快晴。太陽の恵みを存分に受ける森の中の一角で、天を目指すように湯気が立ち上っている。
大自然に湧き出た小さな温泉だ。様々な形状の植物に囲まれた源泉は動物達も癒しを求め立ち寄る場所だが、今日は見慣れない来訪者がいた。
昨夜この森の隣の草原で戦っていた小柄な赤髪少女だ。
彼女は昼間から一糸まとわぬ姿になり、森の中に湧き出た天然の湯に浸かってた。
「う~ん、最高。まさか森の中に温泉があるなんて。あぁ、最高だなぁ」
巨岩に背を預け、褐色の華奢な身体を自分で抱きしめて喜びを体現する。
表情は至福に満ちていた。
「全身がとろけるねぇ。気持ち良すぎて溶けそうだよぉ」
すらりと伸びた足先をばたばたさせながら両手を頭に回す。
そしてさんさんと輝く天を仰ぎながら、昨夜の出来事を改めて思い出した。
「それにしても昨日も疲れた。ホント物騒な国だなぁ、これで襲われるのは何回目だってんだよ」
休息のひと時ではあるが渋面になる。
毎日のように荒くれ達から襲撃され憂鬱になっていた。
「皆、これが欲しくてたまらないんだろうな。まぁ当たり前か、なんたって神様の持ち物だもんね」
意味深に言う赤髪少女が近くに置いた金色の籠手と透明な得物を収めた鞘を流し見た。
それぞれに刻まれた面妖な幾何学模様が青白く光っている。
「こんな兵器が大陸中に散らばってたなんて。そりゃ国も人もやっきになって探すし奪おうするよね」
今は自分の所有物であるのに、この場にあるのが信じられないといった面持ちだった。
そして、残念そうに嘆く。
「けどこんなに騒がれるんじゃ長くはいれない。昨日から考えてたけど、やっぱり帰ろうかな」
不満げに足先で澄んだ湯を蹴ってバシャバシャと音を立てた後、気だるそうに立ち上がった。
「さて、そうと決まれば上がろっと」
天然の温泉から出た彼女が湯手で身体を拭き下着を履こうとした、その時だった。
「どなたかッ! 助けて下さい!」
どこか遠くから何者かが叫ぶ声が聴こえたような気がしたのだ。
赤髪少女の動作が一瞬止まる。
「え。人の声、か!?」
確証が持てない。
それほど森の奥地ではないのだが、自分以外の人間がいるとは思えない。
(気のせい、だよね。動物の声かな)
僅かな違和感が残るものの着替えを再開する。
(結構なところまで来たけど、いざ帰るとなると面倒だなぁ。仕方ないけど――)
心中で考え事していた最中、今度は確かに聞き取れたのだ。
「あッ――また聴こえたッ!? やっぱり人だ」
人間の若い女性の悲痛な叫びが。
赤髪少女は下着姿のまま周囲を警戒する。この天然温泉に声の主がそのまま向かってくるわけではないようだが、距離は近づいているようだ。
そして――
「待ちやがれッ」
野太い怒号も次いで聴こえてきたのだ。
ただ事ではないと判断した彼女は、着替えを途中で切り上げると金色の籠手と装備し、透明な得物を入れた鞘を持ってそのまま声のする方向へと駆けだした。
そうして声の方向へ走り出している間に、
(あれッ!? こんなところに道があったのか)
高い木々の間から木漏れ日が差し込んでいる。
森の中ではあるが、人が通るために整備されたであろう道に出たのだ。
赤髪少女は辺りを見渡すと、声の主と思われる者達を発見。やはり込み入った状況であると踏んだ彼女は、大樹に隠れながら様子を伺うことにした。
「えぐぅッ」
一人は赤髪少女よりも背が高く、つばの大きな白いボンネット帽を被った、肩まで綺麗な茶髪を伸ばした若い女性だ。
転んでしまったのか黒い布地のドレスは泥まみれであり、痛めた足を抑えて、苦悶と恐怖が入り混じった表情で、逃げ道の方向に立ちはだかるたくましい筋肉をむき出しにした禿頭の男を見上げている。
「さぁ姉ちゃんよ、追いかけっこは終わりだ。お前が隣町で頑張って売り切った薬湯の元の売上を黙って渡してくれればそれで済むんだ。俺を怒らせてくれるな」
男は肩で息をしながら自分勝手な要求をし、当然茶髪の女性は反発する。
「嫌ッ。何故あなたなんかに大切な売上金をッ! これは渡せませんッ」
涙を流しながら精一杯睨みつけたが、筋肉禿男は更に苛立って声を荒げた。
「なら話は終いだ。少しばかり痛いが我慢しろよ、無理やりでもぶんどってやる」
拳を鳴らしながら茶髪の女性に近づいていく。
「ヒッ!?」
迫る暴力に怯え、真っ青な顔でガタガタと震える女性。
そこで――
「ハイハイそこでやめて~。まーた賊か、いくら何でも治安悪すぎでしょこの国」
吐き捨てるように言いながら、下着姿の小柄な赤髪少女が茶髪の女性と筋肉質な男の間に、割って入った。
「何だこのガキはぁッ」
男はいきなり下着姿で出てきた妖しい彼女へ面食らったものの、すぐに怒鳴り声をあげて威嚇する。
「いかついおっちゃん、か弱い女の子を襲ってそんなに楽しい? 喧嘩相手を探してるなら、あたしがしてあげるけど」
怯むことなく言い切った赤髪少女へ激昂し、
「はぁッ!? ざけんなッ、お前みたいなガキに――」
掴みかからんとするが、彼女が装備している金色の籠手と手に持った鞘に刻まれた幾何学模様が目に入った瞬間。驚愕で動きが止まる。
「な、お前!? 嘘だろ」
目の前の生意気な少女が畏怖の対象となった。
その小柄な身体が大柄な自身よりも大きく見える錯覚を起こしてしまう。
赤髪少女はいたずらっぽく笑うと、意気揚々に鞘を男の眼前に突き出した。
「本当だよ、これはあたしの聖遺物さ。わかるよね、これの使い手をなんていうのか」
男は「うはぁッ」と素っ頓狂な声を出して慌てて後ずさった。
茶髪の女性へ傍若無人な振る舞いをしていた勢いはなく、情けない顔をして逃走体制に入っていたのだ。
「こんなチンチクリンが聖人だとッ!? く、覚えてろーッ」
男は抵抗することもなくそう叫ぶと、走ってこの場から退場した。
「早ッ!? ま、昨日みたいに戦う手間がはぶけたからいいけど」
あまりにもあっけなく終了したため半ば呆れてしまった少女だが、先の男が叫んだ言葉を思い出して憤慨する。
「それにしてもチンチクリンて失礼だなぁ。あたしの成長はこれからなんだよッ」
言い淀み、薄紅色の唇をしぼめて起伏の少ない胸元を両手でさすった。
身体の成長に翻弄されるその様子は年頃の娘そのものである。
そこで、
「あ、あの」
声を掛けにくそうにしていた茶髪の女性が、聖人と呼ばれた赤髪少女へ意を決して話しかけた。
「おぉ、間に合って良かったよ~」
赤髪少女はくるっと振り返り、理不尽な暴力から救うことの出来た女性を気にかけ駆け寄る。
「本当にありがとうございました。さっきの人に意味のわからない因縁をつけられて、いきなり
追いかけられたんです――イタッ」
心からの礼を言いながら立ち上がろうとする茶髪の女性だが、未だ続く両足の痛みへ顔を歪める。
赤髪少女はすぐに彼女の足の様子を確認した。
「あなた、足を怪我してるじゃないか。こりゃ痛そうだ、腫れあがってる」
「くッ、大丈夫です、これくらい」
茶髪の女性の強がるが足は動かせない。
赤髪少女は彼女を救うために金色の籠手を使用すると決めた。
「無理はしないで、そのままでいて」
右手に付けている金色の籠手を女性の傷ついた両足に添える。
すると赤髪少女の首筋に赤い紋章が出現。周囲に緑黄色に光る粒子がいくつも出現していき、それが籠手の先に集まって眩くきらめいた。
二人の視界が白く染まる。
思わず閉眼した女性が数瞬後、恐る恐る瞳を開けると、痛みと外傷は嘘のように消えていたのだ。
「凄い。痛くないし腫れも跡形なく消えてるわ」
目を丸くして驚嘆の声を漏らす茶髪の女性に対し、赤髪少女は太陽のような笑みを浮かべて返した。
「綺麗さっぱり治したよ。もう痛くないでしょ?」
「はい! ありがとうございます聖人様」
茶髪の女性は畏敬の眼差しで聖人と呼び、少女に手を合わせ崇める。
対して当の本人はそこまで感謝されることに慣れず、羞恥に頬を染めた。
「様なんてそんな。聖人って言うけど聖遺物を持ってる以外は普通の人と同じだよっ」
手をぶんぶんと振って謙遜した後に、女性の手をとって立ち上がる手助けをした。
「聖遺物を所有しているなんて神に選ばれし証拠です。本当に助かりました。あの、お名前は」
立ち上がった茶髪の女性に心からの謝意、そして名を尋ねられ聖人少女は照れながら頭をかき、自己紹介をした。
「ユウ・アンセムだ。様なんてつけないでユウでいいから。で、君の名前は?」
問われた茶髪の女性は、
「私はシーナです。ではユウさん、さっそくですが是非お礼をしたいので、森を抜けたところにある私の村まで来ていただけないでしょうか?」
名を教えた後、聖人少女ユウの両手をとって謝礼の申し出をする。
「お礼って! そんな、当然のことをしたまでだよ」
重ねて謙遜するがシーナは納得がいかず、ユウと顔が接触するまでの距離まで近づく。
「いえ! 是非ともさせて下さい」
「是非ともね。う~ん、ではお言葉に甘えることにするよ」
ついに折れたユウ。
そこでシーナは、恩人へ礼ができることを喜んだものの、
「やった! では案内します――!?」
聖人少女の恰好への違和感を今更ながら認識し、慌てて指摘する。
「ユウ様。その、まさか服を着ずにここまでッ!?」
「え、あ――そんなワケないよッ。急いで来たから服も鎧も着るの忘れてた!」
遅れて下着姿のままの自身にハッと気がついたユウは顔を真っ赤にし、持ち物を全て置いてきた天然温泉の場まで、全速力で戻っていったのだった。