「うーん。むにゃむにゃ、もう食べれないよう」
年季の入ったベッドの中で幸せな夢を見るユウ。
幾日振りに人間らしい睡眠を取る彼女だったが、その幸福な眠りは妨げられることとなる。
「う、あれ、朝か……うわ暑ッ!?」
思わず目を覚ました。
体――否、部屋全体が妙に暑い。季節はまだ春になった頃でもあるにもかかわらず、この室温は異常だった。
(いくらなんでも暑すぎでしょ。一体何だってんだ!?)
違和感。
まるで周囲が燃えているかのような熱気である。パキパキと何かが軋む音さえしてるのだ。
ユウは目を擦り、覚醒しないまま無理やり起きる。
異変を確かめるべく部屋の戸を開けると――
「げッ火事だッ!?」
一瞬で目が覚めたユウ。
本当に燃えていた。灼熱に晒されている宿屋の柱が、廊下が、木造の建物が尋常でない熱気で軋んで折れ、崩れている。
彼女は慌てふためきながらも絶体絶命の現状から脱出をするに思考を切り替える。
衣服や革鎧はいつ何時でも不測の事態に備え、肌に付けたまま寝ていた。
すぐさま振り返り、自身の得物を探す。
「早くここから出ないとッ……あぁもうわたしの相棒はどこ!?」
そう言いながら布団の中に隠していたことをハッと思い出す。
「そうだここだよあったあった! よし――って、窓から行くしかない、か」
荷物を持ち窓際へ寄るユウ。
そして彼女は凄惨な光景を目の当たりにし、
「何がどうなって――なッ!?」
衝撃のあまり顔が青ざめた。
繰り広げられる惨たらしい有様。漆黒の甲冑を纏った者達が馬で駆け、村の家々を松明の炎で焼いていた。動転して出てきた住人達を性別年齢関係なく剣で一振りに命を摘んでいく。
戦争で犠牲になる民衆そのもの。まさに虐殺だった。
「夜盗の焼き討ちか!? でも、あの甲冑は――」
見覚えがなかった。ガルナン王国騎士団の者達が纏う甲冑でもない。
(考えてる時間はないな。焼け死ぬ前にここから飛び降りないとッ)
ユウは窓を開けると、助走をつけて二階から飛び降りた。
持ち前の身のこなしで上手く受け身を取り、立ち上がって聖遺物を展開する。
(なんとか大丈夫か。くそ、奴らは一体何者だッ)
瞳に映るは黒い悪魔達に刈り取られていく罪なき人々。
そしてユウは気づく、
「そうだッ! シーナはどこだ!?」
刈り取られる対象には彼女が救った茶髪の女性も当然含まれていることに。
「シーナッ」
泣き叫び許しを請う人々の嗚咽と絶叫と残酷に燃える炎が燃え盛る音が支配する世界で、ユウは声の限り叫ぶ。
すると探し人の声はすぐに返ってきた。
「ユウ、さん」
今にも消え入りそうだったが、精一杯の力を使って絞り出された声だった。
「近くだッ」
宿屋の入り口方向から聞こえてきたとユウは判断し、向かう。
そこには、寄り添いあって仰向けに倒れていたシーナと彼女の父親がいた。
駆け寄るユウは二人の状態を見て血の気が引いた。
「ユウさん、ですよね」
腹部を裂傷し、出血多量のシーナが恩人の名を呼んだ。
(そんな……シーナ、彼女はもう)
もはや彼女の命は風前の灯である。
若年いえど旅先で聖遺物狩り等の賊の仲間割れや、彼らに襲われ殺された人々を見てきた彼女にはわかった。
シーナは助からないと。
「シーナ。あたしだよ、ユウだよ」
「ユウさん。いきなりあの騎士達が現れて、私と父さんを」
僅かに残る力でユウに手を伸ばすシーナの手を、ユウはぎゅっと握る。
「もう喋るなッ。やってやる、助ける! コクーンで治すからッ!」
彼女の父親も同様に裂かれており、もはや力尽きたのか目を閉じている。
それでも、可能性があろうがなかろうが関係なかった。助けを求められ、断る道理など毛頭ない。
コクーンと呼んだ右手に装備した籠手を、シーナの傷ついた腹部に翳す。
するとコクーンの周りに緑黄色に輝く光の礫が彷徨い始めた。
そして次の瞬間に切られた臓器が、傷が徐々に塞がっていくが――
(あぁ……クソッ! ダメだッやっぱり遅すぎたんだッ)
間に合わなかった。コクーンの能力、治癒を使用しようが、もはや命が消える方が早かった。
シーナの瞳は虚空を描いていた。父親の方も顔色が白い。
絶命しているとは明白だった。
最悪の可能性を考慮していたとはいえ、目の前で先まで会話していた者らが亡くなり、足に力が入らずへなへなと崩れるユウ。大粒の涙がこぼれ出る。
シーナ――彼女との関係は昨日危機を救った後、彼女の住む村に案内してもらい、お礼として父親と切り盛りしている温泉宿に泊めてもらい何度か会話を交わした、それだけの仲だった。
だが――
(何呑気に寝てたんだあたしはッ! もっと早く異変に気がついて起きていたら、この親子を、村の人達を奴らから救えてたんじゃないのかッ)
後悔。
嗚咽を漏らしながら「こうじゃなかった未来」を想像するユウ。
悔しさのあまり地面を思いっきり叩く。一日だけ触れ合った者だろうが、出遅れようが、理不尽な暴虐の前に倒れた者達を一人でも救えない現実を悔やみきれない。
そこへ、
「何だこのガキはッ。まだ殺し漏れがいたか」
「目撃者は一人も残してはならん。奴もろとも消せとダムド様の命令だぞ」
黒い甲冑を来た騎士達が二名、ユウの存在に気がつき駆けてきた。
切っ先に赤黒い血が付いた槍を向けられた聖人少女は、彼らが何を言ってるか聴こえない。
むくりと起きあがり、ゆっくりと振り返った。
首筋に赤色の文様が浮かび上がる。天真爛漫な赤髪少女はそこにはいない。
殺気を纏い、無表情ながらも爆発しそうな墳怒の念を抱えた一人の復讐者がいた。
「どいてよ」
猛火を背に冷たい声色で言ったユウは、人間が想像し刻むことはできない青白く光った幾何学模様が刻印された鞘から透明な得物、スピカを取り出した。
緑黄色の光球が彼女の周囲に現れた瞬間、
「何だと――う、コイツ!?」
「まさかッ! 奴の他にもう一人いやがったぞッ!?」
漆黒の騎士達が仰天する。
彼らは何やら、想定外の事態が起こり酷く狼狽している様子だったが、
「そこをどけといったんだよッ!」
ユウには関係ない。
飛ぶようにして、彼らに向って得物を振り上げる。
「うッ!?」
一人、
「ぐぁッ!」
二人。
ユウの武器が見えず動転し、迎撃すら間もならない者達を瞬にして吹き飛ばした。
炎上する宿屋へ吸い込まれていくように落下していく。
秘められし少女の剛力――ではない。人々に聖遺物と呼ばれているものがユウの強い感情に呼応し、答えた結果の威力だった。
「ハァ、ハァ、く、ゲホゲホッ」
冷静さを取り戻した少女は黒煙に呼吸を乱した。
そして状況の把握に努める。
(村中が大火事だ。こいつらは何者なんだよ。とにもかくにも、早くここから抜け出さないとあたし自身も危ないッ)
ユウは村の中央を見据えた。
「確か近くに石畳で覆われた広間があったはず。そこを経由して村から出よう」
取るべき行動を定めた彼女は、回復の聖遺物でさえも救えなかった親子を今一度見やった。
(さようなら。生きてここから出たら必ず君と父と……村の皆に祈りをささげるよ)
浮かぶシーナの笑顔。
ひと時ではあったが世話になった彼女の遺体を暴虐の炎に晒すことへ抵抗はあったが、だからといってこのままでいることはシーナも望んでいない。
ユウは悲しみの涙を振り切り、二度と振り返りはせず走り出した。
「だぁぁぁッ!」
向かう途中で襲い掛かって来た謎の漆黒騎士らを難なく撃破する。
ユウは死の煙が充満する村を全力で走りぬき、石畳に覆われた村の広間へひとまず辿りついた。
周囲から泣き叫ぶ者の声や馬のいななきが響く。
「あれはッ!?」
炎へまかれないそこには、漆黒騎士達が五人。
そして、彼らを従えるように中央へ一名、他の者とは違い赤黒い鎧を装備した大男がいた。
「ほぉ……これはこれはッ。まさかもう一人、聖人がいたとはな」
異様な雰囲気を放つ大男がユウを発見して下卑た笑みを浮かべる。
両の拳には、青白く光る幾何学模様が刻まれた紫色の革のような素材で出来た手袋を装備しているが、それは植物の棘にもみえる突起がいたるところについた毒々しい外見だ。
彼もまた聖人と呼ばれる者だった。
「お、お前はッ!?」
騎士数名に敵の親玉らしき聖人と対峙し、緊張と怒気でいっそう表情を険しくするユウ。
問われた大男は、スピカを正眼に構える彼女を軽くあしらうようにおどけた調子で答える。
「俺か? ガルナン王国特務部隊の隊長ダムドってもんだ、聖人のお嬢ちゃん」
すんなりと明かされた、男と騎士らの所属組織――
「ガルナン王国だと。お前ら、自国領内の村に夜襲をかけたっていうのかッ!?」
事実を知ったユウは、驚愕と戦慄のあまり顔色を失う。
「あぁ。我々としても国の端っこだろうが繋がりが薄かろうが大切な民草を根絶やしにするには大変心苦しかったが、これには深いワケがあるんだよ」
村人の命をひとかけらも想っていない様子で言いながら、赤黒い鎧のダムドが自身らの目的について語り始めた。
「お前も現代に生きる聖遺物の使い手なら、エレナという名に聞き覚えはあるだろ」
「エレナって、不老の魔女と言われた……あの!?」
仰天のあまり驚倒しそうになるユウ。
聖遺物の使い手どころか、その名は彼女が生きるこの大陸に生きる者達の大半が知っている程だった。
そんな彼女の反応が愉快なのが、ダムドはニヤニヤと妙な笑いを見せながら核心に触れた。
「10日程前か、この村にエレナが滞在しているとの情報が入った。我が王も半信半疑で調査に部下を派遣したのだが、かの女が付けている聖遺物からしてエレナ本人だと判明したのだ」
「そ、そんな……あ」
驚きながらもユウには心当たりがあった。
同じ浴槽で入浴した美しい黒髪の女性である。
(凄みのある雰囲気の黒髪の女性なんていっぱいいるだろし、まさかあの人がって思ったけど)
本物だった。
呆然とするユウを尻目に、ダムドはエレナについて憎々しげに語り続ける。
「どこぞの国の傭兵として参戦したかと思えば、はたまた違う国に移ったりと。そんな気まぐれにこのルアーズ大陸の勢力図をかき回す女。百余年近く経とうが姿が変わらん不気味で凶悪な者が未だ生きていおり、最近になって我が国内をうろついているという」
ダムドは両の紫色の握り拳をぶつけ合わせ、ユウを睨みつけて言い放った。
「奴は必ずや我が国に歯向かい禍をもたらすだろう。狩るには絶好の機会、逃すものか」
「エレナが眠るだろう頃を見計らって、何の罪もない村の人達もろとも焼き殺そうっていのがお前らの目的か」
狂気の視線を受けてもユウはひるまない。身勝手な凶行への怒りはもはや爆発寸前だった。
そんな聖人少女の殺気を意ともしないダムドは、焼いた村を、狩られた人々を心底面白そうに見渡しながら、天に両手を掲げながら返した。
「正解だ、嬢ちゃん。俺達だって奴を甘く見ていない。だから貴重な兵を失わんよう奴が警戒せずお眠りする機会を狙い業火で焼き尽くす。この村の者は生贄だ、化け物を殺すためのな」
「酷すぎる。お前らの王はひどでなしかッ」
十五の少女とは思えない気迫と怒号。
ダムドは肩をすくめながら自身の王の異常な価値観を、さも当たり前のように論じる。
「ガルナン王国繁栄の人柱となれるのなら、むしろ喜んで死ぬべきだというのが我が王の考えだ。それに聖遺物使いとなった者にただの人間が従うのは当たり前だろ。嬢ちゃんだって心の底ではそう思ってるはずだ」
「違うッ。あたしが聖遺物を持っているのは、力ずくで人を従わせるためじゃないッ」
否定。
父親の過酷な修練から逃げ出した聖人少女ユウ――彼女はやっと心の底から初心を思い出した。
(あたしが聖遺物を継承することを受け入れたのは、大切な人達を守るためなんだッ)
迷いが消え頑強となった意志。
赤い紋章を首元に発現させたユウはスピカを構え、戦闘態勢に入った。
「じきにわかる……さて、そろそろ死合うか。お前達は見てろ、神に近しい者同士の決闘を」
ダムドが周囲の部下に呼び掛けながら紫色の棘拳を構える。
互いの周囲を取り囲むようにして緑黄色の光の礫が一瞬だけ出現した。