一年前。エレナとユウが、大軍勢を引き連れたガルナン王国聖人王ハルバーンと側近ヤスケールと熾烈な戦いを繰り広げた地――ガムズ平原。
一年後の今日もあの日のように快晴かつ陽光穏やか、春風で緑の絨毯がささやくように揺れている。
平和な光景だった。見渡す限りの骸の山はもう跡形もない。
それでも安寧はいつか崩れる。
いささか小規模すぎるだろうが、平穏な景観が突如にして殺気だかった空気に侵食された。
「ひぐっ、ひぐっ、おぇぇぇぇぇッ! 野蛮人共しつこすぎですよッ」
ガムズ平原に吸い込まれる嗚咽。
ルイが走る。
「ちくしょう馬さえあればッ。こっちは人をおぶって走ってんだぞ!?」
カリウスもエレナをおぶりながら走る。
先程まで彼の顔を赤くする要因であった、背中に接触する柔らかい感触を気にする余裕はすでにない。
二人は必死だった。何故なら、
「待ちやがれ! ガキが使う価値なんてねぇんだ。おとなしく聖遺物を渡せ」
「何かの間違いだぜ。その死体でエリアルの肥やしになるしか価値はねぇんだよ」
「聖人になってミルン様にお仕えするんだ。金が必要なんだッ! 野宿続きで辛いんだッ! だから死んでくれよぉぉぉぉッ!」
聖人狩りの荒くれ共に追われていたからである。
欲望純度十割の野太い声が騒がしい。
その名の通り徒党を組んで聖人を潰し、聖遺物を強奪することを目的とする集団だ。
屍の森を出てガムズ平原を歩く二人を発見した目のいい男が、カリウスのストラトを確認した瞬間に彼らの思考は統一された。
今までの旅でもこういった下衆に襲われた経験はあったが、カリウスの奮闘で切り抜けてきた。
しかし今回は数が多すぎた。エレナを一時的に置いて聖遺物で対処しようが、処理しきれない程だ。
ここまで大勢の人間を一度に相手にした経験はないのだ。
そしてルイも――
「私の聖遺物はただの人間相手ですと効力はありませんし。あーんッ詰んでますって」
立ち向かうことなく敗北宣言。
全力疾走も空しく、馬に乗った数人に先回りされてしまった。
ならば後方にと視線を向けるカリウス――無駄だった。
(クソッ、本格的にヤバいな)
右も左も詰まれた。
完全に包囲されている。武装した汚い身なりの男達がにやけながら、じりじりと距離を詰めてきた。
「ついてるぜ、屍の森から聖遺物を持った奴が出てきやがったんだもんなぁ……一斉にかかるんだぞお前ら、聖遺物を使おうが魔女でもないガキ二人がこの大人数を一度に相手はできんだろ。あぁ、俺の人生は今日から変わるんだぁ」
「変えるのはこの俺だ。先に決めたように早い者勝ちだぜ、いいな!」
「そういう奴が最初に横取りしようとすんだよな、クハッ。さぁて、あっちの方もご無沙汰だったんだ、男を殺したら残りの激マヴ二人で楽しませてもらうとするか」
もはや全員が勝利後の凌辱を考えている。
聖遺物争奪戦には参加せず、後方で傍観を決め込んでいる者もいる程だ。
眉間にしわを寄せたカリウスがエレナをおろし、ストラトを取り出した。
(こんな人数相手に戦ったことなんてねぇ……でも、やるしかない。二人を守るんだ。怖いけど、乗り越えなきゃいけない。使命を終えるまでは死んでたまるか)
覚悟を決め込んだ彼がちらりと相棒を見やる。
彼女はパニック状態になっていた。
エレナのたわわな胸に震える顔をうずめて、現実逃避をはかっている。
(勝つ)
それだけを心の中で唱えたカリウスは聖痕を体現。
燈火が周囲に出現する。
大きく息を吸い、
「どっからでも死にたい奴からかかってこい。俺のストラトは硬いぞ! 痛いぞ! 骨が折れるだけじゃすまねーぞ!」
平原中に響かせるまでに吼えた。
その気迫に聖人狩りの集団がたじろぐ。
「聖遺物を持ってるぐれぇでガキが一丁前に吠えやがって――んぁ、何だおまッ?」
その時。
最奥にいた隻眼の男がある異変へ気がついた。
いつの間にか、後ろから見覚えのない白馬が近づいてきたのだ。足元の草を嗅いでいる。
この野蛮な集まりには神聖さすら感じる白の上馬に乗っている奴はいない。
それは隻眼の男自身もだった。
じゃあ一体誰の馬なのか――彼が確認するために前の男の肩を叩こうとした瞬間、
「あれッ」
赤茶けたローブを着た者が、剣を持っている――認識した時には男の首がすでに胴体から離れていた。
間を待たずして隣の者も、そのまた隣の者も。
「うわぁぁぁぁぁぁッ!? こいつッ」
突如金切り声を上げた者へこの場にいる全員の注目が移るが、声の持ち主はすでに絶命。
次々と人が死んでいく。緑一面が赤色で染まっていく。
カリウス達を襲うどころではない、荒くれ者共は一斉に混乱状態へ陥る。
何者かにより、目にもとまらぬ速さで切り込まれているのだとしか理解できない。
悲鳴の合唱に倒れていく人間達――囲まれていた聖人二人も唖然とするしかなかった。
(どうなってんだよ!? けど――)
カリウスの瞳に希望の炎が灯る。
思わぬ援軍だ。幸運にも突破口ができたのだ。
生き抜く為、ルイも瞬時に思考を切り替える。
彼女がばっと立ち上がり、カリウスも素早くエレナを抱きかかえた。
二人は走る。包囲網の穴をつき殺戮の舞台を抜け出したのだ。
「仲間割れでしょうか。何が起きたかさっぱりですが……ともかく助かりましたッ」
全力疾走するルイは後方を見やり、遠くなっていく殺戮の場を一瞥した。
「あぁッ。どんな奴がやったかも把握できなかった。大柄な男が壁になって全然見えなかった。叫んだ次には誰かの首が落ちてて、周りの奴がバッタバッタのメッタ刺しにされてたんだからなッ」
カリウスも息を切らしながら首を傾げるしかなかった。
所詮頭数を揃えただけの自分のことしか頭にない連中だが、仲間割れにしてもあの中に複数の人間を迅速に殺せるような手だれがいるとは思えない。
「というか、あのままいたら私達も危なかったかもですね。もしかしたら無差別に殺人を楽しむような輩が紛れ込んでいたのでは。それこそ、聖遺物を使って!」
「聖人って立場を隠してまであんな連中の味方をする必要ないだろッ。それこそ集団対一人の立ち回りがユウさん並に出来る達人でもないとッ」
互いに息を呑んだ。
けれど、カリウスの発言には無理があるとルイは思う。
「いやいや、だってユウさんは任務は同じガルナン王国でといえど完全に別行動だし、内容も極秘です。ここにいるはずがないですよ」
「だよな、いるわけねぇか。あれだ、連中に恨みを持った強者剣士がたまたまいたんだろ」
カリウスとルイはありえない妄想を打ち切る。
互いに僅かに残る予感を捨てて強運に感謝し、彼方に聳えるガルナン王国の王都を目指す。
その頃、聖人狩りの面々は一人残らずして全滅。「何者か」は得物にまとわりつく血を払い、カリウス達が逃げた方向に瞳を定めた。