ガルナン王国、シャバラン城内の練兵場。
広大な敷地面積を誇る王城内の一角に位置するここは本日、午後の鍛錬に勤しむ騎士達の野太い掛け声は響かずに、たくさんの歓声と木刀同士が激しくぶつかりあう音が響き渡っていた。
快晴の空の下――そこにいるだけで暑くなってしまいそうな熱気だ。
故ハルバーン建国王が設立したガルナン王国軍ガルナン騎士団。
その中でも王都防衛を任せられている騎士団本隊所属の騎士達は、見惚れるようにしてある実践形式の試合を囲んでいた。
王国精鋭部隊に感歎の嵐を巻き起こす者達とは――
「ヤスケール殿ッ! 今日こそは一本頂きますよッ」
容姿端麗な女王補佐官。
ガルナン王国の麗しき雷光、アンジェと、
「――ぬぅ! クッ、ハァッ! 突っ込み過ぎだぞアンジェッ」
上半身にあますことなく聖遺物特有の幾何学模様を模した刺青を入れた剛柔両刀の黒人戦士――ガルナン騎士団の長であり尚且つ本隊の指揮も務めるヤスケールとの模擬戦である。
共に聖人かつ王国トップクラスの実力の持ち主。
今回はそれぞれの聖遺物は使わずに、練習用の木刀を用いての試合であった。
試合といってもほぼ実戦形式である。
性別なんて関係ない、互いに容赦する気はまったくなかったが、防具をつけて試合に臨むアンジェは、毎回上半身裸で戦うヤスケールに対して平等に防具を付けてくれと、不満しかなかった。
立ち合いが始まってから結構な時間が経過、そろそろ佳境へ入る頃合いだ。
「そこッ! えぇい! やぁッ!」
流水が如く透き通ったつややかな空色の髪が、波打つように広がった。
演舞を思わせる雄大かつ力強い一撃で、ヤスケールをかかんに攻めている。
舞踏家かつ剣技の達人であった彼女の父親譲りの個性的な剣舞。
一つ一つの動作が大袈裟に見えるが隙を感じさせない。
細身であるが引き締まった身体で、岩石のように強靭な体躯のヤスケール相手に、引きを取らず果敢に立ち向かう。
剣先を細かく突きあげて、反撃の機会を与えない。
「ムゥッ!?」
固い防御を少しずつ崩していく。
(負けないッ! 今日こそは負けないんだッ)
二十三歳の女騎士アンジェ――彼女はハルバーンとは旧知の仲である。
建国王が聖遺物を手にして覇道の道に突き進む途中、彼の脈打つ野心に惹かれて仲間となった者の一人。
(ハルバーン様ッ、空の上から見ていて下さい。ジェイドを受け継いだ私はあなた以上の戦士になってみせる。それには聖遺物を使わずとも敵と圧倒できる実力がないとッ!)
嘆き悲しんだ建国王の命日以来、彼女の心中から決意の灯が絶えたことはない。
エレナとの激戦で亡くなったハルバーンの遺言により、彼に妹のように可愛がられていた彼女は聖遺物ジェイドを貰い受けた。
彼女は現在、政権をハルバーンに代わって執ることとなったミルン女王の補佐官になっていた。
(負けないッ! 今日こそは負けないんだッ)
そんなアンジェとヤスケールの間ではもはや恒例となった模擬戦だが、一度も勝利した覚えはない。今日こそは一手と、最初から全力全開の勢いであった。
「もらったあッ!」
大きなどよめきがあがった。
アンジェの意表をついた振り上げにより、ヤスケールがやむ終えずに後退。
翡翠色の瞳は勝利の機会を見逃さない。隙をついた彼女が間髪入れずにすくいあげるよう剣を振るうと、ヤスケールは攻撃を避けるために大柄な肉体を宙に浮かせた。
アンジェは速攻で飛び掛かろうとする。
勝負の転換期。
白熱した立ち合いに、興奮した騎士達の喚声が響く。
「オォッ! 今日こそアンジェ様が勝つのか」
「いやしかし、ヤスケール団長がこんな終わり方で!」
「ありうるぞ。これが決定打だ!」
二人は聖人以前に、剣を扱う者として卓越した技量の持ち主だった。
ヤスケールの方が技量、経験共に上だが、今回ばかりはこの場にいる殆どの者がアンジェの勝利を確信しつつあった。
女王補佐官は一刀両断と木刀を振りぬこうとする。
勝利を確信し、表情が歓喜に染まる瞬間――
「詰めが甘い」
精悍な顔は常に冷静で崩れない。
鮮やかな逆転劇。
なんとヤスケールは空中で器用に身を翻してアンジェの快打を僅かに避け、瞬く間にして木刀を叩き落してみせた。
「つぁッ――あぐッ!?」
着地と同時にすかさず電光の一打。
アンジェは吹っ飛ばされて地に伏せる。彼女が一瞬想像した未来とは、逆の立場となってしまった。
ヤスケールは木から落ちた猫のように柔らかく受身を取り、難なく立ち上がった。
団長の勝利にわっと歓声が生まれる。素晴らしい試合を讃える拍手が自然発生。
惜しくも敗れたアンジェは「また負けた……」と、がっくりうな垂れた。
騎士の一人から手ぬぐいを貰ったヤスケールが、汗を拭きながらアンジェに歩み寄る。
「残念だったなアンジェよ。勝利を予感した時、お前の太刀筋に乱れが入っていた。気を締めたままでいれば、後にも反応できたものを」
ヤスケールが女王補佐官に厳しい助言を継いだ。
「ぬぅ、その通り……だがヤスケール殿、これまでの自分とは一味違ったハズ。いつもの余裕綽々さがなかったではないか。この調子だと貴殿を抜かす日も近いぞ」
アンジェは頬を膨らませて抗議するが、
「悪いがあえて、体制を崩させてもらった。アンジェが油断をせず確実に取りにくるかどうかと想定してな。成長しているか試したのだ。そのための、模擬戦だ」
「なッなんですとぉッ!? ぐぐ、やはりヤスケール殿にはまだまだ及ばんか」
ヤスケールには適わなかった。
笑うしかないアンジェ。
騎士団長にとっては政務に就く補佐官とはいえ、若干23歳の女騎士を育てるための範囲内の出来事に過ぎなかったようである。
「政務は大変だろうが、鍛錬は怠るな。他国にとって聖人である俺やお前は重要な抑止力でもあるのだからな」
ヤスケール、三十五歳。
黒色の肌を持っている彼は、ルアーズ大陸より離れた孤島の出身である。
幾多の苦難を経てルアーズ大陸に流れ着いた後に、傭兵として住を転々としていた。
戦でハルバーンに一騎打ちを挑み破れるが、武人としての素養を見込まれて説得され、配下となった。
屈強な戦士である彼もまた、ガルナン王国に一生の仕えを誓った建国初期集団の一人だ。