原稿データ損傷につき、投稿遅れ失礼しました。
書き直した方がよくなった気もします。続きも時間を空けずに掲載いたしますので、どうぞよろしくお願いいたします。
****
ミルレナと分かれてから、ブレンの足は自然と港の波止場に向いた。
といっても、出て行く船を遠めに見れるだけの場所だ。人気は少ないし、もうクオースは帰った。心配することはない。だが、コーヴに帰る気分ではなかった。そうしてガラスの向こう、シャトルが発着するのをぼんやりと見つめた。小さな光をともしながら、漆黒の宇宙のなかへとシャトルが飲み込まれていく。
「マスター。あの女性は好ましくない相手なのですか」
隣にたたずんでいたHL-mesが、不意に尋ねてきた。
「いや。まあ、お前を追っかけている組織って意味じゃあ厄介だけど」ブレンは尋ねた。「どうして?」
「先ほどの会話以来、マスターの顔色が優れません。原因となる可能性を検討した結果、先ほどの女性との会話が可能性として最も高いものと判断します」
言われて、ブレンは思わずHL-mesの顔を見返す。なるほど、人間の心
の機微まではわからなくても、なんとなくはわかるのか。
「ミル姉は悪くないよ。ただ、俺が……嘘をついちまったからかな」
口にしてから、ブレンは頭を振る。「違うな。……大事なことを、伝え損ねたからかな」
「大事なことを伝えられなければ、体調にも影響するのですか」
「まあね。……嘘はついていなかったと、思う。ただ誰かに嘘をつかなかったことが、自分に嘘をつくことにもなる。のかもしれない」
そう。傷心旅行、といえば一言で終わってしまう。だが本当にここに来た理由は、それだけではない。そんな一言では、ないのだ。
するとHL-mesが、意外な提案をしてきた。
「ならば原因の解決方法として、別の誰かにそのことを話すことを提言します。なお現在作戦可能な対象としては、HL-mesを推奨します」
「ええと、つまり、俺の愚痴を聞いてくれるって?」
そんな提案に、ブレンは面食らう。
ふりかえってみて。HL-mesの面倒を見てはいるものの、彼女とプライベートな話題を行うことはあまり多くない。そもそも狭いジャンク屋での同居だ、二人きりと言う状況もろくになければ、彼女の言動に振り回されるので精一杯だ。
「HL-mesにはマスターとのコミュニケーションとしてマスターを慰めることも、マスターが自分を慰めることを手伝う機能も含まれています。口で満足いただけるのなれば、いくらでもお付き合いします」
「なにか果てしなく誤解を招く表現がある気がするが……」
確かに、まあ。吐き出す相手としてHL-mesは適当かもしれない。少なくともこんな奴に、気を使う必要はないな。そう思い直すと、改めて口にしていく。
「……さっき、言えなかったことは、さ。ここに来た理由だ。聞いてくれるか」
さっきミルレナに行ったことは、半分本当で半分嘘だった。
第七星系へとやってきたのは、行きたい場所があったからだ。
本当に自分が行きたかったのは---このコロニーが軌道上を回る惑星、ルオーンだった。
「海を見に来たんだよ。義父が昔見たって言う、海をさ」
死んだ父親について、彼についてブレンは思い起こす。
「そこにいったら、もしかしたら、思い出せるかもしれないって思ってさ。死んだ親父の顔を」
義父の人柄を語るとき、ブレンの口調は乱暴になる
「お前と同じで、なに考えてるのか、なんもわかんない人だったよ」
静かで、無口で……。けれども、非情だったり冷たいわけではない。
必要なことはいうし、やらなければいけないことはやる。
そんなあの人を、自分は好きだった。尊敬していた。だから本当のことを知ったとき、ブレンはショックを受けた。
「でも、実は血が繋がっていなかったんだ。もらわれっ子なんだって、俺」
物心がついたときのことだった。命に係わるけがをした。その時病気で病院に駆け込まれたときに、輸血の必要があった。そうして言われたのだ。
『この子と私は血がつながっていません』
その時は事なきを得たのだが、薬でぼんやりしていた中でその言葉だけは覚えていた。だから聞いた。家族じゃないのかと。
『どちらにせよ、君は大事な友人から託された。これまでどおりにすごそう』
そういってきた義父だったが、幼心にはそれだけで割り切れるものではない。以前よりよそよそしい距離が二人には出来た。
義父からの距離感は代わらなかった。義父はブレンの心に押し入ろうとはしなかったし、戸惑う彼の意思を尊重してくれた。距離をとるブレンを受け入れ、じっと待っていてくれた。いつものように。何も変らずに。
そして結局、何も言わずに死んでしまった。
ブレンと、分かり合うことなく。二人の親子関係は終わりを遂げた。
だが、それで何もかもが終わったわけではなかった。
「義父が死んでから、夢を見るようになったんだ。昔の夢だ」
それは、一人で岬に立ちつくす男の夢だった。
あれはそう、惑星イーデルランドにいたころ。まだ物心付いたばかり時のことだ。
きっかけは、夜中に怖い夢を見たことだった。
ブレンとミルレナの住んでいた町は海沿いにあった。故郷を思い出すときには真っ先に潮風の匂いを思い出す。
「なるほど、だからいつもマスターの部屋はイカ臭くしてるのですね」
「はったおすぞ」
そのときにどんな夢を見たのか、今ではもう覚えていない。ただ眼が覚めたブレンは、家の中にいる義父のところにいこうとした。怖くて誰かにすがりつきたくてしょうがなかったのだ。
義父さん。そう声をかけて、抱きつこうとしていた。怖い夢を見たんだ。そうすれば、ごわごわと固くて大きい手でなでてくれるだろう、と思っていたのだ。
しかし、寝室に義父の姿はなかった。探してみたが、家中どこにもいない。
そうしてやがて外履きがないことに気づくと、ブレンも外に出て、家の裏にある入り江へむかった。そこで義父はよく釣りをしていたからだ。
「そしたら、そこに義父がいた。けど……」
一人夜の海を見つめている男の後姿。夜の闇の中。どことも知れぬくらい海を、見つめている男。一体何を見てるのか。ブレンは、その姿をみて足を止めた。
「夜の海ってさ。ものすごく暗いんだ。太陽はどこにもなくて。浮かんでいる月も雲のせいで何も見えなくて。水面は静かで、波の音しか聞こえてこない。だのに風はびゅんびゅん吹いててさ。十秒と居たくないような、そんな感じ」
だから。そんなところにたたずんでいたあの人を、ブレンは思ってしまった。
怖い、と。
「それで思い知らされたんだ。俺とこの人は、赤の他人だったんだって」
結局ブレンは、そのまま一人家に帰った。一人、ベッドの中で震えながら眠った。
あの時以来だろう。義父との壁をはっきり感じるようになったのは。
「……怖かったんだ。なにか、知らない人みたいでさ」
だが、それ以上に彼が恐ろしかったのだ。真っ暗闇の海を前に、まんじりともしないあの背中が。彼の後姿を見ながら、義父がどんな顔をしているのか。ブレンにはわからなくなってしまった。
「多分、アレがきっかけだったからかな。あの人と距離を置くようにな
った、きっかけ。だからあの時、別のことをしていればって、そういう風にずっと引っかかってるのかも」
自分のことを語りながら、ブレンはそんな自分を奇妙に感じた。自分でも、不思議なほどすらすらと言葉が出てきた。人間相手ではないという気安さだろうか。あれほど固く結ばれていたような口から、あふれるように言葉が出てきた。
「でも、夢の中で、あの人の顔はいつも真っ暗なんだ。こちらを向こうと、決してしない」
HL-mesは黙ってこちらの話に耳を傾けている。
「死んだ後の手続きともかも全部準備されててさ。生活に困ることはなかったんだ。けど……変なんだ。義父の顔を、俺は思い出せなかったんだ」
勿論、葬儀の際や記録データには残っている。それでも、そのむっつりとした顔が、どこか自分の中で受け入れられない。
「まともに顔も見ようとしなかったからかな。あの人がどんな顔をしていたか。その確信が、どうしても見えないんだ。ほんと、嫌な子供だよ俺は」
そんな悪夢を胸に抱き、失意のまま日常を過ごすほかなかった。行き場のない感情をもてあましながら、時間を消費する以外に、できることはなかった。
船長に会ったのは、そんなときだった。
かつての義父の友人。同僚の男。エセックス号の艦長。ネイラード。
船長は、銀河通商同盟御用達の便利屋としてその名を馳せていたらしい。船外作業員であった義父はいくつかの仕事を通じて知り合ったとは本人談。
「船長がそのとき、話してくれたんだ。昔、別の海を見ていた義父の話を」
第七星系の惑星ルオーンへ、連邦軍の基地建造のための必要物資を運び入れたときに、仲良くなったらしい。無口でとっつきにくい男だったが、腕は確かで慕われていた、と。
「そのとき、ルオーンに荷物を運んでいたらしい。今ほど警備が厳しくなかった時代に、二人は降り立って海を見たんだってさ。そのとき、義父は海を初めて見たらしくって感激したらしい。それで、これからの話をしたらしい」
ここでの仕事が終わったら、どこへ行くつもりなのか、と。そんなたわいない話をしていたらしい。
すると義父は考え込むように、そっと遠くを見やりながら、言ったのだという。
海が見える星に行きたい、と。
その跡、義父がイーデルランドに居住したのは、時期的に一致した。
ブレンは頭上の青い惑星を見やる。きれいかもしれない。だが、遠くから見てもそれ以上のことは何もわからない。
「だから。思ったんだ。義父がみた海を、俺も見ようって」
それからのブレンの行動は早かった。ネイラードが、現在でも第七星系での仕事で身を立てていると聞き、クルーとして乗せてもらえるよう頼み込んだのだ。最初こそ難色を示した船長だが、やがてブレンの一途な態度と、小型宇宙艇の操縦技術で認めてもらうに至った。そうして学校を休学して、第七星系までやってくるに至った。
「ま、結局民間人は立ち入り禁止だから、こうして衛星軌道上から見るしかないんだけどさ」
現在はルオーンには環境保護の名目として、人間の立ち入りは厳しく制限されている。
漆黒の闇の向こう。せめてできるだけ近くで、とこうして空から青い星を見るのが精一杯だ。
「……結局、自己満足なのかもな。何もわかろうとはしてこなかったから、だからせめて、なんとか罪滅ぼしみたいなことをしたいって。それだけなのかも」
そう。自己満足に過ぎないのだろう。義父の真意や、頭の中は今はもう知ることは出来ない。もし実際に見ても、何か答えを得ることは出来ないかもしれない。
それでも来たのは、そうするのが正しいと思ったからだ。自分なりの、けじめのつけ方だった。
「おやじがどんな顔をしていたのか。どんなふうに俺があの人と向き合ってきたのか。それを思い出したいんだ。忘れてしまった記憶を、取り戻したい」
そこまで言ってから、不意に恥ずかしさがこみ上げてくる。それをごまかすように、ブレンは大仰に溜息をついた。
「いっそ何か遺言でも残してくれてればな。……もう少し、気持ちの整理はついたかも」
だが、現実にはそんなものはありはしない。死者とどう向き合うかは、自分自身が決めるしかない。
「……まあ、そんな感じ。あんまり面白くない話だろ。夢にまで見るとかさ。どう思っていたのか、せめて聞いておけばよかったな---」
あの時もしも、声をかけていたら。何かが変わっていただろうか。そんな風に考えた罪悪感が、悪夢と言う形をとって、今もずっとブレンの頭の片隅に残っているのだ。
「いえ。非常に興味深いお話でした。マスターは知りたいのですね。お父上が、何を見ていたのか。そしてそのとき、どんな顔をしていたのか」
義父が、何を見ていたのか。確かにそうかもしれない。HL-mesに言われて、初めて気づく。結局自分は、あの人の最後まで、あの人が見ていたものを知ることはできなかった。わかりあうことはできなかった。だから、せめてそれを知りたいのかもしれない。
「……でも、なんだか変だよな。自分の義父のことが、今更になって知りたいから、とかでこんなところまで来て、さ」
「私はそうは思いません、マスター」
照れ隠しの言葉は、HL-mesのまっすぐな言葉に打ち消された。
「成長期における自分自身の定義づけは人間にとっては重要事項です。自分自身のルーツでもあるご両親の理解を深めることは、その同質性から参考になる情報を引き出せる可能性があります」
「……ほんとうの父親じゃなくても、か」
「死者とのコミュニケーションは不可能です。相互作用を及ぼすことがない以上、行為に
意味はありません」
ですが。HL-mesの口は止まらない。
「有史以前より死に対してのアプローチは姿形を変えて行われてきたのも確かです。人間の精神安定を目的とした、ヒーリングを目的としては十二分に有効と考えられます」
そうして一瞬沈黙した後、おずおずと、まるでためらうようにHL-mesは告げた。
「これは参考になるか不明ですが、現在記憶領域における損傷による影響で、本来のHL-mesの判断機能に対して悪影響を及ぼしています。そのため演算能力に0.03パーセントの遅れが見られます。これはHL-mes自身の自己理解に対する欠乏が原因と思われます」
「なにか……ええと、どういうことだ?」
「メイドロイドには、生存理由がある。何らかの役割を求められて生み出されます。現在の私はあなたのラブドールとして行動しています。ですがより上位の命令として任務の復帰が位置づけられていれば、私はそれに従わなければならない」
HL-mesは続ける。
「しかしたとえ記憶が戻ったとしても。もし私が作戦行動中だったとしても、その任務や行動を果たすことが不可能だったとしたら。私は、自分自身が何をすべきなのか、その判断がつかない。おそらくその可能性が、私自身に揺らぎを与えているものと推察されます」
十五年。それだけの月日が経っているのだ。
帝国は失われ、宇宙は変わり、メイドロイドへの風当たりもきつい。
考えてみれば、決して生き延びるのに楽な環境とはいえないだろう。
「何もかもが変ってしまった。私は一体どうするべきなのか。保留されている問題が多くあります」
そこでHL-mesは黙り込んだ。ブレンはじっと彼女を見つめる。
彼女から語られた言葉は、ブレンにとっては、衝撃の一言だった。自分自身が考えたことのない分まで、彼女は考えていた。ただのセクハラメイドロイド、と思っていた相手が、深い洞察を示したのだ。
「そういう意味では、私もマスターと同じです。私はかつての自分が何者だったのか、何を見ていたのか知ることを希望しています」
そしてそれは、ブレンとも共通する悩みでもあった。
共感を示したHL-mesを、ブレンはこれまでとは異なる視線で見つめる。
HL-mesの瞳が、静かに揺れている。いや。揺らいでいるのは、おれ自身だろうか。
「……お前も、悲しいんだな」
「それは人間特有の感情であると判断します。人間に対する奉仕をその存在目的とされているメイドロイドには、不必要な機能です」
違うよ。ブレンはそっと首を横に振った。
「必要だからあるものじゃないよ。そういうのは……あるもんなんだ。俺もあんまり頭良くないから、うまくいえないけどさ。お前も俺と同じなのかもな」
いつの間にか、そんな言葉が抜け出していた。
自分の胸のうちをさらしたからだろうか。不思議なほどにすとん、とそんな言葉をつげられた。けれどもそれは本心だった。わからない、と思っていた相手の胸中。そのうちの一つに楔を立てられたような、そんな気がしていた。
「メイドロイドは人間とは違います。自己存在の複製や種の繁栄を目的としていません。それゆえに存在自体に目的が規定されています」
HL-mesが語りだした真摯な言葉を、ブレンもまっすぐなまなざしで受け止める。
いや。違う。胸の奥、理屈よりも先に感情が、だからこそその答えを否定していた。
「それでも、お前はお前だよ」
一体どれだけの意味がある言葉なのか。ブレンにはわからなかった。
けれども胸の奥をさらして、素直な気持ちになって。そこから飛び出した言葉が、どうして真実でないといえるだろうか。
いつの間にか、じっと二人は見詰め合っていた。
改めて現状を認識しなおして、ブレンは思わず緊張する。
「ありがとな」その言葉に一泊送れて、HL-mesが首を傾げた。
「メイドロイドに御礼は不要です」
「いいたくて言ってるんじゃない。これもつい出るもんなんだよ。お前にもいつかわかる」
「おっしゃりたいことは了解しました。ですが……」
HL-mesは、あくまで冷静に応えようとする。
「マスター。私はメイドロイド。汎用機械の一つです。ですから---」
しかし不意に言葉は途切れ、HL-mesは突如ブレンを背に立ち上がる。
なんだ。雰囲気が変ったことを感じつつ、いつの間にか人のいなくなった展望台に、たたずむ影を見つめる。
「所属と氏名を」
HL-mesがブレンの前に立ちふさがり、背後からこちらを伺う相手に対峙する。
「安心したまえ。僕は敵じゃない……探偵さ」
探偵。なるほど、確かに探偵かもしれない。ハンチング帽子に、コート。見た目だけでも、それははっきりとわかる。謎の少年は、そう言い放った。
「君を迎えにきたんだ。メイドロイド---HL-mes。君をね」