宿屋の一室で和気藹々と騒ぐ世直し御一行へ、ある者が視線を寄せていた。
その者は向かいの酒場の屋根上でしゃがみ込み、灰色のマントで小柄な体躯をすっぽりと覆い隠している。
フードの奥から発せられた視線は殺意や恨みといった負の念ではなく、懐かしみや深い友愛を感じさせるものであった。目尻には涙さえ浮かんでいる。
赤銅色の屋根上で泣きじゃくりそうになっている灰色マントだが、騒がれないよう寸のところで堪えていた。
街中にはガルナン王国へ反抗をたくらむ者達が出現した際に、迅速に対応するためミルン女王に雇われた名うての聖人や王国兵士が目を光らせているのだ。
彼らの目の黒い内は、日中であれば尚のこと表立った行動は出来ない。
灰色マントの中の者は今すぐあの中に入りたかったのだが、今は我慢の時と心に決めていた。
「エレナ、本当に無事で良かったよ。それにカリウスとルイも、十分一人前に成長してくれた。もう、あたしが教えることはないね」
フードに隠された赤い唇が、感慨深げに震えた。
そして鼻をすすらせながら後ろを向き、街の中心部にある要塞のような城に、獲物を狩りとるかの鋭い眼光を送った。
そして――
「えぐっえうえん。うぐぅ……エレナっ! 無事でッ! くぅ……うえぇぇぇ。エレナァァゥ。おぐ、うぇぇぇ」
とうとう嗚咽が漏れた。
鼻をすすりながらハッとして、口元を両手で押さえる。
灰色のマント――ユウは込み上げる思いを再度留めた。
世を揺るがす世紀の大作戦を共に決行するのは、あくまでも明日だ。
(泣くな、あたし! 今日は遠くから見守るだけって決めただろ!)
こうして一行を視界に捉えた瞬間から、涙腺が崩壊してしまっていたのだ。
皮の手袋はもう鼻水に涙まみれで汚れ放題である。
彼女は深呼吸を何回も繰り返して、心を落ち着かせる。
仕切り直して、
「ミルン、ルアーズ大陸をお前の好きになんてさせないぞ。お前の命運は明日までだ」
鼻声混じりの小声で、真っ向から宣言して指を突き立てる。
その時、歴史が動くのか――はたまた作戦は失敗に終わるのか。
天誅の行方は、神のみぞ知る。