「はぁッ。はぁはぁ……」
静かな夜。古ぼけた宿屋のある一室。カリウスはベッドの上で夢から目覚めた。
冷や汗が全身に流れていた。毛布も蹴っ飛ばしている。
衝撃的だった。一言一句、全て覚えているのだ。
(現実か、それとも夢なのかはわからん。とにかく、朝になったらエレナさんに聞いてみねぇと)
結局酒場ではエレナが早々から浴びるように酒を飲んで酔いつぶれてしまい、何も聞けなかった。
何処か遠くを眺めるような寂しい視線が何度かあったのが、カリウスは気になったのだが……。
そして疲労のせいか、すやすや状態となったルイも合わせて計二人をなんとか宿屋の彼女らの部屋へ運んだ後、自身の部屋のベットへ飛び込んだ矢先にカリウス自身の意識もなくなったのだ。
まだ朝には早い。カリウスは明日に備えるため今度こそ熟睡するべく、まずは汗をふき取るためベッド脇の机へ置いた布地を取ろうとする、が。
「えッ――ひゃあぁ!?」
泡を食ってのけぞった。
背中へ、大きくて柔らかい物体が二つほど薄い衣服ごしに押し付けられたのだ。
「何だッ誰かいるのか!?」
おまけに、手を回され抱きしめられたのだ。
「これは――女ッ!?」
女性の身体に違いなかった。
それに密着されるのは初めての経験。ウブなカリウスには刺激が強すぎる。
(一体誰だよッ)
興奮と緊張に苛まれて胸の動悸が激しくなるが、すぐさま後方確認。
彼に関係なく、そもそも男がされたら泣いて喜ぶに違いない施しを仕掛けてきた女性は、
「ふふふ、夜は終わってないわよぉん」
「エレナさん!? つーかアンタ部屋で寝ていたハズではッ!」
エレナだった。
いつからいたのかは不明である。
「そんなんどうだっていいわよぅ。イマを楽しみましょ?」
猫撫で声を出しながら、ローブのスリットからはみ出した程よい肉付きの白い太ももを、カリウスの足へ艶かしく絡ませてきた。
更に、彼女から迸る夜香木に似た甘美かつ艶めかしい匂いがカリウスの鼻腔を刺激する。
色香の餌食となった聖人少年は、側臥位のまま硬直するしかなかった。
「エレナすぁん、どうか、離して下さい! ルイの部屋に戻って下さいよぉ!」
絞り出した情けない声は、酒癖が悪かった光勢力の神様候補者には届かなかった。
「いやん。絶対に離さないんだから。諦めが悪いわよぅ」
「しかしこのままでは、俺が持ちそうにないですぅっ」
「ダーメ。わたしが駄目って言ったら駄目なの」
初心な若者が抜け出そうと必死に足がく。
されどエレナは頭をカリウスの背にくっ付けて、よりいっそう強く抱きしめた。
「神々の墓でも寝ぼけたし、ルイを言えないなこの人ッ! もー抜けねぇ――あ」
急に力が弱くなった。
カリウスが高鳴る胸の鼓動を手で抑えつつ、再度後ろを向いてエレナの様子を確認すると、穏やかに寝息を立てて寝ていた。
男を誘おうとする色情が混じった大人の女性から、年端のいかぬ子供の様相に変わってしまったのだ。
カリウスはそんな感情表現豊か過ぎる彼女を慈しむように見た後、そっと毛布を掛けた。
また、自身の――
「エレナさん。俺、俺……やっぱり初めて見た時から、エレナさんのこと……」
心情の変化を吐露した。
自分で言って顔が耳の先まで赤く染まる。カリウスは、短い間でエレナへ心奪われてしまっていると自覚していた。
(神々の墓でワケがわからなくなっちまった件といい、これが恋ってやつなのかな)
そして、例の既視感と覚えのない激情が生じたのは、自分の恋愛経験のなさ故に一目惚れの運命的な衝撃を整理できず、ワケのわからない心情へと突然変異してしまったのだと無理やりに結論つけたのだ。
そうでもないと、突如謎の感情が生まれた件について説明がつかなかった。
(って俺は任務中に何を!? あぁくそ、集中しろ集中。今はルアーズ大陸の明日を担う大事な使命の遂行してるんだ。少し頭でも冷やさなきゃ)
途端に恥ずかしくなり自分の頭を揺さぶった後、涼もうと窓に近づいたその時だったのだ。
目が合ってしまった。
窓から音もなく入って来ようとした、上半身裸の屈強な黒人の男と。
「なッ!? 何だコイツッ!」
驚いて反射的に飛びのいた。
そして一瞬で意識を切り替えたカリウスは、聖遺物ストラトを即座に棚の上から取り、聖痕を体現させる。
燈火で雄牛のような巨躯が照らされる。精悍な顔つきは無表情だ。真っ黒な上半身に面妖な刺青を入れており、股下の深い衣類を下半身に着衣していた。
手に持った剣は鍔の部分がルアーズ大陸での一般的な剣と違い丸く円形だ。柄の部分から刃の先端に至るまで反り曲りっている。
このような変わった形状の剣や黒い肌色を持つ者をカリウスは初めて見たが、事前情報として頭には入っていた。
彼はガルナン王国一の武人であると有名だからだ。そして一年前にユウと闘い苦しめた者でもある。色のない瞳で出方を伺うようにじっとカリウスを監視し続ける、この男は――
「お前、ガルナン王国ガルナン騎士団長、ヤスケール・モザンビークだな?」
『……』
確かにその人であった。
しかし無言。
黙秘を貫くというよりは、最初から人の言葉を認識していないようである。
まるで意思が感じられない。
(変だぞコイツ。夜中に窓から入ってくる時点で相当だけど……俺らのこと、バレちまったのか!?)
様々な疑問が発生するが思案する時間はない。
カリウスは返答が返ってこないと判断した瞬間、ストラトを硬質化していた。
短い距離を一気に詰めて横一閃に振り切る。
「オラッ――くぅッ!?」
『――』
ヤスケールは剣で受け止めず、少ない動作だけで斬撃を避ける。
次の足払いを小さく跳ねただけで回避。
そして三回目の動作――
「このヤロウッ!」
『――』
ストラトを大振りした隙をつきカリウスを蹴りあげる。
「ぐぁッ」
壁に強打。
カリウスは背中にはしる激痛をなんとか堪え、立とうとする。
窓の前に立つヤスケールは追い打ちをかけるでもなくその場に立ったままだ。
そして、初めて声を発したのである。
『城に来い。エレナを、連れてこい。あの方が待っている』
「なんだって? オイどういうことだッ!」
それ以上答えはしない。
後ろ向きのまま窓から飛び降りたのだ。
隣の部屋から騒ぎを聞きつけたルイが駆け込んできたのは、それと同時のタイミングであった。