サラムの街を初めて訪れたその日――休憩を終えて再度ログインすると、時刻は夕方の少し前だった。
私は宿屋を出るとログアウトする前に地図屋で買っておいたマップを開き、それと街並みを見比べながらのんびりと目的地へ向かって歩きだした。
歩きながらサラムの街について人伝に聞いたり掲示板で読んだりした情報を頭の中で繰り返す。
サラムは魔法の街、塔の街、あるいは蜘蛛の巣の街。
だが今は私がログアウトしていた間にとうとう降り出したらしい雨に彩られ、通りを行く人も少なく、静かな雨の街といった印象だ。雨のせいか街にはNPCの姿もプレイヤーの姿も少ない。
ここが魔法の街だと言われる所以を示す物は、開いたマップの中央に魔法ギルドのマークがあることだろうか。
セダでは街の中心にあるのはオークションハウスなどがある商業ギルドだったし、フォナンでは武術系の訓練所などの施設のある戦士ギルドが中心にあるらしい。闘技場も戦士ギルドと隣接して中心地に建っていると聞いた。
あとは今まで訪ねてきた他の街よりも魔法関係の店の数が多いことも特徴的だろう。回るのが大変そうだなと思うくらい地図のあちこちに魔法具店を示す杖のシンボルが描かれている。
塔の街と言われる元になっている幾つもの塔は街のどこにいても一つくらいは見えるのだと聞いたのだが、今日は生憎の雨でおぼろに霞んでいた。
「……蜘蛛の巣の街というのも良くわかるかの」
開いたウィンドウの中のマップに視線を流し、私は一人呟いた。
この街は地図で見るとほぼ円形を成している。
外壁に囲まれた円の中心には大きな広場があり、その更にど真ん中には魔法ギルドの印のついた塔が一つ。その背後に隣接する形で、白の塔、黒の塔と呼ばれる二つの塔が建っている。
その中央広場からそれぞれ少しずつ幅の違う通りが十二本、ちょうど時計の文字盤の数字の方角に放射状に伸び、それらの道と道をところどころで細い路地が繋いで、地図で見るとまさに蜘蛛の巣にそっくりな姿を作り出しているのだ。
あと地図の上で目立つものと言えば、東西南北に伸びる通りの先にそれぞれ塔が一つずつ建って計四つ。中央広場のものと合わせて数えれば、この街に塔は全部で七つあることになる。
ちなみに街の出入り口は一時と七時の方角に一つずつ作られている。
サラムの街はこんな風に少々変わってはいるがセダと比べると格段にわかりやすい作りをしていた。
私が今いるのは七時の方角の門から伸びる大通りだ。名称はそのまま、「七番通り」だと地図には表記してある。
このまましばらく歩けばその内広場に着くだろう。そう思いながら道の両側に視線を走らせると、蜘蛛の巣の横糸に当たるらしい細い路地が幾つも目に入った。
通りの左側に見える路地に入って北西に向かえばそのうち目的地の九番街に行けそうではあったが、初めて歩く街でいきなり路地裏に入るのも少々躊躇われる。
やっぱりここは一度広場まで行き、魔法ギルドの塔なんかを眺めてから九番通りを目指すのが良さそうだ。
「うむ、そうしよう」
そう決めて頷くと、大通りを曲がらずに真っ直ぐ歩く。
しとしとと降る雨が髪やローブを濡らしたが、傘や雨具を買うほどでもないし、気にするのはやめた。
雨といってもこの程度なら多少ローブが重くなるような気がするだけで寒かったりはしないし、建物や軒下に入れば十分ほどで乾くシステムなのだ。
髭を濡らす滴が少々煩わしくはあるが、それよりも見慣れぬ街並みへの興味の方が勝り足が進む。
時折目に入る魔法道具店の窓を覗き込みながら歩いているとやがて道は終わりに差し掛かり、目の前には大きな広場と三本の塔が現れた。
「これが魔法ギルドか……」
呟いた私の目の前には、確かに聞いた通りの三本の塔が立っていた。
魔法ギルドの看板のかかった手前の塔は七、八階建てのビルくらいの高さで、後ろの二本の塔よりも幾らか背が低い。
その代わり直径が太く、全体的にずんぐりとした形をしていた。筍に似ていてなんだかちょっと可愛い。
きっとあの中には他の街と同じく図書室があるのだろうと思うとすぐに突撃したくなるが、それよりも今はまずはクエストだ。そのためにここまで来たのだから。
「さて、行くかの」
ギルドに未練を残す自分に言い聞かせるように呟いて広場から真っ直ぐ西へ続く道に入る。
通りに入る前に視線を上に向けると入り口脇の建物に沿うようにして柱が立っており、そこには確かに九という数字書かれた看板がかかっていた。
「えーっと、九番通りの魔法具店……って、何件かあるが、どこじゃろう?」
地図の中の九番通りには魔法具店のシンボルが四件ほど見える。
主要な通りに面しているNPCショップは街を歩く時の目印となるためこうして地図にも場所が載っているのだが、それらは武具店、魔法具店、雑貨店、薬屋などといった数種類のシンボルによるごく曖昧な区分けしかされていない。
同じ区分けの店でも実際に行ってみれば武器系や防具系、アクセサリーその他と細かい違いがあり、その中でも店によって少しずつ品揃えが違う。
多分この通りにある魔法具店も行ってみれば色々違いがあるのだろうが店の個別の名前までは掲載されていないし、地図の上からはそこがどんな店なのかはさっぱりだ。ましてやそこに目当ての人物がいるかどうかはわかるはずもない。
「店の外見の特徴とか聞いておくんじゃったの……」
まぁ、そんな事を今更言っても仕方ない。こういう時は一軒一軒回ってもいいが、それよりももっと早い手段がある。
私は地図を閉じ、通りに入りかけていた足をくるりと回してすぐ傍にあった食料品系雑貨店を覗き込んだ。
「こんにちは」
「はい、いらっしゃい!」
扉を開けたままの店の中には椅子に腰を掛けてパイプをふかしてのんびりしているおじさんが一人いた。
雨だから客も少ないし暇なのだろう。
私は入り口脇の台の上にある携帯用ビスケットの袋を一つ手に取って彼に差し出した。休憩時によく食べる軽食の類だ。
「これを一つ頼むよ。それと、この辺にグレンダさんという方のいる魔法具店はないかの?」
「毎度、50Rだよ。グレンダねぇ……さて、そんな人いたかな?」
「多分、老婦人だと思うのじゃが。何でも最近子供を生んだ娘さんの手伝いにこっちに来ていると聞いたんだがの」
クエスト画面からではグレンダさんがロブルの奥さんなのか娘さんなのかははっきりしなかったのだが、多分ロブルのあの口調からすると、娘さんへの届け物と言いつつメインは奥さんなんじゃないかと思っているんだが。
代金を渡してビスケットをしまっていると店主は心当たりがあったらしく大きく頷いた。
「ああ、それなら多分オットーのとこだな! あいつんとこは確かに少し前に子供が生まれて、かみさんがまだ寝込んでるって言ってたよ。そういえば、時々うちにもお袋さんらしき人が買い物に来るから、あの人かもな」
「そのオットーさんの店はどの辺かの? 届け物に来たのじゃが」
「オットーの店はここから西の塔に向かって六件ほど数えて歩いたら左側にあるよ。両開きの青い扉の店だからすぐわかるさ」
「そうか、助かったよ。どうもありがとう」
またどうぞ、という声に送られて店を後にし、一つ、二つと建物を数えながら歩く。
街で何かを探す時などに役に立つのこういうやり方はファトスにいた時に覚えたものだ。この街のNPCも親切な人が多そうでほっとした。
時間ができたら隅々まで街を探検しようと考えているうちに、左側に青い扉の店があるのが目に入った。
扉の脇の窓を覗くと窓辺には何の飾りもないシンプルな腕輪や指輪がいくつか置かれ、その向こうには色々な物が乗った台や、棒状に巻かれた布らしいものが何本も立てられた籠が幾つも置いてあるのが見える。
どうやらここは魔法具店の中でも、魔法具生産の為の材料を中心に販売する店のようだ。
材料を売る店は今まで用がなくてほとんど覗いたことがなかったので興味をそそられる。
私はさっそくうきうきと両開きの扉の片方をぐいと押し開いた。
カラン、と軽やかなドアベルの音を響かせて扉が開く。
目に飛び込んでくるのは色とりどりの小物が置かれた台や、壁を埋める背の高い棚。天井にも良くわからない草や紐などが沢山吊るされている。
そんな細かなものが所狭しと並んだ店内に半歩足を踏み入れた私は、しかしそこで思わず動きを止めてしまった。
「いらっしゃい」
店内に片足を踏み入れた私を迎えたのは店主の静かな声と三つの視線。
視線の一つは奥のカウンターに座る店主のもので、もう二つは店内にいた二人の先客のものだった。
私の姿を確認してすぐに視線を外した店主とは違い、その先客らはひどく無遠慮に私をじろじろと見つめている。
あれ? うーん、何か……やな感じ?
先客二人はどちらも若い男だった。一人は人間、もう一人は耳からしてエルフだろう。
二人共魔道士らしく、私と良く似たローブ姿だった。
しかしこちらに向けてくる彼らの視線は友好的とはお世辞にも言いがたく、それどころか不躾な上にどことなく険が感じられる。
全くの初対面の人間に出会い頭にそんな態度で迎えられた私は思わずその場に立ち止まってぽかんとしてしまった。
居心地が悪くなって視線を彷徨わせれば、買い物でもしていたのか彼らの手元にはウィンドウが開いたままで、そこに添えられた手には幾つもの指輪がはまっているのが見て取れる。
あれはもしかして、と考えた次の瞬間――私を襲ったのは突然の衝撃だった。
「わっ!?」
「だっ!」
ドン、と何かが背中に思い切りぶつかり、私は勢いよく弾き飛ばされて店内の床にべしゃりと倒れこんだ。
痛みはないし街中なのでHPが減ったりする訳ではないが、生来の運動神経の悪さからか手を突き損ねて思い切り床に転がってしまった。うう、RGOはこういう所が変にリアルで困る。
倒れたままびっくりして動けないでいる私の背後で、私にぶつかった誰かが慌しく起き上がる気配がした。
「って、くっそ、何でこんなとこに突っ立ってんだよ!」
「うひゃっ!?」
どかどかと足音が響き、今度は乱暴な言葉と共にぐいと襟首を掴まれこれまた乱暴に引き起こされる。
思い切り上に引っ張られて立ち上がったものの勢いに負けて足元がよろけ、今度は後ろに倒れそうになる。しかしそれをまたその誰かが支えてくれた。
「おら、しっかり立て! 何ともねぇな!? よし!」
襟首を持たれたままぐるりと回され強制的に振り向いた私の視界に、筋肉がしっかりついた体育会系っぽい見かけの人が入る。
私にぶつかり、次いで引き起こしたのは何だか随分と大柄で強面な男だった。
顔立ちは彫りが深くて大き目のパーツが目立つどことなく荒々しい作りで、ちょっと目つきが怖い。短めで後ろに流した赤い髪と、顔を彩る同じ色の無精髭が見た目を更に怖そうにしている。
ついでに言うとその顔と身に纏った簡素なデザインの革の上下の服が普通すぎて逆に似合っていない。どう見ても真っ黒な革ジャンとか、ヤクザスーツとかが似合う見掛けだ。
私は彼のその姿と顔に少々面食らいながらもこくこくと頷いた。
動きは乱暴だったが、私がしっかりと立ったのを確認してから手を離したところを見ると意外に親切な性質なのかもしれない。
そんな事を思う内に彼は私から手を離すと慌ててウィンドウを開いた。しかし、その動作は後一歩遅かったらしい。
「毎度どうもー」
唐突に店主ののんきな声が店内に響き、彼の動きがぴたりと止まる。ついで、吐き出されたのは深いため息とうめき声。
どうやらタッチの差で店主の声を受け取ったのは最初から店にいた二人連れの魔道士達だったらしい。
二人の方を見れば彼らは何となく嫌な笑いをニヤニヤと顔に貼り付け、私と隣の男に視線を投げかけると店内を悠然と横切って出口の扉を開いた。
「残念でしたぁ」
「っ!」
出て行く瞬間に嘲笑うように残された言葉に隣の男が息を飲む気配が伝わる。
確かに、今のは大変イラっとくる態度だった。
カランとドアベルの音を響かせて二人が店から出て行くと、男は自分の髪をぐしゃぐしゃとかき回して低いうめき声を上げた。
「ああもう、ついてねぇ! 今日に限ってログインが遅れるとは……」
察するに、どうやら彼は何かを手に入れ損ねたようだ。不可抗力ではあるが何となく申し訳ない気持ちになって、私は彼に頭を下げた。
「あの、何か邪魔をしてしまったようで申し訳ない」
「……いや、あんたのせいじゃねぇ。遅れた上に前をよく見ていなかったんだから自業自得だ。こっちこそ、思い切りぶつかっちまって悪かったな。俺のせいであんたまで買いそびれちまって……」
私は別に買い物に来た訳ではなかったので彼の言葉を否定しようとしたが、その前に彼の手元に一度閉じたウィンドウが勝手に開いてピピッと小さな音を立てた。
「おっ、やべぇ! 次の店の予定時間になっちまう! 悪かったな、えーと、その……爺さん? あ、いや、この詫びはまた!」
ぶつかったり引っ張り上げたりしたくせに私が爺さんであることに今ようやく気が付いたらしい彼は、一瞬言葉を濁してもの珍しそうに私を見下ろした。
しかしすぐに我に返って片手を上げると、ばたばたと慌しく店を出て行った。乱暴に開かれた扉が抗議するように音高く軋み、ベルを鳴らす。
後に残ったのは一気に静かになった店と、文句を言うようにチリチリと揺れるドアベルの音と、取り残されてぽかんとしている私だけだった。