長久手の戦いは史実とは大幅に異なる様相となった。
家康の本陣を餌に両翼が挟撃して潰す。その通りになるはずが、まさかの中央に向けての全鉄砲を一斉射撃。
その後、騎馬のみでの突撃とは・・・秀次という男、見誤ったか。この家康ともあろうものが!
家康の周囲では乱戦が続いている。一時、もはやこれまでかと覚悟した時、無二の忠臣、本多忠勝が救援に来た。
忠勝が率いてきたのはわずかに五十人ほどか。無理もない、あれほど鮮やかに本陣に乱入されるとは誰も思っていなかった。
それでも、忠勝が可児才蔵を抑え、廻りの五十人ほどが家康の周囲を囲んで壁を作っている。
左翼の榊原・大久保・水野は堀秀政に巧みに押さえ込まれている。さすがは名人久太郎と言わねばなるまい。
そして何より右翼の信雄殿だ。一応、酒井をつけているが秀次の参謀らしき男に押されている。鶴翼の片方の翼が閉じれないとは!
家康は全身から沸き立つ怒りを抑え、冷静に戦場を判断する。すでに鶴翼の効果は無きに等しい。中央が破られた時点で破綻している。
本陣が急襲されているのだ。周囲の将も冷静に指揮は取れまい。
・・・池田を討ち取った時点で引くべきだったか。いや、考えてもしかたない。ここは今を乗り切るのみ!
家康がここで討たれれば徳川家は終わる。なんとか軍としての体裁を保ったまま、引く必要があった。
一方、勝手に高評価されてしまっている秀次は釘付けだった。目の前の戦いに。
せ、せ、せ、戦国最強の漢、本多平八郎忠勝!
徳川本陣に居たのかよ・・・うかつだった。
可児才蔵とどっちが強いのかって、そんなグラッ○ラーバ○みたいな展開はいらんって!
やばいな、七本槍も頑張ってるけど、一番の豪傑が同じ豪傑に足止めされてる。
引き時を考えて、とっとと逃げるが良さそうだ。
乗馬したままの槍さばきを馬上槍という。
本来、まともに使いこなせる人間のほうが少ないと言われる技術であり、この時代でも豪傑と呼ばれる一握りの人間のみの技であった。
可児才蔵、本多忠勝。
後世まで伝えられる本物の豪傑であり、死ぬまでのほとんどの期間を戦場で過ごしたといっても過言ではない。
当然、互いに馬上槍は使えて当然の技であった。
来国俊を突き出し攻勢をかける才蔵。蜻蛉切でさばく忠勝。
互いに譲らぬ豪傑。膂力は忠勝が勝っているようで、鋭く突き出される槍先を力で強引に弾いていく。
覚禅房胤栄に宝蔵院流槍術を学んだ才蔵は、その外見と裏腹に細かいフェイントを織り交ぜて攻め立てる。
もはや余人が介入する隙もない戦いに昇華されていた。
忠勝の槍が才蔵の突き出した槍を跳ね上げる。
絶好の好機に忠勝の蜻蛉切が才蔵の首を正確に薙ぐ。
しかし、才蔵の次の行動は忠勝の予想を超えたものであった。
才蔵は槍が弾かれたとき、馬の鐙を外して宙に舞っていたのだ。
地面に降り立つと同時に必殺の一撃を外して体制を崩した忠勝を下から突き上げる才蔵。
これに対し、忠勝は自分で馬から転落することによって回避する。
才蔵と地面に落ちた忠勝の間には忠勝の馬が壁になっている。即座に立ち上がる忠勝。
驚いた馬が走り出し、両者の間に壁がなくなった瞬間、互いに踏み込んだ。
堀秀政は自分の部隊を巧みに操り、敵左翼を抑えている。
榊原の部隊を弾き返し、水野・大久保の部隊間連携を取らせぬように動きながらも戦場に注目していた。
「本陣に斬り込んだか! 秀次殿、噂通りやる!」
しかしさすがに家康旗本部隊。総大将に刃が迫っても総崩れになっていない。
眼前の敵左翼部隊もさぞ本陣の守りに加わりたいだろう。最も、そう簡単にそれを許すつもりはないが。
運良く家康の首が取れればいいが、このままでは消耗戦になる。その前に何らかの形でこの戦いに幕を引く必要があるな・・・。
舞兵庫は織田信雄の部隊を押しまくっていた。徳川配下の酒井の部隊もいるがとにかく信雄の部隊に何度も攻勢をかけていく。
「弱き部隊を叩くのが戦の常道。信雄殿、悪く思うな」
酒井部隊も信雄と連携して戦いたいのだが、何せ信雄の部隊がひたすらに叩かれている。これでは規模の小さい酒井の部隊が効果的に連携しようがない。
左翼では両軍譲らず、右翼では秀次軍が一方的に押している状況で家康本陣に突撃部隊が斬り込んでいる。
そんな状況の中、酒井忠次は一つの決心をした。信雄を見捨てたのだ。
自部隊を乱戦状態の戦場を迂回させ、本陣の救援に向けたのである。
家康本陣では忠勝と才蔵の一騎打ちが続いていた。
周囲では家康旗本と七本槍ら秀次の攻撃隊の戦いも続いている。
そこに、井伊直政率いる部隊が本陣の救援に駆けつけた。
家康はこれを機会に、旗本と井伊の部隊を中核にして退く決心をする。
一方、秀次も酒井の部隊が戦場を迂回して本陣へと向かっているのを遠望し、撤退の合図を送る。
傍から見れば絶妙のタイミングで互いに退いたように見えるが、何のことはない。
秀次の精神が限界だったのだ。
もう無理! なんか赤い軍団が家康の周囲に出現したし!
ほっといたら俺までやられてしまう!
「退くぞ! 合図を送れ!」
側にいた兵に退き鐘を鳴らさせ、全軍を下げる。
本陣に斬り込んだ部隊もまた、その合図で撤収してくる。
追撃する余裕は、家康にはなかった。
戦場に退き鐘が鳴っている。
忠勝と才蔵はその中で対峙していたが、才蔵がその辺りをうろついていた主のいない馬の手綱をつかむと背を向けた。
「楽しかったぜ、忠勝さんよ」
そう言って、馬を走らせた。
「可児才蔵・・・恐るべき手練であったな」
忠勝も馬を廻して家康の元へ急ぐ。
今は、主君を守り兵を退くべきであった。
史実と違い、長久手の戦いは緒戦は家康の大勝、その後の戦いで秀次の勝利によって幕を閉じた。
家康は秀吉配下の池田恒興・森長可を討ち取ったが、最終的な戦死者は家康軍のほうが多かった。
秀吉は武将二人を討ち取られるも秀次の巻き返しにより家康を撤退させることに成功する。
撤退した家康は小牧山の陣をも引き払い、清洲城へと帰還。その後三河へ戻る。
一方の秀吉は、今後の方針として家康を追わず大坂へ帰還すると宣言。
こうして小牧・長久手の戦いは幕を閉じることになる。