探索二日目。すでにカリムと修貴は地下九階まで辿り着いていた。修貴にとってこれ以上とないハイペースの探索だった。初めて潜る難関ダンジョンでこれほどのペースを維持し、突き進めるのはカリムの実力が突出しているという事実の賜物だというのは、修貴にとってすれば何とも歯がゆい事実だ。
戦闘の相性も、シーカーとしての組み合わせもけして悪くないのは修貴も分かっていたが、驚くべきことにここまで来るのに修貴のアイテムは殆ど消費されていない。発見した魔物の数々はカリムが率先して倒してしまうからだ。
修貴にとってダンジョンから得る物欲的な結果という意味では旨みは出ているが、実力を付けたいという意味ではあまりに命の張り合いがなさ過ぎることに修貴は軽くため息を吐く。確かに、手に汗を握るモンスター達もいる。だが、本当に命の危機を感じるような魔物はこの二日で三度しか出会っていなかった。巨大な集団とぶつかれば話は別なのだろうが、大集団を発見して戦闘を回避しているのは修貴の仕事だった。
これでは一人で、学園付属のダンジョンである君と僕との出会い"に潜ったほうが余程、刺激になっていた。
カリムに、ヴァナヘイムを一緒に探索しようと言われたときはどれだけの危機が待っているのかと考えたが、カリムと共にいるという事実が上層でのそれを見事に打ち消してくれている。だからといって、カリムに休んでいてくれというのはシーカーとしてナンセンスだ。
これは、カリムとの約束を守るためと割り切るのが一番だろうと、修貴は思うことにする。またいつか、上層に一人で挑みに来ればいいのだ。その時は、今とは比べ物に為らないほどの緊張感があるだろう。下手をすれば、一階進むのさえ一日では足りないかもしれない。
そう考えれば考えるほど、今のペースは理想の斜め上を走っていた。
「破竹のペースだな、本当にさ」
「そうだね。今日中に十階はいけるかどうか怪しいけどね。辿り着けるならそれに越したことはない。十階にはテレポーターもあるからね。もし、消耗していれば一度地上に戻るつもりだったけど、必要ないね」
「まーな。吃驚するぐらい順調だよ。これだったら、三十階いけるかもしれないな」
うん、カリムが頷く。
「十階を越えたあたりから、もう少し出てくるモンスターの質も上がるけど、このペースなら問題はなさそうだ。それに、僕としてはだね。出来れば今回の探索で二十八階には辿り着きたい」
「ああ、言ってたな。二十八階、三十九階、五十階に七十二階か。確かに二十八階には辿り着きたい。となると、三十階は目標になりそうだな」
修貴の言葉に再度、うんとカリムが頷いた。
このペースで進んでいけば、九階の制覇は地上時間の深夜になることが容易に予想がつく。それでも、速過ぎると考えられるペースではあるが、より進んだ地点で一日を終えるために九階入り口の階段で夜を明かすという手をすでに放棄してしまった。そのため、時間的体力的なものを考慮に入れた結果、この辺りで安全地帯を探すのがベストだった。
カリムが、自身の携帯端末を取り出し、マッピング"ヴァナヘイム"地下九階のマップの画面を映し出す。隙なく埋められたその地図を横から修貴が覗き込むと、近くに泉がある事が見て取れた。
「その泉、モンスターの巣か?」
「ここはストーンカの水のみ場だったはず。魔除けのベルでも使って一晩明かしても大丈夫だとは思うけど」
「水生の魔物は何かいる?」
「いないはずだよ」
悪くないが、魔除けのベルを確実に消費するのは嬉しくはない。他の場所はとマップに目を落とす。
カリムも思い出すように画面を指でなぞる。
「ここの部屋、確かファイアフォックスが住み着いてはずだけど、今はどうかな?」
「だいぶ前のことだろ、よく覚えてるな……。ま、行ってみるか」
そうだね、というカリムの返事に修貴も頷く。カリムは携帯端末を仕舞う。
そして、二人は目的の場所を目指し歩き出す。そうすると、一時間も経たないうち目的の場所まで辿り着いた。道程で、何度も付近のモンスターと対峙はしたがカリムの実力か、修貴の慣れかはさておき、二人は事なきを得ていた。
その場所は五人ほどの人がそのまま座り込めるほどの大きさを持っていた。
修貴があたりの気配を探るが、反応はない。ここに辿り着くまでにモンスターの巡回ルートを確認したがどの集団もここにやって来る事はなかった。あとは、ルートを外れて彷徨っているモンスターに気をつければ良いだけだが、ここに来るまでに付近にいたモンスターの大半をカリムが狩ってしまったためそこまで神経質になる必要はない。
懸念されていたファイアフォックスの巣ということもなく、一晩を明かすには丁度よい場所だった。
「ここでよさそうだね」
「そうだな。寝るのは四時間交代でいいか?」
「かまわないよ。順番は、僕が先に見張っておくよ」
「じゃ、それに甘えることにするさ」
二人は、火を焚き、カリムの収納袋から簡易な寝具を取り出した。
準備を終えると、二人分のコップと干し肉を続けて取り出し、カリムは修貴に渡した。受け取った修貴は水を一口飲むと、いただきますと一言つぶやき、干し肉にかぶりつく。カリムも修貴のようにかぶりつきはしないが丁寧に一口づつ食べていった。
焚き火の周りに咀嚼音が小さく響き、やがて止まる。
「さて、先に眠る。襲われたときか、時間がきたら起こしてくれ」
「うん。まあ、仮に襲われても修貴ならかってに起きそうだけどね」
カリムに頼むと一言言うと、修貴は刀をすぐ取れるところに置き、毛布に包まると先に眠りについた。
ダンジョン、探索しよう!
その5
カリムは、すでに寝入った修貴の顔をぼんやりと眺めていた。
親友であり、相棒である修貴とはこの街にやって来てから本当に長い付き合いになった。この街で一番初めに出来た友人であるということが手伝い、共に初めての危機を味わったあのダンジョンに挑んでいなけけば現在の関係は築かれていなかったであろうことは、容易に予想がついた。
あの経験はカリムのシーカーとしての本質に居座っている。
実力に溺れてはいけない。仲間を大事にしなければいけない。そうだ、あの時、間違いようがなくカリム・フリードは藤堂修貴に助けられ、藤堂修貴は傷を負った。あれは、兄弟達と物心ついたときから剣を、魔法を学んできたカリムには衝撃だった。
フリード家はシグフェズル帝国の武家の名門だ。その血筋は新エッダ時代の英雄譚にも登場するジーク・フリードの流れを汲んでいる。魔剣ノートゥングを担い、百を越える戦場を渡り歩き、神を飲み込む邪竜ファフナーを討ち滅ぼしたその人の血脈だ。
その血筋は帝国では並ぶものなき武家として力を振るっている。だからこそ、あの時カリムは己の力を過信していた。幼かったといえば、その通りではあるが、命のやり取りでそれは通用しない。
ああ、そうだとカリムは小さく笑った。この血筋だからこそ僕はここにいる。その家名であるがゆえに強制させられる道程、兄たちのように、学園都市トートの勇者養成学園に進まず、この迷宮都市にやって来た。これは間違いなくフリードの血脈だからこそだ。ただの武家の名門であったなら、兄たちと同じ道を進んでいた。
実家において、カリムは家にあるジーク・フリードの文献を読むのが好きだった。剣や魔法の訓練の合間にいつも読み漁っていた。偉大なる祖先の冒険譚はどれもこれもが心が躍った。そのうちに、自分もいずれその道を歩みたいと願うようになっていた。そのためにつらい訓練をこなしていた。
だが、フリード家の者は常に帝国軍への道を常に歩んでいた。学園都市から帰ってきた兄たちは皆、そのまま帝国士官学校に入学し帝国軍仕官となった。女であるカリムさえも、両親はその道を歩ませようとしていた。いや、いずれその道にカリムも進む。
だからこそ、せめてとカリムは学園都市ではなく、この迷宮都市にやって来た。ジーク・フリードの冒険譚に憧れ、迷宮ヴァナヘイムに眠る可能性を持つ、魔剣を見つけるという目的を持ってやって来たのだ。もちろん、ジーク・フリードがこなした様なダンジョンの踏破にも憧れがあったのも事実だ。
フリード家の所有する文献に小さくだが載っていた魔剣の在りか。それがヴァナヘイム。兄や父たちは、あるとしたら見つかっていると一笑にしたが、カリムはどうしてもそう思えなかった。そして、祖父に訴え、学園都市ではなく迷宮都市にやって来た。
祖父は幼い孫の願いを聞き入れ、この迷宮都市にカリムを行かせたが、条件があった。十八歳までという期限だ。カリムはあと二年で十八になる。そう考えれば、現在の状況は実に順調だった。手がかりを見つけ、それに向かって邁進している。
カリムはそっと修貴に近づいた。
「順調だ。修貴、きっと君に出会ってから僕はずっと順調に進んできた。六年という期間に焦ることなく歩んできた」
始めは焦りがあったけどね、と付け足し、カリムは眠っている修貴の頬を撫でた。
目的をより明確に目指せたのは、修貴との約束があったからだ。カリムは、そう信じている。
「ねえ、修貴」
カリムは優しい声で名を呼んだ。
「僕は君に感謝してる。本当に、本当だ。こうして、ここで共に僕の目的に向けて歩んでいけることに感謝してる」
何を眠っている相手に話しているのか。それも、まだその目的が完遂したわけでもないのに、僕は何をしているのか。
「まだ、先はあるけど、君といるとそれもすぐに思えるんだ」
ははは。何だ、僕はどうしようもない女だな。約束の果てが近づいてきた所為で不安なのか。
「本当に、もうすぐ約束は果たせると思う。今回の探索は無理だとしても、次か次の次できっと、僕は目的に辿り着く」
こうして、君が聞いていないのを利用して問いかけるのだ。
「たとえ、約束を果たしても僕たちは相棒だよね」
カリムは、右手人差し指で修貴の唇をなぞった。そして、その指で今度は己の唇をなぞる。
嫌になるほど感傷的になっている。カリムはそれに気づき苦笑する。順調すぎるのが怖いのだ。学園を飛び級で卒業し、アトラス院に入り、このヴァナヘイムの下層にまで到達した。そして、目的に向けての手がかりを手にいれ、修貴と共にここまでやって来た。後が怖いほどに順調だ。
「修貴」
もう一度名前を呼ぶ。
僕は、目的を果たしたとき先ほどの問を君に投げかけなければいけない。カリムは、修貴を知っている。修貴の性格を考えれば何も問題はないだろう。しかし、それでも今聞くのは不安だった。けじめをつけ、次に進めるようになって口に出し、答えを聞きたい疑問だった。
「僕は、君の事を──」
刹那の瞬間、カリムはスローイングダガーを一本取り出し、投げた。
「はあ、修貴のことになるとどうも気がそれてるね、僕は」
見張り番だというのにと、言葉を続けバスタードソードを手にカリムは立ち上がり、周囲を確認した。
モンスターの群れということもなく、どうやらあっさりと逃げていったようだった。
「まったくもって、どうしたものかな」
カリムは修貴の顔を覗き見た。
* *
石組みの道を歩きながら修貴は手を一歩前を歩く青年に引かれていた。青年が浮かべる表情は厳しかった。
「修貴、いいか。次、あいつら何か言われたら、ちゃんと兄ちゃんに言うんだぞ」
ああ、これは夢だ。修貴が迷宮都市に来る以前の夢だ。まだ、皇国で初等訓練塾に通っていた時代の夢だ。ぼんやりと夢の中で夢だということに気づき、修貴は奇妙な気分に包まれた。
兄の手に引かれる幼い修貴は、下向き肩を落とし小さな歩幅で歩いている。兄、藤堂修一はその修貴に合わせ、その大きな体に似合わぬ歩幅で歩いている。
「なあ、修貴。今度は何を言われたんだ?」
酷く優しい声で兄が問いかける。
そうだ、この時は初等訓練塾の同級生たちに夢について言われたのだ。
修貴は幼い時、下級ではあるが武士の家の生まれでありながら、体が強いほうではなかった。両親たちは修貴に対して年の離れた兄である修一のように武人であることを求めていたが、それは幼きときは適わなかった。そのため、両親たちは日頃から修貴に不満をぶつけていた。
その行為を諌める兄は修貴が初等訓練塾に入学するころには朝廷に仕え、あまり家に帰ってくることがなくなっていた。
だからだろう、外に何かを求めるよりも、一人で修貴は兄に買ってもらった異国の冒険物語に夢を見るようになっていた。シーカーという職業を夢見るようになったのはその所為だ。
だが、現実には体が強くはない。そして、外とあまり関わりを持たなかった修貴はいじめに合ったのだ。
「……お前には、……無理、だ、って言われた……」
「無理? 何が無理なんだ、修貴?」
「……冒険者に、なること」
兄が驚いた表情を浮かべる。この時初めて夢を打ち明けたのだった。
「修貴は、冒険者になりたいのか?」
「……うん。でも、お前は刀も握ったこともないくせに、体も小さいくせに……って」
いじめられたときを思い出した、幼い修貴は上ずった声で兄に打ち明ける。
その修貴に対し、兄は足を止め、修貴の肩を掴み正面から向き合った。背の差を補うために屈み、柔和な表情を浮かべ修一は修貴の顔を覗き込んだ。
「無理じゃないさ。目指すんだったら、兄ちゃんは修貴のこと応援するぞ」
「ほ、ほん、とう?」
「おうさ! 大事な弟の夢だ。こいつは、適えなきゃ男が廃るってもんよ!」
「でも、僕、体、弱いし……」
「でももへったくれもねぇぞ、修貴! 成りたいんだろ?」
「う、うん……」
「声が小さいぞ、もっと大きく!」
「うん!」
兄は立ち上がり、良い返事だと笑みを浮かべ修貴の頭を撫でた。
勢いが強く、修貴は頭を押し付けられるような形になるが、兄、修一は気にも留めず修貴の頭を撫で続ける。
「いいか、修貴。兄ちゃんが出来る限りのことはしてやる。だからな、お前もしっかり努力するんだ。今日、いじめてた連中を見返すように努力するんだぞ」
「……わかった」
「よし、約束だ」
兄の朗らかな声を聞き、幼い修貴はやっと笑みを浮かべた。
この後、修貴は勉学で持っていじめをした者達を追い抜くが、友達は増えはしなかった。だが、間違いなくこれが今日までの修貴の活力となった。そして、約束というものに重きを置くようになったのもこのときからだ。
やがて修貴は、兄の手の感触を夢の中で感じながら、自分が目を覚ますの実感した。
* *
修貴が目を開けると、カリムと視線が重なった。
「……おはよう、修貴」
「……交代だな、カリム」
頭の置かれている部分の感触が明らかに、レンガのそれではない。修貴はその感触を確かめるように一度、二度と頭を揺り動かした。
「くすぐったいよ、修貴」
どう考えても膝枕ですありがとうございました。
寝ぼけたまま思わず意味が分からない言葉を口走りそうになるがそこはぐっとこらえて見せる。
「見張りの方は?」
柔らかいなと思いつつ、大事なことを聞く。けして、膝枕だよどうしよどうしよめっちゃ柔らかいよつーか膝枕だよ俺には縁遠いものだと思ってたよまじかまじなのか、とテンパっているわけではないのだ。本当だ。信じてやって欲しい。
「ん。一度、鉄蝙蝠が来たけど、切り殺したよ」
「そ、そうか。起こしてくれればよかったんだが」
「気持ちよさそうに寝てる人間を起こせるほど、僕は意地が悪くはないさ」
「ごめん」
とりあえず、修貴はこの太ももの感覚を脳裏に刻み付けると、名残惜しいと感じる自分を切り伏せ、起き上がる。
見張りを交代しなければいけない。カリムにも睡眠が必要だ。
それに魔物がやってきたのに起きれなかったことを鑑みればどれだけ深く眠っていたかがわかる。カリムが横にいた所為で安心しきっていたのだろう。一人ならば、それは致命傷につながってしまう。
起きなかったのは、べ、べつに膝枕が心地よすぎたってわけじゃないからね。
修貴は勤めて冷静にカリムと視線を合わせる。
「代わるよ、カリム。今度は俺が見張る」
「んー、そうだね」
どこか、名残惜しそうなカリムの言葉に修貴は首を傾げると、先ほどまで包まっていた毛布を渡した。
ありがとう、と言って受け取るカリムの表情の軟らかさにそんなに眠かったのかと、修貴はかってに結論付けると刀を手に取り周囲を一度、索敵する。
そんな修貴にやれやれと、カリムは心中で呟き、修貴の心遣いに甘えることにした。
* * *
その、何だろう。俺は何を書いているのか。
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修正 2009/02/08