「……ねぇ、この中で運に自信が無い人、手挙げて?」
やる気の無さそうなユーリィの声とともに、五人のメンバーのうち、男二人の手がゆるゆると上がった。
ミストとヤライは手を挙げたお互いの顔を見合わせ、ハァ、と深いため息を吐く。
「……俺、ドロップ運悪いんだよなぁ」
「俺も、リアルラック含め全く自信がないです……」
苦労症気質そうな二人は、暗く沈んだ顔でまたため息を吐く。なんだか肩でも叩いてやりたくなるような光景だ。
「やっぱりねぇ。そういう顔してるもんね、二人とも。じゃああれは二人のせいってことで」
明るく言い切られた二人は慌てて顔を上げ、ぶるぶると首を振った。
途端、シャァともジャァとも聞こえるような不思議な音が辺りに響き、馬車の厚い幌をビリビリと振るわせる。
「なんでそうなるんだ! 俺らの運だけのせいじゃないって!」
「断じて違いますよ! そんな事であんなのが出てくるなら、俺もう十六回くらいは死んでますって!」
妙にリアルな数字が気になったが、今はそれよりも気になることが馬車の外にある。
私が馬車の先の方に目を向けると、さっきまで馬車を引いていた頑丈そうな馬が目の前をずるりと横切る長く黒い影に怯えたように棹立ちになり、甲高い悲鳴を上げた。
馬や馬車は敵に襲われることのないオブジェクトであるのだが、それでも怯える反応は返すところがリアルだ。御者もついさっき幌の内側に飛び込んできてからずっと隅っこでぶるぶると震えている。
「さて……どうしようかしらねぇ、あれ……」
「戦おうよ! めっちゃ面白そう!」
馬車の中でも天井に頭の届かないスピッツがぴょんぴょんと嬉しそうに跳ねた。
馬車の荷台の簡素な席を半円状に包む幌の後ろの出口に目をやると、そこから中を覗きこむ金色の目と視線が合う。
「長いのう……」
「ウォレス、お前この状況で言う感想がそれか!」
素直な感想を呟いただけなのだが、ミストから激しく突っ込まれてしまった。だって長い以外に何を言えというんだ。
「太い?」
「確かに太いがそうじゃなくて!」
「じゃあ可愛い」
「可愛くねぇ!!」
いや、可愛いと思うぞ。
私の顔ぐらいの大きさのあるつぶらな瞳は宝石のようだし、つやつやと黒光りする鱗は規則正しく並んで光をはじいて綺麗だし、すんなりと伸びた尻尾で時折焦れたようにパタンと地面を叩く様も可愛らしい。その度に馬車が揺れるのは少々困るが。
「そういや、ウォレスって結構爬虫類とか好きよね」
「うん。亀なんか好きじゃな。いつか小さな陸亀を飼って、孫の代まで受け継いでもらうのが夢なのじゃよ」
その頃にはきっと大きく育った亀は幼い孫を上に乗せてもびくともしないサイズになっていることだろう。
「……貰った孫は激しく困ると思いますよ」
ヤライの小さな呟きを聞き流しながら、私は幌の後ろからひょいと顔を出した。
荷台から降りない限りはモンスターに襲われる事はないのだが、間近にでかい顔が迫るとさすがにちょっと胸がときめいてしまう。
幌から顔を出して見える範囲をぐるりと見回すと、そのでかい顔の先から伸びた体がぐるりと馬車を取り巻いているのが判る。馬車からその体まで一メートルほど空間が空いているのは、それがこの馬車に固有の不干渉エリアだからだろう。
しかし、やっぱり長い。
直径一メートルほどの体が、馬車の周囲を一巻き半するくらい長く取り巻いている。
「……蛇だのう」
「だからどうしてこの状況での感想がそれだけなんだ……!」
疲れたようなミストの声が馬車の中から聞こえてきたが気にしない。
私は目の前の頭に向かってひらひらと手を振った。
釣られたように大きな顔が僅かに左右に揺れる。
その顔の上にはこちらをターゲットと認識している敵の証である赤く染まったHPバーと、黒く表示された名前。
示された名は『黒鱗の蛇王』
そう、王の名の示す通り彼はいわゆる、「この辺の主」という奴らしい。
しかし、名前がちょっとそのまんま過ぎやしないか?
そもそも、それは運が悪いとしかいいようのない出来事から始まった。
今は日は中天を少し過ぎ、馬車は恐らくあと一時間くらいでサラムの町に着くだろうという頃。
和やかな会話と共に進む馬車の旅は時々モンスターに邪魔されたりもしたが、頼りになる仲間達のおかげで特に問題なくそれらを退け順調に進んでいた。
私も何回か馬車から降りて魔法をお見舞いしたが、それも一応ちゃんと敵に通用し、この辺りでもそこそこやっていけそうな自信も湧いてきた。
目的地までもうすぐだし、このまま何事も無くサラムまで行けると誰もが信じて疑わなかった。
しかし、その出会いは唐突に訪れてしまった。
「ねぇ、なんか聞こえない?」
「何かって、獣人のお前にかろうじて聞こえる音が、俺らに聞こえるわけないだろ。ウォレスは?」
「何か……そう言われれば、かなり遠いようだが、何か叫び声のような音が微かにしたかの?」
私の言葉に馬車の後ろに居たスピッツが立ち上がり、幌から顔を出して外を見回した。
「あ」
「どうしたの、スゥ? また敵?」
立ち上がったユーリィはスピッツが見ている側の壁に近づき、幌の脇の一部を切り取って作られた窓を覆うカーテンをめくった。
「どれどれ……あら、人」
ユーリィがこぼした言葉に私も気になって席を立ち上がり、彼女の隣に立って窓から外を覗く。
ミストとヤライも気になったらしくそれぞれが立ち上がって幌の前と後ろに分かれて顔を出す。
窓の外に見えたのは広い草原と、その草の間を掻き分けて走っている二人の人影だった。
馬車は少し前まで森林地帯を縫うように走っていたのだが、サラムにかなり近づいたこの辺りはいつの間にか草原地帯になっていた。
その草原を割って伸びる街道は堤防のようにいくらか高くなっていて、街道沿いは周囲の草の背丈が低い事もあり遠くが良く見える。
草原は私達の今居る場所から離れるにつれて背丈を増している。
その人影は北に伸びる道の大分先の右手、つまり北東の方角から背の高い草の合間を掻き分けるようにして出てきて、街道の方向に向かって走ってきていた。
「珍しいですね、この時期にこんなとこで狩りしてる人がいるなんて」
「んー、確かちょっと前にこの辺でレアモンスターが出たって言う情報が掲示板にあったから、ソレ狙いじゃない? 皆がフォナンに移動して狩場が空いたからチャンスと思ったんじゃないかしら」
へぇ、それも初耳だ。レアモンスターの出没情報は掲示板にぽつぽつと出ているようだが、私はまだソロで出来る狩りに限界があるので無縁の話だと思ってチェックしていなかった。
「確か……青い牛だったか、赤い馬だったか書いてあった気がするけど……レアモン狙いで失敗して逃げてるのかしらね、あの人達」
走る馬車の中からでは助けようもないので私達は黙って彼らの姿を見守るしかない。
すると、背の高い草の間からもう一人の人間の頭がちらりと出てきたのが見えた。
最後の一人は重装備らしい。がっしりした兜を被っている頭は進みが遅く、懸命に草を掻き分けているが先を行く二人に大分遅れている。
大丈夫だろうかと見つめていた先で不意にその男の姿が草の間から掻き消えた。
「えっ」
隣のユーリィが声を上げ、身を乗り出す。それは驚くだろう。声には出さなかったが私もかなり驚いた。
なんせ、重たそうなその人の体が消えたと思った次の瞬間、宙を高く舞ったのだ。
ごく微かな悲鳴がこの耳まで届き、男は草の間にドサリと落ちて姿を消した。走りながらそれを振り返って見ていた前を行く二人が更に速度を上げる。
「何か大きいのがいるよ!」
目がいいらしいスピッツが高く叫んだ。
男が消えた辺りの背の高い草が、一部分だけ不自然にザザザ、と動く。
草は二つに割れるようになぎ倒され、ソレはその合間からぞろりと姿を現した。
前を行く二人が甲高い悲鳴を上げてなおも逃げるが、草丈が低くなった草原に出たソレは無慈悲にも速度を上げた。
現れたものは青い牛でも赤い馬でもなく――
「おい、あれってまさか?」
「うそでしょ、何でこんなとこにいるのよ!」
――巨大な、それはそれは巨大な一匹の真っ黒い蛇だった。
ユーリィが高い声を上げた途端、走る二人のうちの一人がその巨大な顎に捕らえられ、悲鳴を上げた。
ブン、と振り回された体は遠くの地面に叩きつけられ、たちまちパン、と弾けて光に変わる。
「あ、死んじゃった」
人事のような可愛らしい声がその状況を一言で言い表した。
最後の一人は前の二人に比べて多少足が速いのか、まだどうにか持ちこたえて走り続けている。
だが蛇も横に体をくねらせながらもかなりの速度で迫っている。
あの速度では、いずれどこかで捕まる事は間違いないだろう。
しかし、危険が迫っているのは逃げているあのプレイヤーだけではなさそうだ。
「ねぇ、やばくない? このまま行くと」
「あいつの索敵範囲に入るかもしれませんね……」
まだ距離があるが、北東から走ってくる彼らと北へ向かう私達の馬車の道はこのまま行くとかなり接近する事になる。
そうなればどうなるかなど、言うまでも無いだろう。
私は巨大な黒い姿に目を奪われながらも、本で読んだ蛇系モンスターの特徴を頭の中で探る。
「アレは、やっぱり何か特別なモンスターなのかの?」
隣のユーリィに問いかけると、彼女は固い顔で頷いた。
「うん、多分サラムの北地方の主だと思うわ。いわゆるエリアボスって言う類の奴よ。大きな黒い蛇だって掲示板で見たから、間違いないと思う。本当はここからもっと奥の方の、山に近い地帯の洞窟に住んでるって話なんだけど……」
どういう悪い偶然でこんなところまで来たのかは知らないが、洞窟という言葉に私は眉を寄せた。
「洞窟か……わしが本で読んだところによれば、確か洞窟に住むモンスターは大抵視覚があまり強くなく、主に匂いと振動で敵を捕捉するはず。馬車を止めないと、この振動を察知されるかもしれん」
「ミスト!」
私の言葉とユーリィの声に、馬車の先の方にいたミストが慌てて御者に馬車を止めろと声を掛けた。
しかしNPCの御者はまだ間近に敵が居ないせいか、その指示を聞こうとしない。
「こんなとこで止めたらかえって危険さぁ。もうちょっとでサラムだから、トイレは我慢してくれや」
「トイレじゃねぇ! いいから止めろって! 見ろ、あそこにでかいのがいるだろ!?」
「いんやぁ、何だか雨が降りそうだなぁ」
こういう時だけNPCらしいNPCが憎らしい。どうやら御者が敵を認識する範囲は相当狭いようだ。
そうこうしているうちにまだ逃げているプレイヤーと追いかけている蛇は段々と街道に近づいてくる。
「これは……本格的にまずいわねぇ」
「あ、食べられた」
スピッツののんきな声の先で、最後の一人ががぶりと蛇に喰らいつかれる。
蛇は捕まえた獲物を食べたりはしないらしく、遊ぶように数度首を横に振ると咥えていたそれをぽいと放り出した。それでもまだ彼は消えていない。どうやら他の二人よりも多少レベルが高いらしい。
しかし彼の幸運はそこまでだったようで、無常にもふらふらと起き上がろうとしたところにその太い尾が打ち振るわれた。
遠くに叩きつけられた体が、パン、と呆気なく弾け、彼は姿を消した。
その姿の消えた場所に数秒の間小さな光の玉が現れ、チカチカと瞬き浮いていたがやがてそれも掻き消える。
死亡したプレイヤーが登録してあった蘇生ポイントに戻ったのだ。
アレは蛇嫌いのトラウマになったりしそうだなぁ。
それらの一連の騒動にも気付かず、御者は相変わらずガタゴトと馬車を走らせ続けている。
まずいなぁ、と誰もが思った瞬間、獲物を屠って満足げに首をゆらゆらと揺らしていた蛇がピタリと動きを止めた。
どうやら、事態は実に悪い方向へと転がったらしかった。