遺され世代
僕の生まれは1997年。
ちょうど、ゲームボーイなんかが流行っていた歳だ。
小さい頃は、よくゲームをして遊んでいたかな。
あの頃は、ゲームソフトが輝いて見えていた気がする。
おばあちゃんが好きで、よくおばあちゃんの家に遊びに行っていた記憶がある。
そのおかげか、少し上の世代の人とは、趣味や話が合っていた。
あの頃は、楽しかった。
「なぁ、あいつ、やばくないか」
「あぁ、正気じゃないね」
22世紀に入って、人々は、オーラを身に纏えるようになった。
オーラ、というのは少々言い過ぎかもしれないが、我が国では、経団連の強い要望を受け、その人の性格・生まれ・世代が一目でわかるように、「色」が表示されるようになったのだ。
人々が「色」を見ることができるようになったのは、1998年、密かに実施された、「第五虹彩法」によるものだった。
理屈は簡単で、眼球に取り付けられたチップが、その人の情報をリアルタイムで視覚上に表示するのだ。
要は、簡単な仮想現実だ。
そして、そのチップが、ようやく、政府の遠隔アップデートによって起動し始めた、というわけだ。
「おい、あいつ陰キャじゃん」
近くで、「分類分け」が始まっていた。
「色」の見える人々は、人から見える「色」を、陰陽五行説になぞらえ、「陽」、「陰」で分けることにした。
例えば、「陽」に属する人は、明るく、活発な人間であり、「陰」に属する人は、内向的で、地道にやるのが得意な人、といった具合だ。
企業は、その人がどのタイプに属するのかをわかりやすくすることで、その企業が欲しい人材をわかりやすくすることを要望した。
しかし、国は、そんな要望をすんなり飲んだわけではなかった。
「色」を見えるようにするための虹彩手術は、新生児の段階でのみ可能である。
つまり、1998年より前の世代の人間には、「色」が見えているかなんて、わからないわけだ。
そして、もちろん、僕にも「色」は見えない。
「‥‥‥おい! あいつ、陰でも陽でもないぜ」
「え、やばくね?」
最近、大学生に、言われるようになった言葉がある。
「陰キャでも、陽キャでもない」
僕の知る限り、うちの学部で、虹彩手術を受けていないのは、僕だけだった。
一年浪人してこの大学に入った僕だけが、1997年生まれの人間だ。
誰もが僕を豚でも見るような目で見る。
そんな状況でも、何とか周りに溶け込もうとした。
しかし、「陰でも、陽でもない」。
そんな僕と関わろうとする物好きは、居なかった。
このまま卒業するまで、誰とも関わることはないだろうーーー
そして、そのまま、3年の月日が流れていった。