ルナリアは、カリムが現在使用しているレザージャケットの型紙を引っ張り出してくると、その大きさを確認した。
「ふむ。カリムのものは、この型紙の大きさ調整からだな。少年のものは、それ以上に手直しを多く必要か。それと、素材に目を通し、修正する場所を確認せねばならないな」
「ルナリア。それ絶対、"妖精の泉"の探索までに完成は無理だと思うよ」
「やれやれ、この型紙を見る限り、そうだな。だが、一着ならば可能なはずだ」
「いやいや。ルナリア、君はどれだけ仕事が早いんだ。ランドグリーズを剥ぐのだって時間が掛かるはずだ。型紙を作り直して、それに合わせて新しいレザージャケットを一着とはいえ、数日で作るのは無理がある」
呆れたカリムの言葉に、修貴は魔女といってもやっぱり無理だよな、と落胆半分安心する。数日でオーダーメイドの防具を型紙から完成まで漕ぎ着けるのは非常識だ。
ルナリアはカリムの指摘に頭を捻る。二着は無理だが一着ならば、と作成過程を考える。依頼は早く、的確にこなす事を心情としているルナリアはデータ観測をしているヴィクターに目を留めた。さっさとドラゴンを素材ごとに分ければ時間は短縮されるはずだ。型紙を本日中に仕上げ、ヴィクターにドラゴンを解体させ、明日から一着目の作成に取り掛かる。
アトラス所属の防具鍛冶や、手伝いを連れ込めば間に合うはずだ。それに奴らは良い物を作るのに飢えている。
「カリム。やはり一着ならば可能だ。さっさと下準備を終え、古代種のドラゴンで防具を作ると言っておけば、手伝わしてくれと喜び勇んで来る者たちがこのアトラスには多いからな」
ああ、なるほどとカリムは頷いた。
ルナリアの言うとおりだ。この街ならば、ドラゴンそのものは珍しくない。上位のドラゴンでさえ迷宮の奥に行けば、鎮座しているような街だ。だが、流石に古代種のドラゴンは多くはない。迷宮都市以外ならば、上位のドラゴンさえ、滅多なことがない限り姿を見せないだろう。そのため古代種のドラゴンに出会うには、古の竜が住むといわれるスケイル山脈に挑むか、迷宮都市外の古いダンジョンに赴き探すしかない。
この街にせよ、街外にせよ、高難易度のダンジョンに挑み、非常に運がない限りお目にかかる事さえ適わないのが古代種のドラゴンだ。それも、出会えたとしても倒せることは早々ない。カリムは既に二匹もの古代種のドラゴンを打ち倒しているが、それは相手のドラゴンが死力を奮い、その命尽きるまで戦いを挑んできたからだ。
古代種ほどのドラゴンとなれば、その圧倒的力を持っても、勝てないと判断を下せば逃亡する。ドラゴンは気高い誇りを持つが、座して死を選ぶことはない。そして、それを阻むのは撃ち滅ぼすこと以上に難易度が高い。
兎にも角にも、古代種のドラゴンの素材は絶対に手に入らないということはないが、やはり貴重なのだ。
「確かに、人員は確保出来そうだ。となると、本当に一着なら出来そうだね」
「そういうわけだ、カリム。ならば、どちらを先に作るかという問題がある。"妖精の泉"に向かえば、長期間戻ってこない可能性もあるからな」
カリムはその言葉に迷う素振りを見せる事なく答える。
「修貴のやつを先にお願いするよ。僕の恋人の防具は壊れてるからね。それにプレゼントをもったいぶるのは僕の趣味じゃない」
「……いいのか、カリム」
カリムの発言に修貴は問いかけた。
「いいとも。いいに決まってるじゃないか、修貴。優先すべきはそこだからね。好きな人に喜んでもらえるのは嬉しいことなんだ」
「──ありがとう」
カリムの台詞を聞きながら、ルナリアはやれやれと首を振る。カリムはどうやら尽くしたくて仕方がないタイプのようだ。それは度を過ぎれば相手を駄目にしかねない行為だが、ルナリアは特に心配しなかった。この若い二人の関係を眺めていれば、問題がないだろう。
藤堂修貴という少年は人付き合いは下手であるが、自堕落を許す性格ではないことは話しながら気がついた。そして、カリム・フリードという少女は確かに尽くすが、仮に恋人がそれに溺れる事があれば力尽くで、引き上げる人間だ。
しかし、それにしてもだ。ルナリアは机で熱心にデータを確認しているヴィクターの元に歩きながら思った。
カリムの発言は素直で直球なものが多い。それに関らず、今の今までカリムの気持ちに気がつけなかった修貴はどれだけ鈍感なのか。人の感情の機微に疎いということはないにも関らず、よく気が付かなかったものだ。
とはいえ、好意に疎い人間はいる。だが、ここまで疎い人間は少ないだろう。
しかし、お似合いなのかもしれない。
好意に気づかない男と、好意を明確に表す女。ルナリアの長い生涯の中に、そんな関係の二人がいても問題はない。
くく、とルナリアは笑を溢す。若さというのはルナリアほどの歳となると、やはり微笑ましいものだ。ダークエルフの長い生の中でこうして今を強く歩いている者たちと直に触れ合うというのは生きがいといってもいい。
だからこそ、魔女ルナリアはこの街にいる。混沌渦巻く迷宮都市。欲望と情熱と夢が交差し続けるこの街は魔女にとって何より好ましい。
ダンジョン、探索しよう!
その19
「ああ、もう暗いな」
「そうだね。ずっと、ルナリアとどんな形にするか話してから、仕方がないさ。修貴は用事でもあったのかい?」
「いや、ないよ。それにしても、すごかったなぁ。俺の意見がどんどん最適化されていくんだもんなぁ」
「当然さ。彼女は長き時を生きる魔女だよ。戦闘力だけじゃないんだ」
カリムは肩を落とし、笑いを誘うように、対して僕たちは戦うことしかできないけどね、と付け足した。
修貴はカリムの言葉に頷くと空を見上げた。現在はアトラス院からの帰り道、カリムの住む部屋までの道中だ。ルナリアが型紙を作り上げたのを見納めた二人は、まだ、忙しくドラゴンに触れているヴィクターに挨拶をし、帰途についた。その頃になると既にオルトはいなかった。
アトラス院最寄の路面列車の駅から列車に乗り、カリムが部屋を借りている居住区の駅で二人は降り立ったのだ。
カリムの住む居住区は迷宮都市に住むシーカーの一等地と言っていい。どのダンジョンにも続く交通手段が存在し、多くの冒険者、シーカー必需品の店が揃っている。そして、花街も近い。男性シーカーたちにとってそれは必要不可欠といっていい。尤も、それはカリムには関係のない話だ。
居を持たないシーカーや冒険者のための宿屋も、大量にこの区画に存在している。そのため、治安はお世辞にも良いとは言えないが、この土地に住居を得られるのは実力のあるものばかりなため、この居住区に住むシーカーが喧嘩に巻き込まれ怪我をしたという話はほとんどない。あるのはやり返して相手を伸してしまったという結果ばかりだ。
カリムは学園をさっさと卒業し、この地区に拠点を得た当初、少女であるということが手伝い寄ってくる者たちは多くいたが、今は寄り付く男はこの辺りにやって来た新参者くらいだ。実力で排除したためそうなった。
「修貴、どこかで食事を取っていこう」
「うん。腹が減ったよ」
「さて、この周辺は飲み屋ばかりだからね、何処に行こうか」
宿屋と飲み屋を兼ねた店舗が多く存在するこの通りを、修貴はぐるりと見渡す。
多くのシーカーたちが今日の成果に一喜一憂しつつ、食事のために、自らの好む店に足を運んでいる。気の早い連中は既に酔いが回り、喧嘩を始めようとしている。それを周りが煽るように歓声を上げ見守っていた。
「この辺りは相変わらず、何と言っていいやら」
「そうだね、一番冒険者やシーカーが集まってるところだから。学生シーカーが多く集まるところとはちょっと雰囲気が違うね。ま、何事も慣れだよ」
修貴はこの広い通りに居を構える店を一つずつ、確認していく。種類は様々だ。雑貨店があるかと思えば、魔法道具の専門店がその横に存在し、その二階以上は宿屋になっている。瓦屋根に気がつき、確認すると皇国式の宿も存在していた。その門構えは高級店のそれではなく、宿場町にあるものだ。修貴の生まれた街でも慣れ親しんだものだ。どうやら、その宿には修貴と同じ皇国人が多く宿を取っているようだった。
カリムは物色するように、通り中に視線を送っていた。そして、修貴の耳にも様々な声が聞こえてくる。
その多くは、やはりと言うべきか遂に百階到達と噂の"妖精の泉"についてのものが多い。噂の周りは本当に早いようだった。ヘルメス院はまだ、正式発表をしていないが、その攻略をした人物について、皆が会話を交わしている。
どうやら先ほどの喧嘩はその人物について議論を交わしていたのが原因らしいということさえ、耳に入ってきた。
「うん、ここかな」
修貴が周囲の会話や、風景を認識していると、カリムが声を掛けた。
「この店にしよう。恋人になって初めて一緒に行く店が飲み屋っていうのは味気ないからね。それに味は間違いなく一級品だ」
「へえ、そうなのか」
「うん。もとはオルトに紹介された店なんだけど、南方のバローニオ料理の専門店なんだ。あそこは料理が美味しいからね」
バローニオと言われ、修貴は知識を引っ張り出す。料理が旨いという話には幾つか逸話があった。バローニオのどこかの国が、行軍時の携帯料理に神経質なほど気を配り、戦費が嵩みすぎ負けたという話はバローニオの料理にかける情熱を表すのに良く使われる話だ。
バローニオの料理として修貴が真っ先に思いつくのはピッツァだ。軽食として、気軽に食べることができる。修貴のアパートの近所にあるパン屋のピッツァは本場のバローニオのものにアレンジが加えてあるのだろうが、修貴の口には良く馴染んだ。
他には、パスタ。麺類であるため、麺さえ用意しておけば修貴でも料理ができる。もっとも、出来るといっても、味は良くも悪くもない。美味しいトマトソースが中々作ることができないのだ。
「この店は何が美味しいんだ?」
「僕が気に入っているのは、リゾットやスープだね。あと、この店、良い葡萄酒もあったはずだ」
「ピッツァあるかな?」
「うーん。あったと思うよ。ま、入ればわかるさ」
バローニオ料理としてのピッツァを食べたことがない修貴は、実に興味深いことだ。近くのパン屋のピッツァはアレンジであるため、本場のものとは言えない。また、修貴の生まれた皇国の故郷は外国料理の専門店というのが少なかった。
皇都である桜都にでも行けば別ではあるが生憎、修貴は皇国を出るまで殆ど他の街に行ったことがなかった。
そのため、この街に来たときは本当に驚いた。吃驚するほど多様多種の文化が入り混じり、様々な国のものがやり取りされるこの街は驚くべきところだ。
「さ、行くよ。修貴」
「そうだな」
修貴はカリムの後ろを歩きながら、料理に期待を馳せ、カリムはそんな楽しそうな修貴の表情に口元を綻ばせた。
* *
「美味しかった」
「ああ、美味しかった。ピッツァってあんな感じなんだな。あと、葡萄酒、初めて飲んだよ」
「感想は?」
「口当たりが良かった。純米酒や焼酎とは違うな」
「僕は、純米酒は飲んだことがないんだ」
「だったら、今度は皇国料理の店に行こうか」
修貴の言葉に部屋への道を歩きながらカリムはうん、と頷いた。
軽くまわった酔いが心地良い。周りの喧騒が苦にならず、カリムは家への帰り道を歩きながら修貴と手を繋いだ。
予想外な一日だった。まさか、決定的な告白をする日になるとは、ランドグリーズの死体の回収にヴァナヘイムに出向いたときは思いもよらなかった。修貴に良い武具を用意できるな、その程度の感覚だった。
蓋を開けてみれば、二人の関係は変化した。変化させる機会は今までもあったが、カリムは修貴の鈍感さを悟って以来、約束を果たしたら告白をしようと決めていた。
その意味で、オルトに対しては僅かな怒りがあるが、同時に決定的な機会を与えてくれたことには感謝をしている。
カリムが決めていた告白と今回の告白。どちらが良いかはわからない。しかし、過ぎてしまったことを悔いる気はない。大事なのはこうして二人で歩いていられることだ。大好きな相手と二人で歩く。酷く幸福なことだ。
きっと、とカリムは修貴に聞き取られないように口だけを動かした。
──今の僕なら、ドラゴンどころか魔王だって倒せる。
難しい技や、伝説の聖剣なんて関係ない。好きな人と一緒にいられる。それは最高で最大の武器だ。
そうして、喧騒の中を歩いていけば、やがてその喧騒も途絶え、上位シーカー向けに作られた集合住宅区の一軒家の前に辿り着いていた。学園時代に使わなかったために溜まっていた金でカリムが買ったその家は買っておいて何だが、一人で住むにはどうにも寂しいと、感じている。
「修貴」
カリムは好きな人の名前を囁いた。
「どうした?」
「大好きだよ」
修貴の顔がアルコール以外の要因で赤く染まるのがカリムの瞳に写る。
カリムはくつくつと笑みを溢すと、更に続ける。
「この後、どうする?」
「どう、って?」
「わかるだろ? 僕の家の中まで来るかってことさ」
修貴の頬がより朱に染まる。
「え、ええ!?」
「驚かない。もう、僕の家の前だよ。どうするの?」
「どうするって、あ、明日も朝から講義があるから。その、何だ」
カリムにとって予想通りの回答だ。
「へたれ」
カリムは笑いながら言った。
「甲斐性なし」
「う、うう」
「ま、そういう返答だろうとは予想がついていたけどね」
「ごめん……」
「そういうところで謝るからへたれなんだよ、修貴。ランドグリーズと戦っていたときの君はあんなに凛々しかったのに」
カリムは笑う。これが、大好きな修貴だ。
だから、かっこいい彼を見るために約束を交わそう。カリムは初めて約束を交わした日を思い出した。
「ね、修貴」
「な、なんでしょうか」
「そんな改まらない。約束を交わそうってだけさ」
「約束?」
「そう、約束」
修貴はカリムの瞳を覗き込む。
「簡単な約束さ。これからずっと、よろしくお願いしますっていう約束」
「ああ──そうだな。わかった。約束だ」
カリムの言葉に修貴は頷く。カリムはそんな修貴に笑いかける。
「じゃ、次こそは楽しみにしてるからね」
え──と修貴が喉を揺らす前に、唇をカリムが奪った。
時間にして刹那だが、カリムにとってそれは最高に長く感じた。
唇を離すとカリムは、まだ呆然としている修貴に、お休みと言葉をかけ、自らの家に帰った。すぐにとは言わないが、この家を買ってよかったと思える日がきっと来る。脳裏から離れない唇の感触を思い、カリムは笑った。
今日は良い日になった。だからきっと、明日はもっと良い日になる。そんな気分だった。
* * *
間が空いてしまいました。申し訳ありません。
やっと一日が終わったっぽい件について。ついでにバローニオってどう考えても……。
あと、誤字脱字だらけだぜ! フゥーハハハ。いや、本当にごめんなさい。
あと、いいかげん。方向修正しなくてはいけない。
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初投稿 2009/04/24
修正 2009/06/21