「いくよっ、ラストォッ!」
淡い光を帯びた斧が高い位置から打ち下ろされる。
ダン、と重い音がして、それは深々と蛇の体に食い込んだ。
蛇は大きく口を開き、苦悶するような音を立てて高く首を反らした。
その体がピシピシとひび割れ、そこから光がこぼれる。
「終わった……」
呟いたのはミストの声だったろうか。全員が息を呑んで見つめる目の前で、蛇はパァン、と弾けて無数の光へと姿を変えた。
それらの光は少しずつ寄り集まって五つの群れに分かれ、それぞれが仲間達の体に吸い込まれるように消えてゆく。
未だ動けぬままの私のところにもそれはもちろん届いた。
「勝った……嘘みたい」
「お疲れ様です!」
「すごいすごい!」
喜びよりも半ば呆然という雰囲気で、ユーリィが深い息を吐く。
不自由な視界にもどうにか入るその様子を見つめていると、不意にミストがハッと顔を上げ、私の方へと走ってきた。
「この!」
ザクッ言う音が斜め後ろで立ち、ミストの剣にやられたらしい何者かの断末魔が響く。
「あ、すいません! まだ敵が出るんですね」
うっかり気を抜いていた仲間達は慌てて私の所に駆け寄ってくると、動けない私の傍に立ち、油断無く辺りを見回した。
「ほんとにコレがウォレスなの?」
周囲を警戒しながらもユーリィが私を見る。彼女が恐る恐る伸ばした手は私の顔の手前十センチくらいのところで止まり、視線は何故か私の頭のずっと上を見上げていた。
一体皆には私がどういう風に見えているのだろうと内心で首を傾げていると、その答えをヤライが口にして教えてくれた。
「信じられませんよ。この木がウォレスさんだなんて。こんな魔法聞いたこともないですよ」
「幹も葉も、白くて綺麗だね」
木か! そうか、そう言われて見れば納得できる。動けないのはそのせいなのか。
そうするとあの呪文の最後の、我が声や我が歌というのは、私自身が一時白い木になって歌を歌うということを意味していたのかもしれない。
ではこの私の耳元でずっと聞こえているシャラシャラ言う音は葉ずれの音なのだろうか。
私は自分の姿を外から見られないことが実に残念だった。一体どんな木なのか、見てみたかったなぁ。
仲間達が私を囲んで警護してしばらくすると、私の体が帯びていた白い光が少しずつ薄れ始めた。
そろそろ魔法が切れる証拠だ。
それに気付いたらしい四人も警戒を解いて私の方を見る。
白い光が完全に消える頃、私の体はようやくの自由を取り戻していた。これを使うのはまだ二回目だが、相変わらず長い長い五分間だった。たった五分がこれほど長く感じられる事はあまり無い気がする。
「ウォレス!」
ハァ、とため息を吐いて自由になった体を手に持っていた杖に寄りかからせる。生身でない体のはずなのにずっと立っていたことで、何だか背中が痛くなったような錯覚を覚えた。
顔を上げると私に詰め寄った仲間達が口々に名を呼び、声を掛けてくる。
「大丈夫か?」
「良かった、元に戻ったんですね」
「このままだったらどうしようって思ったよ!」
それは私が一番そう思うことだ。
私は皆を安心させる為にもそれぞれの顔を見回して頷き、笑顔を向けた。
「大丈夫じゃよ。もう元通りに動ける」
「良かった! もう、何よアレ! びっくりさせるんじゃないわよ!」
ユーリィがそう言ってがばっと私に抱きついてくる。
現実と違って今はかなり背の高い彼女に抱きつかれると前が見えなくて少し困る。
伸ばした腕でポンポンとユーリィの背中を叩くと、彼女は体を少し離して笑顔を見せた。
「とりあえず、お疲れ様でした。けどびっくりしましたよ、今の……魔法、ですよね?」
「そうだよ、一体何だアレ? 俺もまさか生き返るなんてさ」
「それは後でゆっくり説明するから、とりあえず馬車に戻らんかの?」
何せ私のMPはほぼ空だし、長く続いた緊張で大分精神も疲れた気がする。
どこかに座って少しゆっくりしたいところだ。
それは皆も同じだったようで、私の提案に全員があっさりと頷くと、私達は馬車に向かって歩き出した。
振り向いた草原は戦う前と何も変わらず草が風にそよぐのみで、もうそこには巨大な蛇の姿も他のモンスターの姿も無い。四人がかなり倒したので、リポップするまで間があるのだろう。
あまりにも何もなくて、さっきまでのことがまるで幻のようだ。
それでも、確かに残ったものもある。
それぞれの顔に浮かんだ明るい笑顔も、きっとその一つなのだろう。
「始まりの木の葉、ねぇ。そんなものがあるのかぁ」
「そんな変なもんを見つけるなんて、お前らしいというか……」
ガタゴトと再び動き出した馬車の上で、私は皆にさっきの魔法について説明をしていた。手に入れた経緯は長くなりそうだったので適当に省いたが、それよりも皆はあの魔法のもたらす効果の大きさに驚いたようだった。それと同時に私が負ったリスクについても、だが。
「説明する時間が無かったから、突然使ってすまんかったの。守ってくれてありがとう」
私が礼を述べると皆はそれぞれに首を振った。
「そんなの、こっちがお礼言うところです。逃げ出さずに済んだのはあの魔法のおかげです」
「そうそう。俺も生き返らせて貰えたしな。ありがとな」
「そうよ、お互い様よ。ウォレスはリスクを承知で使ってくれたんだしさ」
そう言ってもらえると私も何となくほっとする。相談もなくしたことで、皆にいらぬ面倒をかけたのではないかと少し気になってもいたからだ。
けれど、私のそんな心配を、皆は杞憂だと笑い飛ばしてくれた。
「終わりよければ全て良しよ。勝ったんだから気にしない!」
「そうだよ。それにすごい楽しかったもん。レベルも上がったし!」
スピッツのその言葉につられてそれぞれが自分のステータスを開いた。
今の戦いで全員がいくつかずつレベルアップしており、私はなんと五つもレベルが上がって16になっていた。
うーん、これで一気にこの辺りの適正レベル帯に入ってしまった。
まだ心の準備ができてないのになぁ、と思っているとユーリィが横で嬉しそうな声を上げた。
「ねぇねぇ、ドロップ見てよ」
促されるままにそれぞれがウィンドウを開き、パーティ共有アイテムボックスの中身を覗く。
パーティを組んでいる時に手に入れたアイテムなどは、分配の方法もランダムや順番、共有など色々とあるのだが、私達はとりあえず共有のままにしてあった。
どれどれとウィンドウを開くとそこにはいつの間にかそこそこの数のアイテムが貯まっている。雑魚からドロップした物もあるからだろう。
蛇を倒して手に入ったものは、黒蛇の鱗が十二枚、牙が二本、肝が一つ、それとアイテムの加工に使える宝石が三つほどある。
どれも素材としては貴重な品のようだが、まだ生産職を始めていない私にとっては今ひとつ実感が薄い。それよりも討伐報奨金の60000Rの方が嬉しかった。五人だから一人頭12000Rの配当になる。私にとってはかなりありがたい。
「あ、なんか気になるの出てますね」
ヤライが示したのはウィンドウに出たアイテムの一番下のものだった。
見てみると、『???の杖』 と表記されているアイテムがある。
「ほんとだ。スゥ、出してみてよ」
ユーリィに促され、スピッツはそのアイテムをオブジェクト化して取り出した。
パーティに所属していればこんな風に共有ボックスから誰でもアイテムを取り出せるらしい。取り出されたアイテムは個人のアイテムボックスに移されるまでは所有権は定まらないようだ。
スピッツの手に現れたアイテムを見て私は首を傾げた。取り出されたそれは確かに細長い杖のような形状をしていたが、全体がほの白くもやが掛かったようになっていてその実態が良くわからないのだ。
私が不思議そうにそれを見ていると、鑑定が必要なアイテムはああなっているのだとミストが教えてくれた。
「スピッツは副職で商人やってるから、鑑定スキル持ってるのよ」
「まっかせてー! えーっと……」
どのような事をしているのか、杖を片手に掲げ持ったままスピッツがウィンドウをちょいちょいと操作する。
しばらくじっと杖を見ていたかと思うと、不意に彼女は大きな声を上げた。
「見えました! 命名、『アスクレピオスの杖』 」
その言葉を浴びた途端、少女の手の中の杖が光を放ち一瞬大きく膨らむ。その光は次の瞬間にはパッと霧散し、そこにはさっきとは全く違う杖が現れていた。
「わ、すごいな」
始めてみる鑑定スキルに思わず驚きの声が漏れる。
現れたのは細く長い白木の柄の杖だった。
繊細な模様があちこちに彫りこまれた細身の柄は、下に行くほど緩やかに細くなる握りやすそうな形状だ。
目を引くのはその柄に縋るように、一匹の金の彫刻の蛇がくるくると下から上に巻き付いていることだろう。杖の天辺には大人の拳ほどの大きさの水晶のような透明な玉が飾られ、杖に絡まる金の蛇はもたげた頭をその上に乗せ、優雅にくつろいでいるようにも見えた。とても優美で、美しい杖だ。
スピッツは、現れた杖とウィンドウを交互に見比べてそのスペックを確認し、ため息を一つ吐いた。
「治癒系魔法の効果に特に補正がついてる杖みたいだけど、装備するための必要数値がすごい高いやこれ。おじいちゃん持てる?」
「わしかの?」
ぐいと突き出された杖を受け取っていいものかどうか戸惑って仲間達を見回すと、ユーリィが頷いた。
「このメンバーでウォレス以外の誰がそれを持てるっていうのよ。ほら、受け取って」
「う、うむ……」
私は手を伸ばしてスピッツからその杖を受け取った。
手にしてみるとかなり長い杖で、私の背丈とほぼ同じくらいありそうだ。狭い馬車の中では少々邪魔に感じるくらいだった。
「どう?」
「ん、数値的には余裕だの。知性も精神も十分足りとる」
杖の説明に出た必要数値は確かにクリアしている。
今までの地味な努力の結果が現れた私のステータスは激しく偏っているが、その分魔法系装備には強いのだ。
「そ、良かった。ならそれはウォレスのね」
「は?」
私の言葉に頷いたユーリィは事も無げにそう言い放ち、私はぽかんと口を開けた。
「いや、それはいかんじゃろ。公平じゃない」
慌てて杖を皆の方に差し出すと、私を除いた四人はお互いの顔を一瞬見合わせ、思い思いに首を横に振った。
「このメンバーでウォレス以外に杖装備なんかいないんだから、それが普通だろ」
「そうですよ。貰っても売るしかなくて困ります」
「杖って人気装備じゃないからあんまり買い手もいないんだよ。売るだけもったいないよ!」
「ほら。そういうことよ。ウォレスがそれ要らないっていうなら仕方ないけど、そうじゃないでしょ?」
そう言われれば確かにこの杖の存在は私にとってはありがたい。
要求数値が高い分補正効果もかなり期待できそうだし、恐らくはこの先かなり長く付き合える装備になるだろう。
しかしパーティでのアイテムの分配に不公平があっては良くないのではないかとも思うし、悩むところだ。
私がまだ迷っていると、ミストが笑ってその杖を指差した。
「確かに今回のドロップの中では、一番のレアだろうからお前が悩むのもわかるけど、気にすんなよ。多分これは特殊ドロップの類だと思うし」
「特殊ドロップ?」
「特定の敵を倒した時のメンバーの中に条件に叶う人間がいた場合だけドロップするっていう、条件付のドロップアイテムがあるんですよ。その条件も色々ではっきりしないことも多いらしいんですが、大抵は職業やステータスだっていう話です」
「つまりこれは、ウォレスがいたからこそ、ウォレスの為に出てきたアイテムって事よ。情報掲示板にも杖の情報はなかったし、他の誰もこんなの装備できないもの」
「そういうアイテムは条件に叶う人が貰うって言うのがアンモクノリョーカイなんだよ!」
そこまで言われればもう受け取るしかない気がしてくる。
私はその杖を手にしたまましばらく考えたが、結局それを受け取って皆に頭を下げた。
「なら、言葉に甘えてこれは譲ってもらうことにするよ。ありがとう」
「もう、気にしなくて良いって言ってるのに。どうせ皆いらないんだから」
「そうそう。それに、反対にお前は鱗とかの素材系はいらないだろ? 十分公平だって」
「俺としては、鱗とか譲ってもらった方が嬉しいですよ。その鱗でまた黒い装備作れます」
「よーし、じゃあ相談しよ!」
私達は顔をつき合わせてわいわいと残りのアイテムの分配について話し合った。
私はその話し合いには参加せず、この杖と報奨金以外のアイテムの全てを皆に譲ることにした。手にした杖をそっと撫でると艶やかに磨かれた木の感触が気持ちいい。これ一つで私は十分だ。
しかし皆はなかなか納得せず、結局最後に皆がMP回復アイテムを私に一つずつ譲ってくれて恐縮したりもしたのだが、それもまた楽しいやり取りだった。
そんな風にして、馬車は賑やかな一行を乗せてサラムへと進み、高い塔が立ち並ぶ街が見えたのは、その相談もようやく終わりが見えた頃の事だった。
一瞬の闇に沈んだ意識が、浅い眠りからゆっくりと覚めるように浮上する。
目覚めを促すようにまぶたの裏にちかちかと白い光が数回明滅し、私は現実を認識した。
寝っころがっていて強張った体をゆっくりと起こし、頭に被っていたVRシステムの端末を取り外す。
電源を切って端末を脇に置くと私はうん、と伸びを一つした。
このベッドはVRシステムと一緒に買ってもらった特殊なマットレスが敷いてあるので、システム使用時に寝返り等をほとんどしなくても体に変調が出ない仕組みになっている。
しかしそれでも長時間寝転がっていれば多少は体が強張る気がするのは仕方ない。
しばらくの間ベッドの上で伸びたり縮んだりして全身をほぐしてから、私はベッドから足を下ろして座り、ため息を吐いた。
あの後、サラムに着く直前に現実の体の変調を示すサインが出たので、私はひとまず街に入って宿を取り、ログアウトしてきたのだ。
皆とは私のクエストが終わったらまた遊ぼうと約束をして、街の入り口で別れてきた。
今頃はそれぞれログアウトしたり、また冒険に出たりしていることだろう。
置いてきた皆を思い、私はまた一つため息をこぼした。
「あー、困ったのう……っと、違う違う」
思わず出てしまった爺言葉を反省しつつ、私はまだ日の高い窓の外をぼんやりと見つめた。丁度時刻はお昼時くらいだ。
くぅ、と小さく腹がなって、私にログアウトしたきっかけがなんであるかを教えてくる。
「これから……どうするかなぁ」
私は空腹よりも今現在の悩みを思い返しながら、寝乱れた髪を指で軽く梳く。
レベルが一気に上がった事や、新しい杖が手に入ったことは実に喜ばしいことだ。
私の目標とする立派な魔法爺にまた一歩近づいたのだから、純粋に嬉しい。
ただ、これからどういうプレイをするかが私の頭を少しばかり悩ませている。
「……楽しかったなぁ」
そう。悩みはそれだ。
要するに、さっきまでの時間が楽しすぎたのだ。
皆で力を合わせて冒険する、という時間があまりにも濃密だったため、それに惹かれて方針を変えてしまいたいという気持ちが私の中に生まれてしまった。
私としてはもう少し一人で色々な可能性を探ったりしてみるつもりだったのだが、さっきのような体験をしてしまった後では何だかむずむずしてしまう。
多分これが、MMOの魅力の大きな部分なのだろう。
それは確かに私を強く惹き付けている。
「あの魔法も……そういう意図なのかな」
さっき初めて実戦で使った、一人では決して使わないであろう魔法を思い出して、私は小さく笑った。
使用者にとってはデメリットばかりのあの魔法は、それゆえにかひどく心をときめかせるような気がした。
仲間がいると言う事の喜びを教えるような、そんな魔法だ。
そして同時に、もっともっとあの世界を探求したくなるような、そんな魅力も持っている。
あんな面白い魔法があるなら、もっともっと探してみたい。一人では使えないものばかりだとしても、それでも。
あちこちに見え隠れする開発者達の思い入れのようなものも、探すのを諦めてしまうには魅力的過ぎた。
一人でそれらを探求する道を行くか、仲間との更なる冒険を楽しむか。
「ん……よし、決めた」
私は自分自身に向かって一つ頷き、勢い良く立ち上がると部屋を出て足早に台所に向かった。
何よりもまずはこの空腹を攻略するべく、あらかじめ買出ししてあった材料を眺めメニューを決める。
少し柔らかくなったトマトと、半分残った生クリームのどっちを先に使おうか一瞬悩んだが、結局私はその両方を手に取った。
少し残ったソーセージを入れたトマトクリームパスタにしてしまえばいい。
「一人での探求も、仲間との冒険も、どっちかにする必要はないしね」
人よりも歩みが遅くても、回り道をしているように見えても、楽しみ方は人それぞれだ。
私はどうせなら、楽しい事は欲張りたい。
そう決めた私は立派な魔法爺への道を進む前にまずは現実をキチンと片付けるべく、包丁を片手に玉ねぎに戦いを挑んだのだった。