修貴にとってそれは初めて見る威容だった。今まで見たリザードや翼竜などとは比べものにならない巨体と威圧感。その存在感はそこにいるだけで自らの体を焼き尽くしまうのではないかと錯覚に陥ってしまう。そうだ、これが絶対的な強者だ。生まれながらに全ての生物の頂点に立っている生物だ。どうして、このような存在が人間に敗れるのかと疑問さえ浮かんでしまう。
ドラゴンとは、創造神が作り上げた神に匹敵する地上最強の生物だ。神話の時代から常に神々と覇を競ってきた唯一の生物。
ああ、なるほこれだ。これがその匂いなのだ。
修貴は緊張に手を強張らせながらそれを知った。あまりに巨大すぎる存在に修貴の気配察知のスキルは麻痺していたのだ。
これがカリムがいるステージなのだ。自分では届きそうもない絶対的な階段の上に彼らは立っているのだ。ただ呼吸することさえ辛いと感じさせる威圧感はいったいどうすれば手が届くというのか。たとえ、修貴が鍛えに鍛えあげ、その力を極限まで高めたとしても届くのだろうか。
額を大きな汗粒が流れ落ちる。
カリムや、その他英雄、勇者、そして超一流の冒険者と呼ばれる者たちが闊歩乱舞する世界とはこうも常識の向こう岸に存在するというのか。
呼吸が速くなる。
ああ、何だよこれは。
爛々とぎらつくドラゴンの視線が修貴を横切り、カリムで止まった。
修貴は恐る恐るカリムを見る。その姿は威風堂々としており、神代において人間でありながら神々と渡り合い英雄と呼ばれた者の血筋に相応しい。細まったその視線はドラゴンを見据えて離さない。
『終ぞ来たかフリードの者よ』
「喋るみたいだね、君は」
『弟は喋らなかったようだな。あれは力は強いがその辺りの機微に富んでいない』
「へぇ、弟だったんだ、あのレッドドラゴン」
『そうだ。我らはかつての竜神が一角ファーブニルの子』
「ファーブニル?」
ファーブニル。その名はジーク・フリードの伝承で最も有名な話に登場する悪竜だ。古エッダの時代を終焉に向かわせ、新エッダの時代が幕開けとなったのは、かの悪竜が原因だ、と修貴は神話史の授業でかじった事を思い出した。
神を喰らい、自身が竜神の座に納まったその強大にして凶悪なレッドドラゴンの最後はジーク・フリードとその従者である戦乙女に討ち取られて幕を下ろした。
そして目の前のレッドドラゴンはその子だと名乗った。
修貴の口からは空笑さえ漏れてこれない。これは神話の続きだというのだろうか。
たしかにシーカーを志した原因には、かつての神話の時代に触れてみたいという思いはあった。だが、それはまったくの外から触れてみたい、眺めてみたいということだ。誰が当事者の一人として立ち会うことを望んだというのか。修貴はそこまで命を捨てていない。
カリムと共に歩いて来たのにはカリムの行く先を見てみたいという多少の好奇心と、何より約束があった。神話の時代に挑みたいなどという願望はなかったのだ。
『フリードの血族、とはいっても貴様はどうやらあの戦乙女に似通っているようだな』
「ブリュンヒルデかい?」
『ああ、その通りだ。あの女だ。我らにこの契約を持ち込んだ女だ。それにしても随分時間が掛かった』
「契約?」
『契約だ。何れ来る私たちの子孫と戦って、だそうだ。あの女は未来視をする女神と何かを話したと思ったらこのようなことを言い出したな。しかし、あれはどれほど前だ?』
「君が言う契約が新エッダ時代のものというのなら、相当に昔だよ。すでに今は神代に非ず。人と眷属の時代さ。肉体を持った神なんて遠い昔の話だ」
『神代は終わったか。なるほど、ならば聞こう、人間。神代の終わりの最もたる出来事は何だったか? 穴倉で時を過ごした身としては、実に興味がある』
修貴は呼吸を落ち着ける。彼らがこのように会話を重ねている中で一人、落ち着きを亡くすのは滑稽だ。
カリムは落ち着きを取り戻しつつある修貴を見ると、レッドドラゴンに対し、修貴を示した。ドラゴンの視線が修貴を胡乱気に捕らえる。修貴は止めてくれと叫びたい気分になるが取り繕う努力をした。
「東方に巨大な結界があったてのは知ってるよね?」
『ああ、如何なる神さえも破る事は敵わなかったと聞くアレか。あれは創世の時代の終わりに出来たものであろう? それとその見慣れぬ人種と何が関係ある?』
「彼はその東方出身の人間だ。神代の決定的な終わりは約二千年前の東方結界の消滅だよ」
『ほう、なるほど見かけない人種である理由はそれか』
レッドドラゴンはくつくつと喉を揺らし笑った。
どれ一つ、とドラゴンがカリムに言葉を投げかける。
『何か知りたいことはあるか?』
「君の弟が持っていた指輪。アレは何なのか教えてもらえるかな?」
『ああ、あれか。あれならば鍵だ。我が持つもう一つの指輪と共に鍵となるものだ。ブリュンヒルデはそう言っておった』
「鍵、ね。なるほど。ありがとう」
カリムは礼を言うと静かに呼吸した。
そして、ドラゴンの雰囲気がガラリと変わる。修貴にとって存在するだけ感じていた強烈なプレッシャーが更に増す。
『誰かと、何かと喋るのは久方ぶりで、なかなかどうして楽しいものだ。だが、いつまでもというわけにもいかん。まだ聞きたいことがあるのかも知れないが、それは全てが終わってからだ』
ドラゴンはカリムとその大きすぎる瞳で視線を重ね、猛る言葉を放った。
『では、あの女の言葉通り、戦うか』
「そうかい。いいだろう、レッドドラゴン。我が剣の錆にしてやろう」
カリムは気負うことなくそう言って、バスタードソード引き抜いた。
プレッシャーに負けぬよう修貴もそれに倣い、刀を抜く。
「────!」
ドラゴンが咆哮を上げた。
ダンジョン、探索しよう!
その10
ドラゴンの咆哮は魔力の篭った咆哮だ。聞くものの心を打ち砕き、その身を竦ませる力を秘めている。それを耐え抜いてこそ、初めてドラゴンと戦うことが許される境界線だ。
修貴はその圧倒的な咆哮の前に体を竦ませていた。
手が動かない。足が動かない。そして何より、その咆哮で相手との力の差を思い知らされ心が折れかけていた。
何だこれは。戦うことさえも許されないというのだろうか。
震える手足。辛うじて落とさなかった刀がガタガタと手につられるように揺れていた。
「修貴!」
カリムはドラゴンを気にしながらも、修貴を気にかける。駄目だそれははと、修貴は声を上げて伝えたかったが体は命令を受け付けない。カリムに修貴を気にする余裕はないはずだ。そんなことをしていればドラゴンの餌食となる。それが分からぬカリムではないはずだ。
修貴は必死になってせめてせめて、と邪魔にならぬよう、足手まといにならぬよう体に指令を送る。
『ふむ。構わぬぞ、フリードの血筋。そやつを助けてやるといい。今のはただの確認だ』
いったいどうしてその言葉を信じれようかと修貴はカリムに叫びたかった。
『ドラゴンは虚言を言わぬ。それくらい分かるだろう?』
カリムはバスタソードを左手に持ち、修貴に近づくとその右手にヒールの術式を握り締め、修貴の頬を軽く叩いた。
それによって修貴は竜の咆哮の魔力から解放され、刀を杖の代わりに膝を突く。肩を大きく上下に揺らし、激しく何度も息を吸い、吐き出す。だが、震えそのものは止まらない。
「……馬鹿げてる。カリム、俺は足手まといだ。いるだけで邪魔になる」
『そうだな人間。我はフリードの血筋のものと戦えればかまわない。何ならば、貴様は隅で観戦していればいい。しかし解せんな。その程度の者では我が弟の前に立っていられぬはずだ』
カリムはレッドドラゴンに言葉を返さない。ただ無表情に修貴を見つめていた。
「カリム、あのドラゴンもああ言ってる。俺は──」
カリムは修貴に言葉を続けさせなかった。
バスタードソード地面に突き刺し、修貴の頭を自分の胸に抱きしめ、その口を開かせない。
「修貴。たしか強魔丸がまだ残ってるよね。まずあれを使おう」
修貴はカリムの腕から離れようとするがカリムは離さない。
「それから、僕が抗魔の魔法をかける。あと、アミュレットもあるからそれを身に付けて。そうすれば、咆哮にも何とか耐えられるはずだ」
カリムは胸から修貴を解放し、その肩を掴みながら目を合わせた。
「な、何を言ってるんだよ、カリム」
カリムは冷静ではない。修貴はその意を篭めてカリムに真意を問いかける。
確かに抗魔の準備を行えば、咆哮には耐えられるようになるかもしれない。だが、それだけ実力差は埋まりはしない。生物としての強者弱者の差は埋まるはずがないのだ。
「ドラゴン。少し待って貰えるのか?」
命を懸けた戦いの前に何を言っているのかという気持ちはカリムにもあった。だが、吐き出してしまおう。最後の気持ちは全てが終わってからに取って置き残りを吐き出してしまおう。
『ふむ、いたし方がない。我としてもやっとの決戦だ。多少の我慢はかまわぬ。それでより貴様が戦えるというのならばな』
「感謝する」
だが、だが、どうしても譲れない。これだけは譲れない。
修貴がいればカリムは何だって出来ると信じていた。
「修貴。僕はね、君がいれば。いてくれればなんだって出来る」
ああ、そうだとも。その通りだとも。
「君と共に戦えば僕はもっともっと強くなる。どんな敵にだって負けはしない」
約束がある。ただそれだけではない。
「確かにアトラス院で僕が組んでいる、ヴェクター、ルナリア、オルトの彼らは強い。僕だって敵うかわからないほどに強いさ。だけどね彼らとでは僕は強くならないんだ。確かに彼らも僕の仲間だ。このヴァナヘイムで下層に行けるほどのね。けど、彼らじゃ駄目なんだ」
アトラス院でカリムが組むパーティは超一流といっていい集まりだ。だが、それではカリムはそこ止まりでしかない。それをカリムはこの歳で感じていた。
「修貴。僕は君がいい。僕の背中を守ってくれるのは君がいいんだ。僕はね。我侭なんだ。だからきっと僕は君に無理をさせる。きっと約束を盾にとって強制するかもしれない。悪い女に引っかかったとでも思ってくれてかまわない」
カリムは表情を変え、そこで微笑んだ。
言えた。ずっと思っていたことだ。背中を守ってくれる相方は修貴が、修貴がよかった。
修貴は呆然とカリムを見据える。
何だよそれは。震えてる俺が馬鹿に見えるくらい恥ずかしいじゃないか。修貴はカリムの瞳を覗き込みながら震えが止まり、心が落ち着くのが分かった。カリムがここまで思いをぶつけてきたのは初めてだった。
修貴の口に苦笑が浮かんだ。
『くくく』
レッドドラゴンが笑った。
『なるほど。似ている。嫌でも似ている。その我侭なところがそっくりだ。戦乙女似かと思っていたがジーク・フリードに似ているではないか。だがどうする? その人間は足手まといにしかならんぞ? 如何に貴様がその者といることで本来以上の力を出せたとしても、足手まといがいてはマイナスにしかなるまいよ』
カリムはレッドドラゴンの言葉を意に介さず、ただひたすらに修貴を見つめていた。
苦笑をかき消し、修貴は天を仰いだ。驚くほど高い天井だ。これ程の高さがなければドラゴンが窮屈で仕方がないのだろう。修貴の目じりに涙が浮かぶ。カリムには見せないように、溢さないように天井を見つめる。
ああ、こんなにも。こんなにもカリムは修貴を必要としていたのか。その事実が嬉しかった。人付き合いが下手くそな修貴自身がこれほどに思われていたなど露にも知らなかった。この程度の実力しかない自分を背負ってまでカリムは約束を共に行こうと言い、約束を守ろうとしてくれている。
なんて情けないのだろうか。
竜の咆哮で心を砕かれかけ、もう戦えない。足手まといになるなんて何を言っているのだろうか。
命をチップにしよう。その気位が足りなかった。
修貴はカリムの手を丁寧に外すと左手で目元を拭った。そして、強魔丸のビンを取り出し、粒を三つ口にした。
「カリム。補助魔法を頼む」
「──ああ、勿論」
ドラゴンはその補助魔法の時間さえ待っていた。
更に、カリムは修貴に抗魔のアミュレットを取り出し、押し付けるように渡した。普段ならば受け取らないそれだが、このような場で言えるはずがない。
『それで十分か? そこの人間はそれで我に届くのか?』
「届けるんだよ、ドラゴン。カリムついでに刀にエンチャントも頼む」
修貴は初めてドラゴンに言葉を投げかける。
強者に対する怯えはない。カリムの言葉が何より心を強くしていた。
チップは命だ。そのくらいで足りるなら喜んで乗せてやろう。
修貴は刀を地面から抜き立ち上がった。
カリムはバスタードソードを同じく引き抜き、修貴の刀に氷属性のエンチャントを施し、構えた。
『よかろう。ならば今度こそ始めよう。──決戦だ』
竜の咆哮が再度轟く。
修貴は丹田に力を込め、最初の一歩を踏み出した。
* *
レベル差は天と地と言うほど知っている。ドラゴンの巨体はそれだけで武器であり、尚且つそれでいて恐ろしく速く動く。だが、最高速に到達できるほどここは広くはない。そして、その始動は修貴にとっては速く感じられ、カリムにとっては遅くはないと感じる程度だった。
カリムは正面からドラゴンと睨み合い、修貴は滑るように歩を進める。
修貴の役目はドラゴンをカリムに集中させないことにある。だが、それをするには修貴は攻撃力不足を自覚していた。竜の鱗はそれだけ一級品の盾となる。そんな硬度を誇るものに修貴の刃が通るとは思えない。仮に通ったとしても数振りで刀が折れる可能性を持っている。だからこそのエンチャントだった。多少はマシになるはずなのだ。
そして、出来ることは嫌がらせだ。
蝿が飛んでいれば人間は手で払おうとする。だが、簡単には払えない。それだけで人は容易に集中を乱す。ドラゴンに同じ理屈が通じるかは分からないが蝿程度の嫌がらせは出来るはずと修貴は考えた。
ドラゴンは巨体だ。あの巨体では死角が比較的簡単に出来やすい。そこに付け入る隙があるはずだ。修貴は集中してカリムとレッドドラゴンの動向に自身の動きを合わせにかかった。
カリムとレッドドラゴンが爪と剣で剣戟を始める。
一閃、一閃と爪が空中を引き裂き、バスタードソードが空間を両断する。そして、ドラゴンはその巨体を振り回し、更に追撃を加える。カリムは襲い掛かる巨体を蹴ってその勢いで間合いを取り直す。
修貴はカリムと戦うドラゴンの死角をあっさりと取った。動く巨体は脅威ではあるが、その動きをしっかりと見、何より察知すれば避けられないわけはない。
動きを読みながら、刀を一閃すれば氷精の輝きと共にその鱗に霜が降りる。
攻撃は通じた。ドラゴンにとって取るに足りないダメージかもしれない。だが、通じることに価値はある。塵も積もれば山となる。故郷のそんな諺を思い出し、修貴はドラゴンの動きに合わせ次の死角に移った。
ただ、問題はある。いくら鱗を傷つけたところで塵にさえならなければ問題だ。同じところを何度も攻撃し蓄積すれば問題ないかも知れないがそう上手くはいくとは思えない。ならば、嫌がらせをするにはアイテムでも使うしかないだろう。
ちくっとさえ感じてくれればかまわない。鱗を切りつけるだけではそのちくっとした痛みにさえならない。なら、と修貴は雷撃針を取り出した。
刀を左手に雷撃針を右手に修貴は駆ける。
カリムの広がった間合いに対しドラゴンはブレスを吐き出す。圧倒的な燃え盛る火炎のブレスはカリムに迫るよう広がるが、カリムは氷結魔法をバスタードソードに乗せ斬り払った。
カリムの目に修貴が映る。修貴はドラゴンの周りを素早く動いている。
ああ、とカリムは笑みを浮かべた。
僕は戦える。修貴と共に戦える。修貴はカリムを信じあの距離で纏わり付いている。ならば、カリムも修貴を信じ目前のドラゴンを全力で倒すことを誓う。倒せないはずがない。古代種がどうしたというのだ。
僕と共に修貴がいる。それだけで十分だ。
カリムは呪文を唱えながら弾丸のようにドラゴンに肉薄した。
修貴はカリムの肉薄によりドラゴンが暴れているのに対し冷静に死角から雷撃針を投げた。上手く鱗と鱗の間に刺さりそこに雷撃が迸る。けして安くはないアイテムだ。たいしたダメージこそ期待はしないがそれでも嫌がらせくらいにはなるはずだ。
案の定、レッドドラゴンはカリムの肉薄を警戒しながら、死角に目を向けた。
レッドドラゴンと修貴の視線が重なる。修貴は咆哮を受けたときのような衝撃を受けるが丹田に力を込め、無理に笑って見せた。
修貴に対しドラゴンが翼を広げた。大きく広がった翼はこの修貴のいる空間を押しつぶす刃であった。修貴は仰け反るように、地面を蹴り、地に転がるが肩を切られ、浅い傷を負った。
だが、それでも致命傷は避けた。問題はない。現実的に考えれば、修貴がドラゴンの一撃を貰えば立っている事が出来ないどころか、それで死んでしまうかもしれない。
だからこそ修貴は笑った。今度は無理やりの笑みではない。
面白い。
そうだ。そうだともこの緊張感だ。常に一人で戦っている緊張感はこれに近い。
修貴は次の死角を探し、そこに気配を殺し気づかれないように移動を開始する。
すぐにそれを見つけだし、気づかれずに移動するが、絶えず動いているドラゴンに位置を維持するのが難しい。攻撃が遅ければすぐに位置がばれ、そして、ドラゴンは修貴の攻撃動作に気づけばそれが行われる前に尾を振り、修貴を殺しにかかってきた。
それをすれすれで察知し避け、もう一度死角を探す。如何に速く攻撃し、避け続けるかそれが課題だ。ただ、その攻撃が蚊に刺された程度にしかならないというのは悲しい事実だった。
だが、それでも精神が高揚していた。ドラゴンの攻撃は早いが感じられないわけではない。修貴の攻撃は回数を繰り返すほど速く無駄のない動作になっていく。
修貴はカリムがドラゴンに一撃を入れてくれることを信じ、死線の上で舞うことを決意した。
* *
風を起こすアイテムである風来枝を構え、移動した死角から最低限の動作で投げつける。狙ったのは、カリムによって鱗が切り落とされ、肉が見えているところだ。強靭な肉体を誇るドラゴンとはいえ、そこならば多少の痛みは感じる。
ドラゴンはカリムに対しブレスを吐くと、うろちょろと小うるさい修貴を探しにかかった。
周りを動き回り、時に刀を振り、攻撃アイテムなどを投げる修貴はその思惑通りにドラゴンの集中を少なからず奪っていた。
修貴は中々見つからない。投げたと思われる方向を向いたときにはすでに居らず、何処かに移動している。ならば、とドラゴンは考える。気配を隠し、移動しているあの人間は先ほどからドラゴンの死角に居た。
だからこそ、体を大きく揺さぶり周辺をなぎ払う。だが、それで仕留めた気配は何処にもない。
『小賢しい!』
修貴は暴れるドラゴンの右後ろ足の死角に居た。暴れる巨体を器用に避け、今一度、雷撃針を取り出した。クナイなどはカリムがもっと鱗をそぎ落としてから投げてやるべき武器だ。今使うべきは数こそ残ってはいないがこの雷撃針だった。
ドラゴンがカリムの一閃をその爪で弾き、死角となっている足元を見、その口を大きく開いた。
何処に居るのか分からない。ならば、その周り全てを焼き尽くしてしまえばいい。単純明快で実に確実な手だった。
ドラゴンは自らが燃えることなど微塵も考えずそのブレスを吐き出す。
カリムがその動作に気づき、ブレスを押さえにかかるが、レッドドラゴンは自らの肩を差し出すことでそれさせなかった。
まずは五月蝿い存在を倒すこと。それが先決だ。
修貴は数少ない雷撃針を捨て、逃げるしかなかった。といっても、逃げる先など殆どありもしない。ドラゴン自らを燃やしてしまうようなブレスをいったいどうして避けきることが出来ようか。
修貴はせめてと、ブレスの広がりが少ない場所に走りこむ。
そして、ドラゴンと目が合った。吐き出されたブレスの方向は変わることがないのが救いだった。連続してブレスを吐き続ければカリムにドラゴンが斬られるからだ。しかし、それでも修貴の右半身が軽く焼かれてしまう。防具である制服は燃え上がる。
修貴はドラゴンから出来るだけ離れた地面に転がり火を消すと、すぐに、ヒールドロップを取り出し、飲み込む。
だが、距離など物ともしないドラゴンは、その動作をしているうちにその巨体を修貴に覆い被せに来る。
対する修貴の動作は遅い。無駄を確かに省いた動作ではあるがそれでも遅い。口にするだけのドロップである回復アイテムをもう一個使う時間さえ惜しい。それが、現状の弱点だった。もっと相手の気を引くならば速く。速く。もっと速く、行動をしなければならない。
相手がその行動をすると気取れないような動作が最高だ。
修貴はそう思うも、目前に迫る巨体をどうすることも出来ない。
だが、ドラゴンにそれをさせないのがカリムだった。
氷結魔法を乗せた一閃をハンマーのように横叩きにドラゴンにカリムは叩き込んだ。カリムの一撃は重く、修貴はその隙に窮地を脱出する。
「────!」
ドラゴンは咆哮を上げた。
なるほどどうして。もっと強くなるとは言うだけはあるじゃないか。
もっと、もっととドラゴンは決戦を大いに楽しんでいた。
* *
いったいどれ程避けたか。時間は一刻を過ぎ、修貴の防具である制服は焦げ跡と傷だらけだ。右肩から先は燃え落ちてしまっている。ここまでの探索で幾つか傷が増えたがこの、ドラゴンとの戦いでそんなもの苦にもならないほどの傷が増えていた。
血のあとがにじみ、ボロボロではあるが致命傷の一撃は貰っていない。そして、修貴の攻撃の成功率も格段に上がっていた。
修貴は道具袋を探り、すでに攻撃アイテムが水龍の陣以外残っていないことに気が付いた。
とにかく、まずはヒールドロップSを取りだし口に含んだ。加えて、強魔丸を更に三粒飲み込む。これでビンの中身は空になっていた。
ドラゴンは修貴に気を取られるようになり何度もカリムの一閃を貰っている。肩の鱗は一部の肉ごと切り取られ、右前足の爪はそぎ落とされ、多くの鱗が切り取られ、その他にもすでに多くの手傷を負っていた。だが、ドラゴンの肉体はそれでもダメージを感じさせない。対するカリムも、その頬には血をにじませ、けして無傷ではないが見掛けだけならば優位には立っているが決め手にかけていた。
『楽しいではないか。こうだ。これこそが血で血を洗う決戦だ』
「…………」
『フリードの者よ名乗れ』
「……カリム・フリードだ」
『我が名はランドグリーズ。ああ、そして、何処にいるか分からんが見事な隠行だ人間。これは我が完全に侮っていた。名乗るがいい。それでその場を攻撃するような無粋なまねはしない』
修貴は言葉を信用しないわけではなかったが、逃げ切れる間合いに移動しランドグリーズに姿を晒すと、口を開く。
「藤堂修貴。名は修貴だ」
『覚えたぞ。カリム・フリード、藤堂修貴』
ランドグリーズはゆったりと天に口を向け、咆哮を上げる。
修貴は疲れた体に鞭を打ち、力を込め咆哮をやり過ごす。カリムはその咆哮の間に自分自身にヒールをかけた。
『最終決戦だ。存分に戦おうぞ!』
ランドグリーズその首を動かし、カリムと修貴を見た。
「カリム、俺が最後に大きい隙を作る」
「修貴?」
「だからでかいのを頼む。魔力も多くは残ってないだろ?」
水龍の陣。兄がもしもの時のお前のためにと送ってくれたこの高価なアイテムの使い時だろう。いったいどれ程の値が付くかは知らないが、このアイテムが送られてきたとき心底、二度と兄には頭が上がらないと思ったことを修貴は思い出した。
だが、使えるタイミングは多くはない。死角に移動し使用したとしても、多くの死角がカリムさえ巻き込みかねない場所だ。
使うならば正面か。難しい。本当に難しい。修貴が水龍の陣を使用するのが先がランドグリーズの爪が飛んでくるのが先か。覚悟を決めるしかない。体力的にもこれ以上戦っているのは修貴には無理だ。
死ぬせよ、成功するにせよどちらにせよ最後だ。
死線の踊りもこれで最後と思い、修貴はカリムに微笑んだ。
「頼むよ、カリム」
「──信じるよ、修貴」
修貴の微笑みに、カリムも微笑んだ。
ああ、きっと僕は勝つ。間違いなく勝つ。修貴がいる。そうだ、負けるはずがない。
カリムはランドグリーズを見据え、必殺の一撃の準備に掛かる。
『面白い! 我が爪とブレス、そして貴様たちの一撃どちらが速いか決着をつけよう!』
修貴は疲れによって力が抜けた体でゆったりとランドグリーズの前まで歩いていった。歩く本人でさえ驚く程の自然体で近づく修貴に対しランドグリーズはその凶悪たる爪を振るう。高速で近づいてくる爪の軌道が死線の上で舞っていた修貴には感じることが出来た。
先ほどと同じく自然体で修貴は右にワンステップで避ける。圧力で頬が切れるが気にも留めない。
ああ、と。心の何処かが笑った。力みの抜けたこの動きを忘れるな。
ランドグリーズは避けた修貴をその牙で喰らいにかかる。これも、修貴は自然体で避けてみせるが、それでランドグリーズは終わらなかった。そのままカリムを巻き込むブレスを吐こうとしたのだ。
そして修貴は自然体のまま予備動作もなく水龍の陣を発動させた。
刀を振るう行為とは違うが、忘れてはいけない動きだった。修貴が知る戦い方に無拍子というものがある。相手に悟られず、予備動作もなく武器を振るうとされる、故郷皇国の武芸の達人が手にした境地。それが無拍子というらしい。それは修貴にとって理想的だった。気配を読み、攻撃を読み、そして死角を奪う修貴にとって、攻撃を読み取られないというのは理想だった。
疲れた体が想像以上に最高に動いていた。死線の上を舞っていたかいがあったというものだ。
無拍子というにはまだ粗があった。それでもその攻撃速度と、予備動作の小ささはランドグリーズより速く、水龍の陣を発動させたのだ。
兄さん。使わして貰います。
陣が描かれ、そこら大量の水が龍となってランドグリーズに襲い掛かる。その水流の大きさは古代種のレッドドラゴンであるランドグリーズにさえ匹敵していた。
「────ッ!」
咆哮が上がった。
圧倒的な水流に対し、抗い跳ね除けようとするランドグリーズ。
「ははは……。耐えるのか水龍の陣。けど、さ」
修貴はカリムを見た。
カリムのバスタードソードは異様なほどに電気を帯び、破裂音を鳴らしていた。
「ありがとう、修貴。流石だね。上手いタイミングで使ったものだ」
カリムが大きく息を吸い込んだ。
そして、カリムは間合いを踏み出し、水流に抗うランドクリーズに近づく。
「我が一撃は雷神の一撃。我が一振りは雷神が雷。我が意思は雷神が如し。受けよ、我が一撃」
光明を放つバスタードソードは致命的な力を纏い、力の限り振り下ろされた。
* * *
主人公補正乙。修貴君がやっと主人公ぽかった気がする。
ボス戦でした。ひたすら戦っているだけのお話でした。
すごく書いてて疲れた。戦闘って書くのがしんどいですね。気づけば文章量も普段の二倍。
もうすぐ一段落。いいかげん迷宮×学園の学園を書きたい。
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誤字・脱字に文章がおかしいとミスが多発しました。申し訳ありませんでした。
そのため、一部会話が変更しました。
指摘してくださった、にゃあ◆918c329dさん、クロ◆c56270e7さんありがとうございました。
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初投稿 2008/12/08
改稿修正 2008/12/09
誤字修正 2009/01/25
修正 2009/06/21