今回の探索は確かに、楽な道程になるとは始めから思ってはいなかった。途中、カリム・フリードに出会い、テンポこそ崩れたが、まだ上層、手間を取ることはないと判断していた。つまり、彼らはダンジョンでは何が起こるかわからないという事実を、完全に忘れていた。如何に実力があろうとも、如何に下調べをしていようとも、それは常に起こりえる可能性を孕んでいる。
特に、ヴァナヘイム第一層ミッドガルドは、その階層を貫く滝が流れている。その滝は、地下二階において、道を両断し行き来の自由を少なからず奪っている。そして、それは不慮の事故を運んでくることが多々あるのだ。
「リア! やつに気を取られるな! お前は補助に専念していろ!」
彼らのパーティリーダーであるカークは滝の音にかき消されぬように声を張り上げた。
彼らを阻むように飛ぶのは一体の翼竜。名をワイアーム。地下五十階に生息するモンスターだ。その特徴は強靭な羽根による突風と、ドラゴンに劣らないとされる、火炎のブレス。ワイアームはただ、純粋に強い。
ワイアームが中空に向かって吼える。モンスターの咆哮は、得てして魔力を微少ながら含んでいる。今の叫びは威嚇の叫び、それは相手を怯ませる力を持っている。だが、カークたちはその咆哮を耐えて見せると、即座に反撃に移る。
下級雷撃魔法が、ワイアームに飛び掛る。それに合わせるように、カークともう一人の前衛、ルイが両側から追撃を仕掛けた。
ワイアームはもう一度咆哮をあげる。今度は先ほどよりも多くの魔力の篭った、術式破壊の叫び。雷撃はそれに打ち消されるが、その隙に二人が襲い掛かる。その翼に向かって振り下ろされたカークの刃は、あっさりワイアームの強靭な体に弾かれた。ルイの槍はその翼を貫くことなく、押し返された。
「硬い! 静! エンチャントはまだか!?」
「待って。あと少しで、出来るから! リア、下級魔法の術式強度じゃ、咆哮に打ち消されるわ! 時間を掛けて強度の高い術式を編んで!」
カークは弾かれた体勢のままワイアームから距離を取る。ルイもそれに習い、ワイアームから間合いを取る。
弓を引くように翼を引くワイアーム。その動作は次の行動を容易に予想させる。
「カーク! 突風が来るよ! もっと、離れないと!」
ルイが、声を張り上げた。
だが、次の瞬間にはワイアームが放った突風に体を運ばれ、強制的に距離が開く。そして、強烈な突風は、少なからずのダメージを蓄積する。
カークは呻く様に歯軋りをした。
「クソ! これじゃ、近づけないだろうが!」
「カーク! 隙を作って逃げるしかない!」
冷静なルイの言葉にカークは頷いてみせる。仲間の様子を見渡せば、リアと静、両名の魔法使いは先ほどの突風を逃れていた。そして、静の武器エンチャント魔法の準備も終了しているようで、カークと視線が重なると頷いた。
カークとルイは二人を守るように剣と槍を構える。
「武器に宿れ、氷の精よ! アイスエンチャント!」
魔力が白い光の筋を描き、二人の武器に宿る。これで、ワイアームに武器が通らないということは少なくなるはずだ。
開いた距離を楽しむようにワイアームが旋回する。ワイアームが飛んでいる位置は、滝によって分かたれた、カークたちが届かない位置となる。そして、離れた距離での動作を、ルイの視線は逃さなかった。ワイアームの口は明らかに炎を溜めていた。
「カーク! ブレスだ!」
ルイの声には恐怖が滲んでいた。逃げ場が少ないこの場所でブレスを、それも滝に両断されたこの場所では、彼らには逃れえる手立てはない。救いがあるとすれば、距離が離れたことによってブレスが彼らに届くまでに時間が掛かることだ。しかし、それでもこの状況はあまりに絶望的だった。
やがて、ワイアームが完全に向こう岸で動きを止め、ブレスを吐き出す動作に移った。
そして、その時、四人の視線はその裏の通路より、現れたシ-カーをハッキリと認識させた。
一歩。ワイアームは気づかない。
二歩。刀を握ったシーカーは滑るようにワイアームに近づくが、気づかない。
三歩。その裏に、もう一人シーカーを認識する。
四歩。シーカーはワイアームの尾の付け根に向け、刀を振るった。
ダンジョン、探索しよう!
その4
目に映った光景は、完全に不利な状況だった。数刻前に出会った四人組みのパーティはこの第一層で最も気をつけなければならない敵と不運にも出会っていた。
旋回し、ブレスの動作に移るワイアーム。その翼竜は修貴とカリムに気づいた様子はない。
滝によって分けられた道のこちら側に飛んできたワイアームを確認したカリムは、修貴に頷いて見せた。
音もなく、修貴は動き出す。ワイアーム、その情報はカリムから聞いていた。弱点はその尾の付け根であり、弱点属性は氷。修貴は腰の袋から冷凍玉を一つ取り出す。刀を左手で握り、右手で冷凍玉をいつでも投げれる状況であることを認識し、より気配を殺しワイアームに近づいていく。
カリムが小さく、呪文の詠唱を始めた。
一足一刀の間合いまで、修貴は距離をつめ、ぶれることなく、宙を飛ぶワイアームの尾に刃を振るった。
「────!」
ワイアームが震えるのが分かる。しかし、そのブレスの溜まった口を開こうとはしないのは修貴にとっても新鮮であり、脅威であった。怒りを覚えたワイアームはその獲物としていた四人組みから、自らの尾を切り落とした存在に意地で持って吐き出さなかったブレスを吐く事を決め、その首を足元に向けようとした。対する修貴は冷静に、そのワイアームの炎の零れる口に向け冷凍玉を投げた。
ブレスが一瞬ではあるが、開放された冷気とぶつかった。
修貴はその隙にワイアームの拡散したブレスから逃れてみせる。狙いもつかず、冷凍玉によって幾分弱体化された火炎は、無造作に広がるが、逃れる場所は確かに存在していた。
気持ちがいいほどに、不意打ちは成功していた。しかし、不意打ちをもってしてもワイアームは修貴一人では手の負えない敵だが、今回はカリムがいた。
「舞い上がり凍てつけ、氷の精たちよ!」
氷の上級魔法、ディフューズスノウがワイアームを襲う。滝の周囲を燃やしていた炎たちはかき消され、その氷の粉たちがワイアームに纏わりつく。カリムは魔法を唱えた直後に魔法使いの杖としての役割も果たしていたバスタードソードの柄を握り締め、その間合いを踏破する。
もがき苦しむワイアームは近づいてきたカリムに注意を向けることも出来ず、カリムはそのバスタードソードを唐竹割りに振り下ろした。
綺麗な弧を描くその剣筋は遮られることなく、ワイアームを両断した。
修貴が作った短時間で、カリムは実力を見せ付けた。実際には魔法を使わなくても倒せたのだろうが、安全策だったのだろう。誰の、と聞かれれば、俺か、と気づき、修貴はため息を溢した。
「カリム・フリード……」
カークの声は滝音にかき消されるが、助けられたカーク達、四人の視線がカリムに集まる。
同年代とは思えない強さには修貴も感嘆するしかない。この少女いったいどうしてここまで強いのかと目の前にいる四人でなくとも驚くであろう。
カリムがバスタードソードを仕舞うのを修貴は確認し、刀を鞘に納める。どうやら、カリムはワイアームよりも彼らの安否を先に確認するようだった。ならば、修貴は魔物が近づいてきていないかを確認するのが優先だろう。
滝つぼに落ちるぎりぎりの所までカリムは歩を進めると、対岸にいる四人に声を投げる。
「大丈夫かい? だれか負傷者はいる?」
「……おかげさまで助かったさ。ブレスを食らわないですんだ」
数刻前の素っ気ない態度がカークの脳裏を過ぎるが、パーティの恩人であり下手なことを言うのは失礼だった。その程度礼儀は四人とも持ち合わせていた。
四人が、対岸ではあるがカリムに近づき、滝を挟んでその視線を合わせた。
「ありがとう、カリムさん」
静はそう言ってから、思い出したように修貴に視線を向けた。カリムの強さが印象には残ったがブレスの脅威から四人を救ったのは修貴だった。
「それに、あっちの彼にも、言うべきね」
「そうだね、呼ぶよ」
静の台詞にカリムは頷き、修貴を手招きで呼ぶ。
「どうした? この周辺には何もいないみたいだったけど?」
「お礼だってさ」
修貴はどんな表情を浮かべるべきか分からず複雑な表情を浮かべると、人当たりのよい笑顔を浮かべたルイが修貴と視線を合わせた。
「ありがとう、助かったよ。それしても、カリムさんと一緒にいるだけあって、あの不意打ちは凄かった。よく、あの間合いまで気づかれないものだね」
「あ、いや、まあな」
なんと返していいものかと考えるも言葉は思いつかない。こういった時に会話能力が低いことが修貴には悔やまれる。
その修貴を尻目に、カリムと四人は礼と幾つかの言葉を交わし、滝から離れていった。
「修貴、とりあえず、ワイアームを剥ごう」
「ああ、そうだな」
結果として、大して言葉を交わすこともなく修貴は彼らを見送ったのだった。
* *
順調だった。驚くほどに順調に進んでいた。地下二階でワイアームに出会うというハプニングこそあったが、それ以降の探査は実に順調に進んでいた。現在、地下四階中盤、探索初日でありながら、かなりのハイペースで進んでいる。
「楽だな、本当に。修貴と潜ると索敵が本当に楽だよ。見落としがここまでないと、吃驚するね」
「それぐらいが、取り柄なんだ。何せ、普段が一人だから」
修貴は基本的に一人でダンジョン探索に出ることが多い。それだけに、不意打ちを食らわないというのは生命線だ。不意打ちを貰い、倒れてしまえば誰の助けも借りられない。地下二階のときのように誰かが助けに入れる状況は稀だ。
だからこそ、修貴のスキルは誰の助けがなくても戦えることに特化している。といえど、それがパーティを組んだときの妨げになることはない。
「さて、この辺りはボーパルバニーの領域だったね。修貴、索敵を頼むよ。今日中に五階に進む階段に辿り着きたいからね」
「わかった。それにしても、首狩り兎か」
「そう、修貴みたいな戦い方をしてるあの兎。この階層にいるのは、種族はブラッドバニーだね」
ボーパルバニー科ブラッドバニー。首狩り兎の中でも好戦的な変種である。特徴は、血に濡れたような赤毛と、吸血行為だ。ボーパルバニーは種として気配を隠す傾向がある。それは、このブラッドバニーにもいえる。
不意打ちでもって首を落とす、ボーパルバニーは何とも修貴に似た戦い方をしているが、違いとして集団で行動しているというものがある。そういって意味では、修貴より余程厄介だった。
歩きながらも、神経を研ぎ澄まし、気配を探る。小さな変化も些細な変化も逃さないよう、周囲を探っていく。気配を消すのが上手い相手ならば、気配を探るよりその周囲の違和感を探ったほうが効率がいい。すると、その先に気配に気づけるのだ。
カリムは、修貴が気配を探っているのに対して何もしない訳ではない。一撃必殺を是とする首狩り兎を前に無防備になるのは馬鹿のすることだ。修貴ほどではないとはいえ、カリムも気配察知のスキルは持っている。それを使い、襲われたときに備えをしていた。
「カリム、次の右曲がり角の隅に、何かいる。たぶん、首狩り兎だ」
「本当に、よく見つけるね。僕にはさっぱりだよ」
発見したからといって急ぐことはない。下手に急げば、相手もそれに疑問を持つ。ペースを変えず、歩いていき、修貴が半歩カリムより進むようにしていた。そして、修貴は曲がり角に到達したとき、相手を見ることもせず刀を抜き放った。
けして得意ではないが、いざという時のために習得しておいた"居合い"。すぐに動けるよう体を緊張させているとはいえ、相手により速く一瞬の不意をつくには向いている技だ。何より、速度がある。鞘走りによって高められた剣速は首狩り兎の一振りよりも速く、一匹のブラッドバニーの首を跳ね飛ばした。
その数は四匹。一匹目を仕留めたところで、生き残っている残りの三匹が修貴の首目掛け、その凶刃を振るう。兎本来の姿に、奇妙に伸びた触角とその鋭利な歯。その触覚は刃としての機能を持ち、容易に首を刎ね、その牙は鋼鉄さえもをバターをナイフで切るが如く切り裂く代物だ。すでに振るわれたその触覚はカリムが力強い一撃を持って二匹のブラッドバニーを巻き添えに切り落とした。
居残った一匹は、半歩遅れて現れたカリムに、過剰に反応し、居合いによって一匹を切り伏せた状態から刃を返した、修貴の一振りを避けきることが敵わず、その腕を落とされる。
対峙する、手負いの首狩り兎と二人。
唸るような、ブラッドバニーに二人は油断なくその武器を構える。けして、気を抜いていい魔物ではない。かりに気を抜けば、一瞬でもってその首が宙を舞う。
カリムが先に動く、そのバスタードソードを器用に操り、その牙を封じ込めながら最小限の動きで首狩り兎を追い詰め、ブラッドバニーがその触手を振りぬこうとした瞬間に、突きを放ち、その小さな体ごと壁に叩きつけ絶命させた。
「これで、全部かな」
「ああ、そうだ。これでもういないはずだ。首狩り兎は、緊張するな」
ふう、と一息をつき、壁に修貴はもたれ掛かる。その手は汗でべっとりと濡れていた。ワンテンポでも遅れて攻撃をすれば、その首を持っていかれたであろうと思うと背筋が寒くなる。居合いの技がなければとてもではないが先手は取れなかったであろう。
刀を鞘に納め、修貴は手を拭く。カリムはバスタードソードを仕舞い、すでにブラッドバニーの触手を切り取り、その歯を抜いて保存していた。
「居合い、もう少し勉強すべきだな。かなり、危なかった」
「そう? 悪くない一撃だったと思うけど?」
修貴はたいしたことないと首を振り答える。
「極めるとかは言わないけど、いざという時の札くらいにはなるからな。特に今回みたいにお互いが気づいている時は便利だからな。居合いの道場にでもいってみるかな」
「そっか。さて、そのためにも速く攻略していこう。さっきも言ったとおり今日は地下四階の下り階段で休むのが目標だよ」
「明日は五階からか」
「そうさ。さくさく行こう。休むなら安全地帯がいいからね。魔除けのベルや魔除け結界を使うのは勿体ない」
修貴はカリムの言葉に頷き、階段に向けて二人で進みだした。
* * *
今回も、カリムさんの活躍で終始した気がする。
主人公は修貴君です。なぜか、あまり活躍してません。
……いつかきっと活躍してくれると、俺は信じている。
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修正 2009/02/08