようとは思わないけど。大人数の集団行動とか苦手だし」
「それも一つの遊び方、と言う訳か。確かに、責める筋合いの話ではないのかもしれんのう」
私も別にモラルとか正義とかそういう事を持ち出して声高に主張する気は特にない。そういう観点で言えば、私だって自分の得た情報をどこかに提供するという事はしていないのだから、人の事はとやかく言えた話ではないのだろう。自分がステータスを上げた方法も、得た出会いも、友達以外に話す事は多分ないだろうと思うし。
けれど得た情報を黙っているだけならともかく、こんな風に嘘をばらまき、他人を否定し貶めることで情報を操作するやり方は好きじゃない。同じ事をしようとは到底思わないだろう。
顔を上げて、広場に目を向ける。
夕暮れが近い広場は人通りも多い。緑のマーカーをつけたNPC達は足早に家路を辿り、あるいは食事でもするのか明かりの灯り始めた大通りへと消えてゆく。決められたその動きは自然で淀みない。
その彼らの生活の脇で、旅人達は店を覗いてうろうろと歩きまわったり、立ち止まって談笑している。
NPCとは違う頑丈そうな装備で身を包み、狩りの相談をしているらしい人達も見える。
いつも、こうしてそれを見ているだけで私は楽しい。
人がそこにいるだけで、それがなんとなく嬉しいのだ。
別に現実で人付き合いがなくて寂しいという境遇でもないのに、不思議だけれど。
どこか遠くに住んでいるのかもしれない、リアルでは一生出会うこともないはずの人達が目の前を行き交うのを見ているのが好きだ。
そこに自分以外の誰かがいる、というのもMMOの楽しみの一つなのだろう。
その自分以外の誰かが、私の知らない事を知っているのも、私とは違う楽しみ方をしているのも当り前の話だ。
「こういうやり方はわしも好かんが……そんな風に色んな人がいるから飽きないんじゃな、きっと。楽しいことも楽しくないことも含めて、これはこの世界に一人ではないことを楽しむものなんじゃな」
「そうそう、流石ウォレスは分かってるわ。多少の煩わしいことがあったとしても、そういうのもひっくるめてしょうがないって笑うしかないわ。楽しんじゃった方の勝ちなのよ。現実だって同じだもんね」
確かに、現実だって同じだと言えばそうだろう。
頭の固い大人なら、ならば現実で良いじゃないかとか言うかもしれないな、と思いながら私は荒れた掲示板を閉じ、魔法焼きの最後の一口を口に放り込んだ。
「ま、少なくともわしは当分は大きな組織には関わらんようにしながら、自分なりに楽しむかの」
「あはは、同感だわ」
ユーリィとひとしきり笑い、立ち上がる頃には空はもうすっかり夕暮れの色に染まっていた。
少しのんびりしてしまったが、まだこの時間ならオットーの店は開いているはずだ。
さて、では昨日保留にしておいた、新しい楽しみに出会いに行くかな。