懐かしい匂いがすると、その存在は体を久方ぶりに動かした。
この者にとってごく最近、その身の兄弟というべき存在が打ち倒されたことを知っていたため、ついにかという気持ちが何より強かった。このような穴倉に閉じこもり幾星霜かと思える時を過ごした果てに、やっと、やっと来たと言える時が迫ってきているのをこの者は肌で感じ取っていた。
いったい外の時はどれほど過ぎ去ったのだろうか。この者の親が人に討ち滅ぼされ、いったいどれほどの時が経ったのだろうか。
喉を揺らし、この者はいつかを回顧する。
兄弟が討ち滅ぼされたのは、この地に、この血に相応しい者がやってきたという合図だ。
兄弟は最後の戦を楽しむことが出来たのだろうか。この迷宮の穴倉のみを住処とすることを許され、その時の流れの殆どを生きるため、睡眠に宛がうことを望まれ、その果てに兄弟は命の灯火というやつを燃やすことが出来たのだろうか。
あの人間のように燃やすことが出来たのだろうか。
この者は、その巨体をぐるりと揺らした。
兄弟はこの者よりも強い力を持っていた。その兄弟が討たれた以上、自身の死も必然であるはずだった。
「────」
空気を揺らす咆哮を上げる。
死だ。死がやってくる。
父のように。兄弟のように。あの人間のように。
絶対たる存在であるはずの種族に死がやってくる。
最後の灯火は盛大なほうがいい。燃え上がるように、灰になりたい。ああ、と笑った。人とは違う笑みであるはずなのに、まるで人間のようにこのドラゴンは笑った。盛大に人とは比べものにならない喉を揺らした。
あの人間に随分と毒されたものだ。兄弟もきっとこんな気持ちだったに違いない。そうでなければこのような穴倉でその生涯を使い潰す価値がない。
父はだからこそあの人間に滅ぼされたのだ。神を食らいその身が竜神になろうと、この気持ちを知らないからこそ討ち滅ぼされたのだ。そうだ、何かを知ることが出来なかった父が哀れで仕方がない。
ああ、命とは燃やすものだ。その果てが如何に長かろうと燃やすことを忘れた命に先があるはずがなったのだ。長き時の果てに、ドラゴンはそれを悟った。この者は確かに命を燃やすことを忘れた神代の終焉に立ち会うことは出来なった。だが、それでも神代の終わりを悟っていた。
そして、来るだろう。あの人間の血筋はきっと来る。間違えようがなく来るだろう。
ドラゴンはその翼を広げた。
このレッドドラゴンのためだけに空間拡張の魔術を持って作り上げられた場所は、巣穴であり、宝の座であり、この者の決戦場だ。血で血を洗う決戦場だ。抉り取るように作られたこの決戦場はドラゴンの巨体をして、あまりに広い。まさしく決戦の神殿だ。
眠りこけていた肉体に力を入れ、ドラゴンは死した兄弟と自らの先を想った。
兄弟は喋ることを嫌っていたため、殆どあの人間とあの者の血を引く者に話しかけることはなかったのだろう。ならば、代わりに話すのも良いかもしれない。戦う前の華となるだろう。自らのための盛大な手向けとしては相応しい。
咆哮を再び上げる。
「────」
さあ、来るがいい。
さあ、やって来るがいい。
我はファーブニルの子。
汝はフリードの血筋。
いつかの決戦を再現しよう。
我が、兄弟とも再現したのだろう。
ならば、我と再現してくれ。
まだ見ぬ愛しき者よ。宿敵よ。
そして、先にあるものを掴んでみせよ。
「────」
ドラゴンは咆哮を木霊させる。魔術的に完全に隔離されたこの空間でいくら咆哮を上げようと迷宮には届かない。だが、その魂はきっと届く。
ドラゴンは決戦のために再度、浅い眠りついた。
決戦の時は近い。
ダンジョン、探索しよう!
その9
探索九日目。修貴とカリムは地下二十八階まで辿り着いていた。臨時パーティを解散し、すでに二日たった二人だが、ペースを乱すことなく丁寧にここまで辿り着いた。ヒールドロップや、マジックドロップなどの回復アイテムは極力使用をしないように努力しながら進んでいたためアイテムの消耗は激しくない。ただし、修貴はすでに攻撃アイテムである火炎瓶と氷結玉は使い切っていた。
残りの攻撃アイテムはクナイ九本、風来枝四本に雷撃針六本、加えて切り札であり奥の手でもある水龍の陣が一つ。
目標といえる地下三十階制覇を考えれば乗り切ることが出来るであろう残量だ。ペースとしてけして悪くはなかった。
「修貴、二十八階に違和感がある場所があるって言ったの覚えてるよね?」
「ああ、あとは三十九階、五十階に七十二階だろ? 確か、三十九階と七十二階のマップには空白が在ったよな?」
「その通り。ただ、二十八階、五十階は変わった場所があるんだ。昔から指摘はされていたみたいだけど、どうにもならなかったらしい」
「なるほど」
「ただ、ね。僕が九十八階でレッドドラゴンと会ったって言っただろ?」
そういえば、と修貴は思い出す。
ハッキリと言ってしまえば今回、カリムと修貴がこうして二人で潜っている最大要因といっても間違いがない話だった。
「まあ、そいつとの出会いは偶然だった。本来すでに攻略された階層にどうしてあんな化け物がいたのかは正直に言って分からなかったけど、そいつと戦った場所と似た印象を受ける場所が二十八階と五十階にはあるんだ」
「それってさ、その二つが一番のあたりと考えていいんだよな」
そうだね、とカリムは頷く。
そして、ここはすでに地下二十八階。気を引き締めて行く必要がある。
修貴は周囲に気を配りつつ、カリムの話を頭の中で繰り返す。
「なあ、カリム。そのドラゴンはどのくらいのやつだったんだ?」
「古代種だよ」
「……そうか」
流石と言うしかないのだろう。カリムが修貴とではなく、アトラス院において組んでいるパーティの話は聞いたことがあった。神代にその名を轟かした天狼族の戦士に、エルフとドワーフのハーフという驚くべき錬金術師。そして、年齢不詳のダークエルフの魔女。聞いているだけで関りたくなくなるような組み合わせだ。
そんな面子に掛かってしまえば、古代種のドラゴンでさえ、どうという事はなかったのだろう。それにしても、カリムのパーティは濃いな、と修貴は今更ながらに再確認した。
まさかとは思うがそんな面子だからこそ倒せた古代種のドラゴンに自分も出会うとは考えたくもない。カリムなら対処が出来るかもしれないが、修貴では実力が足りない。
「で、そのドラゴンはどうなったんだ?」
「ん。ヴィクターとルナリアがマジックアイテムの開発材料にしたみたい」
錬金術師ヴェクターと魔女ルナリアの手によって作られたマジックアイテムとはいったいどんなものなのかと興味が引かれる。修貴が使っているハードダイト製の刀も元はカリムのつてで錬金術師ヴェクターがお遊び作ったものを安く買ったのだ。
これだけの刀を鍛えることが出来る鍛冶師にして錬金術師であるヴェクターが作るマジックアイテムとはいったい何なのだろうか。
「なあ、どんなものを作ったか、知ってる?」
「知らないんだ。何かすぐに売り払ってお金に変えたみたいだから」
「そうか。ちょっと興味があったんだがな。古代種のドラゴン製のマジックアイテムか。いったいどのくらいの値段で売れたんだろうな」
「さあ、僕にはわからないよ」
カリムの言葉を聴きながら修貴は、刀を抜いた。
カリムが修貴を見ると、修貴は頷いてみせる。
「この感じはストーンカだ」
「ストーンカね。修貴、今度は突っ込んで倒すなんて暴挙はしないでよ?」
「わかってる。あれは俺のミス。ミスはなくすものだろ?」
「そうだね。信頼してるよ。数は?」
「四だ」
よし、とカリムは頷くとバスタードソードを引き抜いた。
* *
地下二十八階、ビルレストの滝北西の広間。そこは煉瓦の隙間から伸びた草木が壁にコントラストを描いていた。
カリムは表情を悩ませ、その広間の奥の壁と睨み合っている。草木の一部を燃やすと見えた煉瓦に刻まれた紋章に対し、カリムは叩いたり、押してみたりと何度か簡単なことを試していた。
「何か、わかりそうか?」
「あんまり。たしか、この紋章はジーク・フリードに付き添っていた戦乙女の紋章だったはずなんだ」
コンドルと剣を象ったその紋章は、戦場に立つ戦乙女に相応しい威容を持っているといっていい。ただ、どうしてそんな紋章があるのかと修貴は聞きたかった。戦乙女自体は新エッダ、古エッダ時代をとおして登場しているが、ジーク・フリードは新エッダ時代の英雄であり、このヴァナヘイムは古エッダの迷宮なのだ。
深く聞きはしていないがそれだけはずっと修貴にとっての疑問だった。
「なあ、訊いていい?」
「何をだい?」
「いや、どうしてジーク・フリードに関するものがこの迷宮にあるのかをさ」
「ああ、そのこと。ジーク・フリードはね、自身の従者であり、伴侶であった戦乙女ブリュンヒルデとこの迷宮で出会ったらしい。勇猛果敢にこのダンジョンに挑んだんだね。そして、死後、自分をこのヴァナヘイムに埋葬して欲しいと言ったそうだよ」
「へえ、そんなんだったのか」
民間伝承としてのジーク・フリードの英雄伝にはその死後について触れているものはないという。だが、その血筋であるフリード家には資料としてそれが残されていたのだろう。だったらと、疑問が更に浮かんだ。
修貴はカリムに近づき、自らもその紋章に触れながら言葉を発する。
「なあ、どうしてフリード家は今までヴァナヘイムに挑まなかったんだ?」
「いや、挑んだ人もいるらしいよ。ただ、成果がなかったそうでね。それに、気の遠くなるほど昔の話だ。神代の時から存在する迷宮だよ? 墓荒らしにあっていない可能性のほうが低い」
「あー、なるほど」
「まあ、それでも僕は挑みたかったんだけどね」
だからやる気にもなるってものだよ、とカリムは付け足した。口にはせずに心の中で呟く。それに、約束だ。あの約束がある。それがあれば、きっと僕は何だって出来る。何だってやり遂げられる。
修貴と一緒に行くのだ。見つからないなんてのは嘘だ。
しかし、と頭を悩ませる。九十八階では偶然だった。あんなドラゴンと出会うとは欠片も思っていなかった。だったら、今度はいったいどうしたらいいのだろうか。こつこつと、紋章を叩いた。
「カリム、何かさ文献とかになかったのか? こうさ、ブリュンヒルデだっけ? に関ることとかさ。この紋章がそいつの紋章なら関りありそうだろ」
「ブリュンヒルデ? うん、そうだね。何か、何か、か」
修貴も、カリムと同じように考える。皇国出身である修貴にとって戦乙女は馴染み深いとは言えないが、簡単な知識はある。
例えばだ、戦乙女は自身が定めた主人が戦場に出る前に必ず祝詞を捧げると言う。その祝詞はその戦乙女によって変わるという。
ふむ、と修貴は頷く。祝詞は面白いかもしれない。だが、カリムが知っているだろうか?
「戦勝の祝詞とかは?」
「祝詞か。面白いかもしれない」
「わかるのか?」
「もちろん」
カリムは紋章の前に立ち、息を吸い込む。
「我が祈りは刃の祈り。我が囁きは勝利の狼煙。我が主に捧げるは剣の輝き」
カリムがその声を張り上げ祝福の祝詞を謳いあげるが、変化はない。違うのか、とカリムは首をかしげ再度、何をすべきかを考える。
戦乙女独特なものという修貴の考えは面白いだろう。今の祝詞というのも十分に考えられるのだ。かつても、これからも戦乙女が唱え上げる祝詞は唯一つのみ。それは生涯変わらないとされる。
ならば、他に戦乙女を決定付けるものは何なのか。
祝詞ともう一つあったはず。それは、祈りだ。祈りの動作だ。だが、動作を感知するのだろうか。
「まあ、やってみないとわからないか」
「どうした?」
「いや、祝詞の次は祈りも一緒に捧げてみようと思ってね」
カリムは紋章に向き合い、片膝をつき、バスタードソードを低くと自身の前に突き刺した。そして、剣に向かい指で印をきると、剣に向けて先ほど度と同じように祝詞を捧げた。
「我が祈りは刃の祈り。我が囁きは勝利の狼煙。我が主に捧げるは剣の輝き」
最後にもう一度、指で印をきる。
反応は返ってこない。今の一連の動作がブリュンヒルデの祈りであるが当てが外れたようだった。カリムは紋章に背を向け、修貴に向き直る。一度ため息を吐くと修貴と視線を重ねた。
「弱ったね。何か、良い手はないのかな。それとも実は何とも関係ないという落ちじゃないだろうね。……修貴?」
「……裏、見てみろよ」
修貴が表情を変えたことに気づき、カリムは言われるがまま後ろ向いた。
そこには扉があった。紋章を中央に据えた扉が伸びた草木をちぎり捨て、現れていた。
「……案外、いけちゃうものだね」
「……そうだな」
カリムは深く深く呼吸をした。
* *
ドラゴンは目を覚ます。
扉の鍵が外れる音がした。
ああ、ついに。ああ、やっと。
最後のときが訪れる。最後の戦がやって来る。
何を語り。何をブレスに篭めようか。
古代種のドラゴンは神代の終わりに終わることが出来なかった。だが、つにその最後がやって来ることだろう。
爪で語り。牙で歌い。そのブレスで想いを伝えよう。
レッドドラゴンの最後の決戦がやっと来る。
そう、全てはあの契約を果たすために。
* * *
厨二病乙。ポエム乙。わかってはいるんだ。でも、たまに書きたくなる。困ったものです、厨二病。
それにしても、主人公がカリムに見えて仕方がない。
わざと、とくに血筋とか過去とかしがらみのない主人公にしたのが原因ですね。難しい。
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初投稿 2009/01/25
修正 2009/03/01
修正 2009/06/21