無から生まれ、留まることなく拡大し続ける天上天下。
遥か彼方に存在している世界の一つ――そこには天上の神々という、超越的力を有した者達がいました。
そして同じ神々の中でも純粋で道徳心溢れる光の勢力と、傍若無人で残虐な闇の勢力との二つの集団に分かれていたのです。
その役割は性質こそちがえど「天地創造を成し続ける」こと。
まさしく彼ら彼女らの存在理由でした。反目する時はあれど、そこだけについては協力しなければなりません。
地上を創造するにあたり、まず互いの英知を結集し、エリアルという善にも悪にも振り切っていない大いなる力を抱擁した女神を生成しました。
彼女の役目は、天地の原材料になること――女神エリアルが自らの肉体を犠牲にして、大地を海を草木を起こし、万物の理を降り注ぐことで一個目の地上界はひとまず完成したのです。
けどこれで終りではありません。出来上がった地上界の管理者が必要だったのです。光側と闇側のどちらかから選出されるとは、言うまでもなく明らか――激しく議論された結果、選定方法が決定したのです。
それはやはり完全には相成れない二つの勢力の、残酷かつ対決に近い方式。
試験を監視するは光と闇、どちらにも偏らないようにとエリアルと同じ原理で生み出されたしもべ達――勝利勢力が会場となった地上界を影から治める立場に就く、これを繰り返していくとなりました。
そうやって、幾つもの地上界が創造されていったのですが……何回目かの試験でのこと。マンネリ化しつつある試験で、ある「刺激」を加えたのですが、それが原因で予期せぬアクシデントが発生してしまいました。
これはその「事件」が起きてしまった地上界でのお話。
機嫌一つで瞬く間に色を変える天空が、暗雲の様相を見せていた。
先刻は快晴であったものの、現在は自然が人間への権威を誇示するかのように、空の各所で雷が轟いている。
激しさは増していくが、されど怒るだけではなく生命へ恵みを与える慈しみも忘れてはいなかった。
珠玉の雨粒が人里離れた暗い森の中に降り注ぐ。大地に英気だけではなく、ひと時の安らぎをもたらしているようだ。
この時ばかりは弱肉強食の箱庭も、つかの間の休戦協定真っただ中であったが、それぞれの巣で身を潜める動物達とは違い、休む間もなく必死に歩を進める、弱弱しい影が二つあった。
人間だ。一人は成長途中の小ぶりな胸や、ボリュームに欠ける体つきの要所を革鎧で守っている小柄な少女。
もう一人は黒いローブを纏い、青白い幾何学模様が全体に意匠された腕輪を右手につけた、端正な顔立ちの女性だ。
小柄な少女は黒いローブの女性を背負っていた。何かに導かれるようにして、たどたどしく歩いている。
少女は持っていた地図から視線を外し、首を後ろに動かした。頭の後ろに束ねた鮮やかな赤髪は、泥まみれだ。
「ある激戦」を終えたばかりの二人は状態は違えど、身も心もボロボロだった。
「はぁ、はぁ...エレナ、あと少しだ。キミはあたしが必ず助けるからね...」
息も切れ切れに、エレナと呼ばれた女性に励ましの声を掛けた。
「......」
けどもエレナは返答しないまま、美麗な黒髪を雨水でべっとりと顔に張り付かせ、事切れたように瞳を閉じている。
赤髪少女の方は革鎧に亀裂が出来た箇所が幾つもあり、衣服も所々摺り切れてボロ雑巾のようではあったが、人を背負って歩く元気はあった。
エレナの方は赤髪少女の首へからませた細腕は力なく、色白の肌は生気を失ったように真っ青で冷たかった。事実、死が忍び寄っていたのだ。
「この道でいいハズなんだ...急がないと」
可能な限り歩を早める。
背負っているエレナを助けたい、その一心であった。
「ほら、やっと見えてきた。あとちょっとの辛抱だ」
彼女だけではなく、自身にも言い聞かせるように呟く。
そうしてやっとのことで、森の中の目的地にたどり着いた。
そこは、小さな神殿のような黄土色の建物だった。
赤髪少女は迷うことなく入り口へ歩を進めた。
何の素材で作られているかは不明だが、明らかに人工的に作られた開けた空間だった。
長い間手入れもされておらず、煤や蜘蛛の巣だらけの室内の奥へついた。
そこには人が入るためにくり抜かれたかのような穴の中あった。
赤髪少女は深く息を吸った後、そこに入っていく。
中は驚くべきことに、まるで儀式を行うために整備されたような空間が存在していた。
異様さを際立たせているのは先の埃だらけの部屋とは違い、この空間全体だけが発光している。
材質が世界にあるものとは明らかに違っていた。部屋の壁には何らかの意味があるような不思議な形状の文字が羅列されてもいる。
赤髪少女はこの場に対する知識がすでにあったようで、疑問も持たず部屋中央部へ向かう。
面妖な彩色が施された祭壇の上に、これまた派手な装飾が付いた大きな棺があった。
棺の蓋はすでに開けられていた。以前置かれていたであろう骸は無く、中はがらんどうだ。
血まみれのエレナを抱きかかえて、傷つけぬようにそっと棺に入れる。
その時――
「ユート、ユート……わたしは、あなたを――」
「え、今なんて!? エレナ、エレナ……!?」
口元がか細く動いたが、何を言ったのか赤髪少女は読み取れなかった。
けど気に掛けるより、早くことに取り掛からなければとの気持ちがはやる。
状況は一刻を争う。
「ここまで辿り着けたんだ。絶対にエレナを死なせやしない」
赤髪少女は本当の意味で使用する棺桶を探しにここへ来たのではない。
焦っては元も子もないと、赤髪少女は深呼吸を繰り返し顔つきを真剣の色に変える。
(さて本題だ。長期睡眠療養機能か...エレナはあたしなら出来ると言ってくれた。いきなり本番って無茶苦茶だけど、やるしかないんだ)
赤髪少女が決意を持ってこれからやろうとしていることは、彼女にとって「気がつかないだけで、実は知っていたこと」だった。
彼女自身は「ソレ」を長く使用した気でいたが、未だに未知の領域があったという事実に動揺を禁じ得ない。
一発勝負だった。経験したことのない緊張感が赤髪少女を侵食する。
(意識しろ意識。頭の中で睡眠機能を行使するイメージを固めるんだ)
無心になり、集中力を高める。
そして自身の右手に付けている籠手――体を覆う鎧とは同一色でない金色の「ソレ」を、エレナに向けて翳す。それはエレナが持っていた奇怪な腕輪と同様、青白い幾何学模様が全体に浮かびあがっている。
次の瞬間、赤髪少女の首筋に赤色の文様が浮かび上がった。
また同時にいくつもの淡い緑色の光の球が、二人の周囲を取り囲むようにして突如出現したのだ。
(むぐぐ...ここか、それともこうかな――おぉッこれか!?)
想像世界での試行錯誤の末――赤髪少女は「新たな力の扉」を開く。
(あ...あ、あぁッ!)
瞬間――彼女の頭の中に、使い慣れた「ソレ」を使用する際に生まれる従来通りのイメージとは異なる閃光が発生した。身体全体にも雷鳴が轟くような過剰な感覚が走る。
赤髪少女が苦しげな声を漏らし金色の籠手でエレナの手を握った瞬刻、緑黄色の光が籠手へ集まっていき、それが流動するようにして移っていった。
(あれ、出来た! まさかこんな簡単に...凄いあたし。最初から知ってたみたいに出来ちゃった)
自画自賛と驚愕の感情でぽかんと口を開く赤髪少女。
高揚感も遅れて生まれる。エレナを救うことが可能なのだと。
そして暖かい光が発生しエレナが包まれていく。
次いで彼女の腹部へ重なるようにして、青白く光る幾何学模様の印が出現した。
なんとも形容しがたい奇跡のような光景。それを行った当の本人は、大粒の汗をぬぐい一息をついた。
(無事に終わりそうだ。神々の聖遺物、今日ほど自分がこの使い手で良かったと思った日はないな)
赤髪少女は心から思った。
神々の聖遺物――用途や形状は違えど、人智を超えた力を行使することができる奇想天外な物体である。
今しがた謎の力を行使した赤髪少女も棺の中で眠ったエレナも、その使い手であった。
「間に合って良かった。ふぅ、あと少し遅れてたらエレナは、エレナは」
ひとまずの安心と救えたエレナの名を呟き、赤髪少女は嗚咽を漏らして泣き始めた。
貯め込んだ想いが大粒の涙となり堰を切ったように流れる。
「うぐっえぐぅ、うえぇ...エレナ! 良かった、君を助けることが出来て」
彼女との出会いから今に至るまでを思い返し、赤髪少女の体中に様々な感情が駆け巡る。
結果としてエレナへの「治療行為」を成功させた――だがそれでも、後悔の念が彼女の心を抉った。
(あたしに力があったら、エレナを一年も眠らせる状況にならなかった。どんなに強い奴でもぶっとばしてエレナを勢いつかせることだって。あたしが弱いから、余計な気を使わせて彼女に重荷をかけたんだ)
自身の無力さも相まって赤髪少女は納得がいかない。
暗い感情に蝕まれながらも時間が過ぎていくが、それでも彼女は心の中で決着をつけた。
泣き止んで、物言わぬエレナの顔を再度覗き込む。
「エレナ、本当にゴメンなさい。そしてありがとう、今はそこで休んでいておくれ」
傷だらけの小さな手で眠り姫の白魚のような両手を、ギュッと包み込んだ。
そして泣き腫らした大きな瞳を擦る赤髪少女は、無理やりに負の感情を振り切る。
「この大陸の未来のためにも君のためにも、管理者試験を終わらせよう。そのための力が、あたしがいる国にはあるんだ」
決意を込めて力強く宣言し、迷いもなく立ち上がる。
赤髪少女には言葉を現実にする「アテ」があった。
(エレナ、あたしの国には歳が近くて中々根性がある二人の子がいる。クセは強いけど...絶対に力になる子達だよ。あたしも修練を積みながらその二人を鍛える。一年後は四人で会おう)
エレナへと心中で二つの希望について語った彼女は、廃遺跡に似た異様な建物を後にする。
ゆるぎない意思を瞳に宿らせた小さな戦士が、故郷に向かって駆け出した。